7
取り調べ室の中には、淀んだ空気が流れていた。
格子の嵌った小さな窓を背に、マーさんと呼ばれていた間宮龍平が座っている。
窓から朝陽が差し込んでいる。
遠くから、クマゼミの鳴く音がせわしなく聞こえてくる。
間宮は口を引き結んだまま、遠くを見るような目でこちらを見つめている。
面長で、瞼には薄く隈がある。
頬がこけており、悲壮感が漂っている。
高根がテーブルを挟んで間宮の正面に座り、
真壁は出入り口のドア脇にあるデスクにつき、
パソコンを開いて話の詳細を記録していた。
間宮龍平、55歳で名古屋市西区の出身。
数年前から仕事を辞め、ホームレスになったという。
「どうしてホームレスになったんですか?」
高根からの質問に、薄っすらと笑みを浮かべ、間宮は小さく息を吐く。
「働くのに疲れてしまったんです。
毎朝満員の通勤電車に乗り、会社に行って帰っては食べて寝るだけ。
そのつまらない日々に嫌気が差して。
通勤中の電車の中で思ったんです。
俺、こんな面白くもない平凡なレールに乗ったまま、死んでいくのかって」
間宮は両腕を組んでテーブルの上にのせ、高根の顔を伺ってくる。
小さく口を開け、またも微妙に微笑んでみせる。
「その点、刑事さんは退屈しないでしょうね。
日々事件が起きて、犯罪者と顔を合わせるんですから。
起伏のない、平凡な生活とは大違いだ」
諦念のようなため息をつき、間宮はパイプ椅子の背に身体を預ける。
真壁からは、落ち着き払っているように見えた。
それと同時に、違和感も芽生えていた。
前回、話を聞いた時と雰囲気が違う気がするのだ。
それは気のせいなのか。それとも意図して、そう見せているというのか。
真壁は言いようのない気持ち悪さを抱えつつ、パソコンに向かっていた。
「警察もそんな良いもんじゃ無いですよ」
鼻でせせら笑い、高根が頭を振る。
署内で置かれている境遇を思いながら、鬱屈したものを吐き出すようだった。
「陰惨な事件ばかり目にしていると、
平凡な日常がどれほど尊いものか痛いほど分かりますよ」
高根の言葉を聞き、間宮が両手を口元に持っていき、小さく頷く。
「隣の芝は青く見えるということですかね」
間宮がしたり顔で言葉を継ぐ。
まぁ、そんな所だと高根は頭を掻きながら答える。
「それで、なぜ今頃になって自首したんですか?」
高根が声音を厳しいものに変える。
その変化を察し、間宮の表情からも笑みが消える。
「捕まるのが怖かったんです。
ホームレスの生活を続けられなくなるのが。
一般の人達から見れば、ホームレスの生活よりは、
刑務所の方がマシに見えるでしょう。
それでも、私にとっては手放したくないものなんです。
ただ、あなた方が聴取にいらした時点で、
捕まるのも時間の問題だと思いました。
ならば、自首した方が良いのではないかと。
そうすれば多少なりとも、刑が軽くなるでしょう」
淀むことなく、平然とした様子で間宮は語る。
その様子からも、真壁は心に引っかかりを覚えた。
間宮の声音や表情から、犯した罪への後悔が感じられないのだ。
まるで他人事のように、台詞をただ追っているだけのように見えてしまう。
罪の意識など少しも持っていないのか、
それとも誰かの罪を被っているとでもいうのか。
真壁はどちらとも、判断が出来ない。
「そうですか。
私たちが貴方の元へ話を聞きに行ってから、一週間が経っています。
自首するまでに時間が掛かり過ぎているような気がしますが」
高根が挑戦的な目で間宮を見る。
それを気にも止めずに、間宮は落ち着き払って答える。
「ホームレスと言っても、色々身支度を整えないといけませんのでね。
それに何より、逃げようかと悩んでもいました」
