薬の新製法、広める知識
リオックが調薬室に戻ってくると、他の薬師達は相変わらず黙々と自分の作業場で薬の調合を行っていた。
「あら? 戻ったのね。何をしていたのかしら?」
リオックが戻って来たのに最初に気が付いたのはこの部屋の責任者であるベレンシーであった。彼女も相変わらず目の下に隈を拵えつつも自らの作業台で書類と睨めっこをしている。ただ、その言葉には若干の棘があった。それもこれも仕事を頼んだリオックが仕事開始早々に部屋から出て行ってしまったので仕方がないとも言えるのだが——。
「ええ、薬の調合に必要な中間素材を纏めて作ってきました。これで多少なり効率を上げられるでしょう。そう言えば、最後の物資が届いたようですが薬草の数は足りていますか?」
「……いえ、一部の薬草は若干数が足りていないわ。材料が無い以上予定数よりも全体の製作数を変更する必要があるわね」
「そうでしたか……、薬草のリストを見せてもらってもよろしいですか?」
「ええ、いいわよ」
ベレンシーは先程まで睨めっこをしていた書類を差し出した。そこには今回追加された薬草に加えて、これまでの在庫も記されるこの街に現存する薬草の数を現していた。
そこには保存の利かない薬草は兎も角、幾つかの素材が不足しており、当初予定していた薬の全体数から現在の在庫で作成できる最終的な数量は八割ほどだと判断できた。しかし——
「……成る程、これなら工夫をすればどうにかなりそうですね」
「なんですって!?」
リオックの言葉に、先程まで頭を悩ませていたベレンシーは驚愕の声を上げる。
「先程私が作成してきたこの中間素材を使用すればギリギリ現在の在庫でも薬の数を確保できますよ。従来の中間素材を作成する方法から切り替えれば使用する薬草の数が抑えられます。——取り敢えず一通り作ってみましょうか」
リオックの持つ技術であれば、現状の問題に対処することは出来るが、まずはそれを彼らにも伝えねばならない。そのもっとも簡単な方法は実際に作って見せるしかない。
最も、新たな調薬方法といっても、使用する中間素材をリオックが作成したものに置き換えるだけで、他の作業工程は変わらない。寧ろ纏めて作られた中間素材を使用するので一個当たりに掛かる時間は短縮する。
リオックからしても、普段よりも整った設備を使用しての調薬なので一度に大量に制作できる為普段よりも格段に作業効率よくできた。
最初その作業を見ていたのはベレンシーだけだったが、リオックが調薬を終わらせる頃には室内にいた薬師全てがその作業を見学していた。
「どうでしょっ……うか?」
作業に集中していたリオックは見学者が増えている事に驚いたが、他の者達はそんなことを気にした素振りも見せずに製作された薬の見分を行っている。その中には勿論ベレンシーの姿も含まれており、自分たちの知らない知識に疲れも忘れて興奮した表情を浮かべていた。
「……ねぇ、リオックさん。コレ私達が普段作っている物より品質が高いわ。この中間材は何なの!?」
黙って薬の見分をしていたベレンシーだったが、リオックに振り向くと前のめりになって薬ついて聞いてきた。
「え、ええ、これは不純物を除いて有効成分だけ抽出した中間材です。無駄なく成分が取れるので薬草の節約にもなりますよ」
「……品質が高いのは不順物が入ってないからなのね?」
「そうですね。その分劣化も遅らせる事が出来ます。それに効能も若干向上しますね。あと複数の薬で使用できるので手間も減らせますよ」
説明を聞いた薬師達は再び薬へと殺到した。最初こそ疑心を抱いていたが、現物を目の前にしてしまっては信じざるを得ない。そして次に彼らが抱くのは当然この今まで見た事無い中間素材とその製法だ。
「ねえ、リオックさん。この中間材の製法を教えてもらえないかしら?」
「知の天秤なら構いませんよ」
「……ただ、これに見合う知識を提示できないわ。足りない分は金銭で補填する形にしてもらいたいのだけど、どうかしら?」
知の天秤は互いに平等だと思える知識を交換する事に重きを置いている。しかし、その対価に見合わない場合において金銭や物品での補填がされることもある。
「そうですね。一度確認は必要ですが不足分はそれで構いません。ただ、この方法には専用の機材が必要になるので今回は私が纏めて作成しますね」
「ええ、お願いするわ。——みんな、さっきの作業手順は確認したわね。一旦この事は忘れて作業に戻ってちょうだい!」
ベレンシーは手を叩いて薬師達を作業に戻らせる。彼女も新しい技術には興味はあるだろうが、今は兎に角作業が遅れているので、少しでも先に進める必要があるのだ。
そこから、この中間素材が使用できる薬と、ちょっとした注意事項をベレンシーに伝えて、リオックは追加で必要になる中間素材の作成に向かった。追加の物資を回収すれば、今回必要となる素材は十分足りた。
「お疲れ様、みんなの頑張りのお蔭で作業が予定よりもかなり進んだわ。今日はゆっくり休んで頂戴」
ベレンシーの言葉に、薬師達の顔には笑顔が生まれた。
