101.『強さの理由』
◆ ◆ ◆
まだ薄暗い早朝に、控えめなノックが真尋の部屋の戸を鳴らす。
こんな時間に来るのはソイツしか居ない。その予想通り、返事を返すまもなくレバーが下げられた。
「おはよ、やっぱり眠れなかったんだ」
ベッドの上で上体を起こしたまま毛布の温もりに浸っていた真尋は、すっかり遠慮というものがなくなった結衣に手を振りかえす。
「私が居なくなるんじゃないかって不安だった?」
にこりと笑って布団の足側に腰掛けた結衣は、真尋の思考を見透かしたように言う。
「当たり前だろ。あんな得体の知れないやつどうして近くに居させられんだよ」
「敵じゃないからね、だから攻撃しちゃだめだよ。あの子は結構期待されちゃってる。手を出したらきっと取り返しがつかないと思っちゃうくらい」
期待を向けている人。それはきっとアイツだろう。
——詮索不可。その異名を持つ占い師は情報通の間で密かに囁かれる。いわく試練をもたらす。いわく力を与える、と。
そんな彼女の言葉に従えば命を落とさずに済み、かけがえのない何かを得られることがある。
であるのだが、あまりに高い予言の的中率に未来人と噂されることもあるその人は、後ろ暗い噂にも絶えない人物だった。
処刑人の通称を持つ、返り血付きの黒装束。闇夜に紛れて人を殺める集団と関係があると言われているのだ。
適度な距離さえ保っていれば彼女がもたらすのは多大な利益。しかし、一歩情報を探ってみればどこかで消される。そんな畏怖と尊敬が入り混じり、ついた異名がそれだった。
古枝絢。彼女は学友であり結衣が目をかけている小柄な男子生徒——古枝洵の妹であると自らを名乗った。
洵とその兄である諒教官とも、以前からそれなりに良い関係性が見受けられたから特に疑いはしない。
ただ、絢と諒が所属するクラン——パイオニア。それと“詮索不可”との密接な関係がいただけない。
さらに絢は“詮索不可”が立ち上げた事業である占い屋の指示によって学校に、そして結衣の元へ来たと明け透けな様子で宣言した。
結衣が“詮索不可”と協力関係に近いことは真尋とて知っている。だが、わざわざ人が送られてくる。それに結衣が酷く動揺した。
それは結衣と友好が深く、彼女を自分なりに守ろうとしてきた真尋には看過できない事態だった。
「だから、やっちゃだめだよ。そしたら私、絶対に真尋のこと許さないから」
なのに、結衣はそう言った。
真尋としては結衣が言うことは叶えてやりたい。でも、力のある人となりを知らない奴に無防備で接するほど愚かでもいられない。
絢の不安定な様子が演技であるのかを確かめ、必要であれば殺意を形にすることを心に決めて、あたしは結衣の真剣な視線から逃れるように目を逸らす。
◇ ◇ ◇
未来視の導きに頼らず生きる。最低限、自分から求めることを止めようという決意を胸に、学校へと戻る絢を出迎えたのは真尋の歌声だった。
歌詞に釣られて空を見ても、そこにあるのはどこまでも続く闇夜。日の出る間も雲ばかり。本当に雲の上に空はあるのか? そんな疑問をよそに挨拶をする。
「遅くなりました」
「ホント遅すぎだろ。風邪ひくって」
低い校舎の屋根に腰掛けていた真尋は大人びた茶色のコートをたなびかせ、ひょいと地面に降り立った。
「それで? そんな神妙な顔してどうしたんだよ」
コート越しに腕をさする真尋は、絢の予想とは違って怒りを含んでいなかった。ただ、少しの恐れを持っているように思える。
絢にはその理由は分からないが、真尋と同じように絢もこれからの自分の行動に少なからず恐れを抱いていた。
それを打ち消すように、自分の行動に理由をつけるために絢は言う。
「私は与えられたものに満足していました。わたしはそれで満足できないほど、欲張りでした。
真尋さんはわたしに多くを教えてくださいました。なので、わたしもお返しをしようと思います」
「なんか解決したのかよ」
「いいえ。何も」
絢の即答に真尋は眉を顰める。
「でもいいんです。わたしはわたしの判断で決断します。これからはわたしの思いの為に。その決心をしてきました」
絢が一歩前に出ると、真尋は警戒するように腰を落とした。
本能的な恐怖を感じる中、絢は自分と相手を落ち着かせるためにゆっくりと言葉を発する。
「敵意はありません。ただ、約束を守るだけです。
わたしのスキルについて少しお話ししましょう。ここは寒いので、ぜひ中で」
そうして絢は夕方に連れられた部屋——禁室へと真尋を誘った。
まるで自分のテリトリーであるかのように自然体の絢と、緊張した面持ちの真尋。最初に二人でこの部屋に入った時とはまるで逆の様子がそこにある。
