恥かしがり屋の作家さん
壁ドン。
本来ならば文字通り壁に「ドン」と衝撃を与えて殴る行為が主だった言葉であるが、今では男性が女性を追い詰めて壁にドンと突く行為が主流とされているとのこと。
普通はそんな風に女性を追い詰めて迫ってもただ単純に気持ち悪いだけ。それが好きな男性ならば問題ないかも知れないが、大抵はイケメンにしか許されない必殺技の様なものだ。
ちなみにそんな行いを俺自身はしたことはない。そんな事をしたら、直ぐに平手打ちを食らって「キモイ」と罵られるだけだ。
さて、もう一回言われた事を整理しようか。我が依頼主であるシンディーさんは今回の新作の為に壁ドンをご所望のこと。そんな事をして資料の役に立つか分からないのだが、覚悟を秘めた眼差しを見たところ誤魔化したり、否定することは難しいと思われる。
何より、今回は仕事だ。依頼者が要求しているのだ。金銭的見返りを求めるのには彼女のご要望を叶えなくてはいけない。
「えっと……。それじゃあ、やっていいのかな?」
「お、お願い――。あっ。すみませんが、これで私達を見てくれませんか?」
立ち上がり、自ら壁際に移動しようとしたシンディーさんは、大切な事を思い出したらしく、懐から水晶らしき物体をイリスさんに渡す。
「それは?」
「記憶を保存する記憶玉です。これに触れて魔力を流せば、その人が見た光景を記憶することができます」
なるほど。つまりイリスさん視線の光景が保存されるという訳か。
どうやって、今からやる行為を資料として活用するのか分からなかったが、それなら十分資料として活用できるだろう。
「わかりました。ただ黙って見ているのも心苦しかったところです」
快くシンディーさんのお願いを受諾してくれる。
報酬は彼女に払われないはずなのに、わざわざ魔力を使って手伝ってくれるイリスさんに何か奢ってやろう。報酬が入らなければできないが。
「そ、それでは……。お、お願いします」
「……ねえ。もしかしなくても緊張している?」
さっきから時折口調がどもっている。
俺に話をするときもあえて視線を合わそうとしない節が見られる。
自分の作品を話す以外はほとんど体を強張らせている気がする。
「あ……。その、はい」
どうやら図星であったらしい。
「その。お、男の人と話すのも初めてだし、その……。恥ずかしくって」
頬を赤らめて視線をそらす仕草に、心臓が弾けそうなほど鼓動を上げていた。
バキューンと擬音が聞こえてしまいそうなほど、俺の理性が打ち抜かれそうになる。
「……イリスさん。これだよ、これ。これが俺の待ち望んでいた反応だよ」
「はい? 何の事を言っているんですか?」
「だから彼女の反応だよ。本来は彼女の様に恥ずかしくなるものだろ普通。これが俺の言っていた普通の対応なんだよ」
「はあ……」
この女。全く持って俺が何を言いたいのか理解できていないな。
羞恥心を野良犬にでも喰わせたのではと思いたいイリスさん達の対応を非難しているのに、ちっとも納得してくれない。
「えっと、その……」
「あっ。悪い悪い。じゃあ、そのやるからね」
「は、い」
やばい。萌え死にそうでやば過ぎる。
まさかの純真ピュアさんとの出会いに、いろんな意味で舞い上がっている俺がいる。
そんな彼女にこれから壁ドンをするとか、考えただけで興奮してしまう。
落ち着け。落ち着け工藤伸哉。ここで理性を崩壊させてしまったら、色んな意味で死地に赴く事になるんだぞ。初心な反応を見せて嬉しいからって、勢い任せで襲うのはご法度だ。
け、決して襲いたいとか邪な感情は抱いていないからね。
こみ上げる感情を抑え込みながら、俺はシンディーさんの傍まで歩み寄る。
小動物の様にわなわな振るつつ、涙目を浮かべながら見上げるシンディーさんは小声であったがしっかりと「お願いします」と懇願する声が聞こえた。
――トン
本来の壁ドンとは少し違うかもしれないが、ゆっくりと左手を壁に当ててご要望の体制を作る。
この状況ってかなり恥ずかしいな。目と鼻の先にシンディーさんがいると思うと俺まで顔が熱くなってしまう。案の定、シンディーさんの方も似た様な事を考えていたのか、全身が見事に赤く染まっている。
「…………」
「…………」
えっと……。
この体制っていつまで続ければいいんのかな。
シンディーさんに「いつまで続ければ」と言おうとしたとき、彼女の頭から湯気が立ち上る。
「ふみゅう」
まさかのダウンだった。
こちらへ倒れるシンディーさんの体を受け止め、様子を伺ったのだが目をグルグル回して気を失っている。
「ちょっ。シンディーさん? シンディーさん、気をしっかり」
何度も呼びかけたのだが、一向に目覚める様子はなかった。
仕方がないので彼女をベッドに寝かし、俺達は彼女が用意したドリンクを飲んで起きるのを待つことにしたのだった。
***
時間的に三十分ほど経ったであろうか。
絵に描いたように「はっ」と目覚めて勢いよく起き上がったシンディーさん。
「夢か」
どうやら、意識はまだはっきりしていないご様子。
仕事に明け暮れて寝落ちしたとでも思ったのだろうか。目一杯両手を広げて体を伸ばしながら欠伸をする。
そして、ようやく気付く。自分の部屋でくつろいでいる俺とイリスさんがいる事に。さらに気づいてしまう。欠伸している姿を俺達に見られていることに。
「え、わ、わわ」
あ、ベッドから起きた。
「だ、大丈夫ですかシンディー先生」
「だ、大丈夫ですぅ」
今ので額をぶつけたらしい。
手で押さえている部分が若干赤くなっていた。
「額が赤くなっていますね。少し失礼します」
それを見たイリスさんが額に手を当てる。
掌が発光している様子から魔法を発動させたのだろう。
彼女が使った魔法は俗に言う回復魔法の類なのか、数秒後には赤くなっていた額が元通りになっていた。
「はい、これで大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうございます」
「へぇ。イリスさんは回復魔法が使えるのか?」
「はい。簡単な治療程度なら回復させることができます。もっとも私は傷に触れないと回復できないのですが」
熟練者だと触れなくても遠距離からでも回復することが可能らしい。
彼女が言うには覚えたての魔法であるから今はこの程度しか出来ないと、苦笑して見せた。
「さて、シンディーさん。早速で悪いのですが仕事の続きを致しましょうか? まさか、あれで終わりな訳じゃないですよね?」
それならそれで大変楽な仕事だと思うけど、あれだけで報酬を頂くのは大変心苦しい。
彼女もまだやって欲しい事があったらしく、俺の申し出に「お願いします」答えた。
「それじゃあ、今度は服を脱いでくれると助かります」
「……はい?」
まさかの脱げ発言に可笑しな声が出てしまった。
まあ、そう言う部類の本を描いているのだから予想できない要望であったが、最初の方でそんな指令が発令するとは思ってもみなかった。
何とかして命令を撤回させたかったのだが、イリスさんの「これも仕事のためですよ」の一言によって言うことを聞かざるを得なくなってしまった。
もっとも、俺が上着を脱いだところで彼女のキャパシティーがオーバーフローし、再び意識を手放すことになってしまいほとんど進むことが出来なかったと追記しておこう。




