第二十章 お茶会
国王夫妻との謁見を終えた零たちは、エリザベートに案内され、王城の奥へと続く廊下を歩いていた。
先ほどまでの厳かな雰囲気とは打って変わり、王妃の足取りはどこか軽やかだった。時折振り返っては零に微笑みかけ、そのたびに零も小さく笑みを返す。王妃自ら案内してくれていることにはまだ少し緊張していたものの、彼女の穏やかな態度に、次第に肩の力が抜けていった。
「零さん。先ほどは難しいお話が続きましたけれど、お疲れではありませんか?」
「……はい。大丈夫です」
「それならよかったですわ。これからは、どうぞ気楽になさってくださいね」
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。この人、気に入った相手にはとことん甘いんだから」
隣を歩くルシエラが、どこか呆れたように口を挟む。
「あら、ルシエラちゃん。あなたに言われたくはありませんわ。零さんのお話になると、あなたも随分と嬉しそうですもの」
「……別に、そんなことはないわよ」
平然と答えるルシエラだったが、エリザベートは楽しそうに微笑むばかりだった。
その様子を見ていたヴィクトリアが、零へ小さく耳打ちする。
「……零。王妃陛下は、昔からああいうお方なんだ。特にルシエラに対してはな」
「……そうなの?」
「ヴィクトリア。聞こえているわよ?」
「聞こえるように言ったからな」
涼しい顔で答えるヴィクトリアに、ルシエラが僅かに目を細める。そんな二人のやり取りが可笑しくて、零は思わず笑みを浮かべた。
やがて一行は、花を模した繊細な彫刻が施された白い扉の前へと辿り着いた。
「こちらですわ」
エリザベートが扉を開くと、その先には明るく落ち着いた空間が広がっていた。大きな窓から柔らかな陽光が差し込み、淡い色合いの調度品が室内を彩っている。窓辺には季節の花が飾られ、中央には丸い卓と、それを囲む椅子が置かれていた。
壁際の飾り棚には美しい模様が描かれた茶器が並び、王城のほかの部屋とは違う、どこか人の温もりが感じられる場所だった。
「……綺麗な部屋ですね」
「ありがとうございます。ここは私専用の茶室ですの。公務の合間に、親しい方々とお茶を楽しむことがあるんですよ」
零が興味深そうに室内を見渡していると、ヴィクトリアが懐かしそうに口を開いた。
「王妃陛下は、こうして親しい方々をお招きになることが多いんだ」
「ええ。ヴィクトリアちゃんも、小さい頃はよくお菓子を食べに来てくれましたものね」
「……随分と昔の話ですね」
「お菓子を前にすると、いつも目を輝かせていたことを覚えていますわ」
「お、王妃陛下……!」
困ったように声を上げるヴィクトリアを見て、ルシエラが楽しそうに笑った。
「あら、そんな時期があったのね。ぜひ詳しく聞きたいわ」
「……ルシエラ。頼むからやめてくれ」
「私は何もしていないでしょう?」
「これからするつもりだろう」
すかさず言い返すヴィクトリアに、セレフィーナが口を開く。
「でも、少し分かる気がします。美味しいお菓子を前にすると、嬉しくなってしまいますよね。私も同じですから」
「……セレフィーナまで」
「そうでしたわね。セレフィーナちゃんは、ここの果実のお菓子がお好きでしたもの」
「はい。今日もいただけるなら嬉しいです」
エリザベートは嬉しそうに頷き、一同へ席を勧めた。
ほどなくして侍女たちによって紅茶と菓子が運ばれ、小さな焼き菓子や色鮮やかな果実を使った菓子が卓に並べられる。温かな紅茶の香りが室内に広がり、零は思わず目を輝かせた。
「……美味しそう」
「どうぞ、遠慮なく召し上がってくださいね」
「……ありがとうございます」
零がどれを食べようか迷っていると、隣に座るセレフィーナが果実の飾られた小さな焼き菓子を指し示した。
「零さん。よろしければ、こちらを召し上がってみませんか? 果実の酸味と生地の甘さがよく合っていて、とても美味しいんですよ」
「……じゃあ、いただいてみます」
零は勧められた菓子を手に取り、小さく一口かじった。柔らかな生地の甘さに果実の爽やかな酸味が重なり、口の中に心地よい風味が広がる。
「……美味しい」
「気に入っていただけましたか?」
「……はい。すごく美味しいです」
「よかったです。私も初めていただいたときは驚いたんですよ」
セレフィーナも同じ菓子を一つ取り、嬉しそうに口へ運んだ。
「あら。セレフィーナって、意外と甘いものには目がないのね」
ルシエラがそう言うと、セレフィーナは穏やかに微笑んだ。
「はい。好きですよ。ルシエラさんも、よろしければいかがですか?」
「……そうね。せっかくだからいただこうかしら」
「なんだ。結局食べるんじゃないか」
ヴィクトリアの言葉に、ルシエラは肩をすくめる。
