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故地奇譚 ―嘘つきたちの異世界生存戦略―  作者: ユキノト
第3章 離合 ―惑いの森―
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3-2.ディケセル王族

 眠りと半覚醒を行き来するアーシャルを江間と郁で背負い、惑いの森を抜けていく。


 時折不思議な生物に遭遇するものの、そこはひどく美しい森だった。春らしく木々には美しい緑が芽吹き、向こうの鳥に似た生物のさえずりがにぎやかに響く。そこかしこには可愛らしい花も咲いていた。

「……」

 不意に金木犀に似た甘い香りを含んだ風が吹き付けてくる。以前なら髪が乱れて、視界が遮られていただろうに、今はまったくだ。梢の向こう、青い空に日に輝く白雲が目に眩い。


「というわけで、すまん、お前の仲間の生死はわからん」

「なかまのせいし…」

「あなたと一緒にいた人たちが、生きているか死んでいるか、わからない」

「わかりました」

「なあ、お前、国に戻りたいか? 俺たちは行きたくない。お前の国も、もう一つの国も嫌だ」

「……なぜですか?」

「えらい人間、あー、身分、は分かるか? 身分の高い人間が、低い人間を道具としか思ってない。そんなところに行きたくない」

「……サチコと同じことを言うのですね」

「サチコって、お前の面倒を見てたっていう日本人か? 確かヨコテサチコさん」

「はい。でも、もういないです。死……亡くなりました。去年です」

「そうか。それは寂しいな」


 江間は背に担いだアーシャルと気負いなく話をする。相手は十以上年下の異世界人だというのに、その態度は向こうにいる時とまったく同じだった。率直に自分の考えや感情を伝え、相手の境遇を思いやる。

 そのせいだろう、最初背負われること、触れられることに抵抗を示していたアーシャルが、次第におとなしくなっていった。


「なあ、なら、お前も俺たちと一緒に行かないか? お前、あんまいい扱い、受けてなさそうだったし、この先もあんま良くならなさそうなんじゃないか?」

「あつかい……」

「あー、自分の国にいても、安心できないんじゃないかって言ってるんだ」

「……ぶれい、というのでしょう、あなたのような人のこと」

「確かに無礼だな、すまん。でもぶっちゃけ事実――本当のことだろ」

 むっとした声を出したアーシャルは、素で答えた江間に毒気を抜かれたらしい。眉を下げて軽く息を吐きだし、「その通りです」と小さく呟いた。


「……」

 江間のコミュ力は、世界の違いすらものともしない。

 この世界の言葉がわかることをアーシャルに知らせぬまま、自分たちに帯同するよう、どう説得するか、と悩んでいた郁の目の前で、江間は何でもないことのようにそのハードルを越えていく。

 ここまでくるともう嫉妬する気にもなれない。あれは郁とは違う生物だと思うことにする。


「あ、あれが神さまの木、神木か? 木目が細かくて、香りが良い樹なんだろ?」

「……」

 困ったように眉を寄せ、「もくめ……」と呟いたアーシャルの横顔を見て、「神木がどんなものか聞いていても、実際にそれを用意したことはないのだろう」と思いついて、郁は苦笑する。どんな扱いを受けていたとしても、王子は王子なのだろう。

「今晩にでも燃やしてみましょう」

 立ち枯れた枝を手折って二人の前にかざし、ふと気づいた。郁を襲ったカマキリ似の化け物の鎌を捕らえた木も、おそらく神木だ。木目が密で、それゆえ鎌が抜けなかった。思わず拝んでしまう。


「普通の火だと化け物、ってなんだっけ、エリカローザ?を集めるけど、これなら寄ってこないって……蚊取り線香みたいなもんか」

「カトリセンコウ?」

 蚊とあの化け物を一緒にする江間に思わず噴き出した郁を、アーシャルが不思議そうに見た。

「向こうにいる、人や動物の血を吸う小さな虫――こんなのです」

 傍らを漂う虫――向こうのと違い、体は二つに区切れ、足の数も八本だったが――を指させば、アーシャルは「血を吸う虫なら、こっちにもいます」と一人頷く。


 その顔がひどく幼く見えて、郁は郁でなんとなく彼の頭を撫でた。手に感じる頭は小さくて、髪には子供特有の柔らかさがある。最初に見た時『シャツェラン』に似ていると思ったけれど、こうして接してみればさほど似ていない。

