↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界の彼方より ~少年は神域へと到る~  作者: ナーヴァ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/42

第十六章 絶望の厄災(前編)

 零が薬草を採りに出かけてから、しばらく経った頃。


 ルシエラの屋敷に、一人の訪問者がやってきた。


「久しぶりだな、ルシエラ」


 応接室に姿を現したのは、長い金髪と澄んだ青い瞳を持つ女性だった。


 王国が誇る三帝の一角、剣帝ヴィクトリア・フォン・ヴァレンタイン。


「あら、ヴィクトリア。今日はどうしたの?」


「近くまで来たのでな。少し顔を出そうと思ったんだ。それに、零の様子も気になっていた」


「ふふっ。そういうことなら、ゆっくりしていってちょうだい」


 ルシエラに勧められ、ヴィクトリアは向かいのソファへ腰を下ろした。


「それで、零は?」


「今はちょっとお出かけ中よ。私が頼んだ薬草を採りに行ってもらっているの」


「一人で行ったのか?」


「ええ。街から少し離れた森の入り口付近だから、危険はほとんどないわ」


「そうか。あの辺りなら問題ないだろう」


 ヴィクトリアは小さく頷いた。


 ガルドのもとで修行を終えた零は、以前とは比べものにならないほど成長していた。実際にその力を目にしたヴィクトリアも、森の入り口で薬草を集める程度なら心配はないと考えている。


