34-3.凶兆
『話をコレに戻すぞ。種に対しての収量は約六十倍、計二ガッタだった。このうち、三分の二を二期目の作付けと保管用にした。今のところ二期目に問題は――』
『ちょ、ちょっと待ってください』
(ええと、一ガッタは確か千ケッタ。一ケッタは水三百ミリリットル程度、つまり三百グラムだから……。ええと、田んぼの大きさが、大体四反ぐらいで……)
硝石作りの時も思ったが、単位の違いというのは、計算の手間以上に厄介だ。どれぐらいの何を元に何がどれくらい得られたのか、ぱっとイメージできない。
郁は面倒な計算を頭の中で回らせた末、米の収量が向こうでの三分の一にも満たないと結論付ける。
肥料や未熟な栽培技術などの問題もあるだろうが、一番はおそらく品種だ。稀人ヨスケがもたらした米は、日本が誇る農業機関などで改良されたものではなく、在来種もしくはそれに近いのだろう。彼が江戸末期の人だったことを考えれば、仕方がない話だが、口惜しい。
『品種改良の必要がありそうですね』
『目立った特徴のあったコレの種子は、記録して取り分け、別途栽培している。花が咲く前に、詳しくやり方を教えろ』
『私もなんとなくの知識があるだけですが……。コレの花は、自前で「めしべ」と「おしべ」……ってなんて言うんだろ……ええと、母親側の半分を提供する部分と、父親側の半分を提供する部分があって、その内の父親側の部分――花の中で頭に粒の付いた、六本あるものを、花が咲く前に取り除いて……』
『待て、メモするから。母親側ってのはテナ、父親側はチガのことか?』
『あー、その言葉、わからないです。リカルィデ、「めしべ」と「おしべ」って知ってる?』
『ごめん、私も初耳……』
『じゃあ、絵に描きますから、紙と木炭をください』
『不便だな……花が咲いた時にお前がメゼルにいれば、よかったんだ。ミヤベ、お前、あちこち出歩きすぎだ』
郁が描くイラストを熱心に見ながら、セゼンジュが文句を言い放った。
『まあ、そうですが、食料司長に言われるほどではないです』
『今回だってリバルに行ったまま、予定を過ぎても帰ってこなかったって、ボルバナが文句を言ってたよ』
彼に最後に会ったのは五か月以上前、バハルに行く直前だ。バハルから帰った時は、彼の方がいなかったし。
『まあな。途中、シハラ・リィアーレさまにお別れをしに、大神殿に寄ったんだ。大恩人だからな』
「っ」
郁は紙に落としていた顔を、弾かれたように上げた。
『そうだ、それで思い出した、お前宛てに、ケデゥナ……あー、シハラさまについていた神官なんだが、そいつから手紙を預かったんだった』
『っ、忘れないでくださいよ。あと、もし無くしていたら、呪いますから……っ』
どこにやったかな、とぼやきながら、埃だらけの室内を漁るセゼンジュを睨みつけ、郁も雑多に物が積み上げられた机を漁る。
『お前たちも、シハラさまにお会いしたんだってな。気品に溢れる、美しい方だっただろう? ケデゥナもだが、リィアーレ一族であの方の恩に預かっていない者はいない。金銭的な援助、住まいや仕事のあっせん、教育のための本や資材の提供、病んだ者への見舞いや保護……。女神のように慈悲深く、聡明で、お優しい方だったんだ』
「……」
『……』
郁はリカルィデと顔を見合わせる。
セゼンジュのシハラ評は、大方合っていると思うものの、“同時に悪魔のようでもある”と付け加えないと、完璧にはならない気がした。
「……ただしんみりとはならないのが、シハラだ」
郁にとっても大恩人には違いないのだが、思わずそう漏らせば、リカルィデがふき出した。
それに一緒に笑って、また少し泣いた。
ああ、シハラは本当に逝ってしまったんだ、と、それでなぜか実感してしまったから。
気が急くものの、手紙の内容によってはここで開封しないほうがいいと判断して、郁は手紙を大切に懐にしまった。
自分の用が終わったからか、セゼンジュは部屋のあちこちから本や紙束を探し出して、カバンに詰めていく。
メゼル以外にも広げた、二期目の田んぼを見て回るために、明日にはまた旅に出るそうだ。
『新しい田はどの辺に?』
