7-4.条件
「王弟はかなり優秀らしいな」
「ユウシュウとは優れている、ということだな? 私はお目にかかったことはあまりないけど、サチコはすばらしい方だと言っていた。向こうの世界のことを次々に質問なさって、たちどころに理解されているようだった、と」
役場から委託を受けた商人から届けられた消石灰を、新居の前の庭で細かくすりつぶしながら、エマとリカルィデが話をしている。
採掘した石灰岩を焼くために、統官の命で漆喰職人たちを集め、専用の窯を用意してくれたと聞いた。塩を加えて焼くなど質を高める工夫もしてくれているという。この調子なら農業やセメントなど、せっけんや死体処理以外の用途にも使えるかもしれない。
「……」
役場やキャンプの『コーバン』の炉などで出た灰を水に溶かしてかき混ぜながら、郁は江間の様子を密かにうかがった――彼は今のリカルィデの言葉の奇妙な部分に気づくだろうか?
「実際まったく政治に関わらない父ではなく、彼が王だったらディケセルはもう少し、ま、まとも? だったと思う。少なくとも双月教なんかを引き連れて、じゃない、引き入れて、バルドゥーバの好きにやられるなんてことは、王弟殿下ならなかっただろう」
そう皮肉に笑ったリカルィデに、「お前の母親が双月教のえらいさんの妹で、今の王妃が現バルドゥーバ女王の妹だったか」と江間は訊ねる。
「ああ。父も含めて、誰ともまともに話したことはないが」
そう笑うリカルィデの顔に、歳不相応の暗さを見たのだろう。江間は粉まみれの真っ白な手で、リカルィデの髪をぐちゃぐちゃっとかき混ぜながら、「そんな父さんと母さんのわりに、お前はいい子に育ったなー。しかも、太子の座を奪われたくないからって、性別まで隠された上に、弟ができたらぽいってされたのに、よくグレなかった!」と笑う。
「っ、やめろ!! グレ、は分からないけど、ポイってされた……それ、けっこうひどいことを言っているだろ!」
「気のせい気のせい」
「……ウサンクサイの言葉の意味が今分かった。ミヤベがお前のことをいつもそう言っている」
「ちょっと待て――宮部、お前、まだ俺のことまだそんな風に」
とりあえずは気付かれなかったらしい。郁は内心ほっとしているのを隠し、灰の入った瓶に目を向けたまま、「事実でしょ」とそっけなく返した。
「……ええと、言っといてなんだけど、って言うんだっけ? その、ごめん、エマ」
「真面目に謝られると、さらにダメージを食らう……」
疫病の対策をするのに通訳が必要な江間は、リカルィデと一緒によく行動していた。そのせいで、二人はひどく仲が良くなったように思う。本物の兄妹であるかのように、よくこんなふうに軽口を叩き合っている。
このキャンプに入り込む時だけじゃない。その後の生活でもこの騒動を乗り切るにも、郁と江間はリカルィデに大いに助けられた。
出来ることに制限をかけられていて、ずっと本を読んでいたという彼女は、この世界の社会の仕組みも歴史も人々の文化や風俗、習慣も、この歳に似つかわしくないほどよく知っていた。もちろん人々の実際の暮らしを知っているわけではなかったけれど、培った知識を活かしてすぐに順応していく。
加えて、日本人だった育ての親に多分に影響を受け、こちらの世界とあちらの世界の違いをよく知っているからだろう、郁と特に江間の文化や価値観の差による決定的な失敗を事前に何度も防いでくれた。
そして、側にきた他人のことを神経質に思えるほどよく観察するようで、それに応じた行動をとることもできる。性別を偽っていることがばれないよう、他者との接触する際には極度に監視されていたという環境が彼女をそうしたのだろうと思うと、複雑な気分になるが……。
(本当、トゥアンナと同じ『王女様』と言っても大違い……)
わがまま放題で他人への気遣いなど皆無だった母方の祖母とリカルィデを比べて、郁は複雑な顔をした。トゥアンナは論外だが、あの子はもう少しわがままに、自由になっていい。
「でも、リカルィデ、江間の言っていることに私も同意する」
