第10話「プリンセスの戦場」
リシュリーは久々に王宮を訪れていた。外からは観光客達の声が聴こえ、平和な午後の時間がゆっくりと流れている。華の王宮と歌われた古城は、誰もが訪れる観光地の一つだった。
だが、内宮へと進めば空気は厳かに引き締まる。
政治の中枢である王宮の最奥では、誰もが忙しく働いていた。
そして、皆が揃ってリシュリーを振り返る。
「ん……やっぱ目立つか? 着替えてくるんだったな」
リシュリーは今、タンクトップに上下一繋ぎのパイロットスーツだ。上を全部脱いで、袖を腰元で縛っている。歩くたびに豊かな胸の実りが零れそうなほどで、ポニーテールに縛った赤髪と一緒に揺れていた。
内宮のメイドや役人達は、そんなリシュリーを見て眉を潜める。
だが、彼女は気にした様子もなく大股で一番奥の部屋へと歩いた。
ようやく見えてきたドアを、半ば押し破るようにノックもせず開く。
「よう、オーレリア! ……ありゃ? 寝てる、のか?」
執務室に飛び込んだリシュリーが見たのは、大きな机に突っ伏して眠るこの国の姫君だ。いつかは正式に戴冠式を経て、女王となる人である。だが、オーレリアは静かに寝息を立てて眠っていた。
彼女の執務机には、無数の書類が散らばっていた。
全て、為政者として目を通さねばならぬ書面ばかりである。
どうやらオーレリアは、仕事中に居眠りをしてしまったらしい。
だが、リシュリーは肩を竦めて笑うと周囲を片付け始める。ムニャムニャと小さく寝言を呟きながら、オーレリアはプラチナのブロンドを僅かに揺らす。リシュリーにとってその姿は、十年以上前から変わらぬ親友そのものだった。
散らかった書類を項目ごとに分けて整頓する最中も、オーレリアは夢にまどろむ。
「……ん、そなたは……助かります。私の友達が、リシュが……はっ? あ、ああ、私は……眠っていましたか? いけない、どうしましょう」
目が覚めたのか、オーレリアは身を起こして周囲を見渡した。ぼんやりと瞬きを繰り返す瞳は、リシュリーを見て大きく見開かれる。
「よう! おはよう、オーレリア」
「リシュ! リー、さん。どうしてここに?」
「昔みたいにリシュでいいぜ? ちょっと野暮用でな。……疲れてるんじゃねえか? オーレリア。目の下、少しクマになってんぞ」
「大事ありません。亡き父上のご多忙に比べれば、これくらい。それに、シヴァンツも支えてくれます」
「あのいけすかねえ宰相か……ま、そりゃいいんだ。それより、なんの夢を見てたんだ? オレの名を呼んでたけどよ」
オーレリアは少し髪型を気にしてから、椅子に背筋を伸ばして座り直した。たちまち眠れる森の美女は美貌の王女へと変身する。再びペンを手に取った彼女は、机に腰掛け脚を組むリシュリーにも気にした様子がない。
「昔の夢です、リシュ。覚えていますか? 霧に煙るあの秋のことを。もう十年以上も前の昔話になりますね」
「忘れるかよ! あの時はもう駄目かと思ったぜ。小さな手漕ぎボートで出た、寒い湖での話だろ。……懐かしいぜ、随分昔のことに思える」
「私もリシュも、無邪気な女の子でいられた貴重な時代の思い出です」
あれは忘れもしない、十年以上も前の話だ。
リシュリーとオーレリアは、普段遊んでる王宮の庭を飛び出した。そして、千湖の国と呼ばれるウルスラ王国を確かめるべく冒険を始めたのだ。大人達に気付かれずに、無数のクレーターからなる翠海へと二人はボートで漕ぎ出した。
だが、濃密な霧に囲まれ桟橋に戻れなくなり、さらにボートには穴が空いていたのだ。
なんとか無事に戻れたからいいものの、あの時は物凄く怒られたのを覚えている。
「……なあ、オーレリア。あの日、なんでオレ達は助かったんだ?」
「それが、私もよく覚えていないのです。ですが、時々夢に見ます。私達は誰かに……そう、なにかに助けられたような気がしました」
「ボートの穴、塞がってたんだってな」
「ええ。じいや達の話では、元から穴などなかったかのようだと。浸水した痕跡だけを残して、船底の穴が消えたのです」
奇っ怪な事件だったが、それも今ではいい思い出だ。
そのことを思い出すついでに、リシュリーは壁の柱時計を見て手を叩く。
わざわざオーレリアの場所を訪れたのは、なにも思い出話のためではない。
「そうだ、オーレリア! テレビつけるぜ? 今日、世界各国の報道陣が来てんだよ」
「まあ、今日でしたか。……おかしいですね、私には連絡がきていないようですが」
不安げに手帳を開き、スケジュールを確認するオーレリア。
彼女の美しい笑みが陰るのを横目に、リシュリーはテレビをつける。
すぐに巨大な機動戦闘機が映った。そして、レポーター達がマイクを向ける先へ、パイロットが降りてきてヘルメットを取る。
フラッシュを浴びているのは、エディンだった。
「エディンの奴な、オレに"カリバーン"の三号機を任せた癖によ……機兵形態の時だけ操縦しろだってさ! 飛んでる時はずっと、オレぁ後部座席で計器とにらめっこよ」
「あら、では御一緒の方は――」
「アメリカから来た、スェインとかってあんちゃんだ」
