急ぎの出発、未知の出発
「それで、不思議で強力な海流が生まれると?」
サレハの所で大量に梅干しを仕入れ、その日は宿に戻ってゆっくり休んだ。翌日、明日の出発に備えて一日島の中で物資を集め、現在宿屋でサレハも交えて夕食を食べている。勿論、昨晩はお嬢に『梅干し』の事については話しておいた。数か月もすればここにも商会の手が届く事だろう。
そして現在、俺達は別れを惜しんで一緒に食事をしているわけだ。そんな最中、俺の目的地であるウルメ行きの海流の話が出たのだ。
「はい、だからこの寒い時期でないと海流が生まれないのです」
ペリラだけだと話が明後日の方向に進んでしまうので、サレハと知的に会話するのは楽しい。いや、ペリラとの会話がつまらない訳ではないのだよ。
話を戻して、明日乗る海流が生まれる原理なのだが、この島の近くには、海底火山が比較的浅い場所に沢山あるらしい。そこで温められた海水と、冬場の冷たい表層の海水、そしてこの双子島という特殊な環境、狭い範囲に広がる浅い海域、この三つの条件が揃うことによって、強力で速い海流が生まれる。
海流も常に流れているのではなく、数日措きに発生したり消えたりする。それにも色々と理由はあるらしいのだが、正確にそれを読み解く技術を持った者は、この島の数名と、モンコネの船に乗っているような地元の航海士くらいらしい。
この現象は冬の間であれば、比較的頻繁におこるので、エルフも季節に数回はこの島に訪れるのだとか。因みに梅干しは彼らエルフに受けがいいらしく、頻繁に買って行ってくれるらしい。彼らが細々と生きて残ってこられたのは、このエルフが購入してくれると言うのも理由の一つなのだろう。俺が追加で梅干しを注文したのは必然だろう。
それと、この宿屋が無くならない理由の一つとしても、エルフの存在は否定できない。なんでも、ペリラが産まれてくるときに、母子共に危険な状態だったところを、エルフ達に救われたことを切掛けにこの宿屋を始めたのだとか。エルフは冬の季節にこの島を訪れた時、かならずこの宿屋を使ってくれるらしい。彼らは船乗りでないので、俺の様に陸の上で寝泊まりしたいのだろう。だからこの客の来ない宿屋は、漁師をしながらも続けているのだとか。
「エルフの人たちは良い人ばかりだし、話も面白いのよ!」
こんな目立たない所で、異種族交流が行われているとか驚きだ。エルフと交流を持ちたい人間など腐るほどいるのに、この片田舎の流行らない宿屋の娘が、仲がいいとは誰が思い至るだろうか。
ただ、この島に来るエルフ達も、それ程社交的なわけではなく、ペリラのように裏表のない人間だからこそ上手く付き合っているのかもしれない。彼女はコミュ力高そうだしね。
こうしてカタボシ島での最後の夕食は楽しい食事となり、又エルフの情報も色々と聞く事が出来たので非常に為になった。カラ島といい、カタボシ島といい、サルディーナ諸島群の女性は世話好きな人が多いのかもしれない。それに俺にとって為になることを、運んできてくれるのだから彼女達は女神様だ。なにがしかの形で彼女達に報いれるように考えておこう。
「さあ、準備はいいか野郎共! タイミングを間違えんじゃねーぞ!」
昨夜、サレハとペリラ二人と楽しく食事をした後、翌日に備えて早めに就寝した。問題はその後で、まだ日も昇る前に、商船から人が来て出発が早まりそうな事を告げられたのだ。
そこからは慌ただしく出発の準備に追われた。その時丁度宿屋の仕事を始める為にペリラの一家が起きて来て手伝ってもらえたのは非常に有難かった。
荷物を纏め、急いで宿を出た。出発の時に朝食にとフルーツサンドを大量に用意してくれたペリラの親父さんには感謝だ。
俺が宿を出るときに姿が見えなかったペリラは、船に乗り込んだ所でサレハを伴って見送りに来てくれたのは嬉しかった。
そして今、俺達はカタボシ島とカタクチ島の間の海域で船を待機させている。この限定的に現れる海流は、現れた瞬間が最もスピードが速く、最初の流れに乗れるかどうかで航海に掛かる日数が大きく変わる。その為、こうして海域で待機して、海流に乗り遅れないようにしているのだ。
「兄さん、船から振り落とされないように気を付けてくださいよ」
「そんなに加速するのですか?」
この海域に待機するに当たり、荷物の準備がいつも以上に厳重だった。今までは物資が乱雑に置かれていたのだが、今は全ての物資が紐で括られ、強く固定されている。俺も自前の荷物を確り固定するように言われたし、その通りに固定した。それに驚きなのが、普段高台で見張りをしている人たちが、命綱をしているのだ。普段、船に張られたロープを猿のように登り、飛び回っている彼らですら身体を固定している。いったいどれ程の加速を見せてくれるのか少し楽しみでもある。
「そうですなー、船の先端に無防備に立っていた人間は、一秒後には船の後ろから投げ出されるくらいですかね」
最初は何を言っているか分からなかったが、その意味を理解した時に背筋がブルリと震えた。