ここ数日寝る間も惜しんで調合をし続けていた彼らにとっては天の恵みとも呼べる有難い休息の一時。リオックが提供した技術によって格段に向上した作業効率によって遅れていた薬の作成が一気に加速して、当初の遅れを大きく取り戻す事が出来た。
その結果、今日は薬師達の疲労も考えて早めに仕事を切り上げる事となった。今の忙しさは、物資の遅れから来たもので、本来忙しくなるのは大規模討伐が始まってからとなる。今ここで疲労感を溜めて本番に力を発揮できなければ意味が無い。その為にもベレンシーは思い切って早めに仕事を切り上げる事にしたのである。
「あ、リオックさんこの後少しお時間いいかしら?」
「はい? 何でしょうか?」
リオックも皆に並んで仕事を切り上げようとしていた処でベレンシーから声が掛かった。
「知の天秤について話があるの。あと、少し相談事ね」
「分かりました」
今回リオックが提示した知識に見合う物をベレンシーは持ち合わせていないと言っていたので、それについての相談事のようだ。
「取り敢えずこれが私の提示できる情報なのだけど、貴方が欲しい物はあるかしら?」
「拝見しますね」
リオックは差し出されたリストを受け取ると、彼女の持ちうる知識を改める。その中の殆どは、リオックが既に持っている知識も数多く、又手持ちの知識で応用がきくものも多かった。
しかし、その中に一つだけ彼の持っていない珍しい薬があった。
「この『精神安定薬』とは何でしょうか?」
「えーっと、ああ、これね。これは興奮状態を鎮めたり、不安感を取り除いたりする薬よ」
「成程、これは珍しいですね……」
これまで、リオックは外傷や体の内側に作用する薬ばかりを求めてきたが、精神に作用する薬の知識は殆ど持っていなかった。
これは、旅の薬師という特性上、患者に長期的に張り付いて治療する事が出来なかったので短期的、中期的な治療を必要とする患者を優先していたこともある。
それもあって、彼の知識には精神的な症状に関する知識はそれ程多くないのだ。
「それはこの近辺で取れる木の実が原料になっているから素材の入手は限定されるだろうけど保存が効くから使い勝手は悪くないと思うわ」
「ではそれを対価として頂きましょう」
「ええ、いいわよ。でも、それだと私の方が貰いすぎな気もするわ。他には無いかしら?」
基本的に知の天秤において互いの情報量に明確な基準は無い。かなりの部分を主観で判断しており、人によっては条件を決める為の条件から話し合う人たちもいるくらいだ。
しかし、リオックは知識の安売りこそしないが、大陸各地を旅しているが故の手札の多さから、それ程がめつく粘る事は少ない。
「いえ、こちらとしてはそれで十分ですよ」
「そう? ……分かったわ。この条件でお願いするわね。それと一つお願いが有るのだけど良いかしら?」
「お願いですか?」
ベレンシーが受け入れたことで知の天秤は終り、一息ついたと思いきや、ベレンシーは少し申し訳なさそうな顔をして口を開いた。
「ええ、貴方が指導しているベレッザ商会が扱っている『増血薬』の指導を頼みたいの。勿論対価は支払うわ」
ベレンシーの言った増血薬とは、リオック監修の元これまでになかった薬の知識を安価に広く広める事を目的にした事業の一つに含まれる薬だ。これらの知識を格安で提供する事で、ベレッザ商会が推し進める薬師の協力体制に参加してもらう事を条件にしている。
この格安で最新の薬の知識が手に入り、更には仕事も貰えるということでフェロ公爵領から始まり、オスマントス王国からジワジワと広まっている。
「成程……それは構いませんが時間は足りるのでしょうか? それと幾つかの条件を付けた契約を取り交わして頂く事になるのですが……」
「それは大丈夫よ。このままのペースなら大規模討伐前日の昼には全ての薬が揃うわ。これも貴方のお蔭なのだけど、その時間を使って少しでも備えをしておきたいのよ。それに元々興味があったから契約の条件は承知してるわ。」
「分かりました。そう言った事であればお受けしましょう。幸い薬草の在庫が足りている物と、この周辺で集まる物ばかりなので大丈夫でしょう」
「ありがとう。これで少しでも助かる命が増えるわ」
この増血薬は、その名の通り血を増やす薬だ。仮に兵士が怪我をして治療を施しても、失ってしまった血は時間を掛けなければ戻らない。そのような状態で再び戦場に戻っても、本来の力を発揮できず、命を落としてしまうことが有るのだ。
素人目からは血が足りていない事など判断できないので、指揮官は復帰した兵士に普段通りの活躍を求めるので余計に被害が広がってしまう。それを少しでも改善する意味でもこの薬の価値は非常に高いと言えるだろう。
特に今回は集まった兵士と探索者の数が例年よりも少ないので、無理をして出撃する者も増えると思われる。そう言った者達への現地応急処置としては十分効果が見込めるのだ。
「いえ、これも私の役目ですのでお気になさらないでください。契約書は明日までに準備をしておきます」
「ええ、ありがとう。貴方が来てくれて本当に助かるわ。よろしくね」
その後契約の細部と、今後の予定を詰めて解散となった。ベレンシーは書類の整理が有ると言って仕事に戻って行ったので、リオックは少し早いが夕食を取りに行った。




