第十三章 未知なる力
薄いカーテン越しに差し込む柔らかな朝日と、窓の外から聞こえてくる小鳥のさえずりに誘われるように、零はゆっくりと瞼を開いた。
目に映ったのは、昨日と同じ見慣れない天井。けれど、ここがルシエラの屋敷であり、自分に与えられた部屋なのだということは、もうすぐに思い出せるようになっていた。
そんな穏やかな目覚めの中、零は背中に柔らかな温もりを感じた。腰には誰かの腕が回され、耳元からは規則正しい寝息が聞こえてくる。
「…………」
しばらく黙っていた零は、やがて小さく呟いた。
「……また?」
昨日とまったく同じ状況だった。いや、正確には一つだけ違うことがある。
零がゆっくりと振り返ると、そこには気持ちよさそうに眠るルシエラの姿があった。
長い紫紺の髪が枕の上に広がり、整った顔立ちは普段の妖艶な微笑みを失って、どこか無防備に見える。そして、彼女が身にまとっているのは、薄い黒色のネグリジェだった。
繊細なレースがあしらわれたそれは、寝間着というよりも、身体を飾るための衣装に近い。肩を支える細い紐は片方がずり落ち、胸元も少し乱れている。どうやら寝返りを打った際に、服がずれてしまったらしい。
年頃の少年なら、目のやり場に困ってもおかしくない格好だった。
しかし、零の反応は違った。
「……ルシエラ」
その声は、驚くほど平静だった。
「……ん……」
呼びかけに応じてルシエラが薄く目を開き、紫色の瞳が零を捉えると、その唇にゆっくりと笑みが浮かんだ。
「あら……おはよう、零」
「……おはよう」
「ふふっ。よく眠れた?」
「……うん」
「そう。それはよかったわ」
ルシエラは満足そうに微笑むと、零を抱き寄せる腕に少しだけ力を込めた。
「それにしても、朝からこんな綺麗な子を抱きしめていられるなんて……幸せね」
「……そうなんだ」
「あら、随分と淡泊なのね」
「……昨日も言ってたから」
その返答に、ルシエラの笑みがほんのわずかに引きつった。それでもすぐに気を取り直し、零の顔を覗き込む。
「ねえ、零。昨日とは少し違うと思わない?」
「……違う?」
「ええ。例えば……私の格好とか」
そう言って意味ありげに微笑んだルシエラは、わざとらしく肩を動かしてみせた。ずり落ちていた紐がさらに下がり、その仕草が何を意図しているのかは、普通なら容易に察することができただろう。
零も彼女の格好を改めて眺めたが、口から出てきたのは、ルシエラが期待していたものとはまったく違う言葉だった。
「……うん」
「あら。気づいてくれた?」
「……ルシエラ」
「なあに?」
「……はみ出てるよ」
「…………え?」
予想していなかった指摘に、ルシエラが思わず瞬きをする。
「……何が?」
「……服」
「……服?」
「……ちゃんと隠れてない」
ルシエラは言葉を失い、目の前の少年をじっと見つめた。
零もまた、不思議そうに彼女を見返している。その表情には照れも動揺もなく、ただ服がずれているという事実を伝えただけなのだと、嫌でも分かってしまう。
「……零」
「……なに?」
「あなた……本当に男の子なの?」
「……うん」
迷いのない即答だった。
「……どうして?」
「どうしてって……」
ルシエラは言いかけて、言葉を止めた。
目の前の少年は、自分が何を聞かれているのか、本気で分かっていないらしい。いや、分かっていないというよりも、そもそも気にしていないのだろう。
それが、かえって彼女を困らせた。
「……普通、もう少し何か反応があるものじゃない?」
「……反応?」
「そうよ。驚くとか、恥ずかしがるとか……」
零は少し考えてから、首を傾げた。
「……ルシエラ、寒くないの?」
「…………」
「……朝は少し冷えるよ」
あまりにも予想外の返答に、ルシエラはしばらく何も言えなかった。やがて深々と息を吐くと、呆れたような、それでいてどこか楽しげな表情を浮かべる。
「……あなたって、本当に……」
「……?」
「いえ。何でもないわ」
ルシエラはようやく零から腕を離してベッドの上に身体を起こし、ずれた肩紐と胸元の生地を整えた。
その間に零はベッドから降り、何事もなかったかのように身支度を始めている。
「……ねえ、零」
「……なに?」
「私、少し自信をなくしそうだわ」
