↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラドゥと旅路と獣狩り  作者: あびすけ
【ラドゥと少女と獣憑き】
9/16

ラドゥと少女と獣憑き〈伍〉






【11】

 その馬車は市場横に駐められていた。小さな緑色の旗が大きな荷台側面ではためいている。所属を示すための隊商旗だ。ラドゥが契約した隊商の馬車だった。

 ラドゥとシムカは幌をくぐり荷馬車に乗り込んだ。

 荷台には種々雑多な物品が積み込まれていた。荷物のないスペースには何人かの男女が座り込んでいた。ラドゥたちと同じように金を払い乗り込んだ客だろう、みな一様に荷物を抱え出発を待っていた。乗り合わせた人々の素性は定かではないが、ラドゥたちと同じように北を目指しているのは確かだ。

 人熱(ひといき)れと積み荷の埃臭さが鼻孔をかすめる。

 ふたりの姿に気づいた乗客が席を詰めてくれた。

 ラドゥは礼を言い、腰を下ろした。シムカが隣に続いた。



 この数日間、ラドゥは北へ向かう隊商を探していた。

 隊商が人間も積み荷とすることはこれまでの経験から知っていた。本当ならもう何日か、シムカを休ませてやりたかった。しかし追われる身である以上、一所(ひとところ)に留まりすぎるのも危険だ。

 悩んだすえ、ラドゥは隊商に頼ることにした。

 馬車なら躯を休めながら道程の遅れを取り戻すことができる。

 街道は危険だと避けてきたが、背に腹はかえられない。

 北へ向かう隊商はなかなか見つからなかった。むしろ北部国境を越えて南へ向かう商人たちが多くいた。いくつかの隊商を渡り歩き、そのすべてに断られ、どうしたものかと市場を歩いていると、

「もしかして、あの時の兄さんじゃないかい?」

 背後から声をかけられ、ラドゥは振り返った。

 この街まで馬車に乗せてくれた行商人一家の奥さんが、そこには立っていた。

「やっぱりそうだ。その後どうだい、弟さんは元気になったかい?」

 おかげさまで、とラドゥは頭を下げ、あのあと何があったのかを簡単に説明した。

「そいつはよかったね」女は破顔した。あけすけな笑顔に、ラドゥもつられてぎこちない笑みを浮かべた。ふたりは雑談に興じた。逃走中である以上、あまり人の記憶に残るような行いはしたくない。だが女のざっくばらんな態度は、警戒心の強いラドゥにさえ口を開かせた。人好きのする、明るく朗らかな女性だった。

「北へ向かう商人なら知ってるよ」

 話の流れでラドゥが隊商を探していると告げると、女はそう答えた。

「ついてきな。紹介したげるよ」

 市場から少し離れた馬繋(うまつな)場で、女はその隊商の主とラドゥを引き合わせた。

 隊商主は坊主頭の大柄な男だった。見た目こそ厳(いか)ついが、その顔には柔和な笑みが浮かんでいた。

「確かに私たちは北へ向かうよ」

 男の隊商は北方国境近くの〈ビルジ〉という街まで行く予定だという。出発日時は明日の昼過ぎ、相乗りする場合の金額はひとりにつき銀貨一枚と銅貨五枚。少々割高だが、目的地までの食事の面倒を見てくれることと、野盗対策の用心棒を隊商側が雇わなければならないことを考えれば、妥当な値段だった。隊商主の人柄と北へ向かう馬車が少ないこと、なにより奥さんの紹介ということもあり、ラドゥはこの隊商に決めた。

