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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第5章 擬態 ―ギャプフ村―
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5-4.流行り病

 翌朝、登の六刻に鳴る鐘を合図に、今日は三人で長屋を出た。『ガッコウ』に行くためだ。

 夏の朝日は、既に高く上がっていて、青く晴れ渡った空に浮かぶ雲を明るく輝かせていた。どうやら今日は暑くなりそうだ。


「やっぱり『ガッコウ』は日本語由来だろうなあ」

「多分。学校があるのは、メゼルディセル領だけなんだ。六、七年前から王弟が中心になって始めたと聞いているから、サチコかも」

「ああ、王弟は彼女を何度も訪ねてきていたって話だったな。お前も彼女に学校のことを聞いていたんだし、そうかもな」


 江間とリカルィデの話を聞きながら、郁はまだ夜の湿り気の残る土の道を『ガッコウ』へと辿る。

 キャンプの朝は早い。向こうでの午前七時過ぎだというのに、通りは人で溢れている。 両側には、郁たちに割り当てられたのと同様のキャビンの他に、簡易な造りではあるが、服屋や雑貨屋、食料品店、飲食店などが立ち並び、人々がにぎやかにやり取りを交わしている。


 すれ違う人たちの外見は、祖父から聞いていた通り、あちらの世界では考えられないくらい多様だった。髪の色は黒や茶、金、銀、白の他に、紫、赤、ピンク、青、緑、オレンジ、黄……。その髪の間から覗く耳は、向こうの人の倍近い大きさだったり、おとぎ話のエルフのように、尖っていたりすることがある。肌の色も色々で、身長は成人で男女問わず百三十センチ程度から、二メートル越えまでばらついている。話に聞いていた通り手指の本数も、五本の人と六本の人が半々ぐらいだった。犬歯が大きく、閉じた唇の間から覗いている者も珍しくない。体毛がほぼないというのも確かなようで、共用の水浴び場を利用した江間が、「こっちの人間、体に毛がないぞ」と驚いていた。その後、「なあ、宮部、ひょっとして」と話を振ってこようとしたので、睨んで黙らせたのは余談だ。彼のどこが紳士だ。どいつもこいつも騙され過ぎている。


 多様なのは、何も生まれつきの見た目だけでない。キャンプ内で聞こえてくる言葉は本当に雑多で服装も色々、様々な民族のものが混在しているようだった。


 それでもキャンプは、非常にうまく管理されているように思う。

 あちこちの国から、言葉も慣習も違う人々が流れ込んでくる。治安の維持と中にいるだろうスパイの対策に、ここでは『コーバン』を設けるなどして、そんな移民たちを緩やかに監視しているが、キャンプ外と交流を持てるようにし、商売を始めたりして、自立して出て行こうとする者を支える仕組みを整えていた。

 中でも目を引いたのは、江間が今話題にしている『ガッコウ』の存在だった。そこでは出身地や年齢に関わらず、ディケセルの言語や習慣、法律、算術などを学ぶことができる。


≪アヤは家で学ばないのか?≫

≪学ぶ……って勉強のこと? 「学校」に行って、そこで同じ年の子たちと一緒に勉強しているよ?≫

≪「ガッコウ」? 一緒に? なぜだ? 人は生まれ持って皆能力、は難しいな……頭が違うし、それゆえできることが違うじゃないか。耕す者と国を治める者に、同じ教育を施す必要もなければ、耕す者にはそもそも理解すらできないだろう≫

≪シャツェランの国では、耕す者、って作物を作ったりする人たちのことかな? はずっと耕す者かもしれないけど、こっちではそんな風に決まってないよ。だから学校に行って勉強して、自分に合った仕事を探すの≫

