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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第33章 覚悟 ―ルテゼル―
297/303

33-10.もういい

『生まれを明かすとは思わなかった。山を下りて以降、名を捨ててまで秘していただろう?』

『しばらくはバルドゥーバを警戒してのことだったが、その後は機会がなかっただけだ』

 旧知の間柄のゼイギャク・ジルドグッザから玻璃のグラスを手渡され、アドガンはその中身に顔をしかめる。

『酒か。昼間から』

『それぐらいで酔うことはあるまい?』

 含み笑う彼にアドガンは肩をすくめると、それを一気に飲み干した。

 三十年間誰にも見せなかった、伝統の彩色を施した肌を見せる事態を引き起こした二人は、今頃荷物をまとめていることだろう。


 視線をゼイギャクの部屋の広大な窓の外へと向ければ、雄大な活火山が今日も噴煙を上げている。

 アドガンの空杯にもう一度酒を注ぎ、ゼイギャクも同じ光景を黙って見ながら、酒を口に運んだ。


『あの二人は明らかに違う』

『ああ、“異質”だ』

 重きを置くものが自分たちと違い過ぎる――わかっていたことだったが、ここに来てさらに強く思い知らされた。


 二代前の王の娘トゥアンナの孫と指摘されても、稀人だと糾弾されても、顔色一つ変えず、不敵そのものの顔をしていた宮部は、アドガンがイゥローニャ人だと理解した瞬間、動揺を見せた。それは江間も同じで滅びたことを利用してイゥローニャ族を騙り、隠れ蓑にしてきたことを二人そろって謝ってきた。

 その瞬間、アドガンは自分がなぜ彼らを受け入れたくなかったのか、はっきりと自覚した。


 当初、アドガンは他の多くの者と同様、彼らを胡散臭いと思っていた。

 同じように感じているはずだと見込んだゼイギャクに彼らの排除を持ち掛けたが、彼はアドガンに同調しない。そのことも、アドガンの彼らへの警戒心をさらに強める結果に繋がった。

 だが、彼らは野心を見せることも見返りも求めることもないまま、あっさりと他人に手を貸す。その姿を見て、彼らを危険視していた者たちが続々と翻意していく中で、アドガンだけは、頑なに彼らを疑い続けた。


 青と白の山々と、ここよりはるかに薄い青空を背に、自分に笑いかけてくる祖父母や両親、妹、従兄弟に友人たち――懐かしい彼らを脳裏に思い浮かべるたびに、その顔はすぐに血塗れになっていく。

 交渉するだけと言われて出ていった祖父は帰ってこなかった。投石器で投げ込まれてきた、首だけになった父。顔を切り刻まれ、タトゥーでしか判別できなかった妹の死体には、むごたらしい凌辱の後があった。バルドゥーバ人に“余興”として見世物にされながら、目鼻耳手足を少しずつ切り刻まれ、絶命していった幼馴染。共に復讐を誓った従兄は、素性がバルドゥーバにばれて包囲された時、『子か妻かを選べ』と言われ、妻と自分を殺すことを選んだ。だが、バルドゥーバ人たちは、まだ五つにもならないその幼子を、死の縁にある両親の前で結局串刺しにし、家族三人を街中で見世物にした。

 イゥローニャを騙る江間と宮部は、その誰のことも知らない。誰の苦しみも知らない――それが許せなかった。


『いなくなってしまった自分の大事な一族、家族を、まったく関係ない人間にいいように利用されたら、いい気は絶対にしない。本当にごめんなさい』

『ひどく残酷なことをしたし、している。アドガンだけじゃなくて、イゥローニャ族全員に、心から謝罪する』

『本当にごめん、身を潜めていると聞いていたんだから、身近なところにもいる可能性を考えるべきだったのに……』

 なのに、二人は親に激怒されている子供のように身を縮こめ、情けないほどしょぼくれた顔でアドガンの前に立ち、謝罪を繰り返した。

≪にいちゃん、ごめん、ごめんなさい≫

 また妹のケッテテリの声が響いて、アドガンは咄嗟に言葉を返せなかった。

 なぜお前たちはそんな妹そっくりの顔をするのか、アドガンが部下にミヤベを襲わせた時もふてぶてしい顔をして逃げおおせたくせに、と。


『……だが、同じところもある』

 アドガンは長々と息を吐き出し、また酒を呷った。

 二人は苦痛の中にいる人々に共感して怒り、助けようと奔走し、バルドゥーバを亡ぼすと言う。ならば、我らイゥローニャ人となんの違いもない――だから、もういい。

『仮にも王族の睾丸を蹴り飛ばすミヤベの神経は、やはり理解できないが』

『カィセンテを王子と推測しておきながら、知らない顔をして、だからな』

『実にすっきりした』

『理解できているじゃないか』

 アドガンがくくっと笑えば、ゼイギャクも『理解できないのは、そっちじゃない』と言いながら笑った。

『エマもミヤベも、王だから貴族だからという理由で、敬意を払わない』

 身分も制度も常識も何も関係なく責務を果たさぬ者、他者への思いやりに欠ける者には敬意を払わない――あれは稀人の考え方だ。ゼイギャクの言う通り、こっちの世界の人間のものではない。