「アメリカ海軍のスェイン・バルガ少佐ですね。今は正式に除隊なさいましたが、ウルスラ王国にご助力いただけると聞いています。どう感謝の言葉を述べていいか」
リシュリーの三号機は、特殊な仕様で小改修を受けた。
空戦形態ではスェイン、機兵形態ではリシュリーがコントロールを受け持つのだ。変形を駆使して戦うには、いちいちメインパイロットが入れ替わるのは効率が悪いように見える。だが、それを差し引いてもリシュリーの操縦は酷いと誰もが言う。
リシュリー自身、何度も墜落ギリギリの無様を見せているので、反論もできない。
だが、機兵形態でのド突き合いには自信がある。
得物はなんでもいいから、ようは攻撃を避けつつブン殴ればいいのだ。それがリシュリーにできてしまえることを、皆は理不尽の溜息を交えて褒めてくれた。
「ま、でも……これでウルスラ王国王立海軍が始まる。うちのオヤジも、若いのを集めて陸戦隊を育成し始めた! オーレリア、オレ達に任せろ。オレが、お前と国を守るっ!」
「ありがとう、リシュ……感謝を」
だが、その時だった。
テレビの中でインタビューを受けていたエディンが、さらりと突飛なことを言い放った。あまりにも普通に、平然と言ってのけたのだ。
その言葉を聴いて、リシュリーは戦慄に固まった。
目の前ではオーレリアが「まあ」と呑気に目を丸くしている。
『でっ、ではエディン少尉! 先程言ったことは……あの』
『もう一度はっきりと明言しましょう。機密につき、詳しくはお話できませんが……王立海軍が誇る機動戦闘機、MCF-1X"カリバーン"は最強にして無敵、究極の戦術兵器なのです』
『……ええと、つまり』
『海のない国で我々は王立海軍を名乗っていますが、これは純粋にウルスラ王国の国土、及び民の生命と財産を守るだけの国防戦力です。海軍であり、空軍と陸軍をも兼ねた万能部隊……そして、"カリバーン"にはそのために必要な全てが備わっています。仮に量産体制が本格的に整えば、どれだけの大軍に攻められても有利に防衛戦争を展開させることが可能でしょう』
中継はそこで、走ってきたエリシュと六華によって遮られた。二人はあっという間にエディンを両側から拘束し、連れて行ってしまう。
その後ろを、大勢の報道陣が真実を求めて走り出した。
スタジオへと映像が戻ってからも、その混乱の声だけは終わらない。
「あんのバカ……最強? 無敵だあ? なにフカしてんだゴルァ! ……って、オーレリア?」
ふと、呆れて怒り出したリシュリーが振り返る。
窓からの午後の日差しを浴びながら、オーレリアは笑っていた。口元を手で覆って隠そうとするが、込み上げる笑いに肩を震わせている。
「っ、ふふっ、はーっ! おかしい! エディン・ハライソは面白い人ですね。ああいうのは確か、ハッタリと言うのでしょう? ね、リシュ」
「あ、ああ……そりゃ、機動戦闘機はどえれぇ兵器だ。でも、結局は戦争は数だ。ウルスラ王国みたいな小さい国がよ」
「でも、やるのでしょう? リシュもやってくれる、そう信じてます」
「オーレリア、それは任せろって! ……ん?」
その時、知らぬ間に気配が近くで手を叩く。
白々しい拍手は、宰相のしヴァンツだ。相変わらず、神経質そうな細面に薄い笑みを浮かべている。
リシュリーは昔から、この男が苦手だ。
なにを考えているかがわからないのだ。
だが、なにかを考えていることだけは感じる。
そしてそれは、とてもこの国と民のため、オーレリアのためにはならぬと直感で知っている。何度もオーレリアにも、油断をするなと釘を刺してきた。
「王立海軍、見事な船出ですな。あの少年……なかなかに聡い」
「そうなのですが? シヴァンツ」
「はい、姫殿下……誇張して広く喧伝することで、実際の戦力の少なさもある程度は誤魔化せましょう。それに、なにせあれは変形する玩具のような……失礼、奇抜な兵器です。これで列強各国は、より一層機動戦闘機の本質を見抜き難くなるかと」
それだけ言うと、シヴァンツは恭しく頭を垂れる。
わざとらしく慇懃に礼をして、オーレリアを出発へと促した。
「外にお車を……午後の予定は翠海の港湾施設の視察、そしてノルウェー外相との会談。夜には宮中晩餐会にて各国の大使と同席して頂きます。お車の中でも書類の決済をお持ちしますのでご安心を」
「もうそんな時間か、シヴァンツ。では、行こう。皆を待たせては申し訳ありません」
「御意」
リシュリーの胸を不安が過る。
明らかにオーレリアは働き過ぎだ。
よく見れば表情こそ溌剌としているが、幾分以前より痩せたように……やつれたように見える。
この国にゆっくりと、戦争が忍び寄っている……それを知る者は今、少ない。そして、知るからこそ責任を背負った者達の中で、オーレリアが一番の重荷に耐えているのだ。
声をかけようとしたリシュリーだったが、笑顔で挨拶を投げかけられる。
励ます言葉を選ぶ間もなく、オーレリアは連行されるようにシヴァンツと行ってしまった。その華奢な背中を視線で支えながら、リシュリーは激務の中での無事を祈るしかできなかった。




