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「はっ、ここはどこ!?」
才太は気がつけばふかふかのソファに腰かけていた。
周りを見渡すと高い天井には細かな蔦模様の彫刻が施され、壁には淡い金糸で縁取られた布張りの装飾。窓際には磨き上げられた銀の燭台と、見るからに高そうな陶器の花瓶。足元には分厚い絨毯。
才太は何気なく、窓際の銀の燭台へ目をやる。
——銀メッキで下地は真鍮か。売っても銀貨十枚がいいところかな。
はい?
自分でも驚いて思わず瞬きをする。
物を見た瞬間、その値打ちがなんとなくわかってしまう。
面白がって今度は花瓶を見てみる。
——古い陶器、品は悪くない。だが表面の装飾が少しくすんできている、少し傷物。
なるほど、これが商人の加護か。
ちょっと便利じゃないか、と口の端が上がる。
次は絨毯を見る。
分厚い絨毯の真ん中あたり、そこだけ毛足の色が濃い。 最近までそこに大きな家具が置かれていた跡かもしれない。傷物。
才太は壁へ視線を移す。
淡い金糸の装飾の中に、周りより少しだけ色の違う四角がいくつか。
絵でも掛かっていたのだろうが、今は金具だけが残っている。
パッと見は豪華な応接間だけれど、以前はもっと豪華だったものを少しずつ剥がして売っている部屋なのかもしれない。
もしかしてこの国、金がない?
そんなことを考えてしまう。
そしてその向かいのソファに目を向ける。
桃流が腕を組んで座っていた。
「やっと戻ってきたか」
「桃流……、ここは?」
「お前が意識飛ばしてる間に、今後の方針を話し合うために落ち着いたところへ案内されたんだよ」
「え、気絶してたの?」
「気絶というより、魂が抜けてた」
そこまで言われてだんだんと思い出してきた。
白銀の祭壇。
女神の加護。
桃流の左眉上に現れた勇者の聖痕。
自分の左手の甲に浮かんだ、商人の加護。
そして。
女騎士アリアの口から放たれた、あまりにも無慈悲な一言。
『モブ』加護。
「そうか……、夢じゃなかったのか……」
「なにを言っても『もぶ……もぶ……』としか反応しないお前をここまで引き摺ってきてやったんだ、感謝しろ」
そういえば連れられるがまま夢遊病のようにふらふらと歩いてきたような気もする。
ついさっきまで、異世界召喚で人生が華々しく始まると思っていた。
剣と魔法。
女神の祝福。
特別な使命。
選ばれし勇者。
そういう舞台に立つのは、当然自分だと思っていた。というか自分がそうじゃない未来なんて端から頭になかった。
やっと自分にふさわしい世界にやって来たんだと。
なのに、商人。
しかも、モブ。
「何て声をかけたらいいかわからんが」
珍しく桃流の声に戸惑いと気遣いの色が見える。
「とりあえず今は、現状をしっかり把握して、何ができて、何をすべきなのか考えていかないとだろ」
「……いいよね」
「あ?」
「いいよねー、桃流は勇者だって……」
ぽつりと出た声が、自分でも驚くほど嫉妬っで濁っていた。
やだなー。
すごくやだ。
完璧王子がしていい発声ではない。
「お前なぁ……」
桃流が深々とため息を吐く。
「いつまでもいじけていてもしょうがないだろ。だいたい、お前が異世界で冒険したいって言ってたんだぞ」
「でも結局、桃流が勇者になって、僕が商人の加護。つまりこれって、僕が桃流の異世界召喚に巻き込まれたってことだよね」
「はぁ!?」
「さっきまで散々、巻き込みやがってとか僕のこと責めてたくせに!」
「お前、それを俺に言うのか!?」
桃流のこめかみがぴくりと動く。
「それをいうなら俺を責める前に、選ばれなかった自分の性根を反省したらどうだ!?」
「僕の性根がなにさ!?」
「俺は勇者の言い伝えが『優しさを失わぬ強き魂』だとか『弱き者のため困難に立ち向かい』だとかだった時点で、すでに才太で大丈夫か心配になってたぞ!」
「なにそれ! 自分は真の勇者に選ばれて当然の人格者だって言いたいわけ!?」
「そんなことは一言も言ってないだろ! お前のその、神に愛されていると疑ってない極めて自己中心的な性格を少しは省みろと話してる!」
「はいはいっ、いいよねー! 桃流は人格も優れた勇者様なんだから! 僕なんて商人だよ!? ト○ネコみたいな大冒険でもしちゃう!?」
