33-1.黙過
シャツェランに向き直った郁は、『報告は以上。まだ何か聞きたいことがあるなら、アドガンから聞け。疲れたから部屋に戻る』と淡々と言い、返事を待つことも、江間を見ることもないまま、部屋から出て行った。
「……」
こっちに来るまでは日常だった、なんの感情も伝わってこないあの顔、何よりその目を見た瞬間、江間の中にあった怒りが冷え、代わりに激しい苛立ちが生まれた。
シャツェランの部屋に入る前にも見た、あの目だ。前にもどこかで見た気がする。
思い出せないイライラも手伝って、ごめんとか言うぐらいなら最初から言うな、馬鹿、と郁を心の中で罵る。
『……別れるなら、他の相手の世話をしてやるが?』
扉が閉まるまで無言でいたシャツェランのその言葉も、苛立ちに拍車をかけた。彼に隙を見せたくなくて、敢えて日本語を使って会話したのに、理解されている。
『……エマ、追ったほうがいい』
郁が出て行くのを、いつもの探るような目で追いかけていたアドガンが、ぼそりと呟いたが、江間は聞こえないふりをする。
(いつもいつも好き勝手に危険なことばかりやって、挙げ句、それを認められないなら、別の女を選べ? 別れる? ――ふざけんな。なんで、ああもかわいげがないんだ)
『アヤはずっとああだ。自分がやると決めたことは、誰がなんと言おうがやる。アヤの言う通り嫌なら別れろ』
『……お前だっていつも苛ついてるだろうが』
『まあな』
怒りを露わに睨んだ江間に、シャツェランはあっさりと頷くと、アドガンに視線を移した。
『アヤがカィセンテにした話の内容は?』
『まずゼレゥチェ嬢の他、侍女などがいる場において、トゥアンナ王女とカィセンテの振る舞いを結び付け、王族の責務から逃げたと糾弾していました』
『その上で周囲に対し、自身はトゥアンナ王女の血縁でも稀人でもない、とほのめかし、カィセンテに対して心理的優位に立った……』
江間の確認にアドガンは頷く。
『ゼレゥチェ嬢が退出した後は、自身が稀人であり、トゥアンナの孫であるという点については認め、続いて自分はもう向こうには戻れぬ、と。その上で、神殿で月の石がテラシタにだけ反応していたと言い、彼女には世界を行き来する力があるのではないかとカィセンテが思うよう、誘導しました』
淡々と続けるアドガンと、その彼に頷くシャツェランを、江間は注意深く観察する。
アドガンも郁を稀人であることと、渡界能力の存在について知った。そして、郁もだがシャツェランにもそれを問題視する様子がない。
つまり、アドガンは彼らから信頼されている――シャツェランはともかく、郁にとっては自分を殴ろうとした奴だろうに、と思う一方で、その気持ちがなんとなくわかって、江間はさらに不機嫌になった。
彼は油断のならない男だ。見聞処、つまり情報機関の人間としての能力もだが、ただの戦士としても、多分恐ろしく強い。加えて、なぜかは知らないが、郁と江間を嫌っている。
だが、彼は誰に対してもちゃんと礼を言う。嫌っている江間たちに対してですら、面倒見がいい。他にも、ホダを大事に扱ったり、飢えた孤児を地域の統官のところに連れて行ったり……。そのすべては無表情で、目つきが悪くて、ぶっきらぼうなのに、江間自身いまいち嫌いになれない。
『カィセンテはミヤベの話を完全に信じたようです。テラシタを利用して世界を行き来できれば、コントゥシャの再来、王になれると』
『……カィセンテにそう信じ込ませれば、テラシタもつられて踊り出すと言うわけか』
シャツェランは唖然とした後、失笑と嫌悪が混ざった表情を顔に浮かべ、『あの二人、どこまでも醜い』と吐き捨てた。
『そのテラシタの動きでバルドゥーバを操る――アヤの真の狙いはフクチだな?』
『彼は権力を楽しんでいるから、向こうの力をこちらに持ち込めるという話に強い興味を持つはずだ、と。彼を誘い出して抑えると言っています』
『エマ、どう思う?』
シャツェランに話を振られて、いかにも郁らしい、と江間は口の端を吊り上げた。