冷えた空気を和ませるために、最初に口を開くのも絢だった。
「この部屋は良いですね。暖かくて風も入らない。こんなぬるま湯に居続けたいものです」
「何が言いたいのかさっぱり分からねぇよ」
「わたしも分かりません。きっと何気ない会話で自分を落ち着かせたいのだと思います。他意はないのですが……こんな話し方されたら怖いですよね」
いつでも立ち上がれるように浅く腰掛ける真尋に、絢は相手の状況を自分に置き換えて、その様子に納得する。
その恐怖をいち早く無くすには状況の説明が必要だ。そう思った絢は早速本題に入る。
「わたしなりに観察したところ、真尋さんはこの環境の序列で上位におられると見ました。
そんな打算もあって、真尋さんには色々とお伝えしようと思いました。少なくとも、わたしの精神衛生上その方が楽だと思いましたので」
先に目を逸らせば負けを認めるようなもの。そんな意識が感じられるほどに激しい視線を向ける真尋は、ゆっくりと頷く。
「それでスキルを伝えようって?」
「いえ、そちらは魔法の代わりに初めからお伝えする予定でした。なので今からお伝えすることは全くの別件。わたしの独断で」
「——余計なことは言うなよ? あたしはまだ死にたくないんだ」
語尾に被せるように言う真尋。必死さすら感じたその姿に絢は思わず笑みを堪える。
「真尋さんこそ、どんな殺伐とした世界観をお持ちなのですか?」
意趣返しのようにそのまま言葉を返すも、思い当たる節があるので言葉を加えることにした。
「と、言いたいところですがわたしも少なからず心当たりがあるので恐ろしさは否定しません。
わたしが特別にお伝えするのは種族についてです。人から外れた、わたしの」
真尋は立ち上がり、隣にある茶器の台に向かいながら言う。
「その対価としてあたしに何を望む?」
「身構えないで下さい。わたしが望むのは人として自然体を保つ術。真尋さんには人ではおかしい点をわたしに教えていただきたいです。
と、言うわけで。わたしの種族は“魂生”。肉体という器に存在を縛られず、魂のみで自己を確立できる理解力を得た存在。そうわたしは自分を解釈します。
わたしの体は《人形》という種族技能で形にした模倣品。人間性を上げない限り痛みを知らない——偽物です」
思っていたよりも普通な要求であったからか、あるいは自分に害のある情報ではないと判断したからか、ここで真尋は初めて絢から視線を外す。
「そのくらい言われなくてもやってやるよ。
でも分からなぇな。人の体なんて不便なもんだろ? どうしてわざわざそれに固執する?」
確かに、人の姿は不便だ。人の思う普通に合わせなければ警戒の目を向けられる。それでも、
「……人の見る世界に憧れてしまった。自分の生きる意味を人という原型に求めてしまった。元は多分そうでした。
今は人の痛みを背負うに足る自分になる為、だと思っています」
思い出しながら上手くいかない現状に視線を落とす絢に、真尋は片眉を上げる。
「お前も考えながら生きてんだな。もっとロボットみたいなヤツだと思ってたよ」
「正直これまではそうでした。言われたことぐらいしか……してきませんでしたから」
『大きな前進に犠牲は付き物』。そんな慶典の言葉が脳裏をよぎる。
前にも心で思っていた。失敗をただの無意味に貶めないために、挑戦しなければと思っていた。それでも怖くて逃げていた。
でももう動く時だろう。『チャンスは自分から掴みにいくもの』そう言って、背中を押してもらえた。失敗しても迎え入れてくれると言ってくれた。
「こんなわたしですが、立ち止まってばかりではいられません。これからは自分の力に向き合って、自分の意思で選びます。これはその、始まりです」
「そうか。……選択の結果で結衣を傷つけるのなら、あたしは宣言通りにお前に手をあげる。そうじゃないなら、応援してやるよ」
以前も名言されていたことから、攻撃宣言には特別な感情はない。
ただ、これだけ待たせて警戒させてとしてきた絢に、真尋が気遣いの言葉を伝えたのが意外だった。
「……もうひとつ、わたしのスキルです。わたしの宝珠技能は《変態》と言います。肉体を変性できる、わたしには便利な力ですが、攻撃性能はありません。他に特別有用なものも、ありません」
「それって——それはもしかして、他のヤツにも効果のあるスキルだったりしないか!?」
『これでお相子です』そう続けかけた言葉は、真尋によって打ち消される。
真尋の剥き出しの興味を見るのが初めてだった絢は思わず口をつぐんでしまう。
「結衣から言われたことがあるんだ。あたしの願いを、お前が叶えるかもしれないって」
