102.『人間性最大化実験』
何を言おうか迷ったが、やはり最初はこれだろう。
「真尋さん、おはようございます。昨日はご迷惑をお掛けしました」
挨拶と謝罪。あと感謝を口にすれば悪い関係にはならないはずだ。
そんな絢の処世術に対して、真尋は隠すことなく呆れ顔を向けた。
「お前、布団で寝ろよ。どうせ夜更かししたんだろ? ほどほどにしろよな」
「夜更かしと言えば今日はほとんど寝てないんです。それよりどうですか? この体は」
そこまで言うと、絢は背伸びをして真尋の耳に小声で伝える。
「昨日の約束、覚えてますよね? わたしかなり頑張って人間性を上げてみたのですがどうでしょうか?」
背伸びしても足りない分を屈んで耳を傾けた真尋は、一歩離れて絢の上から下までを観察する。
頭には柔らかいクリーム色でふわもこ素材の耳まで覆うポンポン付きハット。首には淡いピンクの帽子とよく似た素材のふわもこマフラーが巻かれている。
校舎内は冷えるので、それら防寒着を増やしたのはいいだろう。しかしケープマントは背丈が伸びた分短く見える。
「服ってどうなってんだ?」
だからこそ昨日と見た目も材質も変わらない、なのに等身にそのまま対応するメイド服に疑問を呈した。
「そっちはそういう服だからいいんです! それよりどうですか?」
「そうだな。少しデカくなった。でもまだまだ足りないな。食って育て、以上」
『言うことはそれだけか!?』と、周囲が心の中で突っ込む中、やってきたもう一人の女子生徒に期待が向けられる。
「おはよ〜、みんな月曜日から元気だね! ってじゅ〜ん! おっきくなったね〜?」
そうして近づいた結衣は絢の両肩に手を乗せ、少ししゃがんで目線の高さを合わせて一言。
「うむ、まだまだ私の方が上だね!」
『他に言うことあるだろ!』という多くの心の声は結衣に届かず、その二人がしなかったためにツッコミ不在で朝練が始まる。
「おはようございます! 遅くなりました! よかった、まだみんな……いる?」
ことは無かった。時間ギリギリにやって来た洵が、絢を視界に捉えて首を傾げる。
それに絢はすかさず口を開いた。
「あ、お兄ちゃんおはよ。昨日の夜に思い出したことがあるから後でちょっと話しよ」
「え、うん。いいけどそうじゃなくて……もしかして他に誰も聞いてない? え、これ聞いちゃだめなことなの?」
洵が視線を向けた人も同じく首を傾げて洵を見つめる。
絢の推察通り、学内上位者に近づいた結果がこれだった。
「あ、分かる? 成長したんだよね! その代わり弱くなったからよろしくね!」
「ちょっと待って、意味がわからないよ!」
絢の突然の成長に、それを聞いてはいけない雰囲気に、それを自分から口にした絢に、洵は混乱する。
「全部あとで、ちゃんと校長先生に許可は取ったから一時間目はわたしにちょうだい?」
「わ、分かった。後でね」
用意周到な絢に目を白黒させて、いつもの時間が始まった。
朝練時間中。何をしている訳でもないのに歩けば転び、見ていれば唐突に手足を伸ばしたり手鏡で自分の顔を覗く絢。
弱くなったとか以前に色々とおかしくて心配でホームルームの話すら耳に入らなくなってきた頃、ようやくいつもは訪れないで欲しい授業の時間がやって来た。
最近はお世話になっていない相談室へ招かれるままに入り、指示されるままに椅子に座る。
気づけば白い手袋がお茶を置き、それを絢が淹れてくれたものだと理解した時には既に場が整っていた。
「まずわたしから。いきなりこんな風にして驚かせちゃってごめんね? 先に何か言いたいこととかある? あれば聞くけど……」
その一言で現実に戻された洵は、さっきは状況が飲み込めずに言えなかったことを口にする。
「声、ちょっと変わったね。あ、変って訳じゃないよ? いいと思う、けど違和感が」
思ったことをそのまま口にしただけの言葉に、絢から残念そうな顔を向けられた。
「……最初に言うのがそれ? 今は他に人いないしなんでも聞いていいからね?」
「そう言うなら」と洵も最初に驚いたことを聞く。
「その身長どうしたの? だってさすがに一日じゃ伸びない身長だよ? まずはそれを教えて欲しいかも」
「言わなくてもいいけど」と後に加える洵に、絢の表情が明るくなる。
「身長ね。やっぱり普通はそこだよね。これはえとね、洵の真似。最近人間性を上げたらなぜか泣き虫でさ、体を成長させれば大人になれるかな?って思ってやってみたんだけど……どうかな? ちゃんと洵の身長と一緒だよ?」
真似。人間性。成長させる。そんな出てくる単語に思考が止まる。
僕の妹は一体どこに進んでいるんだろう?
