3-3.“王子”
「王女の、孫…」
さすがに予想を超えていたのだろう、江間は呆気にとられた顔で郁を振り返った。
「トゥアンナは、護衛にそ、そそかの、されて、バルドゥーバとの結婚から逃げた。だからディケセルはこんな弱くなりま……なったっ」
「それを言うなら、そそのかして――ないけどね。トゥアンナがどうしようもなく馬鹿なことも逃げたことも事実だけど」
吐き捨てたアーシャルに、郁も鋭く返す。
「関係ない! どのみちトゥアンナのせい! ディケセルはバルドゥーバに『賠償…』っ、お金と土地を、わ、渡すことになって、国と国の助け合いもなくして、ほかの国とも戦争になって、もっと貧しくなって、もっと国の中の戦争も起きた…っ」
婚約不履行の賠償金に領土の割譲、同盟の喪失、他国に攻め込まれて貧窮した挙句、内戦勃発――あの忌々しい女は、あっちの世界で迷惑だっただけじゃないらしい。
郁はアーシャルに劣らぬ嫌悪を顔に載せた。
それから悟った。彼は同じ王族であっても、郁の祖母とは違っているのだ。王女としての生活を謳歌しておきながら政略結婚を嫌がり、護衛へのままごとのような恋を叶えようとこの国から逃げ出したトゥアンナと、この幼さで国を憂い、責任を果たそうとしている彼。
「その子、孫がディケセルに戻るなんて…! っ、は、はじ、恥しらず!」
「……」
馴染みのない単語を引っ張り出してまで罵ろうとする姿に、さらに頭が冷えた。来たくて来たわけじゃない。生まれたくてあんな人間の孫に生まれたわけじゃない。
郁は記憶にあるシャツェランと同じ色の瞳を見つめ、口角をあげた。
「――だから?」
郁は微笑みながら、江間の影から出、アーシャルへ歩み寄った。
風が吹いて来て、横の焚火から無数の火の粉が立ち上った。暗い空へと舞い上がる赤い光をはさみ、真正面から睨み合う。
「私は確かにトゥアンナの孫だけれど……それ、全部知った話じゃないのだけれど?」
目を細めて首を傾けると、郁は王子のサファイアのような瞳を見つめた。シャツェランを最後に見たのも、この子ぐらいの年だった。実に苛立たしい。
「……っ」
何事かをさらに言い募ろうとしていた彼は、郁の低い声に鼻白んだのか、言葉を止めた。それを見て郁は笑みを深める。
「ねえ、トゥアンナが逃亡するのを、その時生まれてもいなかった私が止められたと思う?」
「そ、れは……」
「そう、物理的に不可能なの。当人がどうしようもなかったことへの責任を求めるって、随分理不尽ね。理不尽ってわかる? 物の道理に合わない、不正義ってこと。そんな人としての最低限すらわきまえられないくせに、何を偉そうに人に説教しているの」
「……もっともだが、相変わらず開き直りがめちゃくちゃはええ……てか、そんな宮部が王女さまの孫ってシュールすぎんだろ……」
そう江間がつぶやくのを横目で睨んで黙らせた。
「……っ」
王子は王子で、ぎっと郁を睨み返してきたけれど、ひとまわりも年下の、目線も下の子供に何をされたところで怖くはない。
だが、国を担おうという気概のある子なのだから、当然と言えば当然、敵も然る者だった。
「で、でもトゥアンナの孫っ。私もディケセル人もトゥアンナの代わりを求める、求められるはず……っ」
「私はあの女じゃない。代わりにどこかに嫁げ、結婚しろという話なら、あり得ない。私はあっちの世界に帰る。その手段があることだって知っている」
郁の言葉にアーシャルは目を見開くと、『……かえ、る……』とディケセル語を呆然と呟いた。
直後にぐっと眉を寄せ、唇を引き結んだ彼に疑問に覚えたのも束の間、彼は両脇のこぶしを握り締め、「っ、絶対にっ、許さないっ!!」と絶叫した。
「――あなたの許しなんていらない」
郁は郁できつく切り捨てる。
王子は郁を睨みながら、ふーふーと肩で息をしている。頬の削げた顔の左半分は焚火の赤に、右半分は影となって黒く染まっていた。
不意にその顔に笑みが浮かんだ。幼い顔立ちに似つかわしくないその顔は、光の加減とあいまって鬼のように見えた。
歪んだ唇の合間から、「そう……?」と嗜虐を含んだ声が漏れ出る。
「護衛ほどじゃないけれど、トゥアンナは今もディケセルで、う、うらまれる、ている――ミヤベがその孫だとわかれば……?」
「……脅す気?」
王子はくつくつと暗い笑い声を漏らした。泣き声のようにも聞こえる、不思議な音だった。
「あの王女だけ、あなただけ自由、あなただけ帰る……? っ、許さないっ、絶対にさせないっ、絶対だ……っ」
「……」
「信じられない? じゃあ、この森の外で人を捕まえて、ミヤベはトゥアンナの孫だと言ってみますか? ――きっと面白いことになる」
