第13話 商売敵
次の朝、リリーが机のほうじゃなくて、駅のほうへ歩きだした。しっぽを立てて、振り返りもしない。たぶん、昨日ハチ公の前で見た段ボールのところへ行く気だ。
「令嬢、机は」
「あと。シュン、カメラだけ持ってきて」
ハチ公の台座の横に、昨日の段ボールがあった。広げてあって、ちゃんと机になってる。その前に、黒いパーカーの男の子が立ってた。中学生くらいの子。机の前には、マジックで『父を探しています』と書いた紙と、写真が一枚貼ってある。
「商売敵じゃなかったですね」とシュンが言った。
あたしは机の脚を見た。脚はガムテープでぐるぐる巻きで、天板が少し傾いてる。
「脚、ガムテじゃん。これ、一日で潰れるよ。あと字、小さすぎ。坂の下から読めないと、人来ないから」
「張り合うとこ、そこですか」
あたしは前髪のクリップを外して、ぐらつく脚のつなぎ目を挟んだ。天板が、まっすぐになった。
男の子は、黙ってあたしを見てた。
「……あかりさん。配信の。凪です」
「そ。この机、あたしのまねでしょ」
「机があると、人が来るって。配信で見た」
「来た?」
「来ない」
「だよね。字が小さいもん」
串屋のミノタウロスが、炭の袋を抱えて通りかかった。足を止めないまま、男の子の手に串券を一枚押しこんで、「今日のぶん」とだけ言って坂を上っていった。男の子は頭を下げて、パーカーのポケットにしまった。
リリーが男の子のスニーカーを嗅いで、鼻にしわを寄せた。前に亀裂の底で嗅いだ、渋谷じゃない匂いに近いらしい。
「なんでここなの。うちの机まで来ればいいじゃん」
「ここを離れたら、父さんが上がってきたとき、いないから」
男の子は台座の裏を見た。そこに、地下へ降りる階段がある。
「ここに立つのは、前から。机を置いたのは、昨日から」
写真は紙焼きだった。作業着の男の人が、ヘルメットを脇に抱えて笑ってる。前にリナリーが持ってきた猫はイラストだったけど、今日のは本物の写真だ。そのぶん、ずっと重い。
「お父さん、地下にいるんだ」
「閉じ込められてる。半年」
「じゃ、爪見せて」
凪は「なにそれ」とは聞かなかった。配信で見て知ってる顔で、黙って両手を出した。短く切りそろえた爪。親指だけ、噛んだ跡がある。
「爪、噛むんだ」
「……父さんがいたときは、噛まなかった」
はいはい。凪の手を取る。冷たかった。朝からずっと外にいた手だ。
目を閉じる。千里眼をひらいて、この手が毎日待ってる人を探す。
先に、この子の足取りが見えた。道玄坂の裏のアパートから毎朝ここへ来て、夜になったらアパートへ帰る。半年ぶんの同じ線が、すり切れそうなくらい濃く重なってる。
その線の先にいるはずの人だけが、見えない。
そこだけ、スクランブル交差点の谷の底と同じ、塗りつぶした黒になってる。
見えない理由が、一つだけ頭に浮かんだ。でも、それは言わない。
「ちょっと待って。別の見方する。お父さんの位置情報、見れる? 家族のやつ」
凪がスマホをこっちに向けた。家族の居場所を共有するアプリの画面だ。お父さんの最後の点は、渋谷駅の地下改札で止まったまま、半年動いてない。
「場所はね、当てられない。見えないんだもん。ごめん」
凪の顔が、少し下がった。
「だから、連れて帰る」
その顔が、上がった。
「……え」
「見えないなら、行くしかないじゃん。行って、見つけて、連れて帰る。それならできる。城育ちなんで、あきらめ方は習ってないの」
コメント欄の流れが、急に速くなった。
「令嬢、視聴者増えてます」
「増えなくていいから、あんたはついてきて」
凪の手の中で、スマホが震えた。画面を見て、凪が動かなくなった。それから、あたしに向けて差し出した。差出人は『父さん』。メッセージは一行だけだった。
『まだ出られない。来るな』
「……来るな、って書いてありますけど」とシュンが小さく言った。
「来るなって言われて行かなかったこと、ある?」
肩の上で、リリーが短く鳴いた。




