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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第32章 漂泊者 ―メゼル&ルテゼル―
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32-18.手段

 アドガンのゼスチャーを受けて、郁は扉の脇に退いた。彼が鍵を開けるなり、扉は凄まじい勢いで押し開かれた。

 扉の向こうには、先頭にこの城の主であるゼイギャクとその側近のケォルジュ、すぐ背後には江間とシドアードがいる。

『失神させた』

 奥へと顎をしゃくったアドガンに頷き返すゼイギャクの後ろから、顔を歪めた江間が郁へと手をのばしてきた。直後、全身がきつく拘束された。


 ゼイギャクが部下たちに、気を失っているカィセンテの拘束と、室内の確認の指示を飛ばすのが聞こえた。

「江間……?」

「……」

 無言のままただただ抱きしめられるにつれ、郁の中で徐々に緊張が高まっていった。後頭部を胸へと抑え込まれていて、江間の顔は見えない。が、怒っているような気がする。

「その、心配、をかけた? なら……」

「心配? するに決まってるだろうが」

 押し殺したような声を聞いて、郁は身体を硬くする。やっぱり怒っている。

 それでも、謝る以上は顔を見なくては、と、そっと江間の体を押した。が、背に回った腕にさらに力が籠って阻まれた。

「その、ごめん」

「……」

 答えがないことに衝撃を受ける。そして、そのことにまた衝撃を受けた。

 ああ、そうだ、江間は、江間だけは、郁を無視することはなかった、と気づいて、また怖くなっていく。


 ずっと一人でいた。この先もそうだと思っていた。

 思いがけず江間が一緒にいたいと言ってくれて、自分もそう思って、一緒にいることができるようになった。

 毎日同じものを見て、食べて、共に何かをして、とりとめのない話ができる。目的もなく、一緒にフラフラと街を歩き、顔を合わせて笑い合える。

 手はもちろん肩や背、頬や唇に事ある毎に江間が触れ、郁も彼に触れ返すことが許される。それどころか、触れる度に嬉しそうに微笑んでくれさえする。たどたどしくて、ぎこちなくて、不格好だろうに、笑ったりしないで。

 夜もゼイギャクが部屋を分けてくれたというのに、結局いつも同じベッドで寝ている。

 いつも陽気に弧を描いている目が、その時だけ変わる。怖いような目で見つめられて、本当に食べるつもりなんじゃないかという深い口づけを受けているうちに、郁自身我を失っていく。

 自分でさえ触れたことがない場所に指や舌が這い、知らない場所を攻め立てられて、いつも頭が真っ白になる。制止しても聞いてくれない。

 なのに、やめてほしくない時だけ、やめてしまう。そして、焦らすように「どうしてほしい?」と訊ねてきて、郁が懇願するまで、じわじわと刺激を繰り返す。抗議してみても笑うだけで、強い快楽に思考を奪われて、結局郁がいつも負ける。悔しいと思うのに、その瞬間、江間はひどく幸せそうに笑って、それにいつもやられてしまう。

 優しく口付けて、郁の内に入ってきてからは、激しく動く時も、口付けや愛撫を繰り返しながら繋がったまま、緩く緩く穿ち続けられる時もあるけれど、刺激が強すぎるのはいつも同じだ。

 最後のほうは、意識があやふやになってしまって、自分が何を言っているのかすら、わからなくなる。だから、江間が最後の瞬間に郁の名を呼び、「愛している」と囁いているのが本当なのかどうかも、自信がない。

 実際夢なのではないかと思う。江間が郁を望むこと自体がそもそもおかしいのだ。

 だからだろう、その後、眠りに落ちた夢の中で、彼が郁の元から去っていく光景を何度も繰り返し見ている。当然だと納得する一方で情けなくて悲しくて起き、彼の腕の中にいることに気付く。