「あなたもぶれいなのですか…!」

 ――すぐに怒られてしまったけれど。


 それから七日間、郁と江間は惑いの森をひたすら歩いた。基本江間がアーシャルを背負い、時折郁が交代する。十二歳だという彼の身は、百六八センチの郁より頭一つ程度小さく、ガリガリと言っていい見た目の通り、しばらくの間郁が背負って歩ける程度には軽かった。

 具合の良くないアーシャルと、こちらの世界とあちらの世界の話をし、知識や言葉を教わる。郁が知っていることもあれば、知らないこともあった。

 江間は陽気に会話を繋げつつ、端々にこの世界に紛れ込むために必要な知識について、質問を織り込んでいく。言葉や衣服、習慣、宗教、国民性、地理、通貨、その価値、ディケセルという国とバルドゥーバという国、政情――油断のならない男だとつくづく思う。


 神官から奪った食料と道中で見かける果物、運よく捕らえた小動物や木槍で突いた魚などを十分と言えないながらも分け合い、偶に『化け物』と遭遇して応戦したり逃げたりして、夜には地図に記された月聖岩の固まる場所で眠る。

 恐れていた、こちらの人間との再度の邂逅はなかった。それが意味するのは、あの晩巨大なイェリカ・ローダに襲われた者たちの生存の可能性が低いということだと思うと、手放しで喜ぶ気にはなれなかったが。


 そうして、一行は惑いの森で過ごす最後となるだろう晩を迎えた。

 明日にはディケセルの南部の村、ギャプフに辿り着く見込みだ。そこでどうやってこちらの世界に入り込むかについて、郁は江間と話し込んでいた。

 焚火の炎が揺らぐたびに、周囲の月聖岩は違う色を反射する。夜空では少し欠けた黄の月が輝きながら、地平から顔を出した青の月を出迎えようとしていた。


「……」

 傍らで寝ていたはずのアーシャルが身を起こし、郁たちをじっと見つめてきた。

「江間」

 熱のせいで半覚醒の状態にあった、これまでの彼の目にはなかった理知の色を見つけて、郁は江間に合図を送る。

「よお、ちょっとは気分が良くなったか?」

 江間は人懐っこい笑みを浮かべて、アーシャルのもとへと行き、額に手をかざした。


『……ほんとに無礼だな』

「何言ってるかわからんが、また無礼って言ってるんだろ」

 しかめっ面をしたアーシャルに笑い、「熱、少しだけど、下がったみたいだぞ」と江間は彼の頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。その手の下でアーシャルは目を見開いた後、ため息を零した。