 男と握手を交わし、ラドゥは女に礼を言った。

「あたしたちも明日この街を発つんだよ」別れ際、奥さんはそう言った。「あたしたちは元来た道を戻るから、北を目指すあんたに会うのはこれが最後だろうねぇ」

 達者でね、そう言ってラドゥの肩を叩き、彼女は市場の方へ消えていった。



 ラドゥは幌に身をあずけ、外の喧噪に耳を傾けた。

 幌を隔てていても、市場の活気は手に取るようにわかった。

 荷馬車の中にいて外の様子を知るすべは、音だけだ。

 ラドゥはしばらくそうやって周囲の状況を探っていた。

 が、特に気になる物音はしなかった。絶え間ない喧噪は、平和を伝えこそすれ、脅威を伝えるようなことはなかった。

「君たちは兄弟かい」

 ラドゥの正面に座っていた男が話しかけてきた。薄汚れた旅装に身を包んだ若い男だ。探りを入れているのかとラドゥは一瞬勘ぐったが、男の仕草や表情に怪しいところはない。単純に世間話をしようとこちらに話しかけてきただけなのだろう。

 他の乗客たちも周囲の人々と言葉を交わし合っている。これから何日か旅路を共にする仲間同士、親交を深めようということなのだろう。

「そうです」ラドゥは若い男の質問に頷いた。「俺たちは兄弟です」

「君がお兄さんだ」

「はい」

「そっちの子は、えーっと」

「弟です」

「ああ、そうなのか。一瞬女の子かと思ったよ」

 シムカの肩がびくりと震えた。ラドゥは安心させるようにシムカの腕を叩いた。

「もしかして、兄弟でふたり旅?」

「そうです」

「大変だね」

「ええ、本当に」もっともらしくラドゥは肩をすくめてみせた。

 若い男は話し好きらしく、色々な質問が飛んできた。ラドゥはその都度答えをはぐらかした。もともとラドゥは話し上手ではない。どちらかといえば無口な方だ。それでもこれまでの旅路では必要最低限とはいえ、出会った人々と会話を交わしてきた。それは礼儀であり、好奇心でもあり、なにより外の世界を知る術でもあった。しかし今はシムカのことがある。あまり会話を弾ませる気にはなれなかった。

 男の話に適当に相づちを打っていると、

「それにしても、弟さんは無口だね」

 男が不思議そうにシムカを見た。

 またも彼女の肩が震えた。

「実は」ラドゥは弱々しい表情を作り、ぽつりと呟いた。「弟は、唖(おし)なんです」

 断髪(だんぱつ)に男物の服装ということで少年に見えなくもないシムカではあるが、さすがに声を聞かれては正体を気づかれてしまう。そこでラドゥは弟は唖者(あしゃ)であるという体でいこうと決めていた。

 ラドゥの予想外の返答に、若い男は焦ったように頭を掻いた。

「いや、そうなのかい」若い男は申し訳なさそうにラドゥに、次いでシムカに頭を下げた。「おれとしたことが、不躾な質問だったね。ゆるしてくれ」

 気まずい沈黙が流れた。

 これ幸いとばかりに、ラドゥは会話を打ち切った。

 若い男はつかの間ばつの悪そうな顔をしていたが、気がつけば隣の女と話し込んでいた。

 他の乗客たちはラドゥに話しかけてこなかった。先ほどの会話から、彼があまり話し好きでないと察したのだろう。

 ありがたかった。これで外の警戒にだけ意識を注げる。

 ラドゥはまた、喧噪に耳を傾けた。

 不意に御者台から男が顔を出した。

「あんたたち、出発するぞ」

 そっけないその言葉と同時に、馬車が動き始めた。

 北へ向かうラドゥとシムカの旅路が、ようやく再開した。

 色々あったが、それでも今のところ鬣犬(ハイエナ)には遭遇していない。順調とはいえないまでも、着実に〈憑人の里〉へ近づいている。

(できればこのまま、厄介事に巻き込まれずに済めばいいけどな)

