第二十四章 力の研鑽
翌朝、零はいつもより少し早く目を覚ました。
窓から差し込む朝日を眺めながら身体を起こすと、自然と口元が緩む。今日はガルドとの修行を再開する日だ。山の家で過ごした日々を思い出すだけで、胸の奥に期待が膨らんでいく。
身支度を整えて居間へ向かうと、ルシエラが朝食の準備をしていた。
「あら、おはよう、零。今日は早いのね」
「おはよう、ルシエラ。なんだか楽しみで、早く起きちゃった」
「ふふっ。ガルドとの修行が待ち遠しいのね」
「うん。また教えてもらえるのが嬉しいんだ」
零が微笑むと、ルシエラも嬉しそうに目を細めた。魔法で運ばれてきた朝食を二人で囲みながら、今日の予定について話す。
「ルシエラも一緒に来るんだよね?」
「ええ。あなたの様子も気になるし、ガルドの修行を見ておくのも面白そうだもの」
「そっか。嬉しいな」
「ただし、無理はしないこと。昨日のこともあるのだから、ガルドの指示はちゃんと聞くのよ?」
「うん。分かってるよ」
素直に頷く零の頭を、ルシエラは優しく撫でた。
◇
王都の外へ出て街道をしばらく進むと、緑の広がる開けた土地が見えてきた。人の往来から離れたその場所には、すでにガルドが待っていた。
「おう! 来たか、零!」
「ガルド師匠!」
零が嬉しそうに駆け寄ると、ガルドは豪快に笑いながらその頭を撫でた。
「がっはっは! 朝から元気じゃねぇか。昨日の疲れは残ってねぇか?」
「うん。大丈夫だよ」
「よし! なら、早速始めるぞ!」
少し遅れて歩いてきたルシエラが、二人に声をかける。
「おはよう、ガルド。今日はよろしくお願いするわね」
「おう! 任せとけ!」
「ふふっ。あまり張り切りすぎないでちょうだいね?」
「分かってるって! まずは身体を慣らすところからだ!」
そう言うと、ガルドは零へ向き直った。
「さて、零。久しぶりの本格的な修行だが、まずは以前教えたことを一通りやってもらうぞ」
「うん!」
◇
修行は、足運びや重心の移動といった基礎から始まった。
零はガルドの指示に従い、構えを取りながら拳を突き出していく。山の家で何度も繰り返した動作だったが、久しぶりに師の目の前で行うと、自然と背筋が伸びた。
「踏み込むときに上体を流すな。足から腰、肩へと力を繋げろ」
「……こう?」
「おう! 今のはいいぞ!」
零は頷き、同じ動作を繰り返した。以前は言われるままに身体を動かしていた部分も、今ではその意味を理解できる。踏み込みの角度や重心の置き方を僅かに変えるだけで、拳へ伝わる力が変わることも、実戦を経験した今ならよく分かった。
しばらく様子を見ていたガルドは、満足そうに頷いた。
「悪くねぇな。教えたことはちゃんと身についてるみてぇだ」
「本当?」
「ああ。だが、まだ動きに無駄がある。そこはこれから直していくぞ」
「うん。よろしくお願いします、ガルド師匠」
「がっはっは! いい返事だ!」
ガルドは笑うと、次の指示を出した。
「よし。今度は氣を使ってみろ」
零は呼吸を整え、身体の内側を巡る力へ意識を向けた。馴染みのある温かな感覚が全身へ広がり、それに伴って黒い瞳が黄金色へと変化していく。
その様子を確認したガルドは、零の前に立った。
「まずは普段どおりの力で構わねぇ。俺に向かって打ち込んでこい」
「……いいの?」
「がっはっは! 誰に言ってやがる。遠慮はいらねぇぞ!」
零は嬉しそうに頷くと、構えを取った。
地面を蹴り、ガルドとの距離を一気に詰める。腰の回転に合わせて放った拳を、ガルドは片手で受け流した。
「ほう、速くなったじゃねぇか!」
「まだまだ!」
零はすぐに体勢を立て直し、続けて拳を繰り出す。ガルドはその一撃を軽く捌きながら、空いた手で零の肩を押した。
「おっと!」
零は後ろへ跳び、姿勢を整える。
「攻撃に気を取られすぎるな。打ち込んだあとの動きまで考えろ!」
「うん!」
再び踏み込んだ零は、今度は拳を放った直後の姿勢を意識した。ガルドの反撃を受けてもすぐに動けるよう、足の位置を僅かに変える。
その変化に気づいたガルドが、にやりと笑った。
「そうだ! 少しは考えるようになったじゃねぇか!」
二人の攻防はしばらく続いた。零が繰り出す拳は以前よりも鋭さを増していたが、ガルドは余裕を崩さず、一つひとつの動きを見極めていた。
やがてガルドが手を上げる。
「よし、そこまでだ」
零は動きを止め、軽く息を整えた。
「どうだった、ガルド師匠?」
「悪くねぇ。だが、力任せになりかける癖はまだ残ってるな。相手の動きをもっとよく見ろ」
「……うん。気をつける」
「それと、次は少し違うことをやってみるぞ」
