奇跡の一匹、激闘の一匹
「錨を上げろー、帆を張れー、出港だ-!」
甲板にモンコネの声が響き渡る。船内、船外問わず水夫達は忙しそうに動き回り、船を出港させる。
今俺が居る場所は、モンコネの船が停泊していた港の中だ。カラ島に来た時とは違い、サルディーナ諸島群内のみ航行する船が停泊する港である。ここにも外交用の港と同じか、それ以上に沢山の船が並んでいるが、俺がここに乗って来た船とは少し作りが違うようだ。サルディーナ諸島群の複雑な海流を進むために小回りが利く舵である。俺が乗って来た外洋船よりも速度は出ないが、その分この地に合わせられた造りをしているのだろう。
俺がモンコネと出会った日から五日越しの出発だ。翌朝の汚い目覚めから、徐々に出港の準備を進めて現在に至る。あの日、彼らは肉体的な疲れよりも、精神的な疲労の方が大きかったように見える。特にモンコネは出遅れてしまったようで、緊急時の船長権限を出してきたが、全員からのブーイングを受けて結局トイレを使わせてもらえたのは最後の方だった。
彼の名誉の為に言っておくが、彼は耐えきったとだけ言っておこう。
その後、俺は出航日までは自由に過ごしていた。一応、彼らの経過観察はしていたが、至って順調だった。俺の配合した特別駆虫薬は実力を見事に発揮したと言えよう。
まずはダリア、ウマル夫婦と共に食事をした。彼らが連れて行ってくれたレストランは、サルディーナ諸島群の中でも独特の文化を発展させた島の郷土料理で、非常に辛い料理が多かった。ただ、辛さの中にも魚介の旨味が凝縮されていて、非常に美味しかった。
その他にも、地元の人しか知らないような、隠れた名店なども案内してもらい。カラ島を予想以上に堪能できたと思う。カラ島はサルディーナ諸島群の中心とも言える島だけあって、色々楽しいサービスを提供してくれる店もあって、退屈することは無かった。
次はダリアが出掛けているタイミングを狙ってウマルを誘おうと思う。
そんなこんなで、あっと言う間に出港日になってしまったが、本当にこの島で過ごした数日は楽しかった。ダリアとウマルの二人も、港の入り口まで見送りに来てくれたのは嬉しかった。
そして現在、俺は出航の邪魔にならないように、甲板の隅に腰掛けてボンヤリ海を眺めている。ここから次の目的地であるカタボシ島までは約一週間船の旅だ。カラ島までの船旅を考えればあっという間に到着するだろう。少なくとも、この船であれば凪が来ても海流を知り尽くした水夫達の腕で、進む事が出来るのでそれ程退屈することは無いだろう。
「さあ、兄さん。退屈な船旅の始まりだ!」
モンコネの一言に思わず苦笑いしてしまう。
「貴方がそれを言うのですね。確かに船旅は退屈ですね。時間を持て余します」
「俺達が船で時間を潰すときは、大体酒かカードですよ」
「ははは、私は何方もやりませんからね」
船の中で出来ることなど限られているので、仕方が無い事なのかもしれない。ここ一月モンスターとの戦闘もしていのに、暇つぶしに一人で訓練しているので、以前よりも体の切れがいい。
「まあ、日ごろの疲れを癒すためにもゆっくりしていてください」
「そうさせてもらいます」
確かに疲れが溜まる。何もしないが故に……。
「きたああああ」
今俺は、醜態を晒して筋肉を浮き彫りにさせている。
「おお! 結構な大物ですぜ、兄さん」
「ぐぬぬぬぬ」
そう、俺は釣れない釣りをしているのである。今は港を出てから三日目、暇すぎて耐えられなかったのである。気まぐれに垂らした一本竿を、又に挟んで黄昏れていたら、強い引きを感じて力任せに引いた結果今の状況である。
「兄さん、もっと巻かないと、ああ! もっと竿立てて!」
先程から非常に外野が五月蠅い。魚がヒットした時に偶々居合わせたモンコネが、先程から騒いでいるのだ。船長とは意外と暇なのかもしれない。決断する局面で的確に指示できるのが船長なのだろう。
長い私闘の末に、我がライバルの姿が水面に見えるようになって来た。
その姿は最初、巨大な布団だった。水面下で揺れる布団に俺の垂らす竿の先から繋がる糸が繋がっている。最初はゴミでも引っかけたのかと思ったが、グイグイ引いて来るので、何か生き物であることは間違いない。
そして、見えたその姿は巨大な平たい魚であった。
「こっ、こいつは、オヒョウだ! とんでもねぇ大物だ!」
モンコネが色々騒いでいるが、こちらは其れ処ではない。我がライバルがその全容を現したら、全長3メートルを超える大物など誰が予想出来ようか。こちらはラインを巻くので必死でそんなことを気にする余裕もない。
全身の筋肉を動員しての必死の巻き上げの結果、僅かにだが軍配は俺に傾いている。しかし、こんな巨体どうやって船の上まで引き揚げればいいのか疑問だ。
「兄さん、船に寄せてください。こっちで引っかけますわ」