「……何の?」
「……それを聞くのね」
額に手を当てながら、ルシエラは小さく息を吐いた。
五百年以上生き、数えきれないほどの人間と出会ってきた彼女だったが、ここまで自分の思惑が通じない相手はそうそういない。それも、目の前にいるのは、まだ十六歳の少年なのだ。
「……ヴィクトリアも、苦労していそうね」
思わず零した言葉に、零が振り返る。
「……ヴィクトリア?」
「ええ。何でもないわ」
ルシエラは苦笑すると、ベッドから立ち上がった。
「さあ、朝食にしましょうか」
「……うん」
素直に頷く零を見ながら、ルシエラは小さく肩をすくめた。
どうやら、この少年をからかうには、まだまだ工夫が必要らしい。もっとも、そんなことを考えている自分が少しだけ楽しくなっていることには、彼女自身まだ気づいていなかった。
◇
朝食を終えた零は、食器がひとりでに宙を舞い、流し台へと運ばれていく様子を興味深そうに眺めていた。
昨日も目にした光景だったが、何度見ても不思議なものだった。皿は音もなく重なり、布巾がひとりでに動いてテーブルを拭いていく。その一つひとつが、零にとっては目新しい。
「……便利だね、魔法って」
「ふふっ。昨日も同じことを言っていたわよ」
「……だって、すごいから」
素直な返答に、ルシエラは楽しそうに笑った。
魔帝と呼ばれる彼女にとって、家事に魔法を使うことなど呼吸をするのと大差ない。けれど、零はそんな些細な魔法にさえ、毎回目を輝かせている。
「そんなに興味があるなら、いつか教えてあげたいところだけれど……」
ルシエラはそこで言葉を切り、零へと視線を向けた。
「そのためにも、まずはあなたの身体について調べないといけないわね」
「……うん」
零も、以前ルシエラが自分の身体にある魔力を動かそうとした際、何が起こったのかは覚えている。身体の内側で二つの力が激しくぶつかり合い、自分の意思ではどうすることもできなくなった、あの奇妙な感覚を忘れることはできなかった。
ルシエラは食器を片づけ終えると、零の向かいに腰を下ろした。
「それでね、今日は少し違う方法で調べてみようと思うの」
「……違う方法?」
「ええ。昨日みたいに外から調べるだけでは、分からないことが多すぎるのよ」
ルシエラは指先で頬に触れ、考えを整理するように続けた。
「あなたの身体には、魔力とは別の力が存在している。それはもう分かっているわ。けれど、その力がどういうものなのか、どうやって使われているのかまでは分からない」
「……うん」
「だから、実際にその力を使っているところを見せてほしいの」
零は少し首を傾げた。
「……使うところ?」
「そう。あなた、ヴィクトリアと手合わせしたことがあるのでしょう?」
「……うん」
「それなら、私を相手に少し力を使ってみない?」
その言葉に、零の黒い瞳がわずかに見開かれた。
「……ルシエラに?」
「ええ。まずは私の障壁を相手に、あなたがどの程度の力を出せるのか確かめたいの」
ルシエラは穏やかな笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「私なら、あなたの攻撃を受けながら観察することもできるし、何か異常があればすぐに止められるわ。もちろん、以前のようにあなたの体内の魔力を動かしたりはしないから、安心してちょうだい」
零はしばらく考え込んだ。
自分の身体について調べるためだということは理解している。それでも、魔帝と呼ばれる人物を相手に力を試せるという話に、胸の奥がわずかに高鳴るのを感じていた。
「……分かった。やってみたい」
「あら、随分と嬉しそうね」
「……うん。ルシエラ、強いんでしょう?」
「ふふっ。そうね。少なくとも、簡単には負けないつもりよ」
零の反応を見て、ルシエラは小さく笑った。
どうやらこの少年は、魔法だけでなく、強い相手と戦うことにも相当な興味があるらしい。
「それじゃあ、準備をしましょうか」
◇
ルシエラに案内されてやって来たのは、屋敷の裏手に広がる庭だった。
綺麗に整えられた芝生と色とりどりの花々。その向こうには背の高い木々が並び、王都の中にあるとは思えないほど静かな空間が広がっている。
零が周囲を見回していると、ルシエラが庭の中央へと歩み出た。