「えっとさ、うん。全然分からないから絢が言いたいことからでいいよ」
洵が諦めて絢に話を促すと、途端に絢は申し訳なさそうな顔を洵に向ける。
「怒ってもいいんだけどさ、わたし進化の時に洵に色々したでしょ? あれって分かってた?」
「なんとなくパワーを感じたってことしか分かってないけど……悪いことじゃない……はずだよね?」
洵にはどこまで話したか。既に忘れてしまっていることを理由に洵の理解を確かめた絢は、小さく数度頷いた。
「うん、それ自体は悪いことじゃないんだけどね?」
でもなんと言おうか。
人を殺したら二種類の力が得られて、それが魂を構成する力と多分フェフなんて言えないし……。
もちろん人間や半人として得た分の方が圧倒的に多いけど、それはあくまで人の枠内で得た力。なんて伝えようか。
「あの時わたしは驚くほど自然に自分で選択してたの。……わたしがわたしである為に、人としての力と魂は全部洵に返したんだ」
何を言っていて言われているのか理解が及んでいない様子の洵に続けて伝える。
「多分一次進化したらフェフっていうのが分かると思うんだけど、多分それが尋常じゃないくらい洵に入ってる。それも、わたしが悪いことをして得た分までが全部」
形としての力になっていなくても、多すぎれば魂に負荷がかかるはず。だから、
「今、洵が普通に生きてるってことは悪い影響はないと思う。なんだけど、もしかしたらこれからどこかで悪影響があるかもしれない。だから定期的に洵の魂を見せて欲しいの」
自分の内側を覗かれるのは嫌なこと。必要だって、勝手にしちゃいけない。
「本当はこれまでも結構手を出してて、なるべく傷が残らないようにわたしと魂を分けた傷が消えるようにってしてたんだけどやっぱり無許可は悪いよなって思って。
だからこれからも洵の魂に触れさせて欲しい。……悪いことはしないよ? ちょっと恥ずかしいかもだけど」
言葉を選びながら。言える範囲で正直に。
そう伝えていると、洵は最後の単語に大きく反応する。
「え、恥ずかしいって例えば?」
「例えば……記憶が見えちゃったりすることも稀に……少し……それなりに? ……うん、かなり分かっちゃう」
「なにそのちょっとずつ程度が大きくなってくの!? すっごい怖いんだけど!」
首をブルブルと震わせる洵がおかしくて、順に意地悪な気持ちが芽生えてくる。
「……子供はどうやってできるの? とか」
「…………あっあっあーー!」
沈黙から、思い至ったのか奇声が発される。
それもそのはず、魂を分ける以前の7年ほどは学業も絢が受けていた。よって人間の生殖機能に関する知識を洵は絢が進化時に復元するまで持っておらず、それ以前に受けた授業で疑問を直接質問してしまい教室がざわめいたという、事実を知ってからでは顔を覆いたくなる出来事を体験していた。
「そうだよね。あとは……洵はわたしが体の主導権を持ってた時よりも大人になったんだなー……とか?」
人間成長すれば、秘め事は誰でも行いますでしょう。分かっておりますとも。
言葉の意味に気づいたのか、慌てふためく洵がやっぱり面白くて思わず口角が上がってしまう。
「ふ、不公平だ! 僕だけ知られるなんて!」
「え、じゃあわたしも女の真似ごとしてみる? 今なら人間性も上げてるし多分洵が見たいものも見せてあげれると思うよ?」
「——ち、違う! 僕は別にそう言うのが見たい……訳でもないけどさぁ!」
そこは正直なんだ。まぁ隠せないしね。
「じゃあ小さい方のが良かった? 多分今の方が洵の好みだけど?」
「だからそういう話しやめてよ! 僕だってフェフが大事なものってことぐらい分かってるし、魂とか僕には分からないけどありがたいことをしてくれてるってことは分かるの! おちょくらないでよ!」
そこまで言うと、洵は『ずいっ』と顔を近づける。
「そうだ、前に陽翔が言ってた。責められたくない人ほど相手を攻撃するって! 絢も何か隠してるでしょ!」
陽翔さんめ、余計なことを。
「いや〜、つい洵が面白くって。揶揄い甲斐があるなーって思っただけだよ?」
「ならそのくらいにしといてよ! もう面白がるの終わり!
