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窓から見える太陽が、地平線に消えようとしている。
マンションやビルなどから、仕事を終えた会社員が帰途につき始めている。
警察署の休憩室の自販機が、うるさいほどに稼働音を響かせている。
高根が自販機で缶コーヒーを二本買い、一方をベンチに座っている真壁に渡す。
「やっと被害者の身元への糸口が掴めると思ったのに、残念でしたね。
真壁が礼を言い、コーヒーを飲む。
駅前で死体で見つかったホームレスが、
仲間内からスーさんと呼ばれていたのは分かった。
しかし、それ以外のことは殆ど分からなかった。
捜査が多少は前進したかに思えたが、またもや停滞しそうな雰囲気だ。
「まぁ、寝泊まりしていた場所が分かっただけでも良かったじゃないか」
高根が目を細めながら煙草を吸う。
捜査範囲を広めた成果が出て、
内心ほっとしているのかも知れないと真壁は思った。
「それにしても、被害者が殺された理由は何だと思いますか?
仲間のホームレスは皆、口を揃えて善人だと言ってましたけど」
真壁が口を尖らせて言う。
「何だ。何か気になるのか?」
二人の視線がぶつかり、真壁が頭を振って答える。
「いえ、仲間の言っている事が本当だとすると、
そんな人間がなぜ殺されたのかと思って。
もしかすると、顔見知りではない無差別の犯行じゃないかって」
ふっと高根が鼻で笑い、煙草の火を灰皿で消す。
その反応に真壁は不服な顔になる。
「この事件は無差別の犯行じゃ無いと、俺は思ってる。
きっと犯人は、被害者に近しい人間だろう」
迷いの無い、きっぱりとした口調で高根が言う。
その自信はどこから出てくるのかと真壁は思った。
「遺体が発見されたのは、駅前のベンチだろう。
もし、通り魔的な犯行だったとして、
わざわざそんな目立つ場所に、遺体を残していくか?」
「確かにそうですが。
じゃあどうしてあんな場所に遺体を放置したのでしょう?
遺体の発見を避けるのが普通ですよね。犯人の狙いは何なんでしょう?」
高根が両肘を曲げ、手の平を肩まで上げる。
「それは分からない。いずれにしろ、何か深い意図があるに違いない」
「でも、本当に被害者の近くに犯人がいるんでしょうか?
少なくとも、今まで話を聞いた人間の中には、
怪しい奴はいなかった気がします」
真壁は話を聞いたホームレス達の顔を思い浮かべる。
恨みはおろか、被害者が死んだことを皆が悲しんでいた。
被害者に恨みを持つ人間などいるのだろうか?
真壁は眉間に皺を寄せ、高根に鋭い視線を向ける。
「そんな簡単に人の心の内なんてわかんねぇよ。
嘘なんて、平気でつけるんだからな。
お前だって、そんな奴をごまんと見て来ただろう。
とにかく、何にでも疑って掛かることだ」
高根が缶コーヒーを飲み終え、空き缶をゴミに放り投げる。
「遺体の発見場所についてもう一つ気になるのは、
被害者の生活圏から遠過ぎるという点だな」
真壁の隣に座り、高根は窓外の景色に視線を向ける。
胸ポケットから煙草を取り出し、ライターで火をつける。
場水駅から被害者が生活していた公園までは、車で三十分ほどの距離がある。
ホームレスの足での移動は困難だろう。
殺害現場が駅の近くだったとしても、
どうやって被害者をあの場所まで連れて行ったのか?
車だとすると、犯人はホームレスではなく、一般人の中にいるということか。
被害者の関係でそんな人物がいるのだろうか?