ガルドはそう言うと、近くにあった小石を一つ拾い上げた。
「零。今からこの石を投げる。氣を使って、拳で砕いてみろ」
「……石を?」
「ああ。ただし、必要以上の力を込めるなよ。狙ったところに、狙った分だけ力を乗せるんだ」
零は頷き、少し離れた場所で構えを取った。
ガルドが小石を軽く放る。
零はその動きを目で追い、拳を突き出した。
乾いた音とともに、小石が砕け散る。
「……できた」
「おう。だが、今のは少し力を使いすぎだな」
ガルドは足元に散らばった石の欠片を見ながら言った。
「今度は、もっと少ない力でやってみろ」
「うん」
再び小石が放られる。零は先ほどよりも氣を抑え、拳へ集中させた。
小石は砕けたものの、今度は拳に伝わる感触が僅かに違った。
「……あれ?」
「どうした?」
「思ったより、強くなっちゃった」
零は自分の拳を見つめた。氣の流れは意識したとおりだったはずなのに、実際に拳へ乗った力は予想よりも大きかった。
ガルドはその様子を見て、腕を組んだ。
「ふむ……昨日の話と関係がありそうだな」
「……やっぱり?」
「ああ。だが、今の段階じゃ何とも言えねぇ。もう少し確かめてみるか」
ガルドは続けて小石を投げ、零はそのたびに力加減を変えながら拳を振るった。
これまで扱い慣れた範囲では、氣の制御に問題はなかった。しかし、以前の限界を超えるほど力を高めると、拳に込める力加減に僅かなずれが生じてしまう。
何度か試したところで、ガルドは手を止めた。
「なるほどな。大体分かったぜ」
「……何が?」
「今のお前は、以前よりも大きな力を引き出せる。だが、その力を細かく扱う感覚は、まだ十分に身についてねぇみてぇだ」
ガルドは零の拳を指差した。
「力を出すこと自体はできても、思ったとおりに加減できなきゃ意味がねぇ。これからは、そっちも鍛えていく必要があるな」
「……うん」
零は納得したように頷いた。
少し離れた場所で見守っていたルシエラも、二人のもとへ歩み寄る。
「ふふっ。なかなか興味深い結果ね」
「ルシエラもそう思う?」
「ええ。ただ、昨日も話したように、今のあなたがどれほどの氣を引き出せるのかは分からないわ。だから、無理に上限を確かめようとはしないでちょうだいね」
「うん。分かってるよ」
ルシエラは安心したように微笑んだ。
◇
その後も、修行は続いた。
ガルドが出した課題は、氣の出力を一定に保ったまま身体を動かすことだった。
零は構えを取り、腕へ巡らせた氣を意識しながらゆっくりと拳を突き出す。動きに合わせて力が変化しないよう注意を払うが、強い出力を維持した状態では、どうしても僅かな揺らぎが生じた。
「焦るな。まずは自分の力の動きをよく感じ取れ」
「……うん」
ガルドの声に頷き、零は呼吸を整える。
身体を動かすたびに生じる氣の変化を感じ取りながら、少しずつ動作を重ねていく。何度か繰り返すうちに、最初よりも安定してきたことが分かった。
「……今のはどう?」
「おう。さっきよりいいぞ。その感覚を忘れるな」
零は嬉しそうに微笑み、再び拳を構えた。
それからもガルドの指導は続き、零は一つひとつの動作を丁寧に確かめていった。
やがて太陽が高く昇った頃、ガルドが声をかけた。
「よし! 今日はここまでだ!」
零は氣を収め、黄金色の瞳を元の黒色へ戻した。
「……ふぅ」
額に浮かんだ汗を拭いながら、零は満足そうに息を吐いた。
「どうだ、零。久しぶりの修行は?」
「楽しかったよ。でも、思ってたより難しかった」
「がっはっは! そうだろうな。だが、初日としては上出来だ!」
ガルドは満足そうに笑うと、零の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「これからも今日みてぇな修行を続けるぞ。まずは今の力に慣れることだ」
「うん。頑張る!」
そこへ、ルシエラが歩み寄ってきた。
「お疲れさま、零。今日はよく頑張ったわね」
「ありがとう、ルシエラ」
「ふふっ。帰ったらゆっくり休みましょうね」
「うん」
ルシエラが零の頬にそっと手を添えると、ガルドは呆れたように笑った。
「まったく、相変わらず甘やかしてやがるな」
「あら。頑張った子を労わるのは当然でしょう?」
「がっはっは! 違ぇねぇ!」
ガルドの豪快な笑い声が、草原に響き渡った。
零は二人のやり取りを見ながら、小さく微笑んだ。
かつて山の家で過ごした修行の日々が、再び始まった。
ただし、今度は以前と同じではない。
黒龍との戦いを経て変化した力を、これからどのように扱っていくのか。
その答えを見つけるための、新たな一歩だった。