「美味しそうなものを断る理由もないでしょう?」
「それはそうだが……」
「ヴィクトリアさんも、まだ召し上がっていませんよね?」
セレフィーナに声をかけられ、ヴィクトリアは一瞬言葉を詰まらせた。
「……では、私も一ついただこう」
「どうぞ。せっかくのお茶会ですから、皆さんで楽しみましょう」
その言葉に、零も小さく笑みを浮かべた。
◇
紅茶を飲みながらしばらく談笑した後、セレフィーナが零へ声をかけた。
「零さん。そういえば、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
「……お願い、ですか?」
「はい。私とお話しするときも、そんなに畏まらなくていいんですよ」
零は少し驚いたように目を瞬かせた。
「……でも、セレフィーナには命を助けてもらったので……」
「感謝してくださるのは、とても嬉しいです。ですが、それで零さんが遠慮してしまうのは、少し寂しいですね」
「……寂しい?」
「はい。私は、零さんともっと気軽にお話ししたいと思っているんです」
セレフィーナの言葉に、零は少しの間、彼女を見つめていた。
失われた左腕と左目を治し、命を救ってくれた相手だからこそ、どこか遠慮してしまっていたのかもしれない。けれど、目の前の彼女はそんな距離を望んでいないらしい。
「……いいの?」
「もちろんです」
迷いのない返事に、零は小さく頷いた。
「……うん。分かった、セレフィーナ」
「はい。ありがとうございます、零さん」
セレフィーナの笑顔が、先ほどよりも少し明るくなった。
「よかったですわね、セレフィーナちゃん」
「はい。これからは、もっと仲良くなれたら嬉しいです」
「……僕も」
そのやり取りを眺めていたヴィクトリアが、穏やかな表情で口を開いた。
「セレフィーナは、以前から零のことを気にかけてくれていたからな」
「そうですね。治療が終わってからも、零さんが元気に過ごせているか気になっていました」
「……心配かけちゃったね」
「今こうして元気な姿を見せてくださっているので、安心していますよ」
零は小さく笑みを浮かべた。その隣でルシエラが紅茶を一口飲み、どこか面白そうに目を細める。
「まったく。零は本当に、周りの人間に好かれるのが上手ね」
「……そうかな?」
「ええ。自覚がないところも含めてね」
零は不思議そうに首を傾げたが、ルシエラはそれ以上何も言わなかった。
◇
卓の上の菓子も少しずつ減り、室内には落ち着いた空気が流れていた。
そんな中、エリザベートがルシエラへ視線を向ける。
「そういえば、ルシエラちゃん。先ほど、陛下とお話ししていたときのことなのですけれど」
その言葉を聞いた瞬間、ルシエラは内心で小さく溜息をついた。
……やっぱり、そこに触れてくるのね。
先ほどの謁見で、零が放った最後の一撃について分からないと答えたのは、決して嘘ではない。実際、あの一撃がどのように生み出されたのか、ルシエラ自身にも理解できていなかった。ただ、零が魔力とは異なる力を持っていることについては、あえて口にしなかったのだ。
どうやらエリザベートは、ルシエラが何かを語らずにいることを感じ取ったらしい。
……これだから、この人はやりにくいのよ。
五百年以上生きてきた自分からすれば、エリザベートなど圧倒的に年下だというのに、昔から妙に鋭いところがある。
ルシエラは何食わぬ顔で紅茶を口に運んだ。
「……何が気になったのかしら?」
「零さんが黒龍に放ったという、最後の一撃についてですわ。あの一撃の仕組みは分からないと仰っていましたでしょう?」
「そうね。それは今も変わらないわ」
「もちろん、疑っているわけではありませんの。ただ……何か、ほかにも気にかけていらっしゃることがあるのではないかと思いまして」
穏やかな声だった。問い詰めるような口調ではないが、ルシエラにはその言葉が思いのほか核心に近いものだと分かった。
ルシエラは一度だけ零へ視線を向けた。零は二人の会話を聞きながら、不思議そうにこちらを見つめている。
この子が持つ力について、まだ分かっていないことは多い。だからこそ、本人の知らないところで勝手に話を広めるつもりはなかった。
「……そうね。けれど、それは私から勝手に話すことではないわ」
エリザベートは僅かに目を細めた。
「……そうですのね」
「ええ。少なくとも、本人が話すつもりのないことを、私が先に口にするべきではないでしょう?」
その言葉に、エリザベートは静かに頷いた。
「でしたら、これ以上はお尋ねしませんわ」
「……そうしてもらえると助かるわ」
ルシエラはそう答えながら、内心で安堵した。こういうところも、エリザベートのやりにくさの一つだった。踏み込むべきところは見極めながらも、相手の意思を尊重して、必要以上に問い詰めることはしない。