「ふざけるな! 前々から思っていたが、お前は危機感がなさすぎる! 今回で何事も自分の思い通りにはいかないと思い知っただろう。熟慮してから行動するということを覚えろ」
「そんなの、昔『反社、ヤンキー撲滅』とか言って僕を連れ回した桃流に言われたくないね!」
「お前っ、昔の黒歴史は二度と話題に出さないって約束しただろ! 掘り返すな!」
「僕はとても楽しかったいい思い出なんだけど!」
「そういうところだぞお前!」
そこからしばらく、やいのやいのと言い合った。
お互いの黒歴史まで掘り返し、部屋が汚いだの、人の家のトイレを長時間占領するなだの、いつだかアイスを奢った金返せだの、貸した漫画にジュースを溢しただの、お互いにそこそこ傷を負った。
非常に不毛で建設的ではない。
だが、不思議と少しだけ呼吸がしやすくなる。
言いたいことを好きなだけ遠慮なく言える相手がいる、このわけのわからない異世界でそれはすごくありがたかった。
一頻り罵り合ったあと、二人そろって同時に大きく息を吐いた。
「で、どうすんの? これから」
背もたれに沈み込みながら、天井を見上げる。
「商人って、僕ここで商売でもするの……?」
「さぁな。俺なんて勇者だぞ」
桃流も反対側のソファに腰を落とす。
「国とか人類の希望とか背負わされてもどうすりゃいいんだよ。気が重い……」
二人そろって肩を落とした。
片や商人。
片や勇者。
異世界に召喚するときはもう少し配属希望を考慮してほしかった。
そんなことを考えていると、扉の向こうから小さくノックの音がした。
「失礼いたします」
入ってきたのは、エルミナ王女だった。
その後ろに、女騎士アリア。 さらに深緑のローブをまとった老魔術師と、大柄な軍人らしき男が続く。
応接間の空気が一気に引き締まった。
才太と桃流は立ち上がり姿勢を正す。
「改めまして、このたびはお二人の人生を一方的に巻き込む形となってしまい、誠に申し訳ございません」
エルミナは部屋に入るなり、深く頭を下げた。
綺麗な金髪が肩から流れ落ちる。
王女がここまで頭を下げるのは、きっと軽いことではない。
少なくとも、こちらを道具としてだけ扱う気ではないのだとおもう。
「そして、勇者としてこの世界に向き合うと仰ってくださったこと、心より感謝いたします」
「いや、まだそんな立派なことを言ったつもりはないんだが……。やれる範囲でやる、と言っただけだ」
「それでも、今の私たちには十分すぎるお言葉です」
エルミナは静かに微笑んだ。
その笑みには、王女としての気品と、一人の少女としての安堵が混ざっている。
アリアが一歩前へ出る。
「じゃあさっそくなんだけど、今後の方針について説明させてもらうよ。まず勇者殿、君にはしばらく王城に滞在してもらい、加護の使い方と、この世界での戦い方を学んでもらう」
「戦い方、か」
「魔物は魔装をまとっている。たぶん勇者殿は、身のこなしを見ると何らかの武術の心得があるのだろうね。でもそちらの世界の武術がどれほど優れていても、こちらの世界の理を知らずに戦場へ出ればすぐに死んでしまうだろう」
この男装騎士の言葉は遠慮がない。
だが、言ってる事はもっともなので、むしろ真剣に死なせないために言っているのだろう。
「紹介しよう。こちらは前宮廷魔術師筆頭であられるオルド・ヴァイン公爵」
老魔術師が、ゆっくりと杖を胸元へ寄せ深々頭を下げた。
「勇者様、わたくしは王国の魔術を預かる者にございます」
長い白髭を撫でながら、穏やかな目を桃流へ向ける。
「勇者の加護は、単に腕力を増すだけのものではございません。魔法にも通じる、女神より頂いた神秘の力。御身の魂と意志に応じて、様々な形で力を示すことがございます」
「魔法も?」
「はい。勇者様がその力を使いこなせるよう、魔力の扱い、術式の基礎、加護との結びつきをお教えいたします」
「俺は魔法なんて使ったことがないが」
「最初から使える者などおりません。ですが、勇者の加護は時に常識を飛び越えます」
老魔術師はそう言って、少しだけ笑った。
「それを使える形へ整えることが、わたくしの役目にございます」
「よろしくお願いします」
