第8話 銀夜草と月光草
崩れたコンビニの脇。地面に座った男と、毛づくろいをやめない猫と、まだ顔の青いシュン。
あたしはカメラのレンズを自分に向けた。まだうっすら埃をかぶってる。
「ふふ、いいこと思いついちゃった」
「何をです」
「薬草と、煎じられる人。半年探して見つからないってことは、ないんじゃなくて、繋がってないだけでしょ。だったら、こっちから繋ぐ」
男の前に、もう一回しゃがんだ。
「ねえ。その薬草、なんて名前で探してたの」
男がポケットから、折りたたんだ紙を出した。開き癖で、折り目がやわらかくなってる。医者の字で、『銀夜草』。隅に、親指くらいの葉っぱの絵。
「この名前で、ドンキにもドラッグストアにも、百軒店の薬屋にも聞いて回りました。誰も知らないって」
「オッケー。じゃ、それでいくね」
カメラを男のほうに向ける。顔は映さない。手だけ。
「みんなー、聞いてた? この人の娘さん、手術が要るんだって。要るのは銀夜草。ぎんやそう。あと、それを煎じられる人。持ってる人、心当たりある人ー。お礼はこの人が、できることで返すから」
コメント欄が一瞬止まって、それから、爆発した。
『串屋のミノタウロスです。串券五十枚出す』『宮益坂のカフェです。厨房と火、貸せます』『投げ銭した』『銀夜草? 聞いたことない』『うちも初耳』『薬草系はわかんないなあ』
「……薬草だけ、出てこないね」
「半年出てこなかったものが、五分で出てくるほうがおかしいです」
それもそっか。
……いや。おかしいのは、そこじゃない。
この街には魔族の薬屋もいるし、百軒店には薬草ばっか漬けてるバーの店主もいる。半年、誰ひとり心当たりがない草。そんなもの、ほんとにあるかな。
紙をもう一回見る。医者の絵。細い葉。裏に筋。ひっくり返すと、裏に医者の走り書きがあった。「夜間に発光。乾燥で芳香」
——名前じゃなくて、モノで聞けばよくない?
「みんなー、言い直すね。夜に白く光って、葉っぱの裏が銀色。乾かすと甘い匂いがするやつ。心当たりある人ー」
『それ、うちの中庭に生えてるやつでは』『百軒店の館です。月光草って呼んでます』『銀夜草って言い方、初めて聞いた』
そういうこと。
人間の医者は銀夜草って書く。魔族は月光草って呼ぶ。同じ草だ。半年見つからなかったのは、この街になかったからじゃない。名前が、二つあったから。
「シュン、館から現物の写真もらって、先生に送って。合ってたら本物」
「もう頼みました」
「はや」
「煎じる人も。百軒店の薬草バーの店主が『うちで煎じる』って。あの人、それ毎年漬けてるらしいです」
「じゃ、揃ったじゃん」
コメント欄は、まだ流れてる。
『外から見てます。渋谷って、こんな感じなんだ』『こっちからは何も送れないの歯がゆい』『でもそっち、ちゃんと回ってるんだね』
そう。ちゃんと回ってる。
あたしが毎日これを撮ってるのは、たぶんそのためだ。奈落の底が見たい人には悪いけど、あたしが見せたいのは、こういうやつ。魔族と人間が、同じ坂の上で、串券と月光草を出し合ってるところ。
「……なんだよ、これ」
男が、埃まみれのまま言った。声が、さっきと違う。
「知ってる顔じゃん。あんたがいつも窓際でホット飲んでる、あの店の人たち」
「席まで、バレてます?」
「バレバレ」
「今、全渋谷に配信で……」
「うん」
男はしばらく、手で顔を覆ってた。それから、ちいさく頭を下げた。何回も。
「猫、すまなかった」
「あたしじゃなくて、この子に言って」
トラが、しゅるっと縮んだ。丸い目、丸い顔。かわいい猫がそこにいて、あたしの足に頭をこすりつけた。抱き上げる。軽い。あんなに大きかったのに。
男が、おそるおそる指を出す。猫は匂いを嗅いで、ふん、と顔をそむけた。厳しい。
「まあ、そのうち許すって。猫だし」
「……はい」
「娘さん、いくつだっけ」
「七つです」
「猫、好き?」
男が、はじめて笑った。泣きそうな笑い方だった。
「……大好きです」
「じゃ、治ったら見に来なよ。この子、百軒店にいるらしいから」
「あと、薬もらったら、串屋の炭運び手伝ってあげて。あそこ人手なくて、値上げしようとしてたから」
「炭?」
「持ってる人と、要る人。繋がると、街って回るんだよ」
男は、よく分からない顔で、それでも頷いた。
生ミルクティーのカップを拾う。ぬるくなってた。
「行こ。返しに」