「ここなら十分な広さがあるわね」
「……ここでやるの?」
「ええ。でも、そのままでは庭が滅茶苦茶になってしまうでしょう?」
そう言って、ルシエラは片手を軽く持ち上げた。
次の瞬間、淡い紫色の光が地面を走り、二人を中心として幾重もの魔法陣が広がっていく。零が目を見開く間にも光は庭全体を包み込むように立ち上がり、やがて半透明の壁となって周囲を囲んだ。
「……すごい」
「ふふっ。これは周囲への被害を防ぐための結界よ。多少派手に動いても、外には影響が出ないようにしてあるわ」
ルシエラは零へと向き直ると、指先を軽く動かした。すると、彼女の前方に薄紫色の障壁が現れ、二人の間を隔てるように静かに浮かび上がった。
「まずは、これを壊してみてちょうだい」
「……これを?」
「ええ。以前、あなたの力が暴走したときに使ったものと同じ種類の魔力障壁よ。今のあなたがどの程度の力を出せるのか、確かめたいの」
零は目の前に浮かぶ障壁を見つめた。薄い光の膜のように見えるそれは、一見すると簡単に破れてしまいそうだったが、そこから感じられる力は、見た目ほど頼りないものではなかった。
「……思い切りやってもいい?」
「もちろん。ただし、身体に異変を感じたらすぐに止めること。約束できる?」
「……うん」
「いい子ね。それじゃあ、始めましょうか」
零は小さく頷き、ゆっくりと構えを取った。
足を開いて重心を落とし、呼吸を整えながら身体の内側へと意識を向ける。ガルドのもとで繰り返してきた修行によって、余計な力を抜き、必要な瞬間にだけ身体を動かす感覚は、すでに自然なものとなっていた。
やがて、黒かった瞳が黄金色へと変わる。
その変化を見たルシエラは、わずかに目を細めた。
(……やっぱり、瞳の色が変わるのね)
零の身体を巡る魔力に目立った変化はない。それにもかかわらず、彼の身体から感じられる圧力は明らかに増しており、先ほどまでの穏やかな雰囲気が嘘だったかのように、その存在感が大きくなっていた。
「……いくよ」
「ええ。いつでもどうぞ」
返事を聞くと同時に、零は地面を蹴った。
一瞬で障壁の目前へと踏み込み、身体の回転を乗せた拳を叩き込む。重い衝撃音が庭に響き渡り、薄紫色の障壁が大きく震えたものの、その表面に亀裂が走ることはなかった。
「……硬い」
零は小さく呟くと、すぐに間合いを取り直した。
今度は足運びを変え、斜めから踏み込む。拳だけでなく、腰の回転と体重の移動を意識した一撃を放つが、障壁は淡い光を波打たせるだけで、砕ける気配すら見せなかった。
「ふふっ。なかなかいい動きね」
ルシエラは微笑みながらも、零の動きを注意深く観察していた。
踏み込みの速さも、拳に込められた威力も、普通の人間とは比較にならない。それでいて、魔力を使って身体能力を強化している様子はなく、彼女が感じ取れるのは、魔力とは明らかに異なる力の存在だけだった。
(……やはり、あの力で身体能力を高めているのね)
零は正面から拳を打ち込み、次いで足運びを変えながら側面へと回り込んだ。ガルドとの修行で身につけた動きを駆使し、角度や間合いを変えて攻撃を重ねていくが、障壁はそのたびに淡い光を揺らすだけで、依然として二人の間に立ちはだかっていた。
何度目かの攻撃を終えたところで、零は一度距離を取り、静かに息を吐いた。
「……硬いね」
「あら、もう諦めるの?」
「……ううん」
零は首を横に振った。
障壁を破壊できないことは分かっている。それでも、攻撃を繰り返すうちに、身体の奥で何かが変わり始めているような感覚があった。
これまでと同じように力を引き出しているはずなのに、まだ余裕が残っている。拳に込める力を強めても、身体の内側には、使い切れていない何かが存在しているように思えた。
零は自分の手を見つめながら、以前ヴィクトリアと手合わせしたときのことを思い出した。
あのときも、持てる力を精一杯引き出したつもりだった。それ以上を求めようとしても身体が応えてくれることはなく、自分にできることは、ただ目の前の相手へと挑み続けることだけだった。
けれど、今は違う。
意識を身体の奥深くへと向けると、以前は感じ取れなかった力の広がりが、かすかに伝わってくる。
(……まだ、使える……?)
