十五歳、寝かせた種が森になる
時間さえ味方につければ、金というのは、驚くほど素直に増えていく。
六歳の夏に縁日のいかさまを暴いてから、九年が過ぎた。その間、俺は派手なことは何もしていない。前の人生で"来る"と知っているものを、来る前に、静かに拾い集めていただけだ。
断っておくが、これは超知能の手柄じゃない。俺の頭は超記憶でもなくて、前の人生の細かいことまで覚えているわけじゃないんだ。覚えているのは、後で世間を騒がせた大きな出来事と、大きな流れだけ。あとの隙間は、全知演算――目の前の手がかりから答えを弾き出す推論で埋める。要するに、答えを先に知っているだけの、ずるい先回りだ。この頭が本当に唸るのは、生身の相手と知恵をぶつけ合うときだ。そういう場面は、きっとこの先いくらでも来る。
十歳の秋、『パケットモンスター』――通称パケモンという携帯ゲームが、子どもたちを夢中にした。集めて戦わせるそのモンスターは、やがてカードになる。俺はその初版を、まだ誰も値打ちに気づかないうちに、駄菓子屋やおもちゃ屋を何軒も回って、棚ごと大量に買い込んだ。看板の一匹の、刷りのずれた当たりも何枚か混じっている。二十年先には、状態のいい一枚で、家族旅行が何度も行ける代物だ。
同じ年、『花天堂』が新型ゲーム機『花天堂64』を出した。俺は遊ぶ用とはべつに、後で品薄になるソフトを未開封のまま何本も寝かせた。古本屋の隅では、十年以上前の『週刊少年ジャンボ』――看板作『ドラゴンボウル』の連載が始まった号を、一冊数百円で拾っておく。誰も見向きもしない古雑誌が、美品ならいずれ目の玉が飛び出る値になる。
もっとも、何もかもが読み通りに化けたわけじゃない。値が付くと踏んで買い込んだ周辺の付属品が、記憶違いで、ただの押し入れの肥やしに終わったこともある。細かい型番や限定版の中身までは、さすがに覚えちゃいない。…… 前の人生の記憶は、大きな流れを覚えているだけだ。何から何までを書き留めた帳面じゃない。抜け落ちた細部は、その都度この頭で補うしかなかった。
拾った宝は、家には置かない。最初のうちこそじいちゃんの金庫に収めていたが、集めるうちにとても収まりきらなくなって、じいちゃんが土地の一角に、湿気も日差しも防ぐ頑丈な蔵を建ててくれた。長年、雨風に耐える家を建ててきた棟梁の腕だ。カードも雑誌もソフトも、そこでまとめて眠っている。母には「じいちゃんの荷物」で通してあった。
学校へ持っていくのは、値のつかないダブりだけ。高学年になると、パケモンのカードは教室で立派な宝物になったが、俺は看板レアを見せびらかす連中とは逆をいった。安いカードを気前よく配って「結城は太っ腹だ」と思わせておく。本命の初版は、一枚だって人目に触れさせない。いちばん値打ちのあるものは、持っていることすら悟らせない。それが鉄則だ。
正直に言えば、学校は退屈だった。授業は教わるまでもなく分かってしまうし、はやりのカードゲームで対戦しても、相手の手札も引きも見えてしまう。いかに不自然なく負けてやるか、そっちに気を遣う始末だ。何もかも見透せる灰色の毎日で、澪だけが、俺の計算を軽々と外してくる。あいつと話す時間だけが、妙に色づいて感じられた。
寝かせるだけじゃない。ときには、一気に増やす。
まずは、寝かせた宝を少しだけ現金に換えた。『マジカル・ギャザー』のアルファ版は、寝かせるほどに値を上げている。海の向こうで遊ぶ人間が爆発的に増え、最初の刷りは"伝説"と呼ばれ始めた。俺は三箱のうち一箱だけを、海の向こうの、物好きな収集家へ、じいちゃんの名で流した。値は五十万を超える。……指が震えた。この一箱も、いずれ一億に届くと、俺は知っている。それを、たった五十万で手放したことになる。だが、抱えたままの宝より、いま動いて次を生む種銭のほうがいる。手元の種銭なら、この頭で、箱が化けるより速く増やせる。残る二箱は蔵の奥へ戻した。
その五十万を、祖父名義で開いた証券口座に移す。狙いは、当時みんなが浮かれていた"ネットの熱狂"――なかでも『光波通信』だった。携帯電話をばら撒くように売って急成長し、時代の花形にのし上がった会社だった。株はやがて二十四万円の高値まで駆け上がり、そのあと、契約の水増しが暴かれて二十日も続けてストップ安を叩き、六十分の一まで崩れ落ちる。前の人生で、誰もが知っていた大暴落だ。
暴落を狙って空売りする手もあった。だがそれは信用取引――追証や踏み上げのリスクがあるし、審査だって甘くない。ならば単純でいい。現物で高値の波に乗り、頂点で全部を降りる。それがいちばん確実だった。
