第17話 最大の悪あがき
四面楚歌。
精神的に追い詰められた項羽の心情が痛いほど身につまされる。
事ここに至っては、ちまちましたことをやっていたので間に合わない。
起死回生の一発を打たなければ、絶体絶命だ。
―やるしかない。
ここで終わるわけにはいかない。
王城から遣わされた馬車の中に私を含め、四人も乗っているとうっとうしい。
「今日から王太子妃に向けての勉強ですね」
馬車の中、向かいに座ったマリエッタが言う。
そうね。
学園の授業終了後にね。
これをもといた世界では”残業”って呼ぶのよ。
覚えておきなさい。
せっかく、残業が無い日常を過ごしていたというのに。
しかも、私は猫を手に入れて間もないのよ。
名前も銀太と名付けた。
今が一番甘々な時。
構い倒して仲を深める大切な時期なのに。
トイレトレーニングだってしなきゃならない。
蜜月を過ごしても罰は当たらないでしょうが。
なのに、それを潰して、残業手当もでない王太子妃教育を受けろ……
どんな嫌がらせだ。
サービス残業は違法って認識ありますか?
労働基準法違反で訴えられても文句は言えないですよ。
キングオブブラック企業としてSNSに晒したい。
馬車の外から聞こえてくるカラカラという音が気分を一段とブルーにした。
「そろそろ王城に入ります」
従僕の声で否が応でも王城に着くことを知る。
それを聞いた侍女たちの動きがどこかぎこちない。
視線が合わないし、連携がいまひとつだ。
何か、噛み合っていない。
なんだ?
でも、どうでもいい。
それよりも、行きたくないーっ。
……けど、行くしかない。
王城を歩く私の足はドドナドナされる牛よりも重い。
反対に付き人としてのマリエッタの足は軽やかだ。
何が嬉しい。
そんなに勉強が好きか?
将来のためにしっかりと聞いときなさい。
ふん。
少なくとも十八畳はあろうかという部屋に通された。
真ん中に勉強するには豪華すぎるだろう机と椅子。
側に王妃教育用の資料までが入った箱が、やけに雑に積まれている。
……管理、甘くない?
それで必要な資料がすぐに出るのかが聞きたい。
部屋の隅にも椅子が置かれている。
え?マリエッタはそっち…?
こっちでよくない?
…ダメか……
のろのろと椅子に座った。
恐ろしく姿勢のいい男性が入ってきた。
四十代後半から五十代前半くらい。
中肉中背。きっちりと中央で分けた髪型にこだわりを見た。
「本日より、歴史と言語を担当させていただきます」
「よろしくお願いいたします」
こうして待ったなしの王太子妃教育が始まった。
……時間が欲しい。
無理だろう、これ。
詰め込み授業もいいところだ。
いくら受験戦争を勝ち抜いてきた私でも無理だわ、無理。
三日で厚さ五センチの本の内容を解説されても覚えられないって。
礼儀作法に芸術、ダンスと毎日が過密スケジュールで過酷。
年度末進行の方がまだマシだ。
土日休日が休めたもの。
強制的な休日出勤。
振替休日はない。
社畜の上位交換ってきっと王族だ。
地獄の日々。
本日も休日出勤させられたが、午後は講師の都合によりキャンセルとなった。
……泣ける。
嬉しい過ぎる。
帰るぞ―
フラフラになった私は一刻も早く帰りたい。
酒でうっぷんが晴らせないいま、帰って銀太に癒されないと死ぬぞ、本当に。
「リザベッタ様、お待ちを」
あぁん…
何よ…
ロッテンマイヤーさん似の女官に呼び止められた。
…誰、この人?
気位が高そうだ。
王妃様付の女官長らしい。
そうですか。
どうでもいい。
早く帰りたいんだ、私は。
目を眇めて不機嫌丸だしで対応してもいいか?
…よくないな。
目上の人には礼儀を払う。
社会人以前の常識。
「よろしければ、王妃様がお茶をと申されております」
まさか、王妃様のお誘いを断らないだろうなというような圧。
……よろしくない。
パワハラか?カスハラか?