『メゼル郊外と、各地の統官の調べに基づいて、メゼルディセル領の中で河川沿いの土地を選んだ。整備に地域の駐留軍の協力を得たおかげで、なんとか形になったんだ。土蟲にシガがやられている北部地域から優先的に播種している』
『シガ、土蟲に結局やられちゃったんですか……』
悲愴な顔をしたリカルィデに、セゼンジュは優しい目を向けると、首を横に振った。
『お前たちの調べを元に、オルゲィさまがディケセル全土に連絡してくださった。メゼルディセルや近隣領の土蟲対策に限って言えば、軍の協力もあって、成功したと言っていい。ただ、被害の大きかった他領から大群が飛来して、やられる場所が出てきているんだ』
それから、セゼンジュは顔を曇らせた。
『殿下と近しい領主たちのところも、地域差はあるが、概ね被害を抑えている。だが、ディケセルの北中部、東寄りの地域で、何の対策も取らなかったところは、完全にダメなようだ』
『……リバル村の状況はどうでしたか?』
北部、しかも惑いの森に隣接する村だ。対策を授け、実行したとはいえ、どうなっているだろう。
生真面目な統官を始めとする、向こうで知り合った人々の顔が浮かんできて、胃が痛み出す。
『周辺から土蟲が飛来してきていた。事前に対策している分マシだろうが、シガの今年の収量は二、三割は減るだろう。ただ、コレはうまく行っている。土地と相性がいいのか、こっちより収穫率も良かったぞ』
その言葉に郁とリカルィデは、ほっと息を吐き出した。
『ただ、二期目のタの確保に難儀していた。倍増まではさせたようだが、セルや周辺の村の目を掻い潜って、これ以上作るのは難しいと統官が残念がっていた。作付けが終わったら、来期分と予備の種籾だけ残して、あとは食料に回すようだ』
『彼らにとって、セルはもう邪魔をするだけの存在なんですね……』
『そうなりもするさ。一期目の囮のタの収穫は、すべて持っていかれたそうだ。種すら残そうとしなかったと、村人が吐き捨てるように教えてくれた』
そう語るセゼンジュの顔にも明確な嫌悪が浮かんでいた。
セルは“新しい作物を見つけた、栽培と管理に手を貸してほしい”と頼れる存在では既になく、奪っていく存在でしかない。
リバル村でセルを騙せと説得した時には、彼らの中に確かにためらいがあった。それを強引に説得したことに罪悪感もあったのだが、吹っ切れる。
『心から国を憂う人は、あなた方の一族を追い出した時点で、既にセルにいなかったのでしょう』
オルゲィ一家や大伯母のシハラ、食料司長のセゼンジュ、蔵書師のスムザ、神殿のケデゥナ神官――郁が知るリィアーレ一族の人は、タイプは違うけれど、皆真面目で他人に対して善良だ。自分にできることをしようとする。
そんな人たちを祖父コトゥドの罪、しかも本当は存在しない罪で全員追放したのがディケセル王族だ。
『彼らはもういらない』
セゼンジュは呆れたように、『お前、それメゼル以外で言うなよ』と警告を発した後、郁へとそのオレンジの瞳をまっすぐ向けた。
『問題はセルの背後にいるバルドゥーバだが……稀人があちこちの牧場や家畜舎から土を集めているのは知っているか? 肥食いことカッバルを栽培する際の肥料にするという話だが、それならなぜ屎尿そのものでなく、土なのか』
セゼンジュはこの世界の農業の専門家だ。土や肥料にも詳しいがゆえに、福地や郁たちの行動に疑問を持ったのだろう。
『ミヤベ、お前は奴の行動の理由を知ってるんだろう。タの脇で、どこかで得た土を使ってお前とエマがやっていたあの作業は、肥料を作るためなんかじゃなく、別の、バルドゥーバの稀人と同じ目的のためだったんじゃないか?』
『肥料にもなります』
『が、別のことにも使える』
『使わないため、使わせないために作っています』
静かなのに、緊迫した郁とセゼンジュのやり取りを、リカルィデが息を潜めて、見守る。
だが、郁が予想した通り、セゼンジュは『ならいい』と言って、今回もそれ以上踏み込んでこなかった。
『だが、一つだけ耳に入れておく。お前たちがあの作業を終えた後、タの脇に積み上げていた土だが、あれはタにも畑にも入れず全部燃やして、廃棄した。ミヤベ、あれは一体なんなんだ?』
――あの土に触れた生物は狂ったぞ?




