表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/9

2

守は空腹がこれほど辛いとは思わなかった。

かれこれ、三日は何も食べていない。

水は公園の蛇口で事足りるが、食べ物はどうにもならない。

残飯などが捨てられてはいないかと、コンビニを転々とするが中々見つからない。

空腹にどこまで耐えられるのだろう。

このまま道端で倒れてしまうかも知れない。

空腹での死か。

それも自分らしいかと思いながら、頼りない足取りで街を歩いていく。

すれ違う人が、奇異の目を守に向けていく。

身に着けている服は、見た目には汚れてはいない。

しかし、体臭はどうにもならない。

自分がどれほどの異臭を放っているのかさえ、判別がつかないほどになっている。

周囲からどんな目で見られようと、守は既に気にしなくなっている。

自分をこの世の中の落伍者だと、彼らは見ているだろう。

守はそれでも構わない。

資本主義という歪んだ制度で無自覚に生きていくぐらいならば。

餓死した方がマシだ。

守は空腹のせいか、めまいがしてくる。

少し先に公園があるのを発見し、守はそこで休むことに決めた。

ベンチに座り、荷物を脇に置き、息を整える。

こうしていても、腹は空腹を知らせる音を出す。

公園には、小さな子供達とその保護者がいた。

保護者の中の一人の女性が守を見て、怪訝な顔をする。

話し合っていた主婦達も、その女性の話を聞き、嫌な顔をし出す。

公園は公共の場では無いのだと、守は気づかされる。

税金を納めて、衣食住の面倒を自分で見れる者が、この場を遣う資格があるのだ。

保護者達の様子を見ていると、そんな陰口を叩かれている気になる。

遊んでいる子供達にも悪い影響を与えないかと、心配しているのだろう。

通常ならば、こんな場所で休もうなどとは思わない。

でも、今はそんなことは言ってられない。

意識も少し朦朧とし始めている。

水でも飲みたいが、今は子供たちがジョウロを手に、水場を占拠している。

守は視界を遮るように、両腕を組んで項垂れる。

「オジさん、大丈夫?具合でも悪いの?」

顔を上げると、左右に髪を二つに結んだ年長ぐらいの女の子が立っていた。

「こら、知らない人に話しかけないの」

守が返事をする間もなく、慌てた母親に女の子は抱えられていった。

それを合図に、遊んでいた子供達と保護者がいそいそと公園を出ていく。

否応なく切ない気持ちになり、守は水場へ行き、蛇口から水を出す。

ゴクゴクと大きな音を立て、空腹を満たすように水を飲み続けた。

腹の音は鳴りやみはしたが、食欲までを満たすことは出来ない。

昼時なので、ビジネスマンの二人がコンビニの袋を抱え、公園の脇を歩いていく。

無意識に守はそれを目で追ってしまう。

二人を追いかければ、残飯に有りつけるのではないか。

そんな僅かな希望に引き寄せられるように、守は公園を出て行こうとした。

「兄ちゃん、困ってるようやね」

後ろから声を掛けられ、守は振り返る。

そこには、腰が少し曲がり、汚らしい恰好をしたお爺ちゃんがいた。

灰色の毛糸の帽子を被り、埃にまみれたダウンベストを着ている。

微笑んでいる口から、前歯が異様に隙間が空いているのが見える。

「腹空かせてるんやろう。ワシについてきなされ」

守の返事も聞かず、老人が踵を返して歩いていく。

ついて行くのか守は迷ったが、食欲に耐えられなくなり、老人の後を追った。


「兄ちゃん、この世界に入ったばかりやろ。

 見ていてあまりに可哀そうやったから、声を掛けずにはおられんかった」

かりんとうを隙間の空いた前歯で齧りながら、老人は言った。

連れて来られたのは、だだっ広い公園だった。

その敷地の一角に、老人は数人の仲間と住んでいるようだ。

段ボールとブルーシートで四方を囲んである居室が数個あり、

その中の一つが老人の物だった。