「では、帰ってくるまで待たせてもらおう」


「もちろんよ。零も喜ぶと思うわ」


 ほどなくして、二人の前に紅茶が運ばれてきた。


 ヴィクトリアはカップを手に取り、香りを確かめてから口をつける。


「それにしても、零はどうだ? ここでの暮らしには慣れたか?」


「ええ。毎日楽しそうに過ごしているわよ。最近は冒険者にもなったの」


「冒険者に?」


 意外そうに顔を上げたヴィクトリアに、ルシエラは頷いた。


「先日、初めての依頼を達成したところよ。今日は文字のお勉強も始めたの」


「そうだったのか」


 ヴィクトリアはカップを置き、初めて零と出会ったときのことを思い返した。


 あのときの零は、目を覚ましてもほとんど言葉を発さず、何かを諦めたような瞳をしていた。それが今では、自分から新しいことを学び、外の世界へ足を踏み出そうとしている。


「本当に、変わったのだな」


「ふふっ。そうね。でも、まだまだ知らないことばかりだから、毎日が新鮮みたい」


「それは何よりだ」


 ヴィクトリアは穏やかに頷いたあと、ふと思い出したように尋ねた。


「ところで、零の力については何か分かったか?」


「残念だけど、まだ分からないことのほうが多いわね。魔力とは明らかに性質が違うし、私も初めて見る力だもの」


「お前でも分からないのか」


「ふふっ。だからこそ、調べがいがあるのよ」


 そう言って笑うルシエラだったが、その眼差しには研究者としての真剣さが宿っていた。


「ただ、無理に力を使わせるつもりはないわ。零の身体にどんな影響があるのか、まだ分かっていないもの」


「そうだな。慎重に進めてくれ」


「ええ。もちろんよ」


 ヴィクトリアはその返事に頷き、再び紅茶へと手を伸ばした。


 零が戻ってきたら、修行の成果についても少し話を聞いてみよう。


 そんなことを考えながら窓の外へ目を向けると、青く澄んだ空の下、庭の木々が穏やかに揺れていた。


     ◇


 一方、その頃。


 零は街を離れ、森の入り口付近で薬草を探していた。


 ルシエラから渡された小さな袋を腰に下げ、教えてもらった特徴を思い返しながら、足元の植物を一つずつ確かめていく。


「細長い葉と、小さな花……」


 似たような草は見つかるものの、探しているものとは少し違う。


 零は慌てず、森の縁に沿って歩き続けた。


 やがて、木々の根元に小さな花をつけた草が群生しているのを見つける。


「……あった」


 しゃがみ込んで葉の形を確かめると、ルシエラが描いてくれた絵とよく似ていた。


 零は茎を傷めないように気をつけながら、必要な分だけ摘み取っていく。袋の中に薬草が少しずつ増えていくのを見て、自然と頬が緩んだ。


 これなら、日が沈む前に十分帰れそうだ。


 最後の一本を摘み取った零が、立ち上がろうとしたときだった。


 不意に、背筋を冷たいものが走った。


 零は動きを止め、ゆっくりと顔を上げる。


 先ほどまで聞こえていた鳥の声が、いつの間にか消えていた。木々の葉も揺れを止め、森全体が息を潜めているかのようだった。


 何かがいる。


 そう感じた瞬間、目の前の空間が黒く歪んだ。


     ◇


 ――光さえ届かぬ、深淵の彼方。


 闇の中で、何者かが静かに言葉を紡ぐ。


「さあ、神楽零」


 その声には、かすかな愉悦が滲んでいた。


「今度は、どこまで抗える?」


 闇が蠢く。


 まるで、その言葉に応えるかのように。


     ◇


 歪んだ空間から、巨大な影が姿を現した。


 漆黒の鱗に覆われた身体が現れ、巨大な翼が広がる。そのあまりの大きさに周囲の木々が押し倒され、幹の折れる音が次々と響いた。


 鋭い爪を備えた四肢が大地を踏みしめると、地面が沈み込み、足元から細かな振動が伝わってくる。


 そして、眼下のすべてを見下ろすような双眸が、零を捉えた。


「……黒い龍?」


 思わず声が漏れた。


 いつか龍と戦ってみたい。


 以前、そんなことを口にした覚えがある。


 だが、まさか本当に出会うとは思っていなかった。それも、魔物がほとんど現れないと聞いていた森の入り口で。


 零は目の前の巨体を見上げた。


 想像していた以上に大きい。見上げるほどの身体を覆う鱗は鈍い光を帯び、その鋭い爪は、軽く触れただけでも人間の身体を引き裂いてしまいそうだった。


 心臓が早鐘を打ち、背筋を冷たい汗が伝う。


 これほどの存在を相手に、自分はどこまで戦えるのだろう。


 胸の奥には僅かな期待もあったが、それを上回る緊張と恐怖が全身を支配していた。


 零は一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。


 ――落ち着け。


 ガルドとの修行でも、相手の力に呑まれれば身体は思うように動かなくなった。どれほど強い相手でも、まずはよく見て、呼吸を乱さないこと。


 繰り返し教えられてきた言葉を思い出しながら、零は再び黒龍へと視線を向けた。


 恐ろしさが消えたわけではない。


 それでも、先ほどまで速くなっていた呼吸は落ち着き、強張っていた身体にも少しずつ感覚が戻っていた。


 黒龍が前脚を持ち上げる。


 その動きを見た瞬間、零は地面を蹴った。


 直後、巨大な爪が先ほどまで立っていた場所へと振り下ろされる。


 轟音とともに大地が砕け、舞い上がった土砂が周囲へ飛び散った。


 零は着地すると同時に距離を取り、黒龍の動きを観察する。


 攻撃が見えなかったわけではない。だが、その巨体からは想像もつかないほど速かった。


 黒龍は頭を持ち上げ、何事もなかったかのように零を見下ろした。


 零は街へ続く道へと一瞬だけ視線を向ける。


 その先には王都がある。


 もし、この龍が王都へ向かえばどうなるだろうか。


 先ほどの一撃で砕けた大地を思い返せば、その被害は容易に想像できた。


 だからといって、自分がこの龍を止められる保証もない。


 零は視線を戻し、黒龍を見据えた。


 まずは相手の力を確かめる。


 そう判断すると、両拳を構え、身体の奥に眠る力を意識した。


 その力が全身を巡るにつれ、漆黒の瞳がゆっくりと黄金色へ染まっていく。


 重心を落とし、足の位置を整える。


 黒龍の前脚がわずかに動いた。


 零はその動きを見逃さず、横へと跳ぶ。


 直後、巨大な爪が地面を抉った。


 飛び散る土砂の間を抜け、零は黒龍の側面へと回り込む。だが、黒龍は巨体を僅かに捻るだけで零の動きに追いつき、続けざまに爪を振り下ろしてきた。


 零は踏み込もうとしていた足を引き、身体を反転させる。


 頭上を通り過ぎた爪が木々を薙ぎ倒し、折れた幹が地面へと崩れ落ちた。


 それを避けながら、零は黒龍の足元へと潜り込んだ。


 今度こそ懐へ入れた。


 踏み込んだ足から腰、肩へと力を伝え、零は渾身の拳を漆黒の鱗へと叩き込む。


 ――ガンッ!