全く、意味が分からない。
継承者づての話ではあると考えられる過去の言葉が視線を外された今の自分に届くとは思っていなかった絢は、何も言葉を返せなかった。
「なぁどうなんだよ。そこまで教えてくて初めてお相子ってヤツだろ!?」
感動に零れかける涙を人間性を下げることで回避し、絢は質問に正しく答える。
「ええ、はい。確かに他者へ適応することも可能です。可能ですが、きっとこの力はそれを前提としていない。試した結果、私は人を殺めました。
そんな私を、貴女は許すことができますか?」
言葉にすることで波立つ心を、もう一段階人間性を下げることで強制的に沈める。
それによって淡々と発せなれた言葉に、真尋は絶句するしかできなかった。
唐突な罪の告白に心臓が大きく脈を打つ。
真尋のスキルは絢の言葉を真実であると伝え、始めに感じたのは恐怖。一拍遅れてやってきたのは混乱だった。
「待て待て待てよ」
普通、人は罪を犯せば裁かれる。殺人なんて手枷足枷ぐらいされて当然のはずなのに真顔でこちらに視線を送ってくるコイツは、そのどれもを付けてない。
いつの時代もルールを超えてくる奴には相場が決まっている。金か権力か暴力だろう。
今の世の中で金でものを言わせるのは現実的じゃない。権力にしたって“パイオニア”の看板を背負うコイツが無策に爆弾を突っ込むバカにも思えない。じゃあ“アルカナ”かと言われても……そこにあるのは暴力の噂だけだろう。
暴力。殺人。それは簡単に処刑人を連想させる。
「お前は処刑人と言われている黒ずくめのヤツらを知ってるか? その一味か?
正直に答えろよ、じゃなきゃあたしはお前をどうしていいか分からねぇ」
真尋の疑問に、絢はスラスラと答える。
「処刑人は知っています。ですが彼らの仲間や構成員の一員ではありません」
言葉に嘘はなかった。特殊ではあってもこんなちっこいヤツがそんな組織に入っているわけではない。そう分かって変な安心感が心を満たす。
ならばだ、ならなんでコイツは人を殺めた? そうだ、
「その殺人は故意では無かった。違うか? なにがどうしてお前は人を殺した? どこで? 状況は?」
殺意は無く、せめて仕方のないものであって欲しい。そんな期待が胸をよぎる。
それに絢は思い出すように目を瞑って話し出す。
「故意でないのは一度のみ。それ以外は無感情に手を下しました。どこで、と申されても私には分かりません。連れて行かれた先」
言葉を紡ぐ中、絢は自分の魂を走査しなおせば内に残る他者の魂の残滓を見つける。
それが進化後に任務として奪った命であり、今日まで忘れていたものであることも理解する。
「……あとはどこかの迷宮内。まだ私が“腕輪”に繋がれている時でした。
ですが、私自身が生きるための最小限であったと今では理解しています。もう一方も非力な一般市民を守るためであると」
そうだったんだ。命令の体は、わたしが未来で言い訳をできるための優しさだったんだ。
「故意でない一度は、宝珠技能を他人に使おうとした初めての時でした。被験者を募集して、協会で視察されながらの失敗でした。
自分の実力も力の方向性も、何も理解せずに挑戦した無謀な過失です」
「これでよかったですか?」と続ける絢にあたしは少し無言でいて、その姿をじっと見つめる。
感情の読めない瞳が僅かに下を向いていて、それがどこか寂しげでもあった。
絢の発言中に出てきた腕輪という単語。それは下位魂器に付いてくる隷属の腕輪か、中位魂器に付いてくる従属の腕輪。そのどちらかの装飾品だろう。
その効果は名前の通りに装備者を服従させるもので、主に魂器使用者の自我が消失した後に体を動かして仕事を行わせるときに使われていた。
責任能力が無いであろう殺人と、協会という場で立会人の下に行われた被施術者同意の医療事故。
「“腕輪”の強制命令はお前の責任じゃない。スキルを用いた治療行為も裁くものじゃない。相手の親族や知人は恨んでも仕返しは許されない。
許されるべきとは口が裂けても言わねぇけどよ、償う気があるなら許されてもいいと……思うけどな」
そこまで言葉にするのが異常に疲れた真尋は、茶を一口含むと椅子に向かってドサっと腰掛ける。
「……意外です。貴女は苛烈に怒る人だと思っていました」
「こういうのに関しては、ちゃんと考えんだよ。こんなでも官の人間でもあるからな。
それよりなんで自分からそんな話をした。お前にとっちゃ隠してた方がマシな話題だろ?」
「変に隠し事をするよりも全て曝け出してしまった方が、状況が悪い時に発覚するよりは良いでしょう?