「それは……、私はこれに掴まっていますね」
そう言って、俺はメインマストに繋がっているロープを握る手に力を入れる。もはや海流に乗った時の加速は、体幹でどうこうなるレベルではない。仮に投げ出されたら、もの凄く早い海流に巻き込まれては、命は無いだろう。
「はっはっは、まだ力むには早いですよ。ちゃんと海流が生まれる前兆がありますから、その時は合図がきますよ」
頭では合図をしてくれることは分かっているのだが、どうしても身体が言うことを聞かない。
「それは分かってはいるのですが、どうし『ガンガンガン』も……お?」
突然、頭上の見張り台から金属を叩きつけた音が響く。
「おお、来ましたね。やっぱり予定より早かったな~。さて……、錨を上げろー。振り落とされねーようにしっかり捕まれよー」
モンコネは船長の顔に変わり、全体に指示を出す。もう間もなく目的の海流が現れる。無駄話をする者は誰も居らす、船の上は一種の静寂に包まれた。
しばらく様子を見ていると、海面から不思議な音が聞こえてくる。ゴゴゴと低い音が響き渡り、水面も不自然に穏やかである。まるで世界が静止したかのように動くものが居なくなった。
ただ周囲に響くゴゴゴ……ゴゴゴ……ゴゴゴ……、という音だけが時間が流れている事を主張する。
そんな音の間隔が段々短くなる。手に握る綱への力が強くなり、緊張なのか手が汗ばんでくる。
そんな時、不意に周囲に響いていた音がピタリと止まった。
「くるぞおおおお」
見張り台の上に居る人が大きな声で知らせた瞬間。
身体が大きく引っ張られた。
ズズズズ、と大きな音を立てながら、海が前へ前へと進んで行く。いや、これはもはや飛び出していくと表現した方が正しいかもしれない。顔を構成するパーツ全てが吹き飛んでしまいそうだ。
腰に巻いているロープに、身体を九の字に折られながらもなんとか意識を保つ。余りの加速に、慣れない人は意識を失ってしまう人も居るらしい。
海は這いずるような音を立てながら、後方に爆発音のようなものを響かせながら船はもの凄い速さで前へと進む。船の縁からみたら、海を海流が運んでいる様に見えただろう。
肺の中の空気が一気に持って行かれてしまって、叫び声を上げる事も出来ない。
しかし、加速による衝撃も、一瞬で収まる。そうすると前方から感じる風が気持ちいい。先程まで居た双子島も、何時の間にか後方に小さく見えるだけになっていた。
「いやー、楽しかったですねー。はっはっは」
ご機嫌なモンコネが話しかけてきた。この男、急加速した時に唯一、一人だけ楽しそうに叫び声を上げていたのである。最初こそ虫に侵されて元気のない姿を見たからか、今の姿が本来の彼のスタイルなのだろうが、違和感が拭えない。彼の喋り方の纏まらなさも悪いと思う。
「よく声が出せましたね。空気を持って行かれて悲鳴すら出ませんでしたよ」
「なーに、慣れですよ、慣れ。毎年の事ですからね」
他の水夫達の顔つきが、モンコネの言葉の信憑性を下げているが、そこは触れない方がいいだろう。俺も気遣いができるのだ。
「今回は一際凄い加速だったから到着も早まりますわ。この調子なら三日もあれば着きまっせ」
「そうですか、確かにこのスピードには驚きました」
未だにズズズズと音を立てながら進む船は、普段乗っている船とは別物のように思える。カタボシ島の人に聞いたところでは、船で海乗って波乗りをしているのだとか。何を言っているのか分からなかったが、水温の違う海水に、海底から吹き上がる温水が押しのけて、そこを、浅瀬を通る事で海をボードに波乗りしているような感覚だ。
何を言っているか分からないだろうが、俺も解っていない。
とにかく、当初の予定通り、海流に乗る事には成功したので、後は到着を待つだけだ。帆を張るのも、ウルメに到着した時に、海流から離れる為に使うくらいで、推力は全て海流任せだ。
因みに、この海流で移動する時は、釣りをしても魚が掛かることは無いので、暇な船旅の中でも最も暇な船旅だと水夫達が言っていた。とりあえずウルメに到着したら当分は船旅は遠慮したい。
俺は急加速で疲れた体を休める為に部屋へと向かい。今後の滞在プランを考える事にした。
その三日後には、無事ウルメに到着した。これと言って大きな何かがあったわけではないが、俺が暇を持て余さないように、水夫達が色々と考えてくれて、簡単なゲームをやったり、音楽を奏でて歌を歌ったりもした。俺も楽器が少し使えるので、一緒にセッションできたので非常に楽しかった。モンコネはどうも音痴だったようで、一緒に歌った時には酷いものだった。周囲からのブーイングにもめげないモンコネの歌は、長々と続く事になったが、俺達は楽しい船旅をする事が出来たと言えよう。
ウルメの島が見えてからは、久しぶりにモンコネが船長の顔を見せて、巧みな舵さばきで海流を抜け出し、見事にウルメの港に着岸した。
こうして俺は、目的地である島。エルフ住まうウルメに到着したのである。
次の話から、本章のメインに入ります。おそらく