≪はあ? 耕す者が王になどなれるものか! 愚弄する気か!!≫

≪そもそも王、いないから。愚弄って、馬鹿にするってことだっけ? してない。というか、人を馬鹿にしているのは、むしろシャツェランじゃないか≫


 あの時のシャツェランの怒りを含んだ真っ青な瞳を思い出して、郁は複雑な気分になったものだったが、どうやら彼は優秀な為政者となっているらしい。

 キャンプの『ガッコウ』などで、才を認められた者は、そこからメゼルディセル領内の文官や武官として登用されたり、農家や商家など民間の仕事を紹介されたりしていく。一度絶望と共に祖国を出た者が、頼った異国の地で努力次第で報われ、幸せになれると知った時、ディケセル、いや、ディケセル王弟シャツェランへの忠誠が出来上がる。

 受け入れるディケセル人の側にしても、内戦で疲弊した土地と減った人口を、ディケセルの慣習に沿う形で移民が補ってくれるのであれば、不満は出にくい。それどころか人の流入による混乱を抑えながら、その人々を活用し、経済力を持たせていくことで、その場所は活気を帯びる。

 今やシャツェランの治めるメゼルディセルは、財力と言い、人心の掌握と言い、軍備と言い、ディケセル王を凌ぐようになり、近々ディケセル全体を掌中に収めるのではないかと言われているらしい。


(それに引き換え私はどうだ……)

 郁は足元に視線を落としたまま、小さくため息をついた。

 気が急く。一か月半経ったというのに、帰る方法はおろか、手がかりもまだ何も見つかっていない。

 トゥアンナと同じディケセル王族のリカルィデが何か知らないかと思って尋ねているが、手掛かりになりそうな情報は、稀人の到来を予見するのは、ディケセルの王都セルの近くにある神殿だということと、その神殿がアーシャル王子を指名して、惑いの森に行くようと言ったということぐらいだ。「カッゼェニー王妃殿下に、応接使に同行しろと言われたんだ。仮病を使うつもりだったのに、大神官長からも行くようにと連絡が来たから」と、経緯を話してくれた。

 バルドゥーバ出身のディケセル王妃が、バルドゥーバの国教である双月教の前主教の甥でもあるアーシャルを惑いの森に行かせようとしたのは、ディケセル側が稀人を確保した場合に備えてのことだ。

 では、大神官長――ディケセルの始まりの神コントゥシャを祭る場所の長が、同じことを命じたのはなぜか?

(トゥアンナが逃げた先も惑いの森だったと言うし……)


「ミヤベ? どうかしたか?」

「何でもない」

「お前がそういう顔をしている時は、何でもないことだったりはしない」

 皮肉な感じで白い目を向けてきた江間に、「なら、聞くだけ無駄だということも知っているだろう」と返せば、横のリカルィデが眉根を寄せて二人を見比べた。



「リカルィデ、いいか、自分の持っているもの以外飲むな、食べるな」

「……うん。でも、それだけでいいのか」

 子供たちを集める教室のテントに入ろうとする彼女を、江間が呼び止めて言い聞かせる。


 健全な活気に満ちていたキャンプに、少し前から疫病が流行り出した。最初はよくある腹痛を伴った風邪に見えたらしい。それが一日経たないうちに、激しい嘔吐と下痢となり、体力のない子供や老人たちは早ければ数日で、大人の男性であっても一週間持たず死亡していく。感染力も強く、一家全滅などと言う事態も珍しくないと聞いている。


「多分だけどね」

 答えながら、郁はカバンからかつて自分がつけていたヘアピンを取り出し、中途半端に伸びてきたリカルィデの前髪を脇へと寄せて留める。汗で髪が張り付いていた額に、風が当たるようになったせいだろう、「……涼しい」とリカルィデがぼそりと呟いた。


『リカルィデ、おはよう。って新しい服だ、似合ってる! やっぱリカルィデ、可愛いわー。あ、何その髪の! 見せて見せて』

『え、あ、その』

 やってきた賑やかなクラスメイトに連れられて、真っ赤になりながらテントへと入っていった彼女を見送って、郁と江間は自分たちの教室のテントへと向かった。


「空気というより、水、だよな、やっぱ」

「あとは食品の汚染……」

「コレラに似ている気がしないか? 死亡率は…………なあ、宮部、あれって『双月教』じゃね?」

 視線の先には、二つの月が絡む首飾りを下げた中年男性が、小瓶に入れた『聖水』の効能を謳っている。曰く、今流行っている病もこれを身に振りかけ、タジボーク神に祈れば快癒する、と。