先ほども言いましたがこれは信頼稼ぎでもある、打算的な行動です。私の本気度が伝わりましたか?」
思わずため息が出る。
確かに変な信頼は稼げるだろうが、だからなんだと言う話だ。
「それよりそのロボモードさっさと止めろよ。人間性とやらを上げたらなんか不便があんのか?」
「それは……」
言い淀む絢の目尻からは涙が零れ出し、堤防が決壊するようにその量は増していく。
「な、なんだよいきなり!」
「こうなるがら……嫌だったんですよ!」
ずぴ、と鼻水を啜ると絢は堰を切ったように言う。
「最近いきなり泣き虫になってきたんです! 確かに自我が確立して間もないと言われればそうですが、これまでこんなことなかったのに!
意味が分からないですよ。なんでこんなことにならないといけないんですか。これじゃあ本当にただの人の女の子じゃないですか!」
その後も慣れない涙と鼻水に翻弄されている絢を見ていると、さっきまでの警戒心があっという間に溶けていく。
「っぷ! あは、なんだそれ! そんなんお前が見た目の通り実は心の弱い女の子なだけだろが!
な〜にがこれまではこんなことが無かっただよ! それが人間性っていう活力に満ちた本来のお前の姿ってことだよ!」
とりあえず落ち着かせなければと立ち上がり、絢の隣に座って頭を撫でる。
髪は想像よりも柔らかく、強がって自分を大きく見せようと、ますます大人ぶっているのだと確信が増して笑うしかできない。
真尋はこれまで、力があるヤツには相応の対応をするように心がけてきた。だから力のある絢にも相応の警戒を向けた。だけどこれは違うだろ。
小さなその身に期待を背負い、荒波に飲まれながら自らも応えようと奮闘する。こんな小舟に波を立てるのはあたしの役じゃない。
あくまで絢は臨時生徒であり外の人。真尋自身も自分の強さが絶対的ではなくて、守れる範囲も広くないことは分かってる。
だけど、勇気を持って罪を告白した子供に情けはあって良いだろう。
真尋は「これだから子供は嫌なんだ」と溢しつつ、泣き止むまで宥める手を止めることはしなかった。
泣き止んだ絢はスッキリとした顔を真尋に向けてから、明日からの予定を話し出す。
いわく『少し洵の様子を見て結衣の様子を見たら、迷宮でやり残したことをしてくる』そうだ。
「そんな事できるのか?」と聞いたら一瞬でロボモードになって「当然です」と答えた。
そう言われてしまえばタイミングの良し悪しを説かれた手前、強く止める権利はあたしには無い。
もう一度お湯に浸かってから出発する絢を見送り、憂鬱な月曜日に備えて床に着く。
そうして一睡することで、本来の意味でイレギュラーな一日が始まる。
その予想は食堂に水を飲みに向かうことで聞こえてくるいつもとは違う声量を抑えたざわめきで、現実に起こっていると真尋に伝えた。
なにごとかとドアを潜れば一目で分かるその原因。
あたしは短く眉間を抑えてから、机に突っ伏して眠る注目の女子に向けて強めに声をかける。
「おい起きろ、朝だぞ」
「ん……うぇ!?」
真尋の声に少女はバッと顔を起こし、慌てて立ち上がろうとしてバランスを崩した。
鈍い音を立てて転んだ少女は次に周りを確かめながら、若干長めの時間を要して立ち上がる。
顔は元の宣言年齢には届かないまでも幼さが薄れ、双子の兄とそっくりに伸びた手足。
まだ小さくとも、ギリギリ中学生を自称できるような背格好を得たと思っている絢は恥ずかしそうに、真尋に小さくはにかんだ。
ちゃんと結衣と真尋のエピソードを入れられて満足です。
絢の新しい身長134cmは、女子小学3年生・小学5年生の低身長に相当します。
洵の真似したので勘違いしてますが、絢はまだまだちっちゃい。洵も、ちっちゃい。……作者が老けた?
これを改めて確認すると設定身長に+10したくなります。
正直に申し上げますと、作者はこれまでどのようなストーリーであったのか半分以上忘れています。
大まかな流れは記憶していますが、大切なことでも細々としたことを失念していることを過去epを少し読み返したことで発見しました。更には過去epの読みずらいこと。
ここまで一緒に歩んでくださっている読者の皆様に改めて感謝申し上げます。
◇予告(偽)
殺しは何より重い罪。それから逃れられるのは、どれか強大な力のみ。
次回——絢の立場。……にするはずだった次epと今回のepを合体させてしまいました。
◇予告
生物に不変は存在しない。同時に人は変態の過程を持ち合わせない。変化に対する戸惑いは、少年も例外ではなかった。
次回——望んだ脆さ。
◇追記
別作“リヒトシュヴェルト”。ep.2執筆終了。投稿時期は未定です。
力作ですが、ネタバレを含むのでおすすめできないのが苦しいところ。




