32-19.卑怯
シドアードに案内された先は、ゼイギャクの城に常設されているというシャツェランの居室だった。
部屋の中央の机にシャツェラン、その両脇にゼイギャク夫人のルガゥネや、その跡継ぎの息子ゼィルジャ、この城の幹部たちが並んでいる。
『――カィセンテと何を話した』
前振りも何もなく、シャツェランは射るような目で郁を見下ろし、恐ろしく低い声で問うてきた。
この顔、久々に見たな、と妙な感慨に襲われると同時に、彼はこっちの方がむしろ自然だ、ここ最近の方がおかしかった、と納得もした。
結局のところ、私は江間ともシャツェランともこれぐらいの距離感の方が気楽でいいらしい、と郁は自嘲を口の端に載せる。
嫌われるほうがいい。その方が楽だ。なら、とことん勝手にやって、どうしようもないと見切りをつけてもらおう。
『ゼレゥチェは?』
『っ』
郁は質問をあからさまに無視した。シャツェランの眉間に青筋が立つ。
『殿下、まずは私どもから、ミヤベに礼と詫びを……』
『――大変申し訳ございませんでした』
疲れたような顔で口を開いた、この城の跡継ぎであるゼィルジャを、郁はとっさに遮った。この世界での謝罪の仕草として、胸の前でこぶしを組む。
『私のせいで、ゼレゥチェさまを危険な目に遭わせてしまいました。お詫び申し上げます』
そして、『ゼレゥチェさまは、カィセンテから私を助けようとしてくださったのです』と殊勝な顔で付け足した。
室内に困惑の沈黙が広がる。
そのうちのゼィルジャの横にいる男性が唇を舐めた後、探るように問いかけてきた。
『つまり、ゼレゥチェさま、は、カィセンテ殿下に捕まったお前を、助けようとした……そう言っているのか』
『私を解放しようと、カィセンテを説得してくださっていました。類が及ぶ前にご退室いただけてほっとしております』
ゼイギャクの傍でよく見かける初老の男性だ。おそらくシャツェランにとってのオルゲィのような立場の人だろう。
郁の返答を受けて、硬い顔をしていた彼の顔に明るさが差した。
彼は今回の件でゼレゥチェが咎められること、その結果、シャツェランと彼女の婚約話がなくなることを気にしていたのだろう。
『……妹からは逆だと聞いている。妹が侍女の身代わりになり、続いて君が妹の身代わりになったと』
だが、さすがゼイギャクの息子というべきか、ゼィルジャは妹の不利になろうとも、誠実に事実を確認する気らしい。
好感を覚えつつ、郁は『はあ……』と首を傾げて見せた。
『ゼレゥチェさまは私のせいで面倒事に巻き込まれたのというのに、それでも私を助けようとしてくださった。それが事実です――アドガン』
郁に話を振られ、アドガンは苦々しい顔で頷いた。次いで向けられた白眼は、当然気付かないふりをする。
江間の視線も感じたが、それも無視して、郁は強い視線でこちらを見ているシャツェランだけを無表情に見返した。
長々とした睨み合いを経て、シャツェランは息を吐き出した。
『……だそうだ。ゼレゥチェも侍女も混乱しているのだろう、ゆっくり休ませてやれ。配下の管理不足を詫びる』
彼の言葉で、ゼレゥチェが郁を助けたという話が事実とされることとなった。
ゼィルジャも口を噤んだ。そして、シャツェランへと深々と頭を下げ、配下たちを引き連れて退室して行く。
『……』
途中ルガゥネが郁へと歩み寄り、郁の右手を両手でぎゅっと握りしめてから、去っていった。
『アヤ、お前はゼレゥチェを私の妃にしたいのか』
扉が閉まった後、シャツェランがぼそりと呟いた。
『侍女ごときをかばって自らを危険にさらすばかりでなく、お前を危難に引き込み、国益を損ねかねない事態を引き起こした。そんな人間を私の傍にはおけない』
静かに断じる彼に、郁は半眼を向ける。
シャツェランは、カィセンテと郁を接触させたくない。なのに、彼はカィセンテの部屋に来なかった。
ゼレゥチェを放って、郁のところにシャツェランが行けば、彼女は間違いなく傷つく。それを避けたのだろう。
(その想像力があるなら、自分のゼレゥチェに対する想いにも気づけばいいのに)
呆れのため息一つを経て、反駁する。
『私は損なわれていない。勝算があって行動して、事実その通りになった』
言い切って、そこで郁はようやく江間を見た。
「……」
目の合った彼は、硬い顔をしている。感情が読めない。
(……間違えた、読む必要はもうないんだった)
思い直して、郁は『ゼレゥチェは、完全に私とカィセンテに巻き込まれただけだ』と視線をシャツェランに戻した。
『それで? カィセンテと何を話した』
『私が話してもどうせ信じないだろう? アドガンから聞け』
『いいから話せ……っ』
いきなり激昂したシャツェランに、郁はうんざりと息を吐き出した。
『寺下に会うように、カィセンテを仕向けた――あちらの世界とこちらの世界を自由に行き来する力を彼女が持っているかもしれないと、カィセンテにほのめかして』