「……あなたの気がふれている、頭がおかしいと思われて終わりじゃない?」
「そうかも。やってみましょう、どうせ私にはなくすものなんてない」
眉を寄せた郁に向けられる笑い声は、酔ったような響きだった。年齢のわからない奇妙さもさることながら、彼が本気で言っていることがわかって、郁は目を眇める。
「それを言う気なら、」
睨み合いを解したのは、江間のどこか緩い声だった。
アーシャルは笑いを止めると、彼に鋭い視線を向けた。江間はその視線に全く動じず、にこりと笑い返す。
「お前が女だって事もばらす」
「っ」
(オンナ、ダッテコト……)
「……は? え、何、あなた、王子じゃなくて王女なの? え、でも、『王子』って呼ばれてた……」
江間の人の悪い笑みの前で、アーシャルは一気に顔色を失った。その様子に郁は彼の言葉が真実だと知る。
「江間、何で知ってるの?」
「お前こそあんだけ背負ってて、なんで気付かないんだ」
「……」
「……違うぞ、変態じゃないぞ? 普通だ普通、お前が鈍過ぎるんだ」
「……」
「信じてねえな、この前のおっさん趣味扱いと言い、遊び人発言と言い、お前、ほんっとに俺を何だと思ってるんだ」
引きつった顔で必死に弁明する江間に向けていた白い目を、郁はアーシャルへと向け直した。
「……」
彼“女”はぎゅっと眉を寄せ、唇を噛み締めて、固く俯いている。
その顔が記憶に重なった。郁にも覚えがある――これは「自分はなぜ自分なのか」と自らを呪っている顔だ。
「……何で隠しているの?」
「っ、か、関係ないっ」
下を向いたままアーシャルは怒鳴る。だが、その声も震えている――泣く寸前だ。その顔を見ていたら、王子のふりをしているのが彼女の望みでないことだけはわかった。
(ああ、そうか、だからこの子はやすやすと国を捨てたトゥアンナを、その孫の私をどうしても許せないと言ったんだ。自分はそんな目にあっても捨てられないから……)
薪が大きな音を立てて爆ぜた。その瞬間、また火の粉が舞い上がる。
「……まあいいけど」
無言のまま江間を見れば、彼は苦笑しながら、郁へと頷いて見せた。彼のその顔に郁は大きく息を吐き出すと、腹をくくる。
「つまり、あなたもばらされたら困るってことよね?」
そして、「“ばらす”の意味はわかるわね?」と郁はアーシャルの顔を覗き込んだ。
「――一緒に来い」
「……っ」
精一杯微笑んで見せたのに、アーシャルは顔を引きつらせた。さっき頷いた江間からも、「宮部、お前、鬼だろう? どんな説得の仕方だよ……」と呆れ声が飛んでくる。
「……」
アーシャルはまた眉間にしわを寄せると、視線を伏せた。そしてぼそぼそと呟く。
「……行けない。サチコが、王や王子には、えらい立場にいる者には責任があると言っていました。できるだけ多くの人を助けなきゃいけないって……」
(ああ、だからなのか……)
“彼女”を育てたという稀人の教えを、忠実に守ろうとしていると知って、郁は目を丸くした。一体、そのヨコテサチコという人は、どんな人だったのだろう……?
郁はその固く握りしめられたままの拳へと手を伸ばした。払いのけられるかと思ったのにそうはならなくて、意外なような、悲しいような気分になる。
小さい拳をそれよりは少し大きい自分の手で包み込む。
「……ところで、命がかかっている分だけ私の方が分が悪い、ええと、不利だって知っている?」
「……?」
アーシャルが目を瞬かせ、その拍子に涙が一粒零れ落ちた。腰をかがめてそれを指で拭うと、郁は続ける。
「だから、稀人とはやっぱり言えないけど、帰る方法を見つけるまでのことだけど……あなたが責任を果たすのを手伝うことにする。あなたの生まれた国の人たちの暮らしをよくできるように、できることはする」
「でも、それは私がトゥアンナの孫だからじゃない。私が私の意志で、そうしたいと思うからやるの。そこは誤解しないで」と言いながら江間を見れば、彼はやはりと言うか笑っていた。
「……」
どこまで人がいいのか、馬鹿じゃないのか、ともう何度目かわからないことを思うのと同時に、ああ、本当にかなわない、そう思って郁は眉根を寄せる。
「大層なことができるかどうか、まったく自信はねえけどな。だからお前も一緒に来い。俺たちは助けがいるんだ」
「一緒においで、アーシャル。あんなところに戻らなくたってできることはあるはずでしょう」
「っ」
小さな顔がくしゃりと歪んだ。美しいサファイア色の瞳からボロボロと涙がこぼれ出す。
「そ、そういうこと、なら、たす、けて、や、る」
嗚咽に消えていく語尾を聞きながら、郁と江間は苦笑を交わし合った。
二人同時に手を伸ばした先、指とてのひらに感じる髪には、子供特有の柔らかさが残っていた。