 郁が起きたことに、江間は大抵気付いて、半分寝ぼけながら抱き寄せてくれる。なだめるように背を叩き、額に口づけを落として、再び眠りに落ちていく。

 そのたびに安堵するのと同時に、怖くなる。いつか本当に失くしてしまうのに、と。その時が来たら、いったい自分はどうなるのだろう、と。


「……」

 今がその時かもしれない、と思いついた瞬間、心臓がぎゅっと縮んだ。

 離れていった友人たちの顔が次々に思い浮かんでくる。優しくて、一緒に笑い合っていた人たちが、いつからか目を合わせてくれなくなる。話しかけても答えが短くなり、ある時からまったく答えがなくなる。最後にはみんな内側に怒りを抱えているのを感じた。ちょうど今の江間のように。

(いつも心配をかけてるし、怒らせてもいる。シャツェランだって、いい加減愛想が尽きると……)


『殿下がお呼びだ――怪我はないな、ミヤベ?』

『……え、あ、はい』

 シドアードの声に振り向こうとするが動けない。

 江間に抱きしめられたまま、目だけをシドアードに向ければ、彼は肩をすくめ、『あー、まあ、いいや。そのままでいいから歩け』と無茶なセリフを言い放った。


「……」

 室内を出たシドアードに続いて歩き出して、腕の檻からは解放された。けれど、手は繋がったまま。でも目は合わないまま、無言のまま。

 気まずい沈黙に、郁の気分はどんどん沈んでいく。


 ゼレゥチェを人質にするような発想をするカィセンテに、江間に断りなく、わざわざ会いに行った。アドガンがいたとは言え、逆の立場であれば、郁も死ぬほど心配するし、怒るだろう。

 でも、郁は帰る方法を、帰す方法をどうしても知りたい。

 江間を病気や食べ慣れない物で死なせたくない。

 稀人なんていうおかしな立場で、常に緊張を強いられるようなところにいさせたくない。彼のような人が、駆け引きの対象として物扱いにされることに、耐えられない。

 あの優しい妹さんを含めた、彼の家族の元に返したい。できれば、平和な方法で、彼を悲しませることなく。

 だから、心配してくれた江間にも、人質になってひどい目に遭ったゼレゥチェにも悪いけれど、渡界方法をずっと調べてきたというカィセンテと話せるのは、正直チャンスでしかなかった。


「……」

 ふと思考に影が忍び寄った。足が止まる。

 周囲の音が聞こえなくなって、もう自分と縁の切れた実家の居間の光景が思い浮かんできた。 

 静まり切った部屋の中に霞が出て、不思議に思って目をこすったりしていた間に、傍らにずっと置いていた祖父の骨壺とスオッキが消えていた、あの時の感覚が蘇る。

(……ああ、そうか、“彼を悲しませたくない”。つまり、彼が悲しまない状況になれば、方法にこだわる必要はない……)

 ――コノママキラワレテシマエバ、エマダケハ、カエシテヤレル。

 意識を江間から離した。全身から力が抜けて、握っていた手がその瞬間、するっと抜けた。

「……郁?」

 江間に名を呼ばれたが、返事をする気になれない。

「郁」

 離れた手をまた捕らえられて、引っ張られて、ただその手を見つめた。

「……」

 今度は両頬を捕らえられた。

「こっちを見ろ」

「……見ている」

 おかしなことを言う。

「郁」

 江間の顔がひどく歪んだ気がして、郁は視線を伏せる。

「カィセンテの件、勝手にやったのは悪かった」

 静かにそれだけを告げて、「シャツェランもうるさいだろうな」と小さくため息をつきながら、郁は顔を体ごと引いた。

「……」

 視線を感じたが、顔を合わせたくない。


『? どうかしたか』

『なんでもない』

 先を行っていたシドアードが振り返った。郁は再び歩き始める。

『……放っておいていいのか』

『何が』

 今度はアドガンに話しかけられたが、江間が立ち止まったままでいることに、気付かないふりをした。


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