……まったく。相変わらず、調子が狂うわ。
そんな二人のやり取りを聞いていた零が、小さく口を開いた。
「……あの」
自然と、皆の視線が零へ集まる。
「……僕の力のこと、だよね?」
「零……?」
ルシエラが驚いたように零を見ると、彼は静かに頷いた。
「……うん。僕も、まだよく分かってないけど……話してもいいよ」
ルシエラはしばらく零を見つめていたが、やがて表情を和らげた。
「……そう。あなたがそう決めたのなら、私は止めないわ」
零は自分の両手へ視線を落とした。
あの夢の中で、父が口にした言葉。幼い頃の記憶は曖昧な部分も多いが、その言葉だけは、目覚めてからも不思議とはっきりと覚えていた。
これまで名前も分からなかった力に、父が呼んでいた名前がある。それを誰かに話すことは、零にとっても小さくない意味を持っていた。
「……あの力には、名前があるみたいなんだ」
「名前、ですか?」
セレフィーナが静かに問いかける。
「……うん」
零は少しだけ間を置いてから、告げた。
「……氣、っていうんだって」
「……キ?」
エリザベートが聞き慣れない言葉を繰り返した。
「……うん。氣」
ルシエラは興味深そうに零を見つめた。
「それが、あなたの持つ不思議な力の名前なの?」
「……多分。夢の中で、父様がそう呼んでいたんだ」
「……夢?」
ヴィクトリアが問い返すと、零は静かに答えた。
「……意識が戻る前に、昔の夢を見たんだ。まだ小さかった頃の、父様と母様がいたときの夢」
零が両親を失っていることを知っているヴィクトリアは、それ以上詳しく尋ねようとはしなかった。ただ、彼の言葉を静かに受け止めていた。
「氣……。少なくとも、私の知る魔法の体系にはない名前ね」
ルシエラが考え込むように呟くと、セレフィーナも口を開いた。
「不思議な響きですね。魔力とは違う力に、きちんと名前があったのですね」
「……うん。でも、名前以外は、まだよく分からないんだ」
「それでも、大切な一歩だと思います。零さんのお父様が教えてくださった名前なのでしょう?」
セレフィーナの言葉に、零は僅かに目を見開いた。
「……うん。大切にしたい」
小さな声だったが、そこには確かな思いが込められていた。
エリザベートも穏やかに微笑む。
「素敵なことですわね。まだ分からないことが多くても、少しずつ知っていけばよいのではないかしら」
「……はい」
「ただ、あの一撃については、まだ分からないことが多いな」
ヴィクトリアが静かに言う。
「……うん。最後のことは、僕も覚えていないから」
「ならば、焦る必要はない。まずは身体を十分に休めて、それから少しずつ確かめていこう」
その言葉に、セレフィーナも頷いた。
「私もそう思います。零さんは大きな怪我から回復したばかりですから、無理だけはしないでくださいね」
「……うん。分かった」
「約束ですよ?」
「……うん。約束する」
セレフィーナが安心したように微笑むと、ルシエラが小さく笑った。
「あら。随分と素直ね。私が同じことを言ったら、きっともっと曖昧な返事をするでしょうに」
「……そんなことないよ」
「本当かしら?」
「……本当だよ」
少しだけ頬を膨らませる零に、ヴィクトリアが苦笑した。
「ルシエラ。あまり零をからかうな」
「あら、私は心配しているだけよ?」
「……まったく」
そんな二人を見て、セレフィーナがくすりと笑った。
「皆さん、本当に零さんのことが大切なんですね」
零は三人の顔を順番に見つめた。誰もが自分のことを心配し、こうして傍にいてくれる。そのことが、零には何よりも嬉しかった。
「……うん。僕も、みんなのことが大切だよ」
何気なく口にした言葉だったが、そこには偽りのない気持ちが込められていた。
ヴィクトリアは穏やかに目を細め、ルシエラもどこか満足げな表情を浮かべた。
「……ありがとうございます、零さん」
セレフィーナの柔らかな声に、零は小さく笑みを返した。
◇
それから、お茶会は再び穏やかな時間へと戻っていった。
エリザベートが新しい紅茶を勧め、ヴィクトリアとルシエラは相変わらず軽口を交わしている。零もまた、そんなやり取りを心地よく感じながら、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。
「零さん」
隣から声をかけられ、零はセレフィーナへ顔を向けた。
「……なに?」
「また機会があれば、こうして一緒にお茶を楽しみましょうね」
「……うん。僕も、また来たい」
「では、約束ですよ」
「……うん。約束だよ、セレフィーナ」
その言葉に、セレフィーナは嬉しそうに微笑んだ。
窓から差し込む午後の陽光の中、零はもう一度、セレフィーナと笑みを交わした。先ほどまで感じていた遠慮は、いつの間にか薄れていた。