『そのようだな。やはり危険極まりない奴らだ』

 そう思うのは、前と変わらない。だが、危機が起きる前に排除しようと思えなくなってしまっている。それこそが危険だというのに。

『まあ、考えようによっては、大した問題ではないか。敬意を受けられる人間であり続ければいいだけのことだ』

『……なるほど、さすがジルドグッザ“さま”だ』

 しれっと肩をすくめたゼイギャクに、アドガンは半眼を向けた。


『今後あの二人とリカルィデは神殿に保護されてきた、イゥローニャのカィーラ氏族として扱う。リカルィデには既に神官籍が作られているし、二人についても必要ならすぐ用意できると、大神官長と話がついている』

 宮部とシャツェラン・ディケセルの婚姻は不可能だ、と諦めをつけたアドガンに、ゼイギャクは複雑な顔を見せた。

『……お前、娘を殿下に嫁がせたいんじゃないのか?』

『惚れ抜いている女がいる男に、可愛い娘を嫁がせたい父親はいない』

 そういえば、ゼイギャク夫婦はあの末の娘を目に入れても痛くないほどに可愛がっていた。

『……』

 こういう瞬間、自分の人生には、人間らしいものが何も残っていないことに気付く。

 アドガンは乾いた笑いを口元に浮かべると、また酒を口に運んだ。

≪にいちゃん、飲み過ぎたら、だめだからね!≫

(……ああ、そうでもないか)

 何十年も閉じ込めて、すっかり忘れてしまったと思っていた妹の声は、まだ自分の中に残っていた。


『カッサスルのカィーラ氏族が滅んでいなかったとなると、バルドゥーバ人は怯えるだろうな』

『自分たちがやったことが返ってくる、それだけのことだ』

 機は熟しつつある――何十年もかけて、あちこちに同胞を潜り込ませた。その彼らの元に、同じ思いをした様々な民族が続々と集まり、怨念は膨らみ続けている。

 警戒心が強く、組織として他者と組まない姿勢を見せていた、ジィガード・フォレッツ率いるバルドゥーバ国内のレジスタンスも、ここにきて立場を変えた。

 メゼルディセルの準備も着々と進んでいる。


 もう十年ほどになる。現ディケセル王である当時の太子を殺そうと、潜り込んだ王都セルの城で、アドガンはその弟王子に出会った。ついでに、と刃を向けたアドガンに彼は笑った。

≪目的は兄上か彼のバルドゥーバの妃か。なら、私を殺すのは勧めない≫

ナイフを突きつけられて不敵に笑った彼は、やってきたゼイギャクと切り結んだ自分を見て、『ゼイギャク、殺すな――お前、私のために働け』と言った。

 その後、彼の元に顔を出すようになったが、彼がアドガンに訊ねたのはたった一つ、『どんな国を望む?』だけで、素性も過去も訊ねられたことはない。


 英明かつ不敵な少年はアドガンの見込み以上に成長した。

 経済、軍事、人心の掌握、すべてにおいて彼はディケセル王を遥かに凌駕している。異世界から来た稀人の助力も既に三人目だ。


『殿下も頃合いだとお考えのようだ』

 アドガンは神など信じない。だが、この時期にこれだけの稀人が来たのは、一体どういうわけなのだろう。バルドゥーバとメゼルディセルはそれぞれ稀人の存在故に、急速に接点を持ちつつある。

『あの幽冥の醜婦はどう出てくるかな。フクチと対立して失脚したテラシタをセルにやって……それで?』

『少なくとも、女王自身は現時点ではこちらの稀人に執着はしていないはずだ。あれが本気であれば、もっと露骨な手段をとる』

『となると、テラシタをセルに出すのは厄介払いと、あわよくばメゼルへの嫌がらせしてやろうという程度の意図か。では、まず殿下の妃に押してくるな。本人も多いに乗るだろう。シドアード曰く、殿下に執心し、ミヤベを不自然に敵視していたと』

『ああ、私が見た時も、殿下に媚びをふりまいていた。これまで以上に、ミヤベを狙うだろう。妃候補のお前の娘もな』

『どちらもテラシタごときに易々とやられる女ではない』

 言い切ったゼイギャクに、『正攻法ならな』とアドガンは軽く息を吐き出した。


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