第15話 来るなって言っただろ
ホームの灯りが、奥から手前に向かって、一本ずつついた。
トンネルの奥から、生ぬるい風が押し出されてくる。それから、電車が来た。
古い車体で、窓の灯りが黄色い。中には、ヘルメットをかぶった作業着の人たちが並んで立ってる。その窓の一枚に、凪の写真と同じ顔があった。
その人は、ぶかぶかのヘルメットをかぶった凪を見つけて、口を「なぎ」の形に動かした。
きぃ、と鉄が長く鳴いて、電車がホームの真ん中で止まった。
後ろで、どさっと音がした。振り返らなくても分かる。シュンだ。カメラが床に転がって、レンズが天井を向いた。配信は、たぶん音だけになった。
このタイミング、毎回完璧なんだよね。はいはい、寝てて。
扉が開いて、凪のお父さんが降りてきた。車両の奥では、ヘルメットに字を書いた無精髭の男が、腕を組んでこっちを見てた。
凪が走った。ヘルメットが頭の上でずれるのもかまわずに、ぶつかるみたいに抱きついた。
「来るなって言っただろ」
「来た」
それだけだった。それで足りてた。
お父さんが凪の手を取って、親指の噛んだ跡を見た。
「……入学式、行けなくて悪かった」
凪はヘルメットを脱いで、内側の字をお父さんの胸に押しつけた。何も言わなかった。
お父さんは凪の頭に手を置いたまま、あたしを見た。
「あかりさんが、連れてきてくれた」と凪が言った。
「……あんた、通れるのか」
「通れるよ。手繋げば、この子も。だから来た」
お父さんは長く息を吐いて、首を振った。
「戻れないんだ」
「なんで」と凪が言った。
「上に戻った奴の家族がどうなるか、誰も知らない。だから誰も戻らない。掟だ」
凪の頭から、手を離さないまま続けた。
「お前が来たら、お前が捕まる」
凪が、お父さんのシャツをつかんだ。「じゃあ、なんで送ったの」
「電車が駅に停まるときだけ、電波が入るんだ。昨日、上のガキが毎日入口に立ってるって聞いて……我慢できなかった」
「じゃ、帰ろ」とあたしは言った。「もう、この子来ちゃったじゃん。捕まるなら一緒でしょ。手繋げば上がれる。それで終わり」
お父さんの口が少し開いて、閉じた。それから凪に言った。
「……もう、お前来ちゃったからな」
凪がうなずいた。
車両の奥から、さっきの無精髭の男が降りてきた。ヘルメットに、手書きで『班長』と書いてある。
「三十七。戻れ。掟だ」
三十七は、お父さんの職員証の番号だ。
「お前一人の話じゃねえ。お前が上がれば、次はうちの家族だ」
班長のヘルメットの内側にも、マジックの字が見えた。何て書いてあるかまでは、読めなかった。
班長はお父さんの腕を後ろにねじり上げて、そのまま膝で、ホームの床に押さえつけた。
「やめて」
凪が班長の腕にしがみついた。班長の腕は、びくともしない。
お父さんの頬が、ホームの床に押さえつけられてる。
まわりの音が、消えた。
あたしは、生ミルクティーのカップを、ゆっくり床に置いた。
「離しなさい」
自分でも分かった。ギャルの声じゃなくて、城で出してた声だ。
目の前の景色に、数秒先の景色が薄く重なる。班長が顔を上げる。お父さんの腕を放さないまま、こっちに手を伸ばす。振り払われた凪が、線路のほうへよろける。
全部、まだ起きてない。
あたしは先に凪の襟をつかんで、ホームの内側へ戻した。伸びてきた班長の手首を取って、膝の裏につま先を軽く当てる。振り向きざまに来る肘も、もう見えてる。半歩ずれて空を切らせると、班長の腰が落ちて、点字ブロックの上に座りこんだ。お父さんの腕がほどけた。
「やっぱあたしの千里眼、便利なんだよねー」
声を、いつものに戻した。
班長は座ったまま、あたしを見上げた。
「……戻った奴の家族がどうなるか、知らねえのか」
「知らない。教えて。誰が、どうするの」
班長は答えなかった。口が開いたまま止まってる。この人も、知らないんだ。
床に転がったカメラの画面を、コメントが流れていく。『声こわ』『音だけで分かるの怖い』『今の声だれ』。
肩の上で、リリーが腹の底から低く唸った。その鼻先は、班長じゃなくて、階段のほうを向いてた。
「うわ、ほんとにいた」
階段の上から、軽い声が降ってきた。




