39.6. 潰れる前に、潰す――ハイプレッシャー
ミスター・ハイプレッシャーはヘルスフラワー社案件が失敗に終わり、ブラック企業団拠点に戻っていた。
大型モニターに映るのは、今期の“ブラック度”業績グラフ――右肩下がり。
「……はぁ」
いつも大声を出してそうな彼がため息をついて、椅子にもたれた。その目にはすでに焦りの色があった。
「未達……か」
デスクの上には、未処理の案件が山積みになっている。
時計を見ると、22時47分。
「まだ、やれるだろ」
自分に言い聞かせるように呟く。
そのとき、ノックの音。
「……入れ」
ブラックザコ団が顔を出す。
「すんませぇん、頼まれてた“次に潰すぜ! この企業!”のプレゼン資料ができてませぇん」
「は? なんだと? ……まぁいい」
この頃から、彼には覇気が不足していたのかもしれない。毎回のようにスーツ侍たちに“仕事”の邪魔をされるのだから。
ブラックザコ団はほっとした顔で頭を下げた。
「すんませんなぁ」
相変わらず、やる気を見せない手下だ。
その背中を見送りながら、彼は小さく息を吐く。
(……本当は、余裕なんてない)
グラフを見つめる。
赤いライン、未達の数字が胸を突き刺すようだ。
「このままだと……まずいな」
視線を落とすと、そこにはデスクの隅に置かれた写真。
海、サーフボード、笑っている自分。
「……あの頃はよかったな」
ぽつりと漏れる声――その瞬間。
モニターが、わずかに歪んだ。
ノイズだ。
『――未達』
低い声が、耳の奥に響く。
「……っ?」
『未達は罪だ』
『成果を出せない者に価値はない』
「……ボス……?」
思わず立ち上がる。
だが、そこには誰もいない。
『お前は潰される側だ』
『ならばどうする?』
ハイプレッシャーの呼吸が浅くなる。
「……違う」
『なら、潰される前に』
『潰せばいい』
その言葉が、胸に落ちた。
「……」
しばらく沈黙。
やがて、ハイプレッシャーはゆっくりと笑った。
「……そうか」
目の色が変わる。
「俺が潰されるくらいなら」
手を机に置く。
「先に、潰せばいい!」
その言葉は静かだったが、確実に何かが壊れていた。
彼は資料を手に取る。
「プレゼン資料ができなかった、か」
先ほどのザコ団の顔が浮かぶ。
「……甘いな。理由なんて関係ない!」
感情を捨てたように叫んだ。
すぐに先ほどのブラックザコ団を呼び出し、低い声で告げる。
「成果がすべてだ」
そう呟いた瞬間――空気が、重くなった。
見えない圧力が、部屋全体を押しつぶす。
書類の端が、わずかに歪む。
「うぅっ……す……すんませぇん」
「お前には何の価値もない!」
ハイプレッシャーの目は血走り、声を出すたびに圧力が増す。
「ま、待ってくださ――」
そう言いながら、ブラックザコ団は煙と化した。
使えなければ、手下さえもいらない――
「……これでいい。これが本来の俺の力!」
目を細めて胸に手を当てる。
「この感覚――これがあれば、負けない」
ノイズが再び走る。
『正しい』
『それでいい』
ハイプレッシャーは頷いた。
もう、迷いはない。
「……数字で証明できないものは価値がない」
モニターのグラフが、一斉に赤く染まる。
空気がさらに重くなり、呼吸が少しだけ苦しくなる。
達成できなければ、この圧力に沈んでしまうのだろうか。
だが――
「この程度の圧で潰れるなら、それまでだ」
その笑みは、どこか歪んでいた。
デスクの写真に目を向ける。
海、風、自由。
――だが、彼は写真を伏せた。
「……もう戻らない」
やがて空気が、完全に変わる。
彼の周囲に橙色の気配が滲み、見えないドームがゆっくりと形成されていく。
「――俺が、証明してやる」
その瞬間。
橙色の空気がぐっと圧縮された。




