第8話「人の意思は枷か、それとも」
翠海上空、高度一万メートル。
今日もエディン・ハライソを包む空は青い。どこまでも続く天空を、彼は三機編隊で飛んでいた。後部座席では、姉のエリシュが上機嫌で鼻歌を歌っている。
とても、これから模擬戦があるとは思えぬ雰囲気だった。
だが、一つの国家の命運を決める戦いは、確実に目の前まで迫っていた。
回線を通じて、ヘルメットのレシーバーに女の声が走る。
『エディン・ハライソ、準備はよくて? なんなら三機で同時にかかってきても構わなくてよ』
声の主は、フリメラルダ・ミ・ラ・アヴァタール女男爵……誰が呼んだか『益荒男嬢爵』と呼ばれる女傑である。子供のようにあどけなく弾んで、老婆のように狡猾で含みをもった声音だ。
エディンは僚機に目を走らせてから、改めて返答した。
「フリメラルダ女男爵、一騎討ちといきましょう。僕が証明したいのは、機動戦闘機と海軍の有用性です。それを示すには、数の差は無用でしょう」
『そう言うと思っていたわ。では、楽しんで頂戴』
「了解」
通信が切れると同時に、エディンは背後の二号機と三号機に声を掛けた。
やはり、紫堂六華の二号機は安定しているが……三号機は酷いものだ。よたよたと頼りなく、編隊を組んでいてもずるずると遅れてゆく。
無理からぬ話だと思うし、エディンはそれを責めはしない。
ただ、模擬戦に参加してもらうには、まだまだ練度が足りないと思った。
当然のことで、三号機のパイロットは完熟飛行未経験の素人なのだ。
「六華先輩、三号機を……リシュリー様をフォローしてあげてください。模擬戦には僕が出ますので、そうですね……適当に飛んでてもらえれば。訓練のつもりで」
『んだと、ゴルァ! 聞こえてるぜ、エディン! オレにやらせろ!』
『……エディンさん、そうさせてもらいます。リシュリーさんもいいですね? 三号機、壊したら……怒りますよ? 勿論、エディンさんの一号機もです』
バルドゥール伯爵の娘でオーレリアの親友、リシュリーもチームの一員になっていた。
だが、これが酷い。
空戦のセンスがまるで感じられず、操縦技術もでたらめだ。機動戦闘機の高度な電子制御とAI技術がなかったら、この場まで飛んでこれなかっただろう。
そのことを誰よりも思い知っているのは、教官役をやっている六華だ。
二号機と三号機を置き去りに、エディンは一号機を加速させる。
まだレーダーに敵影はないが、既に模擬戦は始まっていると見ていいだろう。全く緊張感を見せない背後の姉が、手早く周囲を索敵しながら軽口を叩いてくる。いつもの調子なので、エディンは酷く心が落ち着いた。
「リシュリー様ってさあ、エディン。……すっごい下手だよね、操縦」
「まだ訓練を始めてから間もないしね。それと、彼女にも長所はある」
「あー、確かに。がさつに見えて料理は上手いし、洗濯も掃除もまめにやるしね。あとは――」
「それもあるけどね、姉さん。機兵形態での陸戦成績は、実は彼女が一番だよ。僕より上手い」
「言われてみれば……でもねえ、ずっと陸地を歩いてる訳にもいかないでしょう?」
リシュリーは、機兵形態での白兵戦、格闘戦がずば抜けて上手かった。技術的に高度な訳ではない……野生の感覚とでも言うべき才能を発揮するのだ。狙いも定めず撃てば当たるし、躊躇なく敵のレンジに踏み込んで格闘戦に持ち込んでしまう。
多分、猪突猛進な性格の賜物だとエディンは思った。
そしてそれは、ウルスラ王立海軍のライトスタッフたちにとっては大歓迎だ。
そんなことを考えていたら、姉の声が不意に強張る。
「エディン、レーダーに感あり。敵も一機ね……20秒後に会敵するわ。速いわねー」