 そう思いながら、ラドゥは眼を閉じた。

 なぜだかわからない。

 眼裏(まなうら)に一瞬、赤毛がちらついた。



     *****



 六人の鬣犬はゼバ南門近くまで来ると、馬の速度を落とした。

 街道を行き交う馬車や旅人は、あきらかに異質な気配を漂わせる黒衣の男たちを避けて通った。

 周囲の視線など意に介さず、彼等は街道のど真ん中で堂々と立ち止まる。

「小娘の乗る予定の隊商は北を目指している」

 ひとりの鬣犬がそう呟く。六人の中でもっとも古参の男だ。顔を横切るように走った刀傷が、これまでの戦歴を物語っている。ジジのような例外を除けば、鬣犬は基本的に年功序列で命令系統が決まる。

「お前」古参の男はもっとも年若い鬣犬に顎をしゃくる。「お前は街に入り、娼館を虱潰しにして一級狩人を探せ」

 年若い鬣犬は頷く。

「残りは俺と共に市壁を回って北門に向かう。陽が高い。もう正午過ぎだ。今から市場を探すより、北門で待ち伏せしておいた方が確実だ」

 古参の男の言葉に、全員が頷く。

「護衛の小僧はギルヴァンとバルロイを殺(や)っている。かなりの手練れだ。ガキだからと油断するな」

 了解、と全員が応じる。

 鬣犬たちの眼光に剣呑な光が宿る。

 ここ数日は退屈な任務ばかりだった。

 ようやく自分たちに相応しい仕事が回ってきた。暴力と殺しの仕事が。

「行くぞ」

 古参の男は言い放ち、黒い外衣を翻(ひるがえ)す。

 無頼の傭兵集団〈鬣犬〉が行動を開始する。




 喧噪が遠ざかった。

 市場からだいぶ離れたのだろう。

 馬車の揺れが少し大きくなる。中心街から街の中間あたりまでは石畳が敷かれているが、貧民窟(スラム)に近づくにつれて道の整備がおろそかになる。馬車のガタつきは市壁が近いことを意味する。

 馬車や通行人とすれ違う音が増えていく。

 市場ほどではないが、活気が幌の外から伝わる。

 北門が近いのだろう。

 ラドゥとシムカは、黙って馬車に揺られている。




 鬣犬の五人が北門を視界に捉えた丁度その時、五台の馬車が列を成して街から出発した。

 馬車の側面で緑色の旗がはためいている。

 兄弟の乗り込んだ隊商の隊商旗は緑色だと、尋問に屈した行商人一家は答えていた。

 なんたる偶然。なんたる幸運。

「獲物だ」

 古参の男が呟くと同時に、鬣犬は馬の脇腹を蹴る。




 不意にラドゥは眼を見開いた。

 馬の駆ける音が聞こえる。

 すでに街を出ている。街道である以上、馬を駆る音が聞こえるのは不自然ではない。だが澱底(オリゾコ)で培われたラドゥの直感は、警告を発していた。

 音はこちらに近づいて来る。

 隊商の馬車馬の足音ではない。道行く行客(こうかく)の乗馬する馬の蹄音(つまおと)とも違う。馬という動物は非常に賢(さと)く、また感情豊かだ。彼等は乗り手の気持ちを機敏に察し、歩様に差異を生み出す。穏やかな乗り手なら優しげに、明るい乗り手なら楽しげに、そして好戦的な乗り手ならば、その蹄音は激しいものとなる。