脅せば大人しく付いていくと思ったら大間違いだ。
お局スキルを嘗めるな……
断る。
「もったいないお申し出ですが…」
「飼われていらっしゃる猫へキャットニップをお渡ししたいとも申されております」
「ありがたく、お受けさせていただきます」
それを先に言って。
キャットニップ欲しかったのよ。
あの子のためなら、エンヤトット。
お茶でも、お酒でも付き合います。
私は女官長に案内され、王妃様のプライベートルームへと足を運んだ。
……黄金
黄金なのよ、部屋が。
秀吉の金の茶室よりはましだけど、庶民の目には眩しすぎる。
壁や柱に金でボワズリーが装飾されていた。
テーブルや椅子にも金が使われている。
金箔が施されたティーセット。
これだけ金を使っていれば下品になりがちなのに上品なのよ。
これが王族パワーなのかと感心するより恐怖が先に立った。
私には無理だ。
「一度、お会いしたかったのよ」
気品と威厳、その中に漂う慈愛。
白く嫋やかな指先。
目の前にいらっしゃるのは、これぞ、王妃様!って方です。はい。
「はあ…光栄です」
「レオが関心を寄せたのは、あなたが初めてなの」
関心を持たれたくはなかったんですが。
「そうですか……」
「サファイアの贈ったのですって?」
騙し討ちのようにね。
あれ、送り付け詐欺として訴えてもいいと思うんですよ。
「いただきました」
「それでね、私もお祝いとして、サファイアのネックレスとイヤリングを作らせたのよ」
キャットニップで作ってくれませんか?
「ありがとうございます」
「ああ、あれを持ってきて頂戴…気に入ってもらえると嬉しいわ」
暫くして、侍女が奥の部屋から房付きのクッションに置かれた箱を恭しく持ってきた。
女官長が受け取り、王妃様に渡す。
上蓋を開けると、無数のダイヤモンドに縁どられたサファイアのネックレスとイヤリングがあった。
だ、誰が装着るんでか、これ。
私は装着ない。
絶対に。
落としでもしたらと思うと、背筋がゾクゾクしてくる。
これいくらしたんだろう…
支払いは国庫からよね、当然。
……経費の無駄使い…
頭に経費削減の文字が浮かぶ。
「……受け取れない…」
「気に入らなかったのかしら?」
「そうではありません。いくらかかったんですか、これ。支払いは国庫からですよね。経費を無駄に使っていい筈はありません。国民の血税は有意義に使うべきです。返品しましょう。クーリングオフです」
あ、ヤバい。
つい、身に付いた経費削減の名残が…
王妃様に説教かましてしまった…
あれ?
でも、待って。
見方を変えれば、無礼者じゃない。
王族に叱責なんて不敬罪もいいところだ。
これはポイント高いわ。
「…ふふふ…」
王妃様が笑いを浮かべた。
怒りが頂点に達するとひとは笑いがでるらしい。
よし。
今日で王太子妃教育は終わった。
そう思った次の瞬間、
「あの子の言ったとおりね。合格よ、リザベッタ」
へっ?
なんて言った?
合格…?
不合格じゃなくて?
「勘違いする娘が多いの。王妃なんだから、贅沢は当たり前。欲しいものは何でも手に入れて当然。そう考えて好き勝手にお金を使う…国庫に納められているのは国が民のために使うもの。王族だからと好きに使っていいわけはない。それをあなたはちゃんと理解してた。安心しました。認めてよ、リザベッタ」
あかん。
認めたらあかんです、王妃様…
言葉が出ない。
「ふふふ、これは、王家に伝わるものだから安心してね」
「…はい…」
物凄く友好的になった王妃様に離してもらえず、しばらくお茶に付き合わされた。
あれこれと聞かれ、聞かれるままに答える。
暇なんかい、王妃って職業は!
お茶が冷めたと言って、女官長が新しいお茶を取りにいく。
まだ付き合わないといけないと……
その間、テーブルの上にはサファイアのネックレスとイヤリングが置かれていた。
いや、気になるから保管庫に入れて欲しいんですが…
「大切なものは、早く保管庫に戻された方が…」
と促した。
「そうね…」
王妃様が女官長を探すが、まだ戻って来ていない。
侍女は隣の部屋にいる。
「僭越ですが、私が侍女に渡しましょうか?」
「お願い」
王妃様から受け取り、隣の部屋に行く。
隣の部屋には侍女が一人いた。
「これを保管庫へ」
顔もよく見ずに手渡した。
これで安心できる。
女官長が戻ってきており、テーブルの上に置かれているカップからは湯気が立っていた。
一口飲む。
高価なものがないいま、お茶がおいしゅうございます。
「王妃様……」
女官長が声をかける。
「あら、もう?残念…リザベッタ、また、お茶に付き合ってね」
「はい」
侍女が近寄ってきて、女官長に一言二言話す。
「王妃様、サファイアのネックレスとイヤリングを」
「ああ、あれは戻したわ」
「戻された?」
「あなたが居なかったから、リザベッタに頼んだの」
女官長の視線が冷たくなった。
何か嫌な予感…
「リザベッタ様、どの侍女にお渡しになられましたか?」
――え?
背筋が、冷えた。