「どれ、じゃあお手並みを拝見しようかな」
エディンも愛機を加速させる。
見る間に背後に、僚機の翼が遠ざかった。
エディンたちが八神重工から貸与されているテストタイプ、MCF-1X"カリバーン"……その空戦形態は、変形機構を抜きにしても最新鋭の戦闘機に引けを取らない。磁力炉を心臓部に持つラムジェット推進は、圧倒的なパワーを発揮する。
だが、それでもエディンは相手を侮ることはない。
そして、強敵を期待している。
手強い敵であれば、それは国防を志す者たちにとっての頼もしい味方になるからだ。
そして、模擬戦は敵の先手で始まる。
「姉さん、少し振り回すよ……どうやら手強い相手みたいだ。エンゲージ!」
「はいはーい、好きにやんな。火器管制は任されたっ!」
エディンは不意に機体を投げ出す。
ダイブした瞬間、空に火線が走った。
ペイント弾をばらまいた敵意は、あっという間に擦れ違って背後に回り込む。それも、常人では理解も模倣も不可能なマニューバで。
出来の悪いCG映像を見ているかのようなターンだ。
そしてエディンの耳元に、余裕の笑みと共にフリメラルダが語りかけてくる。
『エディン、逃げ切れるかしら? わたくしのXFA-38"ケルビム"から。もっとも、逃げてるだけじゃ駄目ですわ……少しは抗って頂戴』
――XFA-38"ケルビム"
それが敵の名。
すぐに後部座席のエリシュが調べたデータを読み上げてくれる。
それは、アメリカが開発した次期主力戦闘機だ。地上からコントロールする、完全な無人機である。高度な人工知能を搭載し、自らの判断で与えられたターゲットを破壊、撃墜するのだ。
無人機故に、加速や旋回のGに制限はない。
人間という名の枷を振りほどいた翼は、異次元の機動でディンの背後に迫っていた。
そして、幼子をあやすように優しい声で、フリメラルダは言葉を続ける。
『エディン、貴方……ウルスラ王国の臣民を、その何割かを兵隊にして手を汚させるつもりかしら? 戦争になれば必ず、オーレリア姫殿下の大切にしている臣民が死ぬわ』
当然だ。
そして今、それがエディンには不可避の未来に思える。
来年、不可侵条約の失効と同時にウルスラ王国は戦禍に巻き込まれるだろう。
それはエディンたち一部の人間にとって、確実な未来と言えた。
来るべき未来、国土と王室、なにより民を守るため……多くの犠牲が払われるだろう。そのことに対するフリメラルダの答が、感情も自我もないコンピューター兵器という訳だ。
『百年軍隊のなかった国で、臣民を兵士へと教育、訓練するコストは? そうしてお金と時間をかけた者たちが、戦場ではあっという間に死にますのよ。その機動戦闘機とやらが如何に優れた兵器であっても、戦いは数ですわ。確実に数で劣る中、どれだけの犠牲が出るとお思いかしらん?』
「……犠牲は出ます。むしろ、犠牲を払わなければこの国は守れません」
『つまらない答ね、エディン。失望したわ』
右に左にと、エディンは急旋回を繰り返しながら逃げる。
だが、背後の"ケルビム"はまるで影のようにピタリとついてきた。
姉の説明では、"カリバーン"の映像を解析し、その挙動を先読みしているのだとか。現代の発達したAIでは、そうした芸当も可能だろう。現に今、エディンの乗る"カリバーン"一号機もAIの補佐を得て飛んでいるのだから。
振り切れぬまま、徐々に機械の殺気が忍び寄る。
二度三度と発砲され、ペイント弾が機体を掠めた。
『無人機のみで構成された空軍により、領土および領空に入ったものを無条件で撃墜……これがわたくしの考える国防論ですわ』
「フリメラルダ女男爵、この"ケルビム"のコストは」