 ラドゥの耳に、その蹄音は激情に駆られているように聞こえた。

「シムカ様」

 ラドゥは傍らの少女に小声で話しかける。

「逃げる準備をしておいてください」

 シムカが息を呑むのがわかる。

 咄嗟に口を開きかけた彼女はしかし、自分が唖者という役回りだとを思い出したのか、ラドゥ同様小声で囁く。

「なにか、あったのですか」

「まだ、確信はありません」ラドゥは外界に意識を集中しながら少女を見る。「ですが、警戒するに越したことはありません」

 シムカは頷き、荷物をまとめにかかる。

 その時、嘶(いなな)きと共に何頭もの馬がふたりの乗車する荷台の横を駆け抜けた。

 隊商の先頭の方で怒声が上がり、次いで馬車の速度が落ち、完全に停止した。

 悲鳴と叫喚(きょうかん)が響いた。

 剣を抜き放つ音、血が地面を濡らす音が幌越しに伝わる。

 相乗りしていた乗客たちが不安げに外の様子を伺っている。

「何が起きたんだ?」「襲われたのか?」「こんな街の近くに野盗なんかいるはずがないよ」「護衛がいるはずじゃないのか」

 恐怖を紛らわせようと、乗客たちは口々に言葉を交わしている。

 間違いなく、襲撃。

 野盗か。あるいは、鬣犬。

 ラドゥは考える。

 逃げるか。それとも迎え撃つか。

 街にいた間、ラドゥが散策していたのは市内だけではない。これから自分たちが辿(たど)るであろう北門周辺と、そこから伸びる街道の先にまで足を伸ばしていた。街周辺は見晴らしのいい場所だった。身を隠せそうな草叢も、追っ手を撒(ま)けそうな森林も無い、見事なまでに何もなかった。街道を少し進むと橋に行き当たった。この辺りの標高はラドゥが思っていたよりも高いらしく、ちょっとした峡谷が現れ、そこに橋が架かっていた。下を覗くと流れの速い川が轟音を立てていた。

 隊商を襲ったのは野盗ではない。耳に届く脚捌(あしさば)きの音には聞き覚えがある。

 あの日、シムカを襲った黒衣の傭兵たちと同じ音。間違いなく鬣犬の足音だ。

 歴戦の傭兵を相手に、見晴らしのいい平地を逃げ切るのは無謀。しかも向こうには数の利があり、馬まで連れている。

 ラドゥの眼に静かな闘志が宿る。

 迎え撃つ。それ以外の選択肢はない。

 シムカがラドゥの腕を握る。

 大きな瞳が、ラドゥに据えられている。平静を保とうと口を引き結んでいるが、その顔の端々に恐怖が見て取れる。

「大丈夫です」彼女を安心させるというより、それが確固たる事実であると伝えるために、ラドゥはシムカに向かい合った。「あなたのことは、俺が守ります」

 幌越しに、黒い影が駆け抜けた。物音から判断して、数は四、五人。ラドゥたちを乗せた荷台の乗り口に、黒い影が集まる。

 おそらく先頭馬車の隊商主にふたりの居場所を聞き出したのだろう。

「顔を下げていてください」ラドゥはシムカに指示を出す。「誰かが乗り込んで来ても、そのままの姿勢で、動かないでください。俺がなんとかします」

 ラドゥの言葉にシムカが頷くよりも早く、幌の垂れ幕が左右に開かれた。

 正午過ぎの眩しい陽射しが乗客たちの眼を射る。

 陽光を背に、黒衣に身を包んだ男が乗り込んでくる。

 上衣越しでもわかる屈強な体躯。血の臭いを含んだ体臭。

 一目で堅気ではないとわかるその姿に、乗客たちは押し黙る。乗客は皆(みな)旅慣れているらしく、野盗の類いではないと瞬時に悟ったのだろう。野盗などよりも、遙かに危険な相手だと。

 ラドゥは闖入者を見やる。

 やはり鬣犬だ。

 敵は、ひとり。他に乗り込んでくる気配は無い。荷台の狭さを考慮すれば、妥当な判断だろう。

 男は鋭い眼つきで荷台をぐるりと見回す。

 その眼が、俯くシムカに据えられた。

「そこのガキ、面(つら)を見せろ」

「俺の弟に何の用だ」ラドゥはゆっくりと立ち上がった。「話があるなら代わりに俺が聞いてやる」

「俺が用があるのはそこの小娘だ。貴様は引っ込んでいろ」

「小娘? コイツは俺の弟だ。小娘じゃない」

「なら顔を上げろ。そして額の布を取れ。そこに印がなければ、見逃してやる」

「嫌だと言ったら?」

「あまり舐めるなよ、小僧」男は苛立たしげに、腰の剣を引き抜く。「貴様等に選択肢など無い。嫌だというのなら、力尽くでそうするまでだ」男はゆっくりと切っ先を乗客たちに向けた。「それともここにいる人間をひとりひとり殺(ばら)していった方がその小娘には効果があるか? 情報によるとシムカ=トドゥクは大層心根が優しいらしいからな」

