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所詮おまけさ
復讐なんて
*
時空のどこかに、不完全な異世界があった。何もかも作りかけで、嫌な匂いがして、UIもなく放棄されたかのような、どうしようもない失敗作であった。
あるのは、魔物の糞と虫たちに支配された暗い森ばかり。
その闇を、大きな銃を持った大きな男が歩いていた。地獄の幽鬼のような大量の奴隷を率いて、木と竹と魔物を切り開き進軍し続けていた。
男は、狂っていた。
だが、英雄だった。
男には、ずっと見守ってきた少女がいた。とても可哀想な少女だった。うまく接することは適わなかったが、それでも彼なりに温情を寄せ、なんとか幸せになってほしいと願っていた。
その少女は結局、意味もなく死んだ。
自分が生涯をかけて憎み続けてきた、性犯罪者の手で。
男は悲しかった。
少女の変わり果てた姿、ゴミのように捨て置かれた彼女の愛犬、何よりも、少女の恋人が壊れてしまったことに心をえぐられた。
〝ここにいる〟
とても単純なこの言葉が、時として感動的な、哲学的な、深い意味のある叫びとなり得るなら、
彼女はもう、ここにいない。
それはどれだけ不幸なことだろうと、男はそんなことを考えていた。
——もう少し早く、センターへ戻れただろうか。
魔物がそこにいることはわかっていた。ケンタウロスたちの不自然な死は、あるいはミシェルという少女の愛犬の仕業であることも考えた。ならばそこで戦っているのは少女とその恋人だろう。託して戻らない、という選択肢もあった。
それでも、万が一のために彼は自分の足でそこに戻ったのだ。リタという少女の協力で想定より正面の魔物軍団を手早く抑えられたことも幸いした。
それで無理だったのだから、不可能だ。間に合わない。
あんな男が隠れていたことなどどうやって