桃流が素直に頭を下げる。
こういうところは桃流だ。
どれだけ不満があっても、相手が真面目に向き合っているとわかれば、ちゃんと礼を返す。
礼節をわきまえ、義理人情にあつい。
はいはい、勇者勇者。
心の中で拗ねるくらいは許してほしい。
次に、大柄な男が豪快に笑った。
でかい。2メートルは超えている。
全身に無数の傷痕を持ち、ひときわ目立つ左目の大きな傷痕。
厚い胸板。
立っているだけで、戦場の匂いがする。
「第三軍団長のガルガット・バートンだ」
太くてでかい声。 部屋の壁まで震えるような声だった。
「勇者殿はもう一角の武人のようだ。しかし魔物は恐ろしい存在です。痛みを恐れず、死に際ほど暴れ、常識では測れない力を持つ。何より、魔装をまとった相手には、人間相手の理屈が通じない」
何度も死線を越えてきた者にしか出せない重み。
「手加減はできませんが、どんな魔物が相手でも死なず、必ず帰ってこられるようにして差し上げます」
そう言って、白い歯を見せて笑う。
頼もしい。
「お手柔らかに頼む」
「はっはっは! 努力しましょう!」
少し暑苦しいが桃流はこういうノリが大好きだからな。
「勇者はそれでいいとして」
手を上げる。
人の事を構ってる暇はない。
「僕はどうすればいいのさ」
エルミナが困ったように止まり。
老魔術師が咳払いをする。
将軍が腕を組んで唸る。
全員が目をそらすなかで、アリアだけがこちらを見た。
「確かに困ったね。『商人の加護』なんて、戦場に出ても役立たずだからね」
ぐらり。あ、目眩が……。
役立たず。
役立たず?
今、この僕に向かって役立たずと?
胃のあたりがきゅっと縮み、吐き気までしてきた。
モブの次は役立たずとは。
生まれて初めての連続だが、こんな初めてはもちろん望んでいない。
異世界、僕に対する語彙があまりにも攻撃的ではないか。
このアリアとかいう金髪碧眼のづか騎士。
たぶんこいつ僕のことが嫌いなんだ。
最初の『雪解けスマイル』が効かなかった時点で、何かがおかしいとは思っていた。
人類であれば多少は揺らぐはずなのに、こいつは渋い顔をしていた。
「アリアっ」
エルミナが窘めるように名前を呼ぶ。
「失礼。ですが事実を述べたまでです」
「言い方があります」
「姫様。魔装をまとった魔物を相手に、商人の加護で前線に出るのは自殺行為です」
それは、まあ。正しい。
正しいが、正しさで殴られると人はこんなにもダメージを負うのか。
人は正論で死ぬかもしれない。
「商人の加護自体は、無用なものではございません」
オルド老が助け舟を出すように口を開いた。
「計算、鑑定、商談、物品の流れを読む力。人によって差はありますが、商いに関わる者には重宝される加護です」
「戦えないけど帳簿には強いってことですか?」
「大まかには、そのように」
なるほど、僕は異世界で経理部に配属されたらしい。
今すぐ人事部を呼んで部署変更してほしい。
「天雪殿、差し支えなければ、その聖痕をこの老いぼれに検分させて頂いても?」
「検分?」
「加護には固有の『神賜』と呼ばれる力が宿ることがございます。同じ加護でも与えられる『神賜』は人それぞれ。勇者様と同時に召喚されたお人ですから、この国にはない特別な『神賜』があるやもしれません」
「ホントに!? 是非見て! しっかり見て!」
才太は自らの左手を勢いよく老魔術師へ差し出し、老魔術師は杖の先を才太の左手へそっと向ける。
才太の胸が大きく跳ねる。
固有の力。
つまり僕のモブ加護にも実は隠れたすごい力が眠っているかもしれない、ということだ。
表向きはただの商人。けれどその実、誰も知らない特別な力を秘めた——陰の主人公。
やっぱり。そうこなくちゃ。
杖の先に、淡い光が灯る。
オルド老の目が、才太の聖痕の奥をじっと覗き込む。
才太は息を止めた。
頼む。
一つでいい。
何か、僕にしかない力を。
やがて、老魔術師は杖を下ろした。
そして、少しだけ言葉を選ぶように。
「……ごく、標準的な商人の加護にございます」
「はい」
「特別な力は……、視えませぬ。商人の加護にはそこまで詳しくありませんが、王国の記録に同じものが記載されている記憶があります。