 硬質な音が響いた。


 しかし、黒龍は微動だにしなかった。


「……っ!」


 零はすぐさま距離を取った。


 拳を打ち込んだ場所には、傷一つついていない。それどころか、拳から肘にかけて鋭い痛みが走っていた。


 拳が触れた瞬間、凄まじい反発が零の腕を襲った。鱗そのものが異常な強度を持っているだけではない。零の拳に込められた力が、黒龍の身体を揺らすことさえできなかったのだ。


 零は痛む拳を握り直す。


 ガルドとの修行で、何度も何度も打ち込んできた拳。以前よりも速く、強くなったはずの一撃が、まるで通じない。


 それでも、零はすぐに諦めることはしなかった。


 黒龍の巨体を見上げながら、次の攻撃を考える。


 鱗が硬いのなら、別の場所を狙えばいい。足元から攻撃しても通じないのであれば、動きの隙を探すしかない。


 黒龍が低く唸り、再び前脚を振り上げた。


 零はその動きに合わせて地面を蹴り、爪の軌道から外れる。さらに迫ってきたもう一方の前脚を身を屈めて躱すと、足運びを変えて黒龍の背後へと回り込んだ。


 だが、黒龍もまた、零の動きを見失ってはいなかった。


 巨体を捻り、長い尾を地面すれすれに振り抜く。


 零は即座に跳躍し、その一撃を躱した。


 足元を通過した尾が地面を抉り、周囲の木々をまとめて薙ぎ倒す。


 空中で身体を捻った零は、倒れかけた木の幹を蹴って方向を変え、黒龍の側頭部へと迫った。


 狙うのは、黒龍の眼だ。


 しかし、拳が届く寸前、黒龍が首を振った。


 零は攻撃を断念し、咄嗟に腕を交差させる。


 直後、黒龍の頭部が凄まじい勢いで迫り、零の身体を弾き飛ばした。


「くっ……!」


 空中で体勢を立て直し、零は両足で地面を滑るように着地する。


 腕には痺れるような痛みが残っていたが、まだ動かせる。


 零は息を整えながら、黒龍を見上げた。


 攻撃を躱すことはできる。


 相手の動きを見極め、隙を突くこともできている。


 だが、こちらの攻撃は通じない。


 それどころか、黒龍はまだ本気で戦っているようには見えなかった。


 零がどれほど速く動こうとも、黒龍は僅かな動作で対応してくる。まるで、自分の力を試されているかのようだった。


 それでも、ここで動きを止めるわけにはいかない。


 零は再び拳を構え、黒龍の動きへと意識を集中させた。


 次の瞬間、黒龍の巨体が動いた。


 振り下ろされる爪を見極め、零は地面を蹴る。


 続けて放たれたもう一方の爪を紙一重で躱し、その懐へと飛び込んだ。


 先ほどまでの攻防で、黒龍の動きは少しずつ見えてきていた。


 今なら、もう一撃。


 そう考え、拳を振るおうとした瞬間だった。


 黒龍の双眸が、僅かに細められた。


 次の瞬間、それまで零の動きに合わせていた巨体が、突如として凄まじい速度で動き出した。


 視界の端で、黒い影が走った。


 ――尾だ。


 零は即座に攻撃を中断し、身体を捻った。


 だが、先ほどまでとは比較にならない。


 あまりにも速い。


 それまで躱せていた攻撃が、まるで別のものに変わったかのようだった。


 零は咄嗟に両腕を交差させ、迫り来る一撃に備えた。


 だが、その程度の防御では、黒龍の一撃を受け止められるはずもなかった。


 凄まじい衝撃が、零の身体を直撃した。


 骨の砕けるような音が耳の奥で響き、視界が白く染まる。


 息をすることさえ許されないほどの衝撃に、零の身体は弾き飛ばされ、木々を次々とへし折りながら宙を舞った。


 そして――。


 轟音とともに、地面へと叩きつけられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。