「それでも、自首したのは?」
「どうせ捕まると思って。警察は優秀ですから」
高根が口に手を当て、間宮の顔をじっと見つめている。
少しの心の変化も見逃さないように、神経を研ぎ澄ましているように見える。
間宮が真実を語っているのか、
騙されないように、細心の注意を払っているように。
一方、真壁は間宮の言葉を信用し切れないでいる。
語られる言葉の一つ一つが、作り物めいたものに感じる。
一体何の目的で、間宮がこんな言動をするのかが理解できない。
取調室に沈黙が流れる。
どうすれば、間宮の本性を暴けるのか。
真壁は静けさの中で、独り黙考していた。
「それで、スーさんという人物を殺したのはなぜです?」
高根と間宮の視線が交錯する。
お互いに出所を探っているようだ。
高根は視線を外すことなくじっと見つめ、
間宮が根負けしたように視線を宙に外す。
「僕たちは、空き缶を拾って日銭を稼ぐんです。
そう大した額にはなりませんが、少しの食べ物を買うことは出来る。
その空き缶を拾う縄張りみたいなものを各自、僕らは持っているんです。
その僕の縄張りをスーさんが無断で入って、空き缶を拾っていくもんだから。
何度もやめるように言ったんですけどね。
なかなかあの人も強情なんで。
その日も口喧嘩になって、頭に来て首を絞めてしまったんです。
怒りに任せて、力一杯。
ふと気づいたら、息をしていなくて」
間宮が目を伏せ、机上の一点を見つめ、黙り込む。
殺害時の光景を思い出しているのだろうか。
苦悩に満ちた被害者の顔を思い出し、後悔の念が湧いてきているのかもしれない。
事前に聞いていた殺害の動機とは、一致している。
ただ、間宮が真実を述べているのかと、真壁は疑問だった。
「そんな些細なことで殺してしまうなんて、おかしい。
そう言いたそうな顔をしていますね」
間宮が高根と真壁の気持ちを代弁するように、蔑みの目を向けながら言う。
「そのことがきっと、僕らのことを軽蔑している証拠ですよ」
間宮は机上に置いていた手を握りしめ、目を見開く。
「例えば、刑事さんが職を失ったとしましょう。
そうなった時、刑事さんは平然としていられますか?
取り乱し、ともすれば、アイデンティティを喪失してしまうのではないですか?
生活の糧を失うのは、そういうことだと思いませんか?
私も、それと同様の仕打ちを何度も受け、苦しんでいたんです。
殺す動機としては、十分だと思いませんか?」
力のこもった眼差しで、間宮は高値を見つめる。
気持ちが高ぶっているのか、呼吸と共に肩が小さく上下している。
薄弱な根拠を、感情で後押ししているように真壁には見えた。
ホームレスだからといって、
そんな些細な動機で人を殺すなど、どうしても受け入れられない。
こう考えること自体が、
ホームレスと自分達を分ける境界になっているというのか。
同じ人間だというのに、そこまで規範がズレてしまうのか。
真壁は頭の中を激しく揺さぶられているような感覚になる。
高根は額に皺を寄せ、手で首を摩っている。
心の内では真壁と同じことを考えているのだろう。
ただ、自分達が納得出来るほどの供述は望めないだろう。
重要なのは、間宮が本心を語っているかどうかだった。
それを知る術がなく、高根と真壁は手をこまねいているのだった。
「あなたと生活を共にされていた仲間達は皆、
口を揃えてあなたは温厚な人だと言ってました。
そんなあなたが、そのような理由で人を殺すんでしょうか?」
間宮が頭を振り、飽きれたような目で高値を見る。
まるで出来の悪い子供を目の前にしたような態度で。
「何を大切に生きているのかなんて、人それぞれでしょう?