『神賜』が発現したとしても、召喚者ゆえの特別な物とはならないでしょう」
まさか、そんな、あり得ない。
「……ないんですか?」
「三度、視ました。何も」
この僕に、本当に何も特別な力はなかったというのか。
モブがこの国の偉い魔術師によって、公式に認定された瞬間だった。
「い、いや、もう一回だけ! 目をこすってからとか、角度変えたら見えるかも! おじいちゃんちゃんと目見えてる!? ていうかそろそろ痴呆が始まってるんじゃない!?」
「才太っ、失礼だろ!」
「角度は関係ございませぬ」
ショックでついボケ老人呼ばわりした才太に、オルド老はいたわるように肩へ手を置いた。
その手つきが、あまりに優しくて。
やめてほしい。
慰められるとモブの事実がより重くなる。
全身の力が抜けてソファに沈み込む。
「才太、腐るな」
「腐ってないよ」
「その顔は腐ってる」
「こんな美しい腐敗がある?」
「中身の話だ」
ひどい。
だが否定しきれないのが悔しい。
ガルガット将軍が顎髭を撫でる。
「身体つきは悪くない。軸もしっかり出来ているし、目も良さそうだ。鍛えれば兵としてもそれなりには伸びるだろうが……」
身体を値踏みするように上から下までじっくりと観察される。
「魔法を使えぬ者が勇者殿と同じ訓練をし、同じ戦場へ立たせるのは無茶だな。商人の加護なら、無理に軍で抱えるより別の道を探した方がいい」
別の道。
なんともふわっとした言葉じゃないか。
異世界まで来てこれから自分探しの旅が始まるのかと思うとなんともやるせない。
エルミナが才太と向き合い真剣な顔で言った。
「天雪様も、私たちが責任を持ってお守りいたします。召喚したのは私たちです。決してぞんざいに扱うつもりはありません」
「ありがとうございます、王女様」
反射的に微笑む。
今回はちゃんと綺麗に笑えたはずだ。
この場で拗ね散らかしても仕方ない。それくらいはわかっているが。
ただ、胸の奥の折れた部分がまだそのまま。
勇者ではない。
戦場では役立たず。
商人の加護。
モブ。
その言葉たちが、頭の中でぐるぐる回っている。
全員が少し黙り込んだ。
桃流の訓練方針は決まった。
では才太をどうするか。
誰もすぐには答えを出せない。
まさか魔王を倒すために異世界に召喚した相手を「商人なので配置未定です」と言うわけにもいかないだろう。
もうだいぶ言っている気がするが。
「少し空気を変えましょうか」
エルミナ王女がパンパンと両手を軽く叩く。
すると静かに扉が開き、メイドの少女が一人、茶器を乗せた盆を運んできた。
張り詰めていた話が、少しだけ途切れる。
メイドは緊張した面持ちで、エルミナから順に一人ずつカップを配っていく。
才太の番になった。
そっとカップが差し出される。
「どうぞ」
「ありがとう」
才太は茫然自失となっていたが、反射で『雪解けスマイル』を返した。
少女は一瞬だけ頬を染め、けれどすぐに表情を戻し、会釈して次へ移る。
モブショックのせいとはいえ、だいぶ気の抜けた笑顔を向けてしまったかもしれない。
こんなの完璧王子ではない、反省しないと、自分で気を入れ直す。
メイドは次にアリアへとカップ配膳する。
するとついさっきまで、才太へ氷点下の視線を向けていたあの男装の騎士が、カップを受け取りながら目元をふっと和らげて、華のような微笑みを浮かべた。
「いつもありがとう。君がいれてくれると、いつもより美味しい気がするんだ」
メイドの顔が、ぼっと赤くなった。
盆を胸に抱えて、恥ずかしそうに何度か頷いて、逃げるように部屋を出ていく。去り際にもう一度アリアを盗み見て。
才太はその一部始終を、口を半開きにして見ていた。
声のトーン。目の伏せ方。台詞を置く間合い。
全部計算されている。僕がいつも鏡の前で作り込んでいるあれと同じ種類の。
なるほど、今わかった。
「……同業者か」
ぽつりと漏れた呟きに、アリアの視線がちらりとこちらを向いて、ふふん、と鼻で笑いやがった。
くそっ、油断してた。今回に関しては完全に負けた。
才太が心の中でアリアを敵性存在として要警戒認定しいるその時だった。
こんこん、と軽く扉が叩かれた。
ノックというより、形だけ音を鳴らしただけで、返事を待つ気配はない。
すぐに扉が開かれる。