「何か食べられそう? と言っても、もうこんなものしか残ってないけど」

 郁は神官から失敬した保存食と、強い酸味とかすかな甘みのある果物をアーシャルに指し示した。

「……水、が欲しいです」

 ここにもやはりあった湧水を差し出せば、彼は喉を潤した。そして、江間と郁を再び見つめる。

 彼の金の髪と白い顔が炎に照らされて、それぞれオレンジと赤に染まっている。


「考えました。でも……私はあなた、たちと、一緒に行けません」

 そう言いながら、アーシャルは目線を伏せた。長い金のまつ毛の間から見える青の瞳が、焚火の赤い光に揺れている。

「戻るのか?」

 江間に問われ、首を横に振ったアーシャルは、「この先のメゼルディセルを、お、おさめている?父の、ディケセル王の、弟のところに行こうと……」ともごもごと返した。


 ディケセル王の弟――おそらくシャツェランだ。彼は実際に存在していて、しかも今も生きている。

 夢の中で出会っていた、今となっては忌まわしい記憶でしかない彼が、自分とこんな形で再び関わってくることになるとは、と郁は眉間に深い皺を寄せた。


「その土地なら、バルドゥーバの、影響も、『双月教』の影響も、少ないですし、あ、あんてい?しているし……あなたたちにも、来て欲しいです」

「……俺たちが一緒に行けば、お前の扱いも少しは良くなるし?」

 静かにそう確認した江間に、アーシャルは俯くとぎゅっとこぶしを握り締め、恥じるかのように身を縮めた。

「責めてるわけじゃない」

 そう苦笑した江間を大人だと思う。


「で、でも、王の弟は、『稀人』、あなたたちにひどいことをしません。だって、あの人は」

「――なぜ帰りたいと思うの?」

 王弟シャツェランについて説明をしようとするアーシャルを、郁は遮った。絶対にお断り、そう言おうと思っていたはずなのに、開いた口からは違う言葉が飛び出す。


 たった七日だったけれど、アーシャルの顔からはあの晩に見たような荒んだ表情も、変に大人ぶった態度も減った。弟に接するかのようにこの子に接していた江間には、特に気を許しているように見える。なのに、なぜ――。


「仮にシャツェランが私たち稀人にひどいことをしないとして……あなたにはどうかな? 別に親しいわけでもないんでしょう?」

「っ、そ、それでもっ、私、私はディケセルの……王子、です。だから、国のために……」


≪それでも私はディケセルの誇りあるグルドザなのだ≫

 眉根を寄せて、幼い声が苦しそうに返してくる姿が、祖父に重なった。

 全員が口を噤み、拡がる静寂に神木の爆ぜる音が大きく響いた。


「――そのディケセルをバルドゥーバに売った、裏切ったのに?」

「それは…っ」

 冷たい声を投げた郁へと、アーシャルが音を立てる勢いで顔を上げた。横の江間が目を見開いて郁を凝視する。

「なのに、そのバルドゥーバにもいらないとみなされた」

「……っ」

「『双月教』の神官を殺そうとしていたぐらいだもの、ディケセルを裏切ったのには事情があったんでしょう。でも、どれだけ尽くしても、ディケセルもあなたを必要としていない――違う?」

「……」

 目の前の幼い顔が蒼褪めていく。江間が咎めを含んだ声で「宮部」と呼んだが、止めようと思えない。


 自分の浅はかな思い付きで、護衛の祖父と侍女を異国へ連れて行ったくせに、無責任に見捨てたディケセルの王女トゥアンナ。なのに、祖父はただの一度も彼女を悪く言わなかった。忠実だった。

 彼が彼女の命令を聞かなかったのは、たった一つ――祖母の桜子との結婚だけだ。なぜ、と何度思っただろう? 捨ててしまえばいいのに、なぜ、と。


 青い瞳が見開かれた。音にならないまま唇が『な、んで知って……』と動く。どうやらようやく気付いたらしい。

 炎を受ける顔が、赤い光を映してなおわかるほどに白くなる。

『――裏切りの王女トゥアンナ・ウィゼリスリ・ディケセルの消息を知りたいか?』

「っ」

 口元を歪めながら、先日の言葉を繰り返して見せれば、アーシャルは音を立てて飛び退り、両腰へと手をやった。

 同時に、江間が郁をかばうように間に入り、「だから、剣ならないって」とのんびりした声を出した。だが、その空気は緊張を含んだものに変わっている。


「あなたは、一体、誰? その言葉、なぜ…」

 自分という存在まるごとを疑問視する言葉――つい先日、江間にも同じことを言われた。郁は皮肉に笑い、首を小さく傾けた。

「言葉がそんなに問題か? お前も日本語を話しているし、バルドゥーバの使いも英語、あちらの世界の言葉の一つを話していた。逆があっても不思議じゃない」

「っ、隠していた!」

「こちらの言葉を理解できる稀人となれば、価値が上がる。その分危険性も上がるんだから、警戒、つまり気にして隠すのは当然だ」

 睨み合う郁とアーシャルを落ち着かせようとしているのか、江間が淡々と口にするが、アーシャルの興奮は増していく。

「違う、違う! ミヤベが隠していたのは、それじゃない!」

 一歩前へと踏み出した王子は郁を睨み上げ、怒りを込めた声を発した。

「――愚かな王女、トゥアンナの子か、その子ということ! 『真名』、王族の本当の名前を、く、口にした!!」

 郁を見る王子の瞳には、強烈な憤りと侮蔑があった。


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