34-4.異種
食料司を出た郁とリカルィデは、無言で内務処棟に繋がる廊下を歩く。人気が途切れたところで、同時に重い息を吐き出した。
「ねえ、アヤ、セゼンジュの話、土蟲の大型化と同じだと思う?」
強張った表情のリカルィデに、郁は「断定はできないけど、疑うべきだと思う」と返した。
土蟲の大型化、すなわちイェリカ・ローダ化だ。
普段草食の土蟲が共食いするようになって、大型化する。大型化した個体は、惑いの森のイェリカ・ローダ同様、日光や月聖石で死ぬようになる。
共食いと大型化、どの時点でイェリカ・ローダと呼べる性質を備えるのか、厳密にはわかっていないし、何がきっかけでそうなるのかも不明のままだが、郁たちは土蟲以外の生物でも同じことが起こり得るのではないかと危惧してきた。
「迂闊にもほどがある。原因は共食いそのものじゃなくて、イェリカ・ローダの体内にある何かという可能性を考えるべきだったのに……」
「イェリカ・ローダの遺骸や血を含んだバハルの土のせいで、虫がおかしくなったってこと……?」
「生態系のことを考えて残土を処理するつもりではあったんだから、後回しにすべきじゃなかったのに」
顔を歪める郁の横で、リカルィデが顔色を失った。
バルドゥーバの砂漠にあるオアシス、バハルで入手した土には、家畜などの糞尿の他に、イェリカ・ローダの遺骸が含まれていた。硝酸イオンを取り出す作業をした後のその土を、郁たちは田んぼの脇にまとめておいた。火やアルカリで処理して廃棄するつもりだったのに、ゴタゴタが起こってすぐにメゼルを出たせいで、そのまま放置してしまった。
セゼンジュが異常を察知したのはその半月ほど後、残土とその周囲に住まう小さな節足動物だったようだ。
土の中に生息する本来肉食ではない種の一部が、同種他種を問わず、生物を襲って食べていたこと。昼に飛んで狩りをする種が夜に飛んでいたこと。それゆえ獲物を見つけられなかったのか、大量死したこと。地上で植物の種や他の生物の死骸などを採取して、地中の巣に持ち帰るアリによく似た生態の生物が、やはり大量死していたこと、その種が同じ巣の仲間と争っていたこと……。
「ねえ、アヤ、昨日のカガィエの話、覚えてる……? ヂザ……アヤたちが向こうの世界のカエルとかいう生き物に似てるって言ってた、半分、ええと、陸生? で、半分水生の生き物がタンボでたくさん死んでた、コレから何か有害なものが出ているかもと思って調べたけど、よくわからなかったって……」
悲痛な響きの問いに頷いた。
まだわからないけれど、想像は嫌な方に嫌な方に進んでいく。
セゼンジュとカガイエの話の根本は実は同じなのではないか。セゼンジュの話によれば、まず異常を見せたのは小さな虫。カガィエの話のカエルもどきは、それらを食べた結果、死んだ……。
(いや、死んだのであれば、まだいい)
奥歯が鈍い音を立てた。
惑いの森で二番目に遭遇したイェリカ・ローダを思い起こす。あれを最初に見た時、郁は“カエルの化け物”と思った――。
「カガィエはあれから何か言っていた?」
「アヤも虫やカエルが死んでいたことを疑っているんだよね? 特には聞いてないけど……ねえ、アヤ、これってすごく怖い話な気がする。だって……もし、もしだよ? 様子のおかしくなった生き物を食べた生き物が、もし死んでいなかったら? それが繰り返されていったら……? 惑いの森にいたあんな化け物がいつか人里で生まれることになるのかな……」
リカルィデも同じ考えに行き着いたらしい、隣り合う郁の手を握りしめる。その手が震えていることに気付いて、郁もぎゅっと握り返した。
不安を宥めようと落ち着きを繕って口を開いた。
「可能性はゼロじゃないけど、高くはないはずだ。生物の大量死は、おそらくイェリカ・ローダを摂取したせい、そうでなければ、イェリカ・ローダと化した後、太陽光に晒されたせいだ。いずれにせよそこを乗り越えられる個体はそう多くない。実際、生き物の大量死も行動の変化も今はもう見られなくなったとセゼンジュが言っていただろう」
「……うん」
「それに、イェリカ・ローダは惑いの森以外にはいないと言われてきた――なら、仮に生き延びる個体や種がいたとしても、大型の土蟲のように人知れず消えていく可能性が高い」
そうだ、確率で言うなら、今回の件でイェリカ・ローダが発生することはまずない。
(問題はむしろ、種の壁を越えてイェリカ・ローダ化が起こり得るということかもしれない)
郁は眉間を寄せる。
土蟲と“切り裂くもの”、これまで郁が把握していたのは、これらの同種間の共食いによるイェリカ・ローダ化のみだった。この場合、同じ種にイェリカ・ローダと化した個体が出ない限り、イェリカ・ローダ化は広がらない。だが、違う種でもいいとなれば?