零はゆっくりと目を閉じ、呼吸を整えた。無理に力を引き出そうとはせず、身体の奥に残る奇妙な感覚へと意識を向ける。
これまで幾度となく使ってきた力のはずなのに、その広がりは以前よりもずっと深く感じられた。
そして、今まで届かなかった場所に、ようやく手が届いたような感覚があった。
その瞬間、周囲の空気が一変した。
零の身体から放たれる圧力が急激に増し、足元の芝生がざわめく。風が止まったわけでも、音が消えたわけでもない。それなのに、周囲の空間そのものが重く沈み込んだかのような、異様な感覚が庭を満たしていった。
結界を構成する魔法陣が淡く明滅し、ルシエラの紫色の瞳に鋭い光が宿る。
(……自分の意思で、ここまで引き出せるようになったのね)
かつて暴走した際の力には、まだ及ばない。だが、あのときとは違い、今の零は明確な意思を持ってその力を操っている。その事実こそが、ルシエラにとって何より興味深かった。
「……ルシエラ」
零がゆっくりと顔を上げた。その瞳は変わらず黄金色に輝いていたが、小さな身体から放たれる圧力は、先ほどまでとは比較にならないほど強まっている。
「……もう少し、強くできそう」
「……そう」
ルシエラは静かに頷き、目の前の障壁へと視線を向けた。
「それなら、試してみなさい。ただし、無理はしないこと。いいわね?」
「……うん」
零は頷くと、再び構えを取った。
ゆっくりと息を吸い、足元へと意識を向ける。拳に余計な力は込めず、踏み込みから打撃へとつながる一連の動きを頭の中で思い描いた。
そして、次の瞬間。
零の姿が掻き消えた。
地面を蹴る音が響くよりも早く、彼の拳が障壁へと叩き込まれる。
轟音とともに薄紫色の光の膜が大きく歪み、その中心に一本の亀裂が走った。亀裂は瞬く間に広がり、幾重にも枝分かれしていく。
そして――。
甲高い破砕音とともに、魔力障壁が砕け散った。
無数の光の破片が宙に舞い、その向こうに立つルシエラの姿が露わになる。だが、零の拳はそこで止まらず、障壁を打ち砕いた勢いを保ったまま彼女へと迫った。
そして、確かな手応えとともに、その身体を捉えた。
しかし、次の瞬間、零は自分の目を疑った。
ルシエラは、動いていなかった。
拳を受けたはずの身体はわずかにも揺らがず、長い紫紺の髪も、身にまとった衣服の裾さえも、衝撃を受けた様子がない。あれほどの力で殴りつけたというのに、目の前の女性は最初から何も起こらなかったかのように、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「…………え?」
零は思わず息を呑んだ。
拳には、確かに何かを殴りつけた感触が残っていた。だが、目の前のルシエラは一歩も動かず、傷一つ負っていない。
零はゆっくりと拳を引き、自分の手とルシエラの顔を交互に見つめた。
「……どうして……?」
「ふふっ。驚いた?」
「……うん」
「そうでしょうね。でも、今の一撃は本当に見事だったわ」
ルシエラは楽しそうに微笑みながら、零の拳へと視線を落とした。
「……でも、当たったのに……」
「ええ。確かに、あなたの拳は届いたわね」
そう答える彼女の様子には、少しの動揺も見られなかった。
「けれど、届くことと、通じることは別なのよ」
零はその言葉を聞き、もう一度自分の拳を見つめた。
何が起きたのかは、まったく分からない。あれほど強固だった魔力障壁を破壊することはできたのに、その向こうにいたルシエラには何一つ通じなかった。
それでも、目の前の女性が自分の想像を遥かに超えた力を持っていることだけは、はっきりと理解できた。
「……すごい」
零が小さく呟くと、ルシエラは不思議そうに首を傾げた。
「あら。悔しくないの?」
「……少し。でも……」
零は顔を上げ、まっすぐにルシエラを見つめた。
「……ルシエラ、すごく強いんだね」
「あら。今さら気づいたの?」
ルシエラはくすりと笑った。
「これでも魔帝と呼ばれているのよ?」
「……うん。もっと戦ってみたい」
「ふふっ。そう言うと思ったわ」
その返答に、ルシエラは思わず笑みを深めた。
