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エルミナの表情がわずかに強張り、アリアが眉をひそめる。
その場の空気が少しずつ尖っていくのを感じる。
扉の向こうから入ってきたのは、仕立ての良い濃紺の上着をまとった男だった。
年はだいたい三十半ばぐらい。
柔らかく整えられた茶髪に、金色のチェーンが光るモノクルの眼鏡。口元には人当たりのいい笑みが浮かんでいる。
けれど、その目は笑っているようで笑っていない。値札を見るような目だ。
人間だろうが魔物だろうが宝石だろうが、価値を測る。
そういう目だった。
その半歩後ろには、燃えるような赤髪の女が立っている。
革の軽鎧に身を包み、腰には4本もの細身の剣を差している。
部屋へ入ってから一度も口を開かないが、視線だけは休まず室内をなぞっていた。
アリア。オルド。ガルガット。桃流。才太。そしてエルミナ。
護衛というより、獲物を見定める猟犬に近い。
「ディズドラ商会会頭、バルセル・ディズドラと申します。国王より王国交易顧問の任も仰せつかっております。お見知りおきを、異世界より来られたお二方」
男は胸へ手を当て、流れるようにその場で一礼した。
エルミナは眉をひそめる。
「バルセル殿。今は国の未来を決める大事な話し合いの最中です」
「これは失礼いたしました」
そう言いながら、バルセルはまったく悪びれた様子を見せなかった。
むしろ、待ちきれなかった子供のように才太の左手へ視線を落とす。
「しかし、召喚者様が私と同じ『商人の加護』を授かったのを見ていてもたってもいられずに。なにかわたくしめに出来ることはないかと」
左手の甲に刻まれた青紫色の聖痕が、やけに熱く感じた。
同じ加護。
さっきまでモブだの役立たずだのと散々言われ続けていたものを、この男はまるで宝でも見つけたように見ている。
「バルセルさんも、僕と同じ商人の加護を?」
「ええ。わたくしの場合は、人と物の流れを少しだけ読む程度の、ささやかなものですが」
さらりと言う。
だが、王女も騎士も、魔術師も将軍も、この男を無視できない雰囲気がある。
ささやかと言いながらたぶん全然ささやかではない。
賢い人ほど自分の能力を謙遜して軽く言うものだ。
「あなたには関係のない話です」
エルミナが静かに告げた。
声は変わらず穏やかだが僅かに敵愾心が滲んでいるようにも感じる。
「才太様は私が召喚しお迎えした、云わば王家の客人です。だからこそ王家で責任をもって生活の基盤を整え不自由のないよう取り計らうつもりです」
「まったく、その通りでございます」
バルセルは大仰に頷いた。
「だからこそ私は申し上げたいのです」
才太へ向き直る。
「天雪様を、しばらく我がディズドラ商会でお預かりしてはいかがでしょうか」
「……僕を?」
「はい」
思わず、桃流と顔を見合わせる。
商会で預けられる。
エルミナとアリアの視線がさらに冷える。
「却下です」
「即答ですな」
「くどいぞ、顧問になったからと行って商人ごときが国の政において姫様のお考えに異をとなえるつもりか? そもそも商会は利益を追う組織、召喚者様を預ければ何かしらの商業的な利用を考えるのでは?」
「ほう、利用……」
バルセルは、その言葉を口の中でゆっくり転がした。
「ええ、ええ。商人である以上、もちろん利益は考えます」
あっさり認めた。
エルミナの顔が強張る。
アリアと桃流がわずかにバルセルの方へ身を向ける。
赤髪の女護衛も、静かに目を細める。
けれどバルセルは、変わらぬ笑みのまま続けた。
「ただし、それはわたくしたち商会だけが一方的に得られる利益だけではございません。天雪様ご自身が得る利益でもあるべきです」
両手を大仰に広げ、才太の目の前へと歩いてくる。
「商人の加護は、剣のように振るってすぐ力を示せるものではありません。魔法のように、手をかざして炎を出せるものでもない」
才太は自然と左手の聖痕へ視線を落とす。
「ですが、人、物、金、情報。それらがどう巡り、どこで滞り、何を求められているのかを見抜く力を伸ばしてくれるのです。学ぶ場所さえあれば、国ひとつの形を変えることもできるとわたくしは思っています」
モブ。
役立たず。
さっきまで、そう言われていた加護だ。
それなのにこの男はまるで、それがすごい力であるかのように語る。
「王城は、勇者様を育てるには最高の場所でしょう」
バルセルは桃流を見る。
「しかし天雪様が商人として何をできるのかを知るには、あまりにも清潔で、あまりにも遠い」
今度は、才太を見る。
「市場へ出なければ、人の欲は分かりません。荷馬車が遅れれば、どこで誰が困るかも見えない。商人の加護は、帳簿の上だけでは育ちません」
バルセルの言うことは才太には正しく、そして甘く聞こえる。
