第3話 かわいい猫を探してください
道玄坂の朝は、炭の匂いから始まる。
串屋のミノタウロスが火を起こして、その煙の向こうで、ミルキードラゴンの前に列ができてる。人間も魔族も、寝癖のまま交ざって並んでる。石畳になった坂を、荷車がガタガタ上っていく。
「はいはーい、今日も渋谷ダンジョンから千里眼占い、配信するよー。あかりでーす」
道玄坂のミルキードラゴンで買った生ミルクティーを、カメラにちょっと寄せて見せる。店主のドラゴンおじさんが奥から手を振ってくれる。今日は串券一枚でおまけの黒糖タピオカつき。優しい。
「はい、令嬢おはようございます。視聴者、開始三十秒で三百人」
淡々と読み上げるのはシュン。
「三百。少なくない?」
「令嬢が集客の心配をするのが一番怖いです」
「うるさ」
視聴者が見たいのは奈落の底。あたしが撮りたいのは、この街の、ふつうの朝。
「令嬢、昨日リクエスト来てた百軒店の子、もう着いてます」
道玄坂の途中、いつもの机。折りたたみの椅子に、女の子がちんまり座ってた。百軒店のサキュバスの館の子。リナリーっていう、舌足らずな女の子。小さな翼を背中にたたんで、細い尻尾を椅子の脚に巻きつけてる。かわいい系で丸めてるけど、目の色だけ紫で、瞳孔が縦に細い。
「あかりさぁん、うちのねこちゃんが、家出ちゃったの。もう何日も帰ってこないの。写真、ないの。ごめんね」
泣きそうな声で、イラストを一枚、机に置いた。丸い顔に、丸い目。爪だけ、猫にしては長すぎる気がした。まあ、絵が下手なだけか。
「家出、っすか。お嬢と一緒ですね」
「うるさ」
「かわいい猫、ね。他には?」
「かわいい」
「情報量ゼロですね」
「かわいいは情報でしょ。じゃ、爪——」
言い終わる前に、リナリーは両手を机に出してた。塗りたてみたいな薄いピンク。
「これでいい?」
『準備よすぎ』『初見さんは必ず"なにそれ"って言うのに』
「……よく知ってんね」
「あかりさんの配信、見てるもの」
相手の手を取る。ひんやりしてた。サキュバスってそういうものなのかな。ほんとは爪なんか要らない。目を閉じれば見える。でも、客は何かを覗いてもらいたがるし、あたしは手を取るのが、わりと好き。城では、誰の手も取ったことがなかったから。
顔を上げて、目を見る。紫の目が、まっすぐこっちを見返してきた。舌足らずな喋り方とは、温度が違う目。
「薬指だけ、剥げてる」
「……ねこちゃん、いつも薬指、かじるの」
「あーね」
目を閉じる。この指を、ついこの間までかじってた猫。それが、どこへ行ったか。
見える。
段になったアスファルト。下へ、下へ。壁に貼られた看板が、時代のばらばらな字で重なってる。上のほうで、青い光。信号。ずっと青のまま、変わらない。
猫はそこ。段の途中の、崩れたコンビニの脇。
その先は、いつもの黒。どれだけ目を凝らしても、底までは見えない。
「……交差点だ」
目を開けた。
「スクランブル交差点。亀裂の中。かなり下」
シュンが時計を見た。
「三分。今日は早いですね」
「爪がよかったから」
「つめ?」
「うん。色も、塗り方も丁寧じゃん。そういう子が毎日触ってる物は、跡がきれいに残るの。追いやすい」
リナリーが、自分の指をちょっと広げて見た。
「……ほめられてる?」
「ほめてる。ネイルは看板だからね」
シュンがカメラを構え直して、それから、手を止めた。
「……待ってください。亀裂の下って、探索チームでも戻ってこないとこですよね」
「うん。降りるだけなら誰でもできる。戻ってくるのが難しいだけ」
あの下まで降りて、戻ってきて、猫まで抱えて帰る。やれるやつは、あたしの他にもいる。腕のいい探索者もいるし、館なら伝手もあるはず。
なのに、名指し。
ふうん。
『今回も当たってそう』『いつも当たるの怖い』『占いっていうか捜索』。投げ銭が二件、まとめて飛んできた。
リナリーが、イラストを胸に抱えて、もっと泣きそうになった。
「かなり下って……あたし、行けない……」
「行かなくていいよ。あたしが行く」
「え?」
「渋谷、占い屋は多いんだよ。でもうちは、占うだけじゃなくて解決までつきそう。それが、うちの強み」
「令嬢、それ言うと毎回めんどうな依頼になるんですよ」
「うるさ」
リナリーが、顔を上げた。
「……ほんとに、行くんだ」
舌足らずが、一瞬だけ抜けた声だった。
「え?」
「ううん! ありがとお、あかりさぁん」
紫の目は、笑ってなかった。