「双月教はコントゥシャ神とか他宗教への信仰を潰すために、バルドゥーバが作ったものだって」

「あー、あの継ぎはぎ感はそう言うことか……。で、みんなが不安になってるこの機に広めようってわけだ。社会不安と新興宗教が切っても切れない関係にあるのは、世界が変わっても変わらないもんなんだな……」

 うんざりとした顔で、「治れば神様のおかげ、治らなければ信仰が足りない、自己責任とか、詐欺も同然だ」と首を振る江間に、「悪いと自覚がある分、詐欺の方がまだかわいい」と返しながら、郁も眉根を寄せた。

「あれ、この辺で取った生水が元になっていたりしないよね……? 振りかけるのもまずいけど、飲んだりしたら感染まっしぐらだ」

 無責任すぎて吐き気がする、と嫌悪を顔に表す。その脇を髪を振り乱した女が走り抜けていった。


『こっの詐欺師めっ、嘘ばっか言ってるんじゃないよっ!! 治んなかったじゃないか!!』

 女は聖水を売る男に駆け抜け寄り、体当たりをくらわす。そして、『死んじまった!!死んじまった!!』と泣きわめきながらのしかかり、その男を殴りつけた。

『司祭様に何をするのだっ、この不信人者めっ』

『そうだっ、自分の信心が足りないのを、タジボーク様のせいにするんじゃないっ』

『うるさい、双月とか御大層にお月様を掲げやがって、流行り病一つ直せないじゃないかっ。この詐欺師め、ここから、ディケセルから出ていけ!!』

 神官をかばおうとする、おそらくはバルドゥーバ出身の者たちと、追いついてきた女性の身内らしきものたちが激しくののしり合い、殴り合いが広がっていく。


 ついにここまで来た、と戦慄して、郁は隣の江間を見上げた。いつも余裕いっぱいの彼の顔もいつになく固くて、不安がこみあげてくる。

『母さん、父さん、やめてっ、コクィも具合が悪くなってる、母さんを呼んでるっ!!』

 小さな影が大人たちの乱闘に絶叫しながら飛び込んだ。が、すぐにはじき出された。歪んだ顔で大声で叫び、両親を必死に呼び戻そうとするその子に郁も覚えがあった。

(いつも元気に江間に付きまとっている子だ……)

「フォーショ」

『……っ、……エマぁ、お願い、助けて、助けて……っ』

 彼は名を呼んだ江間を振り向くと、顔をくしゃくしゃに顰めて、泣き叫んだ。


 フォーショに案内されたのは、郁たちの住む場所から少し離れた、水路で言えば、下流側の区画だった。いつも賑やかなその界隈は今は嘘のように静まり返っていて、あちこちからすすり泣く声が聞こえてくる。

 キャビンの骨組みに張り巡らされた幕の一角、出入り口となる切込みの入った部分の布をまくり上げて中を見れば、部屋の隅の寝台の上に布でくるまれた小さな体と、それよりさらに小さい男の子が一人寝かされていた。周囲には吐しゃ物と汚物がまき散らかされ、息をするのも辛いほどの異臭が戸口へと流れ出てくる。寝台の傍らで部屋と男の子を清めている、郁たちより幾分年下の女の子の顔色も悪い。


『ドーサン、コクィ……』

 騒ぎに気付き、一緒についてきたリカルィデが呆然と呟いた。

 エマに付きまとって、時にリカルィデも交えて一緒に遊んでいた子たちだ。その子たちが汚物にまみれて、片方は既にこの世になく、片方は彼岸に片足を突っ込んでいる。看護する側にも為すすべがない。

 複雑な立場で性別を偽らされ、挙句殺されかけるような扱いを受けていたとしても、王城では決してあり得ない光景からだろう、リカルィデの顔色は青を通り越して真っ白だった。小さく震え始める。