それより背とか自由なの? なんで身長変えたの? そっちの方を教えてよ!」
確かにそれは気になるか。
「背は自由じゃないよ。わたしの《人形》って種族技能は真似をする対象が必要。その対象が洵だったってだけ。
《変態》の方を合わせることである程度自由が効くんだけどね。でも人間性を上げるには下手に手を加えない方がすっごい楽。
で、身長を変えた理由は最近自分が泣き虫になったなって思ったから。大きくなれば泣かなくなるかな?って思ってやってみた。
人間性を上げてる理由はなにか新しい発見があるかも?っていうのと、今日は戦わなくて良い日だから気にせずに上げきれるっていうのが理由」
「納得した?」と続ける絢に洵はやっぱり首を傾げる。
「その人間性ってなに? さっき弱くなるって言ってたけど同じ話し?」
「人間性っていうのはわたしが勝手に呼んでるだけだけど、感情や感覚をどれだけ人間っぽいものに寄せるかっていう条件設定って思ってて。
弱くなるのは、人間性に応じて血流とか臓器まで模倣するから、人間の弱点がそのまま反映されるよって話し。
下げてたら腕切られてもくっつけれたし頭潰されても元通りだったからね。それと比べて人間性をちゃんと上げるには魂を器に広げなきゃいけないから危険性がね……まぁそこまで人と一緒ってこと」
「じゃあ今の絢は絢てきにめっちゃ人間モードってこと? いちいち気を使わないといけないなんて魂の生き物っていうのも大変だね……」
『うんうん』と肯定する絢の表情は明るい。
噛み砕いているのもあるが、洵が理解しようと思考してくれているのに成長が感じられて嬉しかった。
「まぁね。それでも体に縛られてるよりは生存に有利だとは思うけどね」
「いざという時は体を捨てちゃえばいいし……」と続けながら絢はぼんやりと考える。
そもそもの寿命は短くとも、前線に向かう冒険者の消耗率を考えれば魂生はきっと長生きだろう。
寿命が短いのも元は魂を返したから。なら本来の魂生にはどれほどの寿命があるのか?
「まぁ、わたしが言いたかったのはそれだけ。にいにと一緒。悪いことをしたなって思った時にごめんなさいしたくなる。それだけ」
「それ開き直ってるよね? 僕許さないよ?」
「じゃあ」
「——結衣ちゃんにバラすよ」
衣服を脱いで洵で遊ぼうとしたのがばれたのか、声をかぶせられる。
「結衣ちゃんは体を大事にしない人にすっごい怒るから。どういう風かというと『ばか! 怪我した後の苦労も知らずに準備運動を怠っちゃだめだよ!』って」
少し寄せる努力が感じられる声真似だったが、正直恐ろしさを感じない。
「……あんまり怖くなくない?」
「それでもしなかったらね、すっごい冷たい目を向けられてちゃんとするまでいない人として扱われるよ。それが怖いからやる人とやらない人の差がすごいことになるんだよ」
確かに見放されるのは怖い。ここは人も同じなのか。
「じゃあわたしの場合はどうなるの?」
「多分だけど『ばか! 自分の体も大事にできない人が他の誰かなんて守れないんだよ!』って言う。ちょっと違うと思うけど」
「うーん。真理ではある。けどそれは人の基準だから」
言い訳を並べて他愛のない雑談を続けようとする絢だったが、遊ばれる側は面白くないようで『むすっ』と不機嫌な表情に変わってしまう。
「絢はあまり人をからかわない方がいいよ。僕が怒るよ」
「……ならやめとく。お兄ちゃんには嫌われたくないから。ごめんね」
不快の一線は越えてはいけない。その程度の感性は持ち合わせている絢は自分の本音を素直に吐露して謝罪した。
「じゃあさ、もう一個教えて? 今日すっごい転んでるでしょ? それなんで?」
主導権を渡された洵は早々と話題を変える。
その疑問についての回答は至極簡単で、
「だって体の大きさが変わったら感覚の調整が必要なんだもん。ふとした時に前と同じ感覚で動くと転ぶ。それだけの理由でこうなのさ」
そう言って絆創膏だらけの手のひらを向ける。
「しばらく休むしかないね」
血が滲んで見えるそれに洵は少し案じる表情を見せるが、絢は人ではない。魂生なのだ。
「実はもう治ってるんだけどね?」と言って、ペリッと剥がせば傷口は塞がれていた。
人間性を上げても宝珠技能が使えない訳ではない。多少の傷であればわずかな痛みで癒せる。
「《変態》とわたしの相性、いいんだよね」
絢はあまり見せない得意げな笑みを見せ、格好つけながらお茶を注ぎに立ち上がろうとして、ティーカップごと地面に崩れた。
「決まらないね」
「やめてよ言うの! わたしだって恥ずかしいんだよ!?」
洵に真顔を向けられた絢は感情的に抗議するも、小さく笑いを返されるだけだった。
その後は兄妹然とした談笑を重ね、眠気が到来した絢が洵に甘えて寮の自室で寝かしつかせてもらう。
そうしてその日、絢は見事に授業から逃げ切った。
今回息抜き回です。古枝弟妹の仲も良くなっているようでなにより。
作者の名前変えました。今後ともよろしくお願いします!
更新頻度が落ちそうです。休日万歳。
◇予告
選択は望みを叶える為に行われる。小題の先に、絢はどのような大題を——夢を持つのか?
次回——源感情の向ける先。




