35. 早すぎる実り
「派手じゃないけーどキューカンバ〜♪ 夜にはちょうど〜つめーたいくらい♪」
休憩室で1人、歌いながらコーヒーを飲む豊臣。
彼は、朝からきゅうり1本を丸かじりしてきたらしい。
「なんだその歌は」と上杉が呟く。
「いや〜最近さぁ、きゅうりすっごい安いじゃん? ここトーキョーだぜ? だから俺、いっぱい買ってるんだ!」
「……それはわかるが、あまり置いておくと痛んで汁が出てくるから、気をつけるんだな」
「毎日食べてるから大丈夫……って上杉。もしかして」
「……私としたことが」
2人はこのように話しているが、その異変はごく些細なところから始まった。
都内のスーパーで、きゅうりだけが異様に安い。
しかも、いつ行っても同じ棚に、同じ量で並んでいる。
「……成長速度が、統計的にありえない」
会議室にて。
モニターを睨みながら、徳川が低く呟いた。
画面には、農場の定点映像。
朝に芽を出したはずの苗が、夕方には収穫寸前まで育っている。寒い時期であるにもかかわらず、だ。
「AI農業の限界を超えていますね」と黒田。
「限界を“超えさせてる”んだろう」と織田。
「これはやはり彼らの仕業ね」とイチカ。
そこに、豊臣と上杉も合流した。
「……きゅうりはいっぱい食べたけど、特に異常はなかったぜ? 上杉のきゅうりからは汁が出たんだって」
「おい豊臣。ただ……普段よりも腐敗は早いかもしれません」
そしてただ1人、武田だけが何も言わない。
――時間が、歪んでいる。
「とにかく、この農場……マシュマロンファームに行ってください」と黒田が指示をする。
「……先に、俺に行かせてくれないか」
※※※
ここはマシュマロンファーム株式会社。
理念は「やさしい農業」「誰も取り残さない成長」。
だが、現場で働く人間の顔色は悪かった。
休憩は取っている。残業も記録上はない。
それでも、全員が同じことを言う。
「……1日が、短い」
気づけば夜で、気づけば朝。
眠った感覚すら、曖昧になる。
何故こうなったのか。
畑の奥、風の止んだ場所で――
彼女は立っていた。
「効率が上がれば、救われる人は増えるでしょう?」
青い作業着にショートボブの女性。
彼女は新しく就任した現場管理人であった。
だが、その声には――どこか余裕がなかった。
「きゅうりは正直よ。早く育てば、ちゃんと“それなり”の味になる」
彼女はマシュマロンファームの現場の時間だけを圧縮する。
畑の空気が歪み、苗が一斉に伸びる。
そこで働く人たちもその空間に合わせた動きをするため、1日が極端に短くなっていた。
だが同時に、彼女自身の動きがわずかに鈍った。
――無理をしている。
補う存在が、もういない。
「あたしひとりじゃ……これが限界かも」
ふっと力が抜けたところを、誰かに支えられる。
そこにいたのは、朱色のスーツにマントを羽織ったたくましい侍だった。
「君ひとりじゃ、そんなものか」
「なっ……あんたは……シンゲン!」
「……よくご存知で。ミス・タイムクラッシャー」
「……しまった。こうなったら……」
彼女はさっと青いマントを羽織った姿に変わる。
「あの子がいなくたって……やってやるんだから!」
「……バルカーは、こんなやり方を望んでいない」
「何よ……」
彼女もわかっていた。
タイムバルカーがいなくなった今、自分だけでは力を十分には発揮できないことを。
それでも妹の分まで戦うと決めていたが、果たしてそれが正しいことなのか。
「私は止まれない。止まったら――全部、無駄になる」
「君も無理するんじゃない。これ以上は……やめるんだ」
「……っ」
彼女が歯を食いしばった瞬間、畑の空気が一気に張り詰めた。
「そこまでだ、タイムクラッシャー」
低く、よく通る声。
振り返ると、黒いスーツの男が畑の入口に立っていた。
「時間を弄ぶにも、程度というものがある。きゅうりは新鮮にいただくべし。スーツ侍・ノブナガ参上!」
その背後から、次々と姿を現す。
「きゅうりが安いのは助かるけど、従業員の笑顔を犠牲にするんじゃない! スーツ侍・ヒデヨシ!」
「……空気が悪いな。体感温度と時間のズレが大きすぎる。スーツ侍・イエヤス!」
「……畑が泣いている。きゅうりが痛んで私も泣いた。スーツ侍・ケンシン!」
「人の多様なリズムを無視した成長は、必ず破綻します。スーツ侍・イチリン!」
タイム・クラッシャーは、思わず一歩後ずさる。
「……こんなに、来るなんて聞いてない」
「聞く必要もないだろう」とシンゲンが一歩前に出る。
「君が無理をしているのは、最初からわかっていた」
その言葉に、彼女の表情がわずかに歪んだ。
「……わかってるわよ。でも、あたしがやらなきゃ……誰がやるの?」
畑に吹く風が、急に冷たくなる。
きゅうりの葉がざわめき、時間の歪みが再び広がり始めた。
「効率は正義よ。遅い成長なんて、誰も待ってくれない」
「違うな」
豊臣が、ぽりぽりと頭をかきながら言った。
「俺さ、毎日きゅうり食ってるけどさ」
「……何よ」
「早く育ったやつ、腹は満たすけど……なんつーか、心に残んないんだよな」
意外な言葉に、場が静まる。
「成長の速度はひとつじゃないわ。それを認めるのが、ダイバーシティとも言うの」とイチリン。
「……速い時間しか、信じられないのか」
シンゲンの問いに、彼女は答えられなかった。
「……あの子がいたら……」
彼女の小さく零れた声に、シンゲンは盾をおろした。
「――今日はもう大丈夫だな」
その瞬間、歪んでいた時間がゆっくりとほどけていく。
苗の成長が止まり、畑に“普通の沈黙”が戻った。
働いていた人々が、はっとしたように空を見上げる。
「……夕方?」
「え、もうこんな時間?」
彼らの一日は、ようやく“戻ってきた”。
タイムクラッシャーは、力なく膝をついた。
「……全部、無駄になったの?」
「いいや」
シンゲンが静かに首を振る。
「間違いは、止められた。それだけで、意味はある」
彼女は顔を伏せ、悔しそうに笑った。
「……ほんと、嫌な連中。今日は退散よ」
そして、青いマントが風に溶けるように消える。
※※※
後日。
マシュマロンファームは、成長速度を抑えた新方針に切り替えた。
規格外のきゅうりは「味で選ぶ野菜」として売り出され、意外な人気を集めている。
「急ぎすぎないのも、案外悪くない。きゅうりも人も」と織田はスーパーできゅうりを購入していた。
それを後ろからそっと見ているのは――
「……兄さま。もしかして彼女がいるのかしら」
イチカが織田のあとをつけながら、きゅうりを買い物かごに入れる。
すると、織田が突然振り返った。
「……そなたがいることはわかっておったぞ」
「あ……」
「フフ……」
2人は買い物を済ませて、途中まで一緒に帰って行った。
畑の向こう、誰にも見えない場所で。
タイム・クラッシャーは1人、空を見上げていた。
「……バルカー。あんたがいなくなってから、調子狂うんだけど」
返事はない。
だが、風に揺れる葉の音だけが静かに返ってきた。




