5.悪夢のお茶会
イザベルが八歳の時、一歳年上のグラール公爵家の嫡男オスカーと婚約した。
双方の祖母同士の仲が良く、オスカーの祖母、先代公爵夫人が美しく利発なイザベルを気に入ったからだ。
魔導騎士団長であるグラール公爵も、イザベルを快く歓迎してくれた。
だが、先代公爵夫人が身罷ると、雲行きが怪しくなった。
当代公爵夫人クロティルドは、オスカーを溺愛している。
彼女にとって、自分の頭越しに決まったオスカーとイザベルの婚約は、不満でしかなかったのだ。
このランデールの東の国境付近には魔獣が跳梁跋扈し、ともすれば溢れ出ようとしてくる、通称「魔の森」がある。
「魔の森」が活発化するサイクルに入ったことから、魔導騎士団団長であるグラール公爵は、なかなか王都に戻れなくなった。
それを良いことに、クロティルドはイザベルを呼びつけ、奇妙なお茶会を開くようになった。
男性は、オスカーのみ。
女性は、同世代の令嬢たちを十数人も呼ぶ。
要は、オスカーを令嬢たちにちやほやさせ、イザベルに自分の立場を思い知らせる会だ。
まだ社交界デビューしていなかったソフィも、なぜか呼ばれていた。
金髪のオスカーは顔立ちは整っているが、我儘で不遜。
イザベルの眼の前で、他の令嬢の手を取り、相手にも嫌がられているのに、にちゃにちゃしてみせることもあった。
その日も、オスカーは、イザベルの方をちらちらしながら、隣に座らせた愛らしい令嬢の手を握ったりしていた。
青ざめた令嬢は、必死に手を引こうとしている。
もうじき、思いあっている幼馴染との婚約が整うところなのだ。
しかし、オスカーは面白がって手を放さない。
ソフィは、痛ましくて見ていられなかった。
息子がそんな不埒をしているのに、クロティルドは、グラール公爵家にふさわしいのは、コルセットが不要なほど華奢な令嬢だが、同時にたくさん子を産めるよう、健康でなければならないとか、どう考えても両立は無理だろうという御高説を垂れていた。
クロティルドの隣に座った、オスカーの妹のレオノーラは、母の言葉に相槌を打ちながら、イザベルとソフィを睨んでくる。
先代公爵夫人が存命の頃は、仲良く遊ぶことだってあったのに。
不意に、イザベルがコンコンとわざとらしい空咳をした。
「残念ですわ。わたくし、実は身体が弱くて……
ちょっとしたことで、すぐに熱を出してしまうんです。
そうよね? ソフィ」
記憶にある限り、一度も寝込んだことのないイザベルは、しれっとソフィに振ってきた。
「そ、そうですわ。お姉様は、小さい頃から身体が弱くて」
皆の視線が集まる中、真っ赤になったソフィは必死で合わせた。
「というわけで、わたくし、グラール公爵家にふさわしくありませんので、失礼いたします。
今後のお招きも、ご遠慮させていただきますわ」
一息に言うと、すっとイザベルは立ち上がった。
ソフィも慌てて立ち上がり、二人でお辞儀をすると、あっけにとられているクロティルドやオスカーを置いて、足早に立ち去る。
「戻れ、イザベル!」
背後からわめき声が聞こえたが、姉妹はぎゅっと手をつないで足を早めた。
なぜか、他の令嬢達も「わたくし、持病の癪が」「貧血気味で」「よく脚が攣るので」と言い訳しながら、次々と逃げ出す。
「お姉様。これ……一体、どうなさるの?」
小走りになって馬車に向かう途中、ソフィは小声で訊ねた。
「どうもこうもないわ。このまま大神殿に駆け込んで、女神フローラにお仕えする道に入るしかないじゃない」
髪を断って俗世を離れ、家族とも縁を切るということだ。
ソフィは青くなった。
「ダメよ! そんなこと!」
「じゃあどうしろっていうの!
わたくし、こんな家に嫁ぐのは絶対に嫌よ!
あんな男と結婚するくらいなら、ランデ河に身投げしてやるわ!
本気よ!」
小声のまま、イザベルは激しく言い返した。
その瞳が涙できらめいている。
誇り高いイザベルにとって、あのような場に耐えることがどれだけ辛かったのか、ソフィはようやく理解した。
しかし、格上の家に嫁ぐことこそが女性の誉と考えている母は、この縁談にしがみつくだろう。
今日のことを知れば、イザベルの首根っこを掴んででも、無理やりクロティルドとオスカーに謝らせるはずだ。
父も、公爵家との婚約解消となれば二の足を踏むはず。
今は海辺の別邸で隠居している祖母セレストも、亡き親友のために、イザベルがオスカーを支えることを望むはず。
高潔なグラール公爵がいれば、クロティルドとオスカーを叱り、イザベルの味方になってくれたかもしれないが、彼は遠く離れた「魔の森」で戦っている。
では、いったい誰ならイザベルを助けてくれるのか。
逆に言えば、両家を抑える力を持っているのは、誰だ。
そこまで考えて、ソフィは閃いた。
「お姉様。大神殿に向かう前に、王太后様におすがりしましょう」
子供の頃から、不思議と自分に目をかけてくれる王太后しかいない。
ソフィは、イザベルがなにか言う前に、馬車を離宮に回すよう、付き添いに頼んだ。
結論から言うと、それが正解だった。
なにしろ急だったので、目通りを願ってから待たされること2時間近く、5分間だけならと言われた面会。
賢いイザベルは、公爵家の扱いが酷いと訴えたりしなかった。
そのような私事、王家がいちいち介入する問題ではないからだ。
その代わり、オスカーが令嬢たちに対して我が物顔で振る舞い、嫌がっている令嬢の手を、人前で無理やり握って離さなかったことを告発した。
被害にあったのは、下位貴族の令嬢達。
公爵家に逆らえない立場の者を選んでわざと上座に座らせ、逃げられないようにしていたのだ。
王太后は、貴族の範であるべき公爵家がそんな愚かなことをしていたのか、よくぞ知らせてくれたと姉妹を褒めてくれ、その場で父母にイザベルの判断を支持する手紙を書いてくれた。
その後、しばらくゴタゴタしていたようだが、王太后のとりなしもあり、無事婚約は解消された。
戦地のグラール公爵からは、妻と息子の不始末を詫びる手紙と、慰謝料の申し出も届いた。
慰謝料は父が固辞し、これで一件落着となるはずだった、のだが──
かえって、オスカーはイザベルに執着してしまった。
イザベルが、同世代の令嬢たちの中で、抜きん出て美しいこともあるのだろう。
イザベルは自分のものだ、妻としてまだ足りない面があるから婚約を解消したが、いずれ彼女が成長したら結婚してやる、などと、誰がどう聞いてもおかしいことを、平然と言いふらしている。
ソフィが見るところ、イザベルを好ましく思っている貴公子は何人もいるのだが、彼女にアプローチしようとすれば、オスカーが妨害してくることは誰の目にも明らか。
王家も、イザベルの縁談は気にかけてくれているようだが、正式に婚約解消できた時には十八歳になっていたこともあり、イザベルの立場に見合った縁談となると、なかなか難しい。