(想定していたより、イェリカ・ローダを作り出すのは難しくないのかもしれない……)
「わかった。や、やみくも、だっけ? 闇雲に怖がってないで、私は私にできることをする。何か異常な動きをする生き物がないか、カガィエやチシュアにも頼んで気を付けて見るようにするね」
「ありがとう」
笑顔を作ってリカルィデに頷いて見せながら、郁は内心で焦りを募らせる。
バハルで“切り裂くもの”の馴化が可能であるかのように福地に話し、難を逃れたことを思い出して、さらなる後悔に襲われる。
あの後、彼と、彼の話を聞いたであろう女王はどう判断を下しただろう……? イェリカ・ローダを手懐けるのは時間面でも労力面でも効率が悪いと判断して、諦めてくれていればいい。
だが、もし、まだ諦めていなかったら? 馴化が不可能だとしても、飼育の過程で他の生物をイェリカ・ローダ化することが可能だと気付くかもしれない。
そうなれば、福地、そしてあの女王のことだ、間違いなく人間で試みるだろう。
(どうにかしてバルドゥーバ国内の情報をとりたい……)
「あ、エマだ。対戦中……あれ? 相手、シドアードじゃん」
鍛錬場の中心付近で、親交の深いグルドザと刀を交えている彼を見つけて、郁は無意識に息を吐き出した。
彼を支えにしてしまっていることをそれで改めて自覚し、苦笑を零す。
「てか、見物、女の人がやたら多いような……やっぱエマ目当てかなあ」
「かもね。相変わらずの人気だ」
「余裕ぶってていいの? ほら、あの人……あー、やっぱり。江間になんかあげてる。お菓子? 食事?」
シドアードとの対戦を終えて、礼のために下げた頭を戻すまでの時間すら待たず、女性の一人が彼に駆け寄って何かを差し出すのを見て、リカルィデが顔をしかめた。
向こうの世界でも江間は、ああやって色々な差し入れを受けていた。それをことごとく断っていた理由をこっちに来てから知ったわけだが、同時に、郁の作る物は平気だと言ってくれたことを思い出す。
腐れ縁なだけ、面倒見がいいから放っておけないというだけで江間は郁を鬱陶しがっていると思っていたけれど、あの言葉といい、実はそうじゃなかったこともようやくわかってきた。
彼がなぜ郁に好意を持ってくれるのか、未だに不思議でしょうがないけれど、 でも、今回のバハルの土の件と言い、この世界で降りかかるたくさんの重圧が彼のおかげで和らいでいることを、郁はもう認めるしかない。
郁の方は、江間に何一つ返せていないどころか、色々負担をかけているのに、と思うと、情けなくて、ため息が出た。
「あ、断った」
「……」
なんとなくセゼンジュに渡された米の布袋の感触を確かめれば、リカルィデは目敏くそれに気づいた。
さっきまで沈んでいたくせに、もう立ち直ったらしい。にやっと人の悪い笑みを浮かべて、「よかったねー、アヤ。今日の夕飯作り、余計頑張んないとねー」と、肩を指でつついてきた。
生意気な、と思いつつ、じろっと睨む。
「私の心配より、自分の心配した方がいいんじゃない?」
「……う」
楽しそうな声のせいだろう、グルドザたちがリカルィデの存在に気付いた。何人かが振り向いて、あっという間に取り囲まれてしまう。