事実と嘘を混ぜ、人の欲望をくすぐり、その見極めを誤らせる。江間にすら何がどこまで真実なのか、はっきりとはわからない。
しかも彼女が騙そうとしているのは、一人じゃないはずだ。カィセンテ、寺下、福地、バルドゥーバ女王、シャツェラン、そして、おそらくだが、江間――話の嘘のどの部分が誰に向けたものか。
『大神殿で月の石が寺下に反応したという件が嘘なのは、神殿でお前自身見ただろう。だが、カィセンテから自分が特別なのだと聞かされた寺下は、多分それを信じる』
こっちに来る稀人は渡界能力があるからこっちに来たというわけではなく、ただの偶然というシャツェランの説は、正しいと江間は見ている。例外は死地の力を使ったという郁と、彼女に巻き込まれる形で一緒に来た江間たちだ。
ただし、逆は本当――神殿で確かめたように、こっちに来た稀人には渡界能力、つまり元の世界に戻る能力がある。ただし、これは寺下に限った話ではないはずだから、その意味でも月の石云々は嘘だ。
だが、向こうに一度戻った人間が、再びこっちに戻れるというのは、どうだろう? おそらくそれも郁の嘘だと思うが、ディケセル王族にはその力があったとシャツェランは言っていた。
(そもそもディケセル王族は、なぜそんな力を持っていた……?)
そうとばれないようにシャツェランを窺いながら、江間は言葉を続けた。
『寺下はその情報を秘密にするより、吹聴して周囲の自分に対する評価を上げることを選ぶはずだ。それでバルドゥーバでの返り咲きを望むか、ディケセルでの台頭を目指すか、メゼルあたりに自分を売り込んでくるか……確率が高いのはメゼルかな』
シャツェランは嫌そうに顔を歪めつつ、『テラシタの出方によって早い遅いはあるだろうが、フクチはいずれその情報を知る。そして、彼我の世界の往来方法を自分が抑えるべく、動き出す』と言って、アドガンを見た。
『カィセンテがテラシタに接触することは可能か?』
『現状はバルドゥーバで軟禁されておりますが、カィセンテが近々セルに送られてくる稀人がいると申しておりました。ミヤベにおそらくそれがテラシタだと言われて、狂喜しておりましたから、何がなんでも接触するでしょう』
「……」
『……』
江間は目を眇める。シャツェランがこっちを見たのがわかったが、敢えて視線を避けた。
あの考えなしのカィセンテのことだ。その情報源である郁について、いずれ漏らしてしまうだろう。彼女がディケセル王族の血を引くことを含めて。
『……アドガン、カィセンテについては予定通りに。だが、テラシタはアヤが示した方向で動かすこととする』
『では、“処置前”にキギナをカィセンテに接触させましょう。同時に、寺下を神殿に戻せと、神殿からセルに使いを出させます』
(カィセンテは予定通り殺す。ただし、寺下とその先の福地に向けての工作は、神殿の動きで信憑性を持たせつつ、対象をキギナに変えて実行するということだ……)
シャツェランとアドガンのやり取りを頭の中で解釈し直し、江間は唇を引き結んだ。
シャツェランの言うとおりだ。
日本の価値観で育った江間には、カィセンテを殺すことを正しいとは思えない。だが、シャツェランを止める気にもなれない。彼が死ねば、郁への危険は確かに減るのだ。
自分の中の倫理観が確実に変わったことを自覚するとともに、江間は眉間に皺を寄せた。
(隠して、好きにやるって? 俺だって郁と何も変わらないじゃないか)
リバルの霧の中で起きたことを、江間は郁に正確に伝えていない。ディケセル王族の血を引く者は死にかけた時、別の世界に行ける可能性があることを、郁もだが、江間だって隠していた。菊田の信者のベニが生きていることも話さなかった。今はカィセンテを暗殺しようというシャツェランの意図を知りながら、口を閉ざしている。
だが、決定的な違いもある、と江間は己を正当化しようと首を振った。郁は自分の危険をまったく気にしない。それこそを気にしてほしいのに、と。