江間の言葉は軽いように見えて、実はそうじゃない。彼の言動はこんな状況にあってなお、他人への思いやりに満ちている。ここで一緒に暮らすうちに否応なくそう気付かされて、郁はますます江間が嫌いになった。彼は郁ができないことをいつも当たり前にやってのける。
「使う言葉を選べ、とは思うけど。ぽいってされたとか、いくら本当のことでも言っちゃダメだし」
灰の入った瓶をかき混ぜる木杓子を止めて、郁はリカルィデに目線をやった。
「ミ、ミヤベも言った! 笑うな、エマっ、お、お前たちは私のことを一体何だと思っているんだ!」
「氏より育ち――サチコさんならこう言ったんじゃない? 向こうでは小学校の先生だったんでしょう?」
またつっかかってこられて喧嘩になるのは面倒だ、と遮れば、リカルィデは「ウジヨリソダチ…」と目をみはった。
そんな環境にいたリカルィデが、これほど人のことを考えられる優しい子になったのは、前回の稀人「ヨコテサチコ」という女性のおかげなのだろう。ディケセル国王太子という座をバルドゥーバ派が確保しておくためだけの存在だったアーシャルに手を差し伸べ、愛情を与え、生きる知恵を授けた人。
「血よりも育てられ方の影響が大きいって意味だ。サチコさん、いい先生だったんだろうなあ」
「……うん。私より三つ年上の男の子がいる、と言っていた。ショウガッコウに入ったところだったって……」
(ああ、私やおばあさまと同じ人がここにもいた……)
リカルィデの顔に罪悪感と後悔が載る。その気持ちが痛いほどわかって、郁も視線を落とした。
帰したい、でも帰ってほしくない、ああでもなんとかして帰してやればよかった、あんなに帰りたがっていたのに、なんでできなかったんだろう――。
「大丈夫、俺と宮部はお前にそんな顔させない。絶対に帰る。な、宮部?」
自信に満ちた江間の声に、郁は目を丸くした後、笑いを零した。
「だから、帰る時はお前も一緒に来いってー、お前ひとりぐらい俺と宮部で養うぞー」
「……っ。お、おまえはまた……そ、そういうところが軽いとミヤベは言うんだぞっ。大体夫婦でもないくせに、なんでミヤベがおまえと一緒にされているんだ」
「まあ、そこは言葉のあやってやつ」
「アヤってなんだ、ディケセル語の光のことか?」
またぎゃあぎゃあ騒ぎ始めた彼らを横目に、郁は灰の入った水をかき混ぜる手を止めるとその瓶を庭の一画に運び、同じ形の瓶の横に並べた。獣の皮で蓋をし、紐で留める。
「……」
そうだ、必ず帰る――そのためにもっと情報を得なくてはならない。
探るべきは、まず始まりの神コントゥシャを祀る神殿だ。稀人の来訪を予見し、『応接使』を惑いの森に行かせるよう、王に進言するという。そして、アーシャルことリカルィデを今回の『応接使』に加えるように助言した。
次はディケセル王族。トゥアンナはバルドゥーバ王子との婚姻を嫌って、わざわざ惑いの森に入り、あちらの世界に入ったと聞いている。つまりトゥアンナ同様、王族の中には、世界を渡るための知識を持っている者がいるのではないか。
決別の時点ではシャツェランは知らないようだったが、もしかしたら、リカルィデはそれを本当は知っていて、敢えて黙っている……?
「じゃあ、向こうに行ったらお前の名前はリカ」
「お前と言いミヤベと言い、人の名を勝手に決めるな! というか、まだ行くなんて一言も」
「リカルィデって嫌いか? きれいな響きじゃん、花の名前なんだろ?」
「ベ、ベ、別に嫌いってわけでは……」
いや、根が善良なこの子のことだ、知っていれば必ずボロを出しているはずだから、知らないのは本当だろう。
(なのに、神殿の長はこの子に惑いの森に行けと言い、実際郁たちは惑いの森に現れた……)
そもそも郁が惑いの森、この世界に来たのは本当に偶然なのだろうか?
「……」
(偶然じゃない、とすれば……)
昨日灰と水を混ぜて静置しておいた瓶の蓋を取って、表層の浮遊物を取り除いていた郁は目を眇めると、胸元に下げている守り袋へと手をやった。