「そうか」ラドゥは男を見た。胸の奥で闘志が渦巻く。重心を後ろ脚に移す。上衣(マント)の中で拳を握る。両の眼(まなこ)が、鷹のように鋭くなる。そうしてだしぬけに、ラドゥは笑う。「正直助かる。アンタみたいな悪党相手なら、気兼ねする必要ないからな」

 瞬間、ラドゥの顔から笑みが消える。

 同時に、ラドゥの姿が、男の視界から消え失せる。




 古参の男は眉を顰める。

 他の鬣犬たちも訝しげに幌の垂れ幕を注視している。

 先ほど荷台に乗り込んだ男が、出てこない。

 男の任務はあくまでも兄弟の正体の確認。時間のかかるような仕事ではない。

 まさかやられたのか。古参の男は思い、すぐにその思いを打ち消す。物音のようなものは一切しなかった。馬車にも揺れなどは見られない。もし荷台で戦闘が行われていれば、気づかないはずがない。

 古参の男は剣に手をかける。

 街周辺での襲撃。いつ衛兵が飛んでくるともわからない。面倒事を避けるため、迅速な任務遂行が不可欠だった。乗り込んだ男もそれはわかっていたはずだ。

 だというのに、遅すぎる。

 中で問題が生じたとしか思えない。

 古参の男は剣を引き抜く。同調するように、鬣犬たちも得物を抜き放つ。

 男は荷台の乗り口にもっとも近い鬣犬に眼で指示を出す。

 鬣犬は頷き、垂れ幕に手を伸ばし、引き開ける。

 ドサリと、乗り口から何かが地面に崩れ落ちる。

 屈強な体つきの男。黒衣を纏ったその躯に生気は無く、四肢が無造作に投げ出されている。

 男は咽喉(のど)を潰されていた。他に外傷は見られない。おそらく、一撃で殺されたのだ。

 鬣犬たちの背筋に緊張が走る。狭い荷台の中で物音ひとつ立てず、彼等の仲間が殺された。報告は聞いていた。シムカ=トドゥクの護衛のひとりに、凄腕の小僧がいる。鬣犬随一の怪力を誇るレドが叩きのめされ、古参であるギルヴァンとバルロイが軽々と屠(ほふ)られた。話を聞くかぎり、かなりの手練れのようだ。しかし、こういう類(たぐ)いの話には得てして尾ひれがつくものだ。報告者の恐怖心が現実を誇張し、必要以上に敵を大きく見せてしまう。確かに護衛の小僧は強いのだろう。だがギルヴァンたちがやられたのは、小僧の外見に惑わされ、油断したからだ。気を抜かなければ、自分たちがやられるはずがない。

