103.『他者のための人の道』
脚が重い。手が痛い。胸の中がどうしようもなく苦しい。
これが人。継続を捨てた人の、努力を始める前の素の器。
冒険者は年齢が幾つであっても、起きてしまったことに対して責任をとらなければいけない。
しかし、どこまでも自由であるのも間違いない。
そんな自己責任の世界にも例外は存在する——それが校外活動の時間だ。
毎週一度、学校が主導する形で迷宮内での対魔物戦闘が行われる。
学校主導でも学生主導でも日程内容にそれほど違いは無いが、唯一にして最大の違いがある。
それこそが護衛の有無だった。
学生主導であっても護衛を付けることは可能だがそれなりに高額なペクニアという対価を求められる他、そもそも約束の取り付けが難しい。
しかしここは学校。学校が主体であるならば一定の安全性を提供し、その費用は当然学校——その裏にある管理者側が担うことになっている。
故にその日は迷宮に挑戦する学生が多く、今日も例に漏れずに迷宮内は1週間ぶりの盛況を記録していた。
この護衛制度は完全な強制では無く、ある程度の実力が認められればチームの総意として護衛を外す選択肢が与えられる。
実力さえあれば探索中は大人の目はない方が何かと気が楽なため、護衛を付けないチームは少数ではあるが一定数存在していた。
佐賀隊もこれまで長い間護衛を外し続けていたが、今回は数ヶ月ぶりに護衛が後ろを歩いている。
理由は単純で、新人が調子を落としているとリーダーが判断したからだった。
護衛は基本2人1組。協会職員か、協会から声をかけられた一般の冒険者がこの任務に就く。
ほとんどの場合で複数人である護衛対象も、今回はひとり。
低い頭身。小さな背中。細い腕。
血と殺戮に塗れたその世界を覗くには早すぎる様相だ。
しかし少女は楽しげに踊るように歩く。
まだ何も知らないためか、あるいは先の何かに期待して。
黒いドレスの裾を揺らしながら笑顔を咲かせていた。
その手に、似合わない鈍色の短剣を構えて。
賢く生きる上で肝心なのは知恵を求めて受け入れること。
人の身で生きるなら、ますます大切な心得だろう。
絢が陽翔に教えてもらったこと、それは『まずは戦う前に状況を把握することを心がけよう』という内容だった。
地形を把握して、逃走経路の確保と敵潜伏位置の想定をする。
音や匂いの情報も切り捨てず、違和感を見逃さないように心がける。
自分たちの身体状況や水分残量などのリソースにも意識を向け、ようやく接敵を迎える。
目視できる敵の数を把握して、装備は武器種に留まらず質まで確認。
死角に副武器を隠し持っている可能性を忘れずに、最低限安定して維持できる分は各所を《強化》。
そうして初めて一合を迎える。
あまりにも冗長——そう感じてしまうのはわたしが恐ろしさを経験していないからだろう。
これまでは奇襲すら脅威と思えなかった。でも、人の体には致命傷なのだ。
教えてもらったことを脳内で復唱しつつ、帰りが辛いという階段を下る。
肉体への強化によって幾分か負荷は軽減されるが、あまりにも慣れてない為に重たさは積み重なってくばかり。
もちろん、始めから人間性最大の肉体で連れ立ってもらうのは申し訳ないため、物質的には下げきり状態。
そんな中でも最大限に上げている感覚が本来感じないはずの苦痛を呼んでいた。
名越ダンジョンにはコボルトと呼ばれる魔物が蔓延っている。
それらは比較的小柄で皮も分厚くないため倒しやすいが、俊敏さと静音性には注意が必要だ。
あくまでも『下級中位の迷宮においては』であるが、注意散漫で疲労感のたまる絢がこれまで以上に警戒をしなければいけないのは必然。
そこまで意識を心掛けても現実に追いつかないのが人の体だった。
久しぶりの小楯を左手に、受けて流しては右手で削る。
剣に沿わせて指を落とせば、まともに剣は握れない。
リーチの短さを受けと技でカバーして胴を一閃。
魔物は魔石を残して消え失せる。
ようやく慣れてきた絢には『遅いぞー!』というおちょくるような壮真の声に反応する余裕もありはしない。
それも当然、《変態》を隠すことをやめた絢は減るばかりの魔力に若干の危機感を抱いていた。
戦闘回数が増せば、自ずと絢の負傷も増えていく。
ただでさえ魔力が多いとは言えない《人形》の体を治し、ドレスの損傷も直す。
そうしていると、だんだん魔力が減っていく。
魔石の魔力を自分のものに変換する応急処置はしているが、正直この方法は本当に最終手段と言われる効率の悪いものだった。
他者の魔力が混ざるのにも不快感は生まれるが、阻害は意思の疎通によってかなり低減される。
しかし、魔石は話が違う。
阻害感は放置期間によって失われるため、出来立ては最も難しい。
それに加えて慣れない魔力の使い方をしているせいか、これまでの当然が遠いものに感じられる。
いつだかに蓮が言っていた“変換効率の悪さ”を絢は体感することになっていた。
歩きながら考える。
自分の体は特別製で治す力も持っている。ではどうして人に寄せるのか。
それは人を癒すため。
ではどうして? それはただのエゴなのか?