『どうしよう、お兄ちゃんだけじゃなくて、コクィもお姉ちゃんもダメかも……』

 郁とて泣き出すフォーショにかける言葉が浮かんでこない。漂ってくる死の気配に、ただただ足が竦んだ。ゴクリと音を立てて、唾が喉を下っていく。

 コワイ、カカワリタクナイ、ミナカッタコトニシテ、ニゲタイ、ナンデコンナメニ――。


「宮部、お前は世話人の爺さん連れて、役人に説明しに行け。ぶん殴ってでも言うことを聞かせて来い」

「っ」

 江間の落ち着いた声に我に返った。

 長屋の骨組みの柱の間に回らされているごわごわした布を、江間はすべてまくり上げる。そして、中に入っていこうとするのを、咄嗟に腕を引いて引き留めた。口内に留まった唾液を意識して飲み込む。

「……江間、お前が行け、こっちは私がやる」

「っ、馬鹿か、万が一かかっちまったら、体力があるのは俺の方だろうが……っ」

「馬鹿はお前だ。私の方がかかりにくい可能性はあっても、逆はない」

 ――遺伝の問題だ。

 自分たちにはこっちの世界の病原体に対する免疫がない。それでもこちらの血を引いている郁には、少しは耐性があるかもしれない。でも江間は……。

 疫病が流行り出した時、真っ先に考えたことだ。


「っ」

 江間が敵を見るような目で、郁を睨む。奥歯がギリっと音を立てた。

 これから起きること、自分がすべきことを考えて体が震えていたが、郁は郁でその目を睨み返した。

「さっさと行け。リカルィデ、江間について行って通訳をして」

「……っ」

 顔を歪めて走り出した江間を、一足遅れてリカルィデが追うが、彼女は数歩進んだところで、泣きそうな顔で郁を振り返った。

「行きなさい――大丈夫」

 引きつった顔になっているだろうとは思ったが、それに何とか笑い返す。


「……」

 駆け出したリカルィデを見送って空を仰ぐと、郁は深呼吸した。初夏の空は地上で穢れに苦しむ人々とは全く無縁に、高く晴れ渡っている。


≪大丈夫大丈夫、私がついているわ≫

 不安になるたびにそう慰め、笑って抱きしめてくれた祖母の桜子は、こちらの世界はもちろん、もうあちらの世界にもいない。でも……。

≪たとえ死んだって、魂があるなら必ず郁の側にいる。あなたがどこにいたってね≫

 なら、今も見ているかもしれない。

≪自分がすべきであると思うことをしなさい≫

 節くれだった大きな手が、自分の頭に落ちた感触を思い出して、郁は最後に大きく息を吸い込んだ。

 そうだ、帰るまでにこの国の人のためにできることをする、リカルィデとの約束を果たさなくては、と自らを叱咤する。

 そして、あの馬鹿なお人好しを無事向こうに帰す――そのためにまだ死ねない。


 気休めかもと思いつつ、郁はハンカチ変わりにしている布で、鼻と口を覆った。

 祈るような目を向けてくるフォーショに、『コーバンに行って、炉からお湯をもらいなさい。グラグラと沸いているお湯だよ。それと、塩と実蜜を持って来て』と告げる。

(水一リットルに、砂糖四十、塩が三……塩は向こうと多分同じだ。でも、向こうの砂糖とこっちの実蜜は、同じじゃないかも)

 逃げ出したくなるのを、様子を見ながらなんとかしていくしかない、と決めて、なんとか堪える。


 それから、中にいるフォーショたちの姉と思しき子に、『汚れものは、他と触れないように一か所にまとめて。ラゴ酒はある? そう、じゃあ、持っておいで』と声をかけながら、郁はキャビンに足を踏み入れた。

 異臭が鼻を刺す。手が微妙に震え、額から汗が滴り落ちた。



本章終了、次章王弟&ゼイギャクになります。

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