 全員が、そう思っていた。

 だが、その認識は改めなければならない。

 彼等が想像していた以上に、護衛のガキは危険だ。

 全員の眼に暗い光が宿る。

 全身から殺意が立ちのぼる。

 鬣犬たちは剣を構え、馬車の乗り口を睨んだ。

 しかし、認識を改めるのが遅すぎた。

 瞬間、幌の垂れ幕から黒い影が飛び出してきた。




 死体がドサリと音をたてた瞬間を見計らい、ラドゥは幌の側面にナイフを突き立て、一気に縦に裂いた。

 ラドゥは身振りで乗客全員に伝える。

『動かず、静かにしていろ』

 マントを丸め、乗り口に向け勢いよく投げつけた。

 一拍の間を置き、裂けた幌から外に飛び降りる。

 着地と同時に、ラドゥはすでに駆け出している。

 一瞬で荷車後方へと躍り出る。

 ラドゥの視界が、敵を捕捉する。

 黒衣の男たち。四人の鬣犬。全員が剣を抜いている。

 鬣犬たちはラドゥの接近に遅まきながら気つく。

 マントのせいだ。ラドゥの投擲したマントに気を取られていた為に、鬣犬たちの反応が半秒ほど遅れた。

 その半秒を利用して、ラドゥは仕掛ける。

 もっとも近い位置にいた鬣犬の間合いにラドゥは踏み込み、その勢いを乗せた肘打ちを鳩尾にねじ込む。男が呻くよりも速く、ラドゥは神速の鉄槌を股間に叩き込む。たまらず前屈みになった男の頭髪を鷲摑み、顔面に膝蹴り。さらにもう一発。顔面の砕けた感触。

 まずひとり。


 ラドゥは素速く周囲に視線を走らせる。

 鬣犬がふたり、前後からラドゥに迫っている。

 いまだ頭髪を掴んだままの男の躯を、頽(くずお)れる男の重心を利用し、ラドゥは抛(ほう)る。

 前方から迫っていた鬣犬は、突然の障害物にその歩調を乱す。わずかとはいえその乱れは遅れを生み、その歩みは背後から迫る鬣犬より、半歩ほど遅れる。

 半歩もあれば、人ひとりを殺(ばら)すことなど、容易い。

 背後から、殺気。

 ラドゥはしゃがみながら半回転する。

 今しがた彼の頭部のあった場所を、白刃が薙(な)ぐ。

 ラドゥはナイフを逆手で引き抜き、足腰の撥条(バネ)を利かせ、下方から一気に跳ねる。

 剣を空振り無防備になった鬣犬の下腹部から首にかけて、閃光が走る。獸用のナイフは分厚く強靱、それでいて鋭い。ラドゥの一閃は筋肉はもちろん、肋骨から頸動脈までをも軽々と断ち斬った。

 二人目。


 大量の血が噴き出す。

 半歩遅れていた男の視界を血飛沫が染めあげる。

 思いがけぬ光景に、思わず男は立ち止まる。

 血の帳(とばり)に、男はラドゥの姿を見失う。

 瞬く間にふたりの仲間が殺された事実に、男は恐怖を覚える。

 歴戦の猛者とは思えぬほど取り乱し、男は闇雲に剣を振り回す。

 白い火花が散る。

 男の剣が上方へ弾(はじ)かれる。

 次の瞬間、男の胸部を衝撃が貫く。

 痛みよりも速く死が男の元を訪れる。彼が最後に見た光景は、乱雑な髪。鋭利な眼光。そして自分の右胸から引き抜かれた、血濡れの刃。

 男の躯が頽れる。

 三人目。


 ラドゥはナイフから血を振り払った。

「なんということだ」最後に残ったひとりが、愕然と呟いた。鼻筋を横切るように走る刀傷が特徴的な、古参の男だった。男は瞬く間に殺された仲間を一瞥し、その中心に立つラドゥを睨みつけた。「貴様、いったい何者だ」

「用心棒だ」

「そういうことを聞いているのではない。貴様ほどの使い手、そうそういるものではない」

「それがどうした」

「名乗れ」男は剥き出しの敵意をその瞳に宿し、剣を構えた。「これから殺す獲物の名前を知っておきたい」

「俺を殺せる気でいるのか?」

「名を教えろ」

「悪いが悪党に名乗る名前はない。それに、アンタとこれ以上無駄話をする気もない」ナイフを順手に持ち替え、切っ先に殺意を集中する。

「さっさと来い。一瞬で終わらせてやる」






「もう大丈夫です」

 声をかけながら、ラドゥはナイフを鞘に戻す。

 足下に刀傷の男が倒れている。裂かれた咽喉(のど)から大量の血液が広がり、黒衣と入り交じっている。

 宣言通り、勝負は一瞬で決した。

 荷車からシムカが下りてくる。

 鬣犬の死体には眼もくれず、ラドゥの元に駆け寄り、

「お怪我はありませんか」

 心配そうにラドゥの全身を見やる。

 ラドゥは頷き、ぎこちなく笑う。

「俺なら平気です。この程度の相手に後れはとりません」

「鬣犬に、見つかってしまったのですね」シムカは顔を伏せる。「すいません。やはりわたしが、倒れたりしなければ」

「それについては数日前に話がついたはずです。もう気にしないでください。それに」ラドゥは事切れた男たちを一瞥する。「いつまでも逃げ続ける程、あまい相手ではありません。どのみち鬣犬との戦闘は避けては通れないと覚悟していました。それが今日、起こっただけのことです」

 危機が去ったと悟ったのか、荷車から乗客たちが次々と下りてくる。彼等は黒衣の死体を避けながら、ラドゥに近づく。

 人の輪が、ラドゥの周りにできる。

「助かったよ」

 そう声をかけてきたのは、話し好きの若い男だ。気さくげに礼を述べる彼だが、その声尻(こわじり)は、わずかに震えている。他の人々も同様だ。ラドゥに感謝の意を伝えはするが、その眼には怯えの影がチラついている。

 皆(みな)、ラドゥを恐れているのだ。

 無理もない、と彼は嘆息する。

 ラドゥの周囲に転がる五つの死体はすべて裂かれ、抉られ、潰されている。顔色ひとつかえずに人を屠(ほふ)るラドゥに ──それもその外見からは想像もつかないほど洗練された殺しの技術に── 恐れを抱くのは当然のことだ。それにラドゥは臨戦態勢に入ると雰囲気がガラリと変わる。少年の面差しから百戦錬磨の狩人へと、変貌する。その落差は、周囲の人々を恐れさせるには、十分に過ぎる。

「とりあえず、皆さんいったん街に戻りましょう」

 若い男はそう言って、歩き出した。

 そうだな、街に戻った方が安全だ、衛兵にも知らせなきゃ、人々は口々にそう言い合い、若い男の後に続く。

「わたしたちは、どうしますか?」

 シムカがラドゥを見る。

 答えずに、ラドゥは顎に手を当てる。

 このまま進むか、それとも街に戻るか。

 迷っている時間はない。鬣犬の規模がどの程度なのか、正確にわかっていない。が、ゴドの話から推測するに、かなりの人数がシムカを追っているはずだ。とすれば、先ほどの五人はあくまで斥候であり、本隊は別にいる。どこかでふたりの目撃情報を仕入れ、先程の五人を差し向けたのだろう。であるならば、今まさに本隊はこちらに向かっていると考えるのが妥当だ。敵の数がわからない以上、鬣犬の主力部隊とぶつかるのはマズい。ラドゥひとりなら切り抜ける自信はある。だがシムカを守りながらとなると、何がどう転ぶかわからない。街に戻って身を隠すのもひとつの手だが、こんな騒ぎを起こしてしまった以上、ふたりの人相風体はすぐさま街中に広がってしまうだろう。見つけ出されるのは時間の問題だ。それにやむを得ないとはいえ、衆人環視の中で五人殺している。衛兵に捕縛されない保証はどこにもない。それならば。

「俺たちはすぐに出発します」

 そう答え、歩き出そうとした、その瞬間。


 ラドゥのうなじの毛が、逆立った。


 本能的に身を翻(ひるがえ)した。

 反射的に、ナイフを引き抜いていた。


「よお」

 暗い色合いの長上衣(ロングコート)。獲物を狙う虎のような双眸。そして獸以上に獸染みた、暴力の匂い。

「お前、さっき俺とすれ違わなかったか?」

 赤毛の男が、そこに立っていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 面白い
[一言] うぉー、いい感じのところで追いついてしまった。 いやあ、めちゃくちゃおもしろい。 悪役もめちゃくちゃかっこいいね。
[良い点] めちゃくちゃ面白い、先が気になります
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。