『誰も死なないというのなら、大金を払う価値があるんじゃなくて? 安い買い物ではないけれども、それは貴方の機動戦闘機も同じでしょう?』
「仰る通りです。でも……それでは国家を物理的に守れても、守りきれないものがあります」
エディンはフリメラルダへ返事をしながら急上昇。
同時に、追いすがる"ケルビム"へと振り返るように変形した。
中空で逆さまに倒立する形で、四肢を広げた"カリバーン"が翼下のライフルを手にして弾丸を放つ。天と地とがかき混ぜられる中で、エディンは頭上の翠海に吸い込まれる空薬莢をちらりと見た。
だが、ロックオンした敵機は……不気味な粘度を感じる動きでぬるりと避けた。
流石に意表を突かれたエディンは、舌打ちに表情を歪ませる。
敵の弾道計算は完璧だ。
そして、人間業を超えた動きで肉薄してくる。
再び空戦形態へと変形、同時にフルブーストで空気の輪を吐き出す"カリバーン"。
背後を振り向きつつ、エリシュはヒステリックな声をあげた。
「ちょっとエディン! 追いつかれちゃうわ。機体スペックだけならこっちの方が強いのに! どうなってんのこれ!」
「腕の差、というか……僕たちが人間である限り、機械に勝てないことがあるのさ。でも……その逆もしかりだ」
バレルロールで逃げ惑う"カリバーン"の翼端が、空気との摩擦熱で雲を引く。
全身が翼でできたような三角形の"ケルビム"は、苦もなくエディンの操縦をトレースしてきた。しかも、より速い速度で迫ってくる。
既に先程、変形しての射撃を見せてしまった。
不意打ちのつもりだったが、敵はAI……見てから避けるという芸当で難なく乗り切ってみせたのだ。今後、二つの形態を織り交ぜて攻撃しても、向こうが取得したデータを増やすだけである。
だが……エディンは回線の向こうへと叫んで、愛機を危険な領域に放り込んだ。
「フリメラルダ女男爵、僕は……ウルスラ王国を守るためには、人が血と汗を流すべきだと考えています。勿論、それがないにこしたことはないし、必要最小限に留めるのは大前提ですが」
落ち着いた声音とは裏腹に、エディンは必死の形相でGに抗う。急旋回と同時に急上昇、そして……急減速。変形した全身をエアブレーキにして、通常の戦闘機ではありえぬ制動に奥歯を噛んだ。
戦闘機動中での変形は危険だと、六華には釘を差されていた。
だが、不可能ではないと日々の訓練が教えてくれる。
機動戦闘機は、二つの形態が相互に片方を補完する形で強さを発揮するのだ。
「無人兵器で守られる者たちは、痛みを知ることができない。守られていることすら意識しないかもしれません。それは僕の理想とも、オーレリア姫殿下の願いとも違う……国を守るのは、あくまで民! その先頭に立つのが王家なら、それを含めて国を守るのが僕たちの務めでしょう」
失速した"カリバーン"を、"ケルビム"はロストした。
突然、予測範囲内の戦域から"カリバーン"が消えたように見えた筈だ。その時にはもう、ブーメランのような"ケルビム"の背に巨人が降り立っていた。踏みしめた翼へとライフルを向け、エディンは迷わずペイント弾をぶちまける。
現行の戦闘機はほぼ全て、三次元ベクターノズルによる高い運動性を誇る。
だが、手足を伸ばして任意の方向へ推力を得る機動戦闘機の方が、小回りでは圧倒的に上だ。
決着と同時にエディンは、珍しく安堵の溜息を零す。
それは、エリシュが悲鳴に近い声を叫んだのと同時だった。
「敵機直上! 太陽の中に……なにかいるわ! エディン!」
猛禽の名を使い果たした世界は今、戦闘機に天使の名前をつけ始めた。そして、エディンの頭上に激しい闘志の高ぶりが降ってくる。
それは、|主の力を振るう天使に乗った、生身の人間の闘争心だった。