その老人の居室に、守は上がり込んでいる。

守の前には、かりんとう、せんべい、麩菓子と

高齢者向けのお菓子が広げられている。

せんべいを食べ、醤油の香ばしさと塩味が口の中に広がる。

空腹は最高のスパイスだというが、妙を得ていると守は思った。

「すみません。ご馳走になってしまって。何と言って良いか」

こんな老人に助けて貰い、守は自分を情けなく感じた。

「そんなかしこまらんと。ええんやで、気にせんで。

 困ったときは、お互い様やから」

老人が豪快に口を開けて笑う。

自然と口元に目が行き、足りない歯が数本あるのに気づく。

それは歳のせいなのか、食生活の影響か。

自分もこうなってしまうのかと守は不安になる。

「あの、あなたはこの生活は長いんですか?」

「スーさんでええで。みんなからそう呼ばれてるから。

 この道、二十年のベテランよ。分からんことあったら、なんでも聞いてぇな」

コーラなのだろうか。

黒い液体をぐいっとスーさんが飲み干し、ニンマリと微笑む。

「スーさん、ですか?」

「ワシの前歯、隙間空いてるやろ。

 そやから話すとき、そこから息がスーって漏れるんよ。

 やから、スーさん。適当なあだ名やろ。まぁ、別にええんやけどね」

またも、スーさんは大きな声で笑う。

守は笑って良いのやら、ぎこちない笑みになる。

しばし、お菓子を咀嚼する音が居室内に響く。

一体、目の前の老人とどんな話をすれば良いのか、守は分からないでいた。

「なんで、ホームレスになろうなんて思たん?」

唐突にスーさんが守に質問してくる。

予期せぬ質問に、守はせんべいを喉に詰まらせる。

「話したくなかったら、別に良いんやで。

 ホームレスになる理由なんて、人それぞれやし」

スーさんが遠い目をする。

ホームレスになった過去を思い出し、感傷に浸っているのかもしれない。

「大切な友人を亡くしてしまって」

守は進のことを目の前の老人に向かって話し出した。

スーさんは黙ったまま、優しくその話を聞いてくれた。

「あんたも苦労したんやな。お金はほんまに、人を狂わすからな」

守の話を聞き終わった後、スーさんは目を細めて呟いた。

「人間なんて欲の塊みたいなもんやから。

 どれだけでも、お金を求めてしまうんやな。

 あんなんただの紙切れでしかないのに」

スーさんの顔に影が差した。

彼も、お金が原因でホームレスになったのだろうか。

守はその様子に見入っていた。

「これからどうして行きたいとかあるん?」

質問の意図が判らずに、守は目を丸くする。

まるで、子供に夢を聞く学校の先生のようにスーさんは聞いてきた。

「いえ、特には。

 とりあえず、自分だけの力で生きて行けたらと思ってます」

「なんや、オモロないな。自分、夢とかないんかいな」

ホームレスになった今、夢など持てるものじゃないと守は思っていた。

目の前の老人は、一体どんな夢を持っているというのか。

「ちなみにスーさんはどんな夢を?」

「なに、聞きたい?」

スーさんが勿体つけるように言う。

仕方なく、守は聞きたいと言う。

「ワシの夢は、孫に会うことやね」

隙間の空いた前歯を見せびらかすように、スーさんは口を大きく開けて笑う。

大した事のない夢だなと、守は心の中で毒づいた。

ホームレスのお爺ちゃんに会いたい孫なんているのか。

そんな当たり前のことが頭をよぎり、

確かに夢ではあるのかも知れないと守は思った。

「さては、小っさい夢やなとか思ってるんやろ。

 でも、どんな夢でもあった方が、毎日楽しくなるやろ。

 ホームレスやからって、夢を持ったらいかんなんて無いんやから」

守はその言葉にハッとさせられる。

自分は夢を持てていたのだろうかと思った。

考えてみれば、これまでは進の夢が自分の物になっていた。

それ以前も、現在も自分だけの目標というものを持ったことがないと気づく。

