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39.8. 測れないものを、切り捨てて――KPI

 ブラック企業団拠点。

 夜の静まり返った会議フロアに、紫色のモニター光だけが揺れていた。

 

 ミスター・KPIは、ひとり巨大スクリーンの前に立っていた。

 壁一面には、企業ごとの業績推移、残業時間、離職率、利益率、達成率――あらゆる数値が並んでいる。


「……ふっふっふ」

 細い笑みが漏れる。

 先日、スパークライズ社への介入はスーツ侍に邪魔された。煌月への支配も解除され、共同開発の破壊は叶わず。


 だが。

「それでも、成果は出ている」

 指先で画面をなぞる。

 折れ線グラフが拡大され、都内企業に広がる“数値偏重傾向”が可視化される。

 社員満足度は低下。短期利益志向は上昇。評価制度の分断は拡大。


「一社の計画が失敗しても、社会全体はすでにこちらへ傾いている……実に合理的です」

 彼は満足げに眼鏡を押し上げた。

 そのとき、背後で足音がした。


「……まだ働いてるの?」

 振り向くと、そこにいたのはタイムクラッシャーだった。青いマントを肩にかけた彼女は、どこか疲れた目をしている。


「あなたこそ、休まないのですか?」

「休んでる場合じゃないのよ」

 短く返すその声に、かつての苛立ちと焦りが滲んでいた。


 KPIはふっと笑う。

「非効率ですね。焦燥に任せて動くから、精度が落ちる」

「……何ですって?」

「感情は判断を鈍らせる。だから私は、捨てたのです」


 タイムクラッシャーは鼻で笑った。

「捨てたんじゃなくて、押し込めてるだけでしょ」

 一瞬だけ、KPIの表情が止まる。

「……何を根拠に」

「だってあんた、時々すごく腹が立った顔するもの。数字が狂うと、ものすごく嫌そうな顔」


 図星だった。

 KPIは静かに視線を逸らす。

「それは当然です。狂いは修正すべき対象ですから」

「ふぅん」

 クラッシャーはそれ以上言わず、壁にもたれた。

 そしてモニターに映る無数のグラフを見上げる。


「でもさ。そんなに全部見えるのに、自分のことは測れないのね」

「……」

 KPIは答えなかった。

 やがて彼女はマントを翻し、その場を去っていく。

「まあいいわ。せいぜい壊れないように気をつけなさいよ、ミスター合理主義」

 自動ドアが閉まり、再び静寂が落ちる。

 KPIはしばらくその場に立ち尽くした。


「……自分を、測る?」

 その言葉を口にした瞬間、彼の指先はわずかに震えていた。

 彼はスクリーンを切り替える。

 そこに表示されたのは、かつての――ブラック企業団に入る前の自分自身の評価表だった。

 無意識のうちに、どこからか吸い上げていたらしい。


 管理職昇進後の部門利益や達成率の他、匿名フィードバックがある。


 ――数字だけ見て、人を見ていない

 ――自分では責任を取らない

 ――上に媚びて、下に圧をかける人


 彼の手が止まる。

「……っ」

 短く息を飲む。

 さらに下へスクロールする。


 ――達成できない人間は不要だと言われた

 ――昔はもっと話せる人だったのに


「……昔は?」

 その文字が、目に刺さる。

 ふと脳裏に浮かぶのは、まだ平社員だった頃の自分。

 理不尽な上司に押しつけられた書類、終電を逃した夜。

 それでも、同僚と缶コーヒーを分け合って笑ったこと。


「……無意味だ。そんなものは、生産性に寄与しない」

 だが、画面の中の言葉は消えない。

 ――昔はもっと話せる人だったのに

 その瞬間、モニター全体がぐにゃりと歪んだ。

 ノイズだ。


『――測定不能な感情に、価値はない』

 低く、湿ったような声が空間を満たす。

「……ボス」

 KPIはゆっくりと膝をついた。

 自然にそうしていた。逆らうという発想すら、最初から与えられていないように。


『KPIに、私情を混ぜるのか』

『それでは未達だ』

 

「……未達」

 その一言に、肩が震える。

 彼はずっとその言葉に追われてきた。

 平社員の時も、管理職になってからも、ブラック企業団に入ってからさえも。


「私は……」

『お前は、まだ“測れないもの”を恐れている』


 ノイズが強くなる。

 スクリーンのグラフが一斉に跳ね上がり、紫の光が床を走った。

『ならば切り捨てろ』

『友情、信頼、愛情、理念――それらは、数値の敵だ』

 ひとつひとつの単語が、鋭い杭のように胸に打ち込まれる。


「……っ」

 KPIは胸を押さえた。

 痛い。だがそれが何の痛みなのか、もう言葉にできない。

『お前が目指したのは、支配』

 スクリーンの中央に、ひとつのメーターが浮かび上がった。


 成果:99%

 あと1なのに、たった1なのに。

 だが、その1が永遠に届かないように見える。


「……どうすれば」

 かすれた声で問う。

『人を、数字にしろ。そうすれば、もう傷つかない』


 その言葉だけが、やけに甘く響いた。


「……傷つかない」

 彼はゆっくりと立ち上がる。

 眼鏡の奥の目から、迷いが消えていく。

「ならば、切り捨てましょう」


 自分の評価画面を閉じる。

 匿名フィードバックも、昔の記憶も、何もかも。

 代わりに開くのは、都市全域の企業評価ダッシュボード。


「測れないものに、意味はない」

 その声はもはや自分に言い聞かせるものではなく、宣言だった。

「友情、信頼、理念、愛情――不要」

 ひとつひとつ切り捨てるたびに、彼の周囲の空気が紫色に固まり始める。


 足元に、立方体の光が浮かぶ。

 数式の檻、管理の箱。


「ならば世界は、ゼロサムであるべきです」


 モニターに表示された都内企業のネットワーク図が、紫の線で塗り替えられていく。

「誰かが勝てば、誰かが負ける。実に明快で、美しい」

 

 彼の背後に、巨大なメーターが出現する。

 成果:100%

 効率:100%

 幸福:0%


 KPIは、その最後の数値を見つめた。


 ゼロ。

 一瞬だけ、何かを思い出しかける。

 缶コーヒー、誰かの笑い声。

 だが次の瞬間には、紫のノイズがすべてを塗りつぶしていた。


「問題ありません。幸福など、指標外ですから」

 その笑みは、冷たく整っていた。

 もはや人間の温度はない。

「……準備は整いました」

 KPIは、闇の中枢へ向かってゆっくりと歩き出す。

 

「スーツ侍。あなた方の理念も、感情も、愛も――すべて、測定し、比較し、切り捨てて差し上げます」

 その時、彼の瞳の奥に映るグラフは、完全な直線になっていた。

 夜は、静かに数式へと変わっていく。

 


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