自分の攻撃がまったく通じなかったというのに、零の瞳には恐れも諦めもない。むしろ、強い相手を前にしたことで、さらに興味を掻き立てられているようだった。
「でも、今日はここまでよ。今のあなたの力について、調べたいことが増えてしまったもの」
「……もう終わり?」
「あら、そんなに残念?」
「……うん」
「ふふっ。また今度、相手をしてあげるわ」
「……約束?」
「ええ、約束よ」
ルシエラが微笑みながら頭を撫でると、零は少しだけ名残惜しそうにしながらも、素直に頷いた。
やがて身体の内側に巡らせていた力を静かに収めると、黄金色に輝いていた瞳は、ゆっくりと元の黒へと戻っていった。
その様子を見届けながら、ルシエラは先ほどの一撃について考えていた。
最初の攻撃ではびくともしなかった魔力障壁を、零は模擬戦の途中から引き出した力によって破壊してみせた。身体の内側から溢れ出した異様な圧力と、障壁を砕いた拳の威力は、いずれも彼がそれまで見せていたものを大きく上回っている。
何より重要なのは、それほどの力を零自身が意識して引き出し、制御していたという事実だった。
(……でも、まだ上があるわね)
ルシエラの脳裏に、あの日の光景が蘇る。
零の体内にある魔力を動かそうとした直後、未知の力が激しく反発し、制御を失った力が一気に噴き出した。その凄まじい衝撃は彼女の魔力障壁を打ち破り、傍にいたヴィクトリアもろとも二人を弾き飛ばした。
あの瞬間に感じた圧力は、今でも鮮明に覚えている。
今日の零が見せた力も、確かに凄まじいものだった。しかし、それでもあの暴走時の力には及んでいない。零が自分の意思で扱える力の幅は広がったものの、彼の内側には、まだ引き出されていない力が眠っているのだろう。
そして、今回の観察によって、もう一つ分かったことがある。
零は魔力に干渉することなく、未知の力だけを高めていた。その間、以前のような激しい反発は起こらず、少なくとも今回の使い方では、出力を増しても直ちに暴走するわけではないらしい。
(……やはり、問題は体内の魔力を動かしたときね)
暴走の引き金は分かっている。けれど、なぜ魔力を動かすと未知の力が反発するのか、その理由までは解明できていなかった。
原因が分からない以上、同じ方法を繰り返すわけにはいかない。零が安全に魔法を扱えるようになるためにも、まずは二つの力の性質を慎重に調べていく必要がある。
(……焦る必要はないわ。少しずつ、確かめていきましょう)
そう心の中で呟くと、ルシエラは零へと視線を戻した。
「ねえ、零。さっきの力、どうやって引き出したの?」
「……分からない」
「あら、そうなの?」
「……うん。でも、前より使えるようになったみたい」
零は自分の手を見つめながら、ゆっくりと言葉を続けた。
「……ヴィクトリアと戦ったときは、ここまでできなかった。でも、さっきは……まだ使える気がしたんだ」
「……そう」
ルシエラは考え込むように目を伏せた。
本人にも理由は分からないらしい。それでも、以前は届かなかった力に、今は自分の意思で触れられるようになった。その変化は、零の成長を示す確かな一歩なのかもしれない。
「身体は大丈夫? どこか痛んだり、苦しかったりしない?」
「……ううん。大丈夫」
「そう。ならよかったわ」
ルシエラは安堵したように微笑むと、周囲に張り巡らせていた結界を解除した。
庭には再び穏やかな風が吹き始め、先ほどまでの異様な重圧が嘘だったかのように、木々の葉がさらさらと揺れている。
零はしばらく自分の拳を見つめていたが、やがて顔を上げると、ルシエラへと視線を向けた。
「……ねえ、ルシエラ」
「あら、なあに?」
「……次は、もっと強くなってから挑戦するね」
その言葉に、ルシエラは一瞬だけ目を丸くした。
そして、すぐに楽しそうな笑みを浮かべる。
「ふふっ。それは楽しみね。でも、そう簡単に負けてあげるつもりはないわよ?」
「……うん」
嬉しそうに頷く零を見て、ルシエラは小さく笑った。
自分の身体に眠る力の正体も、まだ知らないというのに。
目の前の少年は、そんなことよりも、次にどれだけ強くなれるのかを楽しみにしているようだった。
その無邪気さに呆れながらも、ルシエラは不思議と悪い気がしなかった。