『お帰り、リカルィデ。エマたちに付き合ってあちこち行ったり来たり、大変だな』
『セジナ洞窟に行ったんだって? あの辺りに駐屯したことあるけど、蒸し暑かっただろ。疲れてないか』
『あーと、その、平気、かな。私が行きたくてついていっているんだし……』
『健気だなあ』
郁を放って進んでいく会話に肩をすくめた瞬間、人垣越しに江間と目が合った。
一歩こちらに踏み出した彼は、先ほど断った女性へとちらりと目を向けた。その人がまだ鍛錬場の端で友人に慰められているのを見、うんざりとしたような顔をして、足を止める。
江間は昔、ああして声をかけられるたびに相手と楽しそうに話しながら、郁やリカルィデからさりげなく離れていっていた。
今思うと、邪険にしていたわけではなく、郁たちが巻き込まれないようにという、彼なりの気遣いだったのだろう。
彼やシャツェランが言っている通り、やはり自分はどうしようもなく鈍いらしい、と郁は眉尻を下げた。
『そういえば、南東地区にいい店ができたんだ。リカルィデ、お疲れさまってことで奢るから、今日の夕飯に一緒に行かないか』
『あ、抜け駆けすんな。それなら俺と一緒に、』
『あーと、今晩は家でミヤベから料理を教えてもらう約束だから』
『じゃ、じゃあ、明日――』
『は荷ほどきして、部屋を片付けないとミヤベに怒られるんだ』
『空いてる日は……』
『相談してからになるかな、ミヤベと』
「……」
年若いグルドザたちから一斉に恨みの視線を向けられて、郁は顔の片側をひくつかせる。
断られてしつこくしないところは、グルドザの美徳だろうが、リカルィデと言い、江間と言い、好きでもない相手からの好意というのは、面倒なものだとしみじみ思う。
心底同情もする。が、悪びれゼロで郁を盾にするリカルィデには、江間の気遣いを少し学んでほしい。
『ミヤベ……? っ、ミヤベっ』
いきなり名を呼ばれて、郁は振り返った。
『……ギリク!』
侍従の案内を受けてメゼル城内を歩いてくる一団の中に、レジスタンスの顔馴染みを見つけて、郁は弾かれるように駆け出した。彼の方も慌てて駆けてくる。
『ひさしぶり、あと、本当にありがとうっ』
バハルで二か月近くもの間、一緒に寝起きして共に奴隷生活を送り、最後には郁の無茶な願いを叶えて、テュオルを大神殿まで送ってくれた人だ。
再会に感極まって、郁は彼にその勢いのまま抱き付き、礼を口にした。
『あ……、え、いや、その……ひ、ひさしぶり。って、ええ、と、そうだ、テュ、じゃなくて、テオのこと、知らせなきゃと思ってたんだけど、大神で……あっちでも言伝をいただいてしまって……』
『大丈夫、無事に着いたという連絡は届いていた。本当にありが、……っ』
『そういう習慣、こっちにはないだろ。困ってる』
グイッと引っ張られて、背後を見上げれば、いつの間に近寄ってきたのか、江間が渋い顔をしていた。
はっとしてギリクを見れば、確かに真っ赤で失敗を悟る。郁も頬を染めつつ、急いで謝罪を口にした。
『ごめん。会えて嬉しくて、つい……』
『大丈夫。僕も嬉しいよ』
苦笑の後、温かい笑顔を見せてくれたギリクに、郁もつられて微笑んだ。