売ると決めた日の朝、じいちゃんは証券会社からの書類を前に、めずらしく渋い顔をした。
「まだ上がっとるぞ。新聞も雑誌も、この会社を時代の主役だと書いとる。……本当に、今日でいいのか」
「うん。もう、株価が会社の中身とかけ離れすぎてる。こういう相場は、崩れるときは一気だよ」
じいちゃんはしばらく俺の目を見て、それから、ふっと肩の力を抜いた。理由は訊かなかった。ただ、受話器を取って「全部、売ってくれ」と告げた。
そのあくる日から、株はまるで底の抜けた桶だった。周りの大人たちが「まだ上がる」と目を血走らせて買い増していた、まさにその頂点で、俺たちは静かに降りていた。ほどなく契約の水増しが暴かれ、株価は連日のストップ安で沈んでいく。飛びついた連中は、軒並み焼かれた。
――上がるのを当てるより、いつ降りるかを知っているほうが、よほど強い。五十万は、数か月で五百万を超える現金に化けた。
じいちゃんは、俺が「売る」「寝かせる」と言うたび、理由も聞かずに動いてくれた。売り買いの名義も、金の置き場も、あの蔵も、ぜんぶじいちゃんだ。
「儂はもう、お前に言われるまま金を動かす、便利な財布だな」
あるとき、じいちゃんが可笑しそうに言った。俺は少しだけ、胸が痛んだ。じいちゃんを財布扱いする気は、毛頭ない。
「違うよ」俺は首を振った。「じいちゃんは、共犯者だ」
「……そっちのほうが、よほど質が悪いじゃないか」
そう言って、じいちゃんはまた笑う。
こうして十五になる頃、俺の懐はこうなっていた。じいちゃん名義の口座に、現金が五百万あまり。蔵には、アルファ版が二箱、大量のパケモン初版、ドラゴンボウルの連載開始号、未開封のソフト。蔵の中身は、いまでこそ数百万の含みだが、二十年も先には、その桁が二つも三つも跳ね上がる。元手は、たったの一万円だったのに。
――もっとも、と俺は思う。金額そのものには、もうさして興味がなかった。金は、思いどおりに動くための手段でしかない。俺が本当に知りたいのは、いつだって別のところにあった。
中学も残りわずかとなったある日、澪がふいに言った。
「結城って、昔からたまに、この教室にいないみたいな顔するよね」
どきりとした。九年隠し通してきたつもりの胸の内を、こいつはときどき、こともなげに覗いてくる。
「……ちょっと考えごとしてただけだよ」
「ふうん。まあ、そういうことにしといてあげる」
昔なら「気のせいだ」で押し通せた。だが今の澪は、はぐらかしたことまで見抜いたうえで、笑って見逃す。八年ぶんだけ、この幼馴染の勘は、いっそう鋭くなっていた。その笑い方に、俺はまた、初めて会ったはずなのに、どこかで見た覚えのある面影を感じた。
順調すぎるくらい、順調だった。だからこそ、ときおりうなじがひやりとする。
全知演算は、世界のほとんどを読み解いてしまう。人の嘘も、相手の次の一手も、初対面の相手の胸の内すら。だが、どうしても計算の合わない、小さな綻びが、いくつか残っていた。ひとつは、澪のあの笑顔だ。
もうひとつは、去年の夏に出くわした。初めて通る裏路地で、俺は角を曲がる前から、その先に何があるかを知っていた。色のあせた赤い屋根の、とうに畳んだ煙草屋。ガラス戸に貼られた、日に焼けた宝くじの札。――なのに、そこへ足を踏み入れたのは、間違いなく初めてだった。前の人生の記憶にも、ない。観察から導いた推論でもない。ただ、知っていた。
まるで、誰かが同じ盤面を、何度も並べ直しているみたいに。
俺を別の誰かに"割り振っている"のは、いったい何者なのか。その問いだけは、何年考えても尻尾すら掴めない。
――まあいい。神さまの正体探しは、金持ちになってからゆっくりやればいい。今は目の前の盤面を勝ち切るのが先だ。
いずれ、子どものままの俺でも堂々と金を動かせる、ちゃんとした"器"が要る。会社という器を構えるのも、そう遠い話じゃない。
十五になった春。中学の最後の一年が始まる。俺の頭の中では、次の一手が、とうに組み上がっていた。
ここまでは、時間を味方に、種を寝かせて増やすだけの静かな戦い。だが、そろそろ潮時だ。前世の記憶には、この先も何度となく訪れる"熱狂"が刻まれている。大人たちが札束を抱えて踊り狂い、そして大半が足をすくわれる、あの狂騒。その渦の真ん中へ、今度は子どもの俺が、正面から乗り込んでいく。
――お待たせ。ここからが、成り上がりの本番だ。




