39. 桃色のひとときと、決戦へ
織田の部屋。
無駄のない空間、磨かれた黒の家具。
そこに、桃色のコートがそっと掛けられる。
ふたりきり。
静けさの中、心臓の音だけが近い。
「……緊張、してます?」とイチカ。
「するとも。俺は女に興味を失った男だと思っていた。なのに……今は恐ろしいほどに、そなたを抱きしめたい」
ゆっくりと、指が触れる。
その手が頬をなぞり、耳にかかる髪をそっと払う。
「……触れてください」
彼女の声は震えていない。覚悟を持つ戦士のような声だった。
織田は彼女をそっと抱き寄せる。腕の重さではなく、体温の確かさで。
最初の口づけは、祈りのようだった。
二度目は、決意。
三度目は――求め合う鼓動のリズム。
「兄さま……」
「今は名前で呼べ」
イチカは一度、目を閉じて……そっと彼の名を呼ぶ。
「……ノブ」
その名は震えるほど甘く、織田の瞳がかすかに揺れる。
「……イチ」
名前が呼ばれただけで、胸の奥が熱くなる。
外の世界は遠く、ふたりの呼吸だけが部屋を満たした。
身体がほどけて手が重なる。肌に触れる温度は、戦の緊張とは違う。
互いの確かさを確かめるように、ゆっくりと、優しく撫でられる。
「……離さないで」
「離すものか」
布の擦れる音。
指先がなぞる線。
唇が頬へ、額へ、喉元へ。
ふたりの影が重なり、灯が静かに揺れた。
夜はやがて、安らぎの色に変わっていった。
しばらくして、背中を抱いたまま織田が呟く。
「……ここまで安堵があるとはな」
イチカは彼の胸に額を預ける。
「これも戦の一種かもしれません」
「フッ……ならば勝ち続けよう。共に」
声なき声を救ってきた彼女が、いまはひとりの人間として救われていた。
指先が絡む。
未来へ向かう約束のように、強く。
※※※
薄い朝光が差す。
イチカが目覚めると、織田の腕が静かに肩に回されていた。
(……夢じゃない)
戦場の覇王とは違う、織田の柔らかな眼差しがそこにあった。
「起きたか……寝顔を見ていた」
「……私、ちゃんと眠れてました?」
「よく眠っていた。俺の胸元でな」
イチカは顔を真っ赤にする。
「そ、それは……!」
織田が口の端で小さく笑い、彼女の額に口付けを落とした。
そして、出社の時間。
ふたりは少し距離を空け、ビルのエントランスへ向かう。
(大丈夫、落ち着いて。任務で遅くなっただけ。普通の顔をしていればいいんだから)
するとそこにひょいと現れるひとりの男――豊臣だ。
「おはよーござま……す………?」
ピタァ!
豊臣の視線が、
・イチカの微かに乱れた髪
・織田の上着のボタンひとつ留め忘れ
・ふたりの距離感
――を、スキャンする。
豊臣が震える指を上げる。
「やっぱり……お、お泊まり!? いやボタン外れてるし」
「落ち着け、豊臣」
「落ち着けるかーい」
「……任務が長引いただけです」とイチカ。
「任務(意味深)だったんですね、分かります!!」と豊臣が前のめりになるが、
「こら、黙れ」と織田に言われる。
「……だってぇ〜もうこの雰囲気が!」
織田がそっとボタンを留める。表情は動かないが耳が僅かに赤い。
(あ、かわいい……兄さま♡)
「イチカちゃん……あなたどんだけ殿の心と鎧脱がせたん……教えて? 俺にも(※無理)」
「豊臣部長、プライベートのことなので」
「……やっぱプライベートやん、任務じゃなくて」
「あ……」
背後からは武田の声が聞こえた。
「おい、朝から桃色の風が吹いとるな」
「俺は見えぬ。何も見えぬ」と徳川が目を逸らす。
「恋とは、朝日が射すと更に眩しいもの……ふふ」と上杉。
「……社内では秘密にしておくのだぞ?」と織田。
「「「「はぁーい!!」」」」
返事だけはいい4人。
皆が散った後――
織田はイチカの手を一瞬だけ取る。
「……今日も共に戦うぞ」
イチカも微笑む。
「ええ、あなたの隣で」
離した手は、代わりに同じ歩幅で進んでいた。
※※※
年末の街は、光に包まれていた。だがその裏で、静かに“闇のプログラム”が動き出していた――。
ブラック企業団本部。
ボスの部屋は相変わらず冷たくて重苦しい。
「幹部たちよ」
低い声が響く。
「ミスター・KPI!」
「ミスター・ハイプレッシャー!」
「ミス・タイムクラッシャー!」
「ミスター・コンフリクト!」
「「「「我らボスに忠誠を誓い、今ここに!」」」」
「さて、いよいよだ。我らの時代がくる」
ボスが両手を掲げると闇の光が現れる。
次の瞬間――
空間が断絶されたように歪んだ。
「スーツ侍――勝負だ」
※※※
東京都内――
「あれ? おかしいな。サーバが繋がらないぞ!」
「VPNもクラウドストレージも落ちてる! バックアップも反応しない!」
「社内ネットも危ない、拠点間通信が遮断されるかもしれん!」
都内の数社で大規模な通信障害が発生する。
「皆さん、会議室に集まってください!」と黒田がメンバーに連絡を取る。
織田たちは急いで会議室に集まる。
「さっき取引先数社から電話があって、ネットが繋がらないらしいんだ」と豊臣。
「俺も外注先から同じような連絡があった」と武田。
「――これは奴らの仕業か」と織田も言う。
「……っ! 皆さん、緊急で生放送があるらしいです!」と黒田。
全員が黒田のタブレットで動画を確認する。
そこに映されたのは闇。
同時に背筋が凍りつくぐらいの、恐ろしい低い声が聞こえてくる。
『――スーツ侍に告ぐ。我らブラック企業団は、東京の通信を掌握した。情報も、経済も、人の心も――データで支配できる』
「ブラック企業団!?」
やはり彼らの仕業であったか。
『止めたければ、来るがいい。年明けまでに。貴様らの“理念”と、“システム”のどちらが強いか――試してやろう』
インターネットが普及した今、都内の企業を支える通信が乗っ取られると企業活動は継続不可能となる。
それはつまり、日本経済の機能をストップさせること。
「今は数社が通信障害を起こしているが、徐々に増えていくというのか」と徳川。
「やるしかないのか。私たちの手で」と上杉。
「許さぬ……俺たちがこの国の企業を守ってみせる」
織田が拳を握る。
「俺たちの理念で、闇を照らすんだ!」と豊臣。
「闇の向こう、負のデータを吹き飛ばす!」と武田。
「企業の体力を守るのは、経理侍の務めだ」と徳川。
「人の絆こそが、最後のファイアウォールだ」と上杉。
「――そして“調和の心”で、人を救ってみせます!」とイチカ。
スーツ侍とブラック企業団――
彼らの決戦が始まろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます。
次からはいよいよブラック企業団との最終決戦に突入です。
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