横を見ると、モンコネが長い棒の先端にフックの付いたものを、何時の間にか持ってきた。どうやらこのフックに引っ掛けて船の上に引き上げるようだ。
「ぬおおおお」
「ここだああああ」
俺は渾身の力を入れて全力で魚を引き寄せる。そこにタイミングを合わせたモンコネがフックを勢いよく魚に引っ掛けた。
フックに引っ掛けられた魚は、呼びつけた水夫数人がかりで引き揚げられた。俺と言えば、全力を出した後の疲労感でその場にへたり込む。腕はパンパン、足腰は震え、腹筋は痙攣する。
引き揚げられた魚、モンコネが言うには、オヒョウと呼ばれた魚は平べったく、簡単に言えば巨大なカレイに似た魚だった。その全長は優に3メートルを超えて、4メートルに届きそうな勢いだ。
しかし、これだけ巨大な魚になると、味はあまり期待できないかもしれない。大きすぎる魚はアンモニアの匂いがきつくなるのは有名な話だ。
「兄さん! 今日の夕飯はオヒョウ尽くしにしましょうや!」
「食えるのかコレ?」
「何言ってんですか。宿でも食べてましたよ」
なんと、既に食べたことが有る魚であった。淡白な味だが、それ故に色々な味付けができるので、この巨体から採れる身も、飽きずに全て食べる事が出来るだろうと言っていた。
「そうなのか……少し疲れたので部屋で休ませてもらうよ。夕食ができたら呼んでくれ……」
何とか釣り上げる事が出来たが、一進一退の攻防を一時間近く続けて疲労が溜まった体が休息を求める。正直、釣りがこんなにも疲れるものだとは知りもしなかった。
モンコネ達に後を任せて自室に戻ると、即座にベッドに潜り込む。疲労の溜まった体はベッドに張り付いたように動かない。これならモンスターと戦闘していたほうが遥かに楽だろう。
何時の間にか眠りに落ちていたようで、水夫が起こしに来るまで爆睡してしまった。どうやら夕食の準備が整ったようで、俺の事を呼びに来たようだ。
身なりを整えて部屋を出ると、船の中には美味しそうな匂いが充満していた。匂いに誘われるように食堂へと向かうと、食べる準備が整っていた。
「お! 兄さん待ってましたよ。今晩は御馳走だぜ」
テーブルに並べられているのは、刺身に煮つけ、蒸し焼きに香草焼き、そして油煮と、とても豪華な料理が並んでいた。
「これはまた……、こんなに豪勢にしていいのですか? 燃料も結構使ったみたいですが」
そう、船旅で燃料は非常に貴重な資源である。一度の料理にこれ程燃料を使うことは滅多に無い。
「オヒョウのキモは食えないけど燃料として使えるんでさぁ。お陰で今晩は湯も贅沢に使えますよ」
魚と言えば、食料としてのイメージが強かったが、こうやって他の事にも使えるとは驚きだ。こういった知恵を身に着けていく事が、過酷な環境で生きていく上では重要になる。
「そんなことより、早速食べましょう! こいつは美味いですよ」
モンコネに勧められるままに席に着く。目の前には色々な食事が並べられ、どれも美味そうだ。皆俺の到着を待っていたらしく、視線が集まってくる。こういったことは釣り上げた者が、最初の一口を食べるのが通例となっているらしい。
あまり皆を待たせても申し訳ないので、早速頂く事にする。最初に手を付けたのは、生の切り身をご飯の上に乗せた一口サイズの物だ。塩味のきいたソースを付けると更に味が引き締まり美味しい。俺が食べた部位がエンガワと呼ばれる場所で、独特な触感が美味しかった。
俺が食べたのを皮切りに、皆が一斉に食べ始める。皆空腹を我慢していたのか、もの凄い勢いで魚を食べる。大量に作られていた料理も瞬く間に無くなってしまった。各言う俺も色々な味を海の上で楽しめるとは思っても居らず、腹がはち切れそうなほど食べてしまった。
食後に茶を飲み、一服する。食休みは重要だと思う。
「兄さん、そろそろ風呂に行きましょうや」
モンコネの言葉に思わず二度見してしまう。船の上で風呂など、まずは入れるものではない。
「それ程立派なもんじゃねーが、数人が一度に入るには困らない広さの風呂があるんですよ」
「それは凄いですね。是非は入りましょう」
そこからの動きは速かった。速やかに自室に戻り着替えを用意する。流石に人数的な問題から一人で入ることは出来ないが、湯船にしっかりつかり、体の芯から温まる事がこんなにも贅沢に感じたのは初めてだ。
風呂上がりに、果実を絞ったジュースを飲む。ポカポカの身体に流れ込んでくる、少し冷えたジュースがたまらない。因みにモンコネは俺の隣で腰に手を当てて、酒を一気飲みしている。海の男は酒に強いと聞くが、この飲み方は身体にわるそうだ。
食事の前に十分な睡眠を取ったのに、湯船に浸かったせいか少し眠気を覚える。
どうせ遣る事も無いので眠気に誘われるままに寝てしまうのも一つの手だと思い。モンコネ達に挨拶をして一足先に自室へと戻る。
ああ、今日はお嬢と念話するのは無理そう……だ……。