『……』
シャツェランは探るような視線を向けてくる。郁が何をどこまで知っているか、目まぐるしく計算しているはずだ。
『他に何を話した?』
江間からも質問を受けて、郁は彼に能面を向ける。
(……ああ、そうだ、この世界に来る前に戻るだけだ。なんてことはない――)
『カィセンテの狙い、“死地の力”と呼ぶらしいが、それは私にはもうないと伝えた。こっちに来る時に使ったから、私を殺しても向こうには渡れない、と』
シャツェランのみならず、江間も息を止めた。彼もこの力について知っていたことを、それで悟る。
(ああ、私も彼も根っからの嘘つきだ)
二人とも自分の知る情報を相手にすべて開示しているわけではない。開示している情報にも偽りがありうる――実に自分たちらしい話になってきた、と皮肉に笑う。
『アヤ、いつ“死地の力”に気付いた?』
『トゥアンナが「リストカット」、自殺する為に手首を切るという行為を頻繁にしていた。思い通りにならない時に『帰る』と喚きながら。もっともほとんどはただの“ふり”だったみたいだけど』
シャツェランの問いに、肩をすくめた。
母方の祖母桜子の葬儀の時にも、気に入らないことがあったらしく、トゥアンナは手首をカッターで切った。うんざりして「どうせ本気じゃない」と指摘した郁を、父方の祖父と父は怒鳴りつけてきた。その二人を宥めた後、母が言っていたのだ、トゥアンナは何度も同じことをして、実際に病院に運ばれている、と。
その時はトゥアンナが帰りたがっているのは自宅だと思っていたが、母方の祖父コトゥドが臨終の床で郁の首を絞めようとしたことで、なんとなく繋がった。彼女は死にかけることで故郷の世界に帰ろうとしていたのではないか、と。
確信を得たのは、大神殿の帰還者の間でシハラと話してのことだ。
『事故に遭ってこっちに来たことで、彼女の行為と『帰る』という言葉の意味について疑うようになった。決定打はつい先ほど、カィセンテだ』
郁は事実の中にしれっと嘘を紛れ込ませる。シャツェラン、そして江間が誤解するように。
そして、事故の際の“霧”について深く突っ込まれないうちに、話を続けた。
『トゥアンナは何度やっても、結局こっちに戻ることはできなかった。おそらくこっちの世界からあっちの世界に渡る際に、力を使い果たしたんだと思う。リカルィデもカィセンテも力を失くしたという。シャツェランと私が会わなくなったのも、多分同じことだったんだろう。ディケセル王族の向こうと繋がる力の性質と強弱には個人差があって、しかも有限だ』
力を失ったと人に指摘されてプライドが傷ついたからだろう、幼馴染の顔に苦味が浮かんだ。
彼が郁と会いたいと思わなくなったから、会えなくなった――郁はこれまでずっとそう思ってきた。だが、こっちに来て知ったのは、シャツェランはあの後、郁に会いたいと思っていたということだ。なのに、会えなかった。
シャツェランは、その理由を自分が力を失ったからだと考えていたはずだ。そして今、郁もそれを肯定した。
そうでない可能性があるにもかかわらず、王族の自負の強い彼は気付けない。
(それゆえに、彼は私のついた“嘘”にも気付けない――)
郁はシャツェランを冷静に分析する。
『なぜ言わなかった? 俺がお前を殺して向こうに帰るとでも思ったのか』
すぐ横から響いた江間の声に、目を見開いた。
そんなこと、一ミリだって考えたことはない。それだけじゃない。郁にまだ死地の力が残っているとしても江間は絶対にそんなことをしないと、確信してもいる。
『なんで隠していたかって? それを聞くのか。江間だって“死地の力”を知っていながら、私に言わなかったのに?』
「……」
泣きそうになっているのを押し隠して、当て擦りを口にすれば、江間が顔を歪めた。
彼の顔を見ないで済むように視線を伏せると、「言わないこと、嘘をつくことはこの先もある」といつかの言葉を日本語で口にした。
『江間、すべてを把握しなくては気が済まないなら、全部自分の思い通りにしたいなら、違う人を選べ』
「……別れると言ってるのか」
ひどく長く感じる沈黙の後、奇妙なまでに平坦な日本語が響いた。
「そう解釈してくれて構わない」
気管が震えそうになるのを抑えて、淡々とした声に響くよう、細心の注意を払った。
「郁」
名前を呼ばれたけれど、見透かされそうで目を合わせられない。郁は無表情を保ちながら、自分に言い聞かせる。
(元に戻るだけだ。彼に嫌われること、彼を傷つけることに怯えて、すべきことができなくなることは、これでなくなる。大丈夫、慣れている)
「――お前は卑怯だ」
「っ」
次に響いた声に含まれていたのは怒り、そして、強い悲しみだった。
予想外のことに驚いて、顔を跳ね上げた。
「………ごめん」
その顔を見た瞬間、出す予定のなかった、そして、出してはいけないはずの言葉が零れ出てしまって、郁はきつく唇を噛みしめた。