——否。死によって潰える理想的な未来を繋ぐため。
そのために痛みを知り、人体構造を学び、今こうして感覚を寄せている。
ポーションで癒せない傷を。物資が尽きた戦場で。失われかけた未来の為に。
わたしがこの目標を達成した時、ご主人様はきっと生きやすくなる。
『目標を設定すること』。
『その目標の為にどのような努力を行うか』。
『期限を迎え、結果から評価と改善案を』。
自分からチャンスを掴みに行こうと決めた絢に教えられたことは基本的なものだった。
しかしそれは、がむしゃらに戦うことを好んできた絢の価値観に大きく影響を与える。
認識、疑問、整理、思考、仮説、推論、選択、立案、設計、準備、検証、評価、修正、結論。その結論を応用して再思考。
自分の位置を確かめ、自らすることと他者が用意してくれることを分別。そして実行。
使われるだけに満足できなくなってしまったのだから。しっかり考えて動かないといけない。
そして、より良い結果を示すのだ。もっと頼ってくれと、胸を張って伝える為に。
その年頃の一般的な女の子は、自分の感情に忠実で周りに伝えたがりたい傾向にあると私は思う。
数日前、結衣ちゃんに跪いたあの日からは表情をよく変えて、喋ることも好きそうなその子も例に漏れずその傾向であるように思えた。
けれど、今日に限って不気味なほどに静か。なのに疲れているはずの足を懸命に進めるその顔は笑って見える。
初めて同行した時と比べれば戦闘に関すること全てが劣って見えてしまうが、精神の安定という一点に限れば不思議なほどに充実しているように感じられた。
一昨日、その子は背を高くして現れた。
それまでよりも血色が良くなって安心したけど、『目を離せば見失ってしまう』と思える薄さは変わらず残っていた。
けれどもたくさん笑って、たくさん転んで、たくさん走って。
そうして、次の日には転ばなくなっていた。
昨日、その子は木に緩衝材を巻いた練習用の短剣を使って戦闘訓練をしていた。
陽翔くんや、諒教官に戦いを挑んで、何もできずに負けていた。
苦しそうに顔を歪ませ、地面に倒れて大きく胸を上下させる姿に、以前見せられた戦い慣れた姿が夢だったのかもと記憶を怪しんだ。
勝とうとして無理をしたのか、その子の足が膨張して破裂した時は血の気が引いた。
授業で習って知識としては知っていたけど、魔力の暴走を私はそのとき初めて見た。
相手をしていたいつも落ち着いてる悠人くんが取り乱すのを傍目に、その子は数分かけて足を復元していた。
見た目は元通りだけど、私にはますますその子が遠くにいってしまったように感じられた。
変わったのが身長だけではないのは明白だった。
具体的には言えないが、何かが変わったのは確かだった。
だから私は戦いに行こうとするその子を止めた。
それでもその子はそのままの自分で戦いたいと言った。
華凛ちゃんに辛辣な言葉をぶつけられても、その意思は揺るがなかった。
陽翔くんも、同行を拒否しなかった。その時点で、私が首を横に振る権利はなくなった。
その子について深くは触れない方が良いのだと、結衣ちゃんや真尋ちゃんを見て理解した。
けれど私は知ってるの。古枝の子供は2人だと。
だから分からない。
家族に馴染んだあなたが。気遣われて笑うあなたが何者であるのかが。
思いを文字に変え、祐嘉はメモ帳を閉じた。
そして思考を追いやるように、棚の奥へとしまい込む。
今回ちょっと短めです。
絢。魔力の消耗がマッハ。
祐嘉に情報を追加。
◇予告
終わりの時は唐突に、日常を縫ってやってくる。らしくない人の助言、介した伝言。その理由はまだ遠く。
次回——眠りが遮る異様な空気。