真壁は高根にその疑問をぶつける。
「現時点では、何とも言えん。
被害者の身元が明らかになるにつれて、そんな奴が浮かんでくるかもしれん」
高根が深くため息をつく。
その道のりは、決して楽なものでは無いのは今の時点でも明らかだ。
未だに被害者の呼び名しか、分かりえた情報は無いのだから。
この状況を心の底では憂いているような、ため息だった。
真壁は出口の見えないトンネルを、あてもなく歩いているような感覚だった。
高根が立ち上がり、煙草を灰皿で消す。
階段の昇降の音が聞こえてくる。
例の殺人事件の捜査本部がある、上階で動きがあったのかもしれない。
「ここに居たんですね。探しましたよ」
小谷が息を切らしながら、休憩室の階段脇に立っていた。
小谷は真壁の三期上の先輩にあたる。
贅肉を抱えたお腹が膨れ、野暮ったい眼鏡を掛けている。
これで柔道で愛知県警の代表なのだから、人は見た目によらない。
彼もこのホームレス殺人事件の捜査に当たっている、数少ない人員だった。
「そんな邪魔者を見るような目で、見ないで下さいよ」
高根は怪訝な目で、彼を見ていた。
見た目のこともあって、小谷はよく高値から弄ばれている。
「どうした?晩飯の誘いにでも来たのか?」
「そんな訳ないじゃないですか。例の被害者の指紋の識別結果が出たんです」
被害者の指紋を臼井教授に問い合わせ、それを小谷が調べていたのだ。
「過去のデータベースにヒットしたのか?」
高根からの問いに、小谷は目を光らせ、口角をあげる。
「はい、面白い事が分かりました。
詳しいことは、セキュリティルームで話します」
小谷は目配せをした後、階段を降りていく。真壁達もそれに続いた。
真壁は真っ暗だったトンネルの中に、微かに光が差した気がした。
セキュリティルームに入った真壁は、息を飲んだ。
部屋を占拠するほどの大きなサーバーが、
幾つものランプを点灯させながら稼働している。
部屋と隔てた壁にある窓からその様子が見え、真壁は言葉を失った。
部屋の中央には、テーブル上に四台のデスクトップパソコンが置いてある。
小谷は奥の椅子に座り、パソコンを操作し始める。
真壁達はその背後に回った。
小谷が慣れた手つきで、県警のサーバーにログインしていく。
ログイン後に、指紋データベースが立ち上がる。
画面の左には四角のスペースがあり、
右側には名前、生年月日などの詳細欄がある。
小谷が操作をし、左側に指紋が赤色で表示される。
「これが、死体で発見されたホームレスの指紋です」
指紋が表示された下側に、検索のボタンが表示されている。
小谷はカーソルを移動し、検索のボタンを選択する。
画面に渦巻状の図が表示され、検索が掛けられる。
その様子を、真壁と高根は固唾を飲んで見守る。
数秒後、検索終了の音が鳴り、画面に写真と詳細欄が表示される。
「二十年前の写真になりますが、面影はありますよね」
小谷が振り返り、二人の反応を伺うように見つめる。
写真の男は目を細め、陰鬱な表情でこちらを見ている。
頬には肉がついており、遺体で発見された時よりも太っているようだ。
髭も剃られ、髪も短く刈られており、清潔感がある。
大分印象が違うが、鼻や口など変わりようが無い部位は共通している。
「この写真が逮捕された時の物ですね。
名前は田尻修一、出身は富山の高岡市で年齢は当時で四十歳です」
小谷が画面を確認しながら、身元の欄を読み上げる。
真壁は写真から、目が離せなかった。
写真に写る男は、見るからに犯罪者だった。
遺体の姿やホームレス仲間達から聞いて浮かんでいた物とは、解離していた。
指紋が一致したにも関わらず、同一人物だとは思えなかった。
「罪状は詐欺か」
高根が低い声で、小さくつぶやく。
小谷が頷き、その後を引き取って説明を加える。
「詳しい被害額などは載っていませんが、
数百人単位の人が被害に遭っていますね。
ネズミ講の会社を経営し、お年寄りから若者まで、
幅広い年齢の人達を騙していたようです」
真壁は、被害者の過去の犯罪の大きさに驚きを隠せなかった。
善人などではなく、疑うことなき悪人でしかない。
こんな人間であれば、殺されても仕方がないと真壁は思った。
「凄い数の被害者だな」
高根も犯罪の重さと大きさに、言葉を失っていた。
眉間に皺を寄せ、汚物を見るような険しい目で画面を凝視している。
「田尻が直接手を下した訳ではなく、
部下などがやったのがほとんどだとは思いますが。
流石に数が多すぎますね。こんな悪党が、ホームレスになっていたとは」
なぜこんな人間がホームレスになったのかと、小谷は言いたげだった。
高根や真壁もその疑問を持たずにはいられない。
「この被害者達の中に、今回の犯人がいるんでしょうか?」
真壁が言い、高根に視線を向ける。
「その可能性はあるが、二十年も前の話だからな。
仮にそうだったとして、なぜ今になって犯行に及んだのか」
「また、犯人はどうやって、田尻をホームレスの中から見つけたのか」
小谷が田尻の疑問を補足するように、言葉を継げた。
それに、高根がゆっくりと頷く。
「この他にも田尻に余罪は無かったんでしょうか?
もう少し、時間が経過した後でやったなんていうことは?」
「警察に捕まっていないような罪が、もしかしたらあるかもしれんが」
高根が頭を小刻みに振る。
可能性としてはあるかもしれない。
しかし、それは想像の域を出ない事は真壁にも分かった。
「もしこの被害者の中に犯人がいたとして、どうやってそれを調べますか?」
真壁が奥歯に物が挟まったように言う。
人員が少ない中で、こんなに昔の事件の多くの被害者について調べるなど困難だ。
高根や小谷も同様の考えだろう。二人とも一気に表情が曇った。
「時間も大分立ってますし、既に死んでいる被害者もいるでしょうね」
小谷が額に皺を作り、困惑している。
高根は黙って腕を組み、じっと画面の田尻の写真を見つめている。
沈黙の中、パソコンの稼働音が流れる。
「まずは、被害者の親族を回るしかないだろう。
いるかどうかも分かんねぇけどな」
高根が沈黙を破り、頭を掻きむしる。
小谷もその考えに同調した。
現状分かっている事と言えば、出身地のみだ。
そこから辿っていくしか、道はない。
しかし、親族がいない可能性も十分にある。
藁をも掴むような思いだが、真壁はその可能性を信じるしかなかった。




