第12話 非売品
次の朝、膝が軽かった。
机を出しても、リリーが来ない。名前を呼んでも来ない。机の下を覗いたら、きれいに空っぽだった。
「令嬢。いま、宇田川町のほうへ歩いていきましたよ」
「早く言って」
よし、迎えに行こ。机はシュンに任せて、宇田川町まで歩いた。センター街は通らないで、裏の細い坂から。
古着屋の正面に、黒い革のジャケットが掛かってた。肩の白っぽいやつ。値札が付いてる。近づいて読んだ。
『非売品』
「売らないのに、値札つけるんだ」
レジに、あの女の子がいた。ピンクベージュのジェルが、根元まできれいに塗り直されてる。手には値札ガン。持ち方が、まだぎこちない。あたしに気づくと、ちょっと赤くなって、「今日からです」と小さく言って、それから足元を指さした。
レジの下で、金色の毛のかたまりが丸くなって寝てた。
「あんた、こっちにいたんだ」
リリーは目を開けなかった。
奥から店主が出てきて、黙って一着差し出した。ラメの入ったピンクのシャツ。袖がふわっと広がってる。
「え、待って。かわいすぎ」
「謝礼。好きなの持ってけって言ったら、あんたはそれ選ぶって、こいつが」
店主があごで女の子を指す。女の子が、小さくうなずいた。
シャツを胸に当てる。店主が、その袖にちょっとだけ爪で触れた。
「……前の持ち主、派手」
「褒めてる?」
「読んでるだけだ」
これ、完全にあたしのじゃん。今日、着る。
女の子からは、ミルキードラゴンの黒糖タピオカ。来る途中で買ってきてくれたらしい。
「爪、見てもらったお礼です」
「十分すぎ。ありがと」
レジの下のリリーは、最後まで起きなかった。
その日は、ラメのシャツで机に座った。相談より先に、服の話ばっかり来た。
夕方。机をたたもうとしたら、二人が並んで坂を上ってきた。女の子の腕に、リリー。
「先にどうぞ」と店主が言った。
「いえ、そちらが」と女の子が言った。
「……」
「……」
「どっちでもいいから座って」
シュンが、カメラの向こうでぼそっと言った。「この前と逆ですね」
女の子が、リリーをあたしの膝に下ろした。戻ってきた重さが、ちょっとだけ懐かしかった。
「閉店って言ったら、ドアの前で待ってたんで」
店主は「昼はうち。夜はあんた」とだけ言って、立ち上がった。
リリーを抱いて、シュンと駅前まで歩いた。ハチ公の台座の前を通る。あの貼り紙は、同じ場所に、同じ字のまま貼ってあった。
その横に、段ボールが一つ置いてある。
「朝、通ったときはなかったですよ」とシュンが言った。
折りたたみの机を、たたんだときと同じ形。あたしの机と、そっくりの。
「……なにこれ」
シュンが、カメラをしまう手を止めた。「令嬢、商売敵ですかね」
腕の中で、リリーが段ボールのほうに鼻を向けて、ひくひく動かした。
あたしの渋谷ダンジョンライフは今日も楽しい!