「急に言うてもあれやから、まぁ、自分のペースで見つければ良いんとちゃう」

またも大きな声で笑いながら、スーさんはせんべいを頬張る。

その後も、守はお菓子を食べ続け、久しぶりの満腹感を得た。

「ありがとうございました。本当、何とお礼を言ったら良いか」

「別にええよ。ワシかて久しぶりに、若者と話せて楽しかったし。

 あんたいつもどこで寝泊まりしてるん?」

「適当な公園とかで野宿してます。特に決まった場所は無いですね」

そうなんと言い、スーさんが可哀そうな子犬を見るような目を守に向ける。

「仕方ない。こうやって出会ったのも何かの縁や。

 大先輩のワシが、アンタの面倒見たろう」

スーさんはそう言って、右手を握りしめ、軽く胸を叩いた。

「今日からワシの事を、親父と思ってくれてええから。

 落ち着くまで、この部屋で寝泊まりして貰ってええし」

「嬉しいんですが、流石にそこまでしてもらうのは気が引けるというか」

話が思っても見ない方向に進み、守は戸惑ってしまう。

「そうやせ我慢をしなさんな。そうやって気を遣う相手やないし」

結局その日は、その言葉に甘えてこの居室に守は泊まった。

まさか、そのままずるずると、この老人の世話になるとは思ってもみなかった。

この日から、守にはもう一人の親父が出来たのだ。



スーさんが姿を消して、一週間が経とうとしている。

顔見知りのホームレス達にも聞いてみたが、

スーさんの行方を知る者はいなかった。

スーさんが立ち寄りそうな所も当たってみたが、全てダメだった。

やはり、スーさんの身に何かあったのだと守は思った。

ただどうやって探せば良いのか見当がつかない。

守は悶々としながら、日々を過ごしていた。


食に困った人たちが、テントの前に行列を作っている。

駅前のその雰囲気は、不気味なものを感じさせた。

会社終わりのサラリーマン達が、その行列を蔑んだ目で見ていく。

そこでは、ボランティアによる炊き出しが行われていた。

今日の炊き出しのメニューはカレーだった。

「まだ、スーさん帰って来てないんです?」

行列に並んでいる守の後ろから、

小柄でネズミの様な顔をした男が声を掛けてきた。

スーさんの居所を聞いた者の中の一人で、周囲からはシマノと呼ばれている。

守が頷くと、そうなのかと言いながら、シマノが両手で頭を抱えた。

その仕草を見て、守は訝しむ目を向ける。

「いやね、心配しすぎだとは思うんだけど。

 五日前に駅前でホームレスの死体が発見されたらしい。知ってるか?」

守が頭を振ると、言いにくそうにシマノは眉間に皺を寄せる。

「まさか、その死んだホームレスがスーさんじゃないかって思ってます?」

つい守の口調がきつくなってしまう。

「いやいや。俺もそんなことは無いと思ってるけどさ」

両手を振りながら否定してはいるが、シマノは内心はそう思っているに違いない。

守もその考えを拒否してはいるが、

頭の中でどうしてもその可能性を拭えなかった。

「誰か、その亡くなったホームレスを見た人はいないんですか?」

「知ってるやつが見たときにはもう、死体は運び出された後だったらしくて」

シマノは肩を少し上げ、目を閉じて頭を左右に振った。

その後ろから、舌打ちが聞こえ、そちらを見ると長身の男が顎で前を差していた。

守の前で、行列の間が空いてしまっているのに気づく。

二人は平謝りして、その間をいそいそと詰めた。

「まぁ、きっと大丈夫さ。その内帰ってくるさ」

シマノのその言葉は、何の気休めにもならなかった。

守は突然親戚が亡くなったと聞かされたような気持になった。

それは現実感を伴わず、感情を置き去りにしていく。

守は急に足場を踏み外された感覚になり、眩暈に襲われる。

なぜか、その時の頭の中には進の顔が浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