第2話 渋谷が異世界に飲まれた日
「令嬢、今日の客、もう終わりです」
「じゃ、あとは街でも流そっか。回して」
明日の予約が一件、頭の隅に引っかかってる。百軒店から、名指しで。
まあ、明日考えよ。
赤いランプがついた。
「はろー。渋谷ダンジョンから、悪役令嬢あかりの千里眼占い。今日は店じまいの街ぶら回でーす」
視聴者、四百二十人。渋谷の中から配信してるのは、ほぼあたしだけ。だから街の外の人まで見に来る。どこの店が開いてて、どこの坂が通れて、今日は誰が元気か。外の人が渋谷を知る手立ては、たぶんこれくらいしかない。
目を閉じて、街を見る。
「はい、まずスクランブル交差点。ここ、まるっと奈落の谷ね。あと渋谷駅の地下、百階まで増えました。元から迷宮だったし」
『増えたの草』『元からは草』
「そこ笑うとこじゃないんよ。地下街で迷ったら三日出てこられないから」
「109は上が雲の中。何階あるか、まだ誰も数え終わってませーん。道玄坂は石畳になりました。で、百軒店のラブホ街は、まるっとサキュバスの館です」
『まかない食べたい』『ドライカレーうまいって聞いた』
「よく知ってんじゃん。食べたことある。おいしいよ。あ、夜の店の子たちには石畳めっちゃ不評ね。ヒール挟まるって」
流れてくコメントの中に、長いのが一つ混じった。
『はじめまして。千葉から見てます。宮益坂上のヒルサイド宮益、七〇三に親がいて。連絡はつくんですけど、声だけじゃ心配で。見てもらえませんか』
「オッケー、見たげる。ちょい待ってね」
目を閉じる。宮益坂を上って、七階の角部屋。
干したドラゴン肉が三本。光る苔のランプに、油が足してある。手すりの鉢は土が黒い。水をやったばっかり。
「めっちゃ元気じゃん。肉三本も干してるし、苔にも油やってるし。心配いらないやつ、これ」
『ありがとうございます』『よかった』『こういうの見たくてこの配信にいる』
投げ銭が飛んできた。いつもの十倍。えっ、そんなに心配だったんだ。
投げ銭って、最初ぜんぜん意味わかんなかったんだよね。画面の向こうにお金を投げるとか、何それって。
こういう時、いつも思い出す。この街に来たばっかりの頃のこと。
宮益坂の美容院で黒髪を金髪にしてもらった。新宿のホストクラブを十軒回って、タメで喋るやつを担当にした。
「それ、何回目の自慢ですか」
「聞いてないし」
担当の配信に毎晩投げ銭して、センター街でナンパを三回断って一回乗って、朝までカラオケでショート動画を撮って、ブチ上がった。カフェの生ミルクレープ屋に週五。飽きるか試して、飽きなかった。
三千年で一番楽しい二か月だった。百回逃げて、やっと当たりを引いた。
渋谷サイコー!
——って、はしゃいでたのが、半年前。
あたしの好きな渋谷の街が、あたしごと、S級ダンジョンに飲み込まれた。
そしてその日、あたしは魔力を失った。
理由は知らない。聞く相手もいない。
残ったのは千里眼だけ。城ではろくな使い道がなかった。でも、遠くが見えれば、ここでは商売になる。魔力なくても、あたしはおいしいものを稼げる。
それで、占いを始めた。
あれから、半年。街の様子はさほど変わってない。救援もないどころか、ダンジョンは地下にどんどん広がってるらしい。
それでも街は、わりとふつうに回ってる。電気も、水も、配信も。物資は亀裂の奥から出てくる。どうやってインフラが維持されているのかは、誰も知らない。人間も魔族も、宮益坂の市場で物々交換。ドラゴン肉の串一本が生ミルクティー半分。
「てか、センター街の入口、今朝もひっくり返ってましたね。魔物と、人間」
「あー」
センター街は、渋谷の地上エリアでちょっと危ないとこ。人間のアウトローが魔族と手を組んで、好き放題やって、縄張りにしてる。ダンジョンになる前のセンター街は治安がそこそこ良くなってたんだけど。そんなわけで、あたしも近づかないようにしてる。
『あかりちゃん、今日は何が見える?』
いつものコメント。いつもの返し。
ついでに、スクランブル交差点の谷を、下へ。
見えるはずがない。あたしの目は、遠くはどこまでも見えるのに、あの谷の底だけは、いつも黒く塗りつぶしたみたいに見えなかった。
今日も、見えなかった。
「令嬢? ぼーっとしてますけど」
目を開ける。カメラの赤いランプ。四百二十人。
「……なんでもない」
見えない場所が、この街にひとつだけある。それだけの話。
明日はあの名指しの客が来る。あたしの渋谷ダンジョンライフは今日も楽しい!