しかし周りはこの商人を警戒している。なにか自分達がまだ知らない理由があるのだろう。
エルミナが言葉を選ぶように口を開いた。
「ですが、天雪様は私たちが召喚した大切な客人です。その方を一商会にお預けするなど」
「王女殿下……。客人だからこそ、置物のように安全な部屋へ置いておくだけではいけません」
バルセルの声は柔らかい、まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるように。
「天雪様は異界から来られた。言葉も文化も、貨幣の価値も、身分の仕組みも知らない。商人の加護を授かったなら、なおさらです」
一つずつ指を折る。
「我が商会なら、読み書き、貨幣、契約、流通、各地の地理、商習慣を教えられます。加護持ちの商人も複数おります。ご心配なら王家の監督官を常駐させていただいて構いません。『契約』も、天雪様が望まれない限り一切結ばないことを誓いましょう」
「そこまでして、なぜ?」
アリアが問う。
その声には、明らかな疑念がある。
バルセルは一瞬だけ黙った。
それから、才太を見て笑った。
「同じ加護を持つ者として、見てみたいのです」
「僕を?」
「ええ」
商人の目だった。
けれど、品物を見る目とは少し違う。
未知の可能性を見つけた人間の目。
「異界から来た方が、我々と同じ商人の加護で何を見て、何を選び、何を売るのか」
その言葉に、胸の奥がわずかに動いた。
勇者には、もう道がある。
魔法を学び、剣を学び、魔物と戦う。
桃流の前には、分かりやすい主人公ルートが敷かれている。
対して自分には、何もない。
何もないから、どこへだって行けるのかもしれない。
「天雪様」
エルミナが、まっすぐこちらを見た。
「無理にお受けいただく必要はありません。王城で暮らしていただくこともできます。ですが……もし、実際の経済と商人の加護について学びたいとお考えなら」
王女としてではなく。
召喚してしまった相手の人生を気にかける一人の少女として、言っている。
「私たちは、天雪様のお考えを尊重します」
桃流が、こちらを見る。
「どうする?」
商人。
モブ。
役立たず。
ぐるぐると回っていた言葉の中へ、違う言葉が混ざった。
経済の大切さと怖さは元の世界でもしっかりとわかっている。
国ひとつの形を変える。嫌いじゃない。
「ディズドラ商会に行けば、商人の加護の使い方、本当に教えてくれるんですか?」
「ええ。わたくしの知るもの持つものは、すべて」
「この世界のことも教えてくれる?」
「できる限り」
「僕が、商人として何をできるかも?」
バルセルは、そこで初めて少しだけ真顔になった。
「それを見つけるお手伝いをいたします」
才太はゆっくり頷いた。
「じゃあ、行きます」
「才太」
桃流が、少しだけ心配そうに名を呼ぶ。
「大丈夫」
笑う。
今度の笑顔は、誰かを安心させるためのものだけじゃない。
「勇者が世界を救うなら、商人はその後の世界を回すんでしょ? だったらまずは商人の世界を見てみたい」
バルセルの目が感心したようにわずかに細くなり、深く頭を下げた。
「勇気ある素晴らしい決断かと」
エルミナは、しばらく迷っていた。
けれど最後には、小さく頷く。
「天雪様が決めたのなら、私に異はございません。ただし条件をつけさせていただきます」
「何なりと」
「天雪様の身の安全は王家も責任を持つものであり、私からも護衛を着けさせて頂きます。商会へ移るのは、あくまで天雪様が望む間だけ。もし少しでも不安や不都合があれば、すぐ王城へ戻ってください」
「承知いたしました」
「そして、天雪様に不利益となる契約は認めません。内容は王家の者にも確認させていただきます」
「商人としても、正しいご判断だと思います」
バルセルは、にこやかに答えた。
アリアは最後まで納得していない顔だった。
赤髪の女護衛は、こちらを一度だけ見た。
その目には、興味とも警戒ともつかない光がある。
どうやら商人修行も、最初から平穏には始まらないらしい。
「では、本日の歓迎の準備が整うまで、どうかお休みください」
エルミナが言う。
「衣服や生活に必要なものも、すぐにご用意いたします」
「あ」
桃流と目が合う。
「ところで靴って貰える?」
「靴?」
「靴履いてないところを召喚されたからさ」
自分の素足を見下ろす。
桃流も、同じく素足だった。
「も、申し訳ありませんっ! そういう文化なのかと……!」
エルミナが、あわてて頭を下げた。
「いや、違う違う。日本でも普通は靴履くから」
「僕たちがたまたま脱いでただけです」
「おぉ、それならすぐに我が商会にてご用意しましょう」
異世界に来て最初に与えられる装備が。
勇者の剣でも、魔法の杖でも、ヒノキの棒でもなく、靴になるとは。さすがに、予想していなかった。