誰だって、大切な物を奪われるのは辛い。
それが、命に直結しているのなら尚更。
この動機の正当性を疑うのならば、
過去のどんな犯罪も疑わなければいけないのでは?」
真壁は、こちら側が糾弾されているような感覚になった。
あくまでも、間宮は主張している動機が真実だと言っている。
それは決して、揺らぐことは無かった。
先程まで、激しく泣いていたセミの声がいつの間にか静まっている。
懸命に泣き、疲れを癒そうと休んでいるのだろうか。
真壁も同じように疲弊していた。
頭が重く、背筋が凝り固まっている。
高根の背中もそれを物語っていた。
項垂れたように背中が丸まり、頬杖をついている。
間宮の取り調べは、新しい供述が出てくることなく終了した。
この様子では、
間宮の口からそれが出てくるのは難しいのでは無いかと真壁は思った。
間宮は能面のように感情の無い顔で、部屋を出て行った。
それが心の内を人には見せないと決心しているように、真壁には見えた。
「間宮は本心を語っているんですかね?
あんな動機、信じろと言われても無理があります」
真壁が腹の怒りを鎮めるように、高根に問いかける。
真壁は取り調べの後、高根と小谷と共に休憩室にいた。
高根が眉間に皺を寄せながら、煙草を吸っている。
「確かにそうなんだけどね。
本人がそう供述していることには信じるしかない」
そう言った後、小谷は甘ったるい缶コーヒーを飲む。
そんな物を飲んでいるから太るんだと、真壁は内心毒づきたくなる。
「先輩はどう思いましたか?」
高根は渋い顔で煙草の煙を燻らせている。
「まぁ、供述に関しては信じるしかねぇだろうな。
本心を言っているかどうかは、さっぱり分からん」
煙草を強くもみ消し、高根は両手を上げる。
「じゃあこのまま、あいつは検察に送られることになるんです?」
「拘留期間が来たら、そうなるだろうな」
高根が遠い目をしながら、窓外の景色を見つめている。
その様子がすでに勝負を諦めたように、真壁には見えた。
「そんな、おかしいですって。
あいつ何か隠してますよ、絶対」
真壁は立ち上がり、指揮が下がりかけている二人に噛みつく。
「隠してるって、一体何を?」
怪訝な顔をしながら、小谷は頬を搔いている。
そう問われると、真壁は答えに窮してしまう。
真壁は何のために、あんな動機を語っているか。
隠している事があるとしたらどんなことか。
「例えば、真犯人を庇っているとか?」
「そうだとして、あんな動機を話す理由はなんだ?
俺なら、もっとマシな動機を語ると思うがな」
高根が二本目の煙草に火をつけ、煙を吐く。
小谷もそれに同調し、小さく頷いている。
「だとしたら、殺したのには別の理由があるとか?」
真壁が頭を傾げながら言う。
自分で言ったにも関わらず、果たしてどんな理由があるのかと疑問に思う。
「それにしたって、同じだ。
もっと現実味のある動機にすると思う」
小谷が困ったような顔で、後輩を宥めるように言う。
真壁は反論できずに、眉間に皺を寄せる。
「これから、どうします?
このまま黙って、送検されるのを待つだけですか?」
高根、小谷共に弱った顔で、斜め上を見る。
その様子を見て、真壁は肩を落とす。
今の捜査状況では、目撃証言はおろか、犯人を示す証拠すら出てきていない。
こんな状態では、間宮の証言を鵜呑みにするしかない。
「動機の面はともかく、あいつが犯人だという証拠を集めるしかないだろう。
そのためにも、奴から話を引き出さなくてはいけない」
皺の寄った額を掻きつつ、高根が言う。
その言葉はごもっともだとは思うが、果たして可能なのかと真壁は思った。
信憑性の薄い動機を語る人間が、その他について真実を話すのだろうか。
真壁は先を憂いて、深いため息をつく。
他の二人も遠い目をして、中空を見つめている。
自販機の稼働音が、いつにも増して休憩室に大きく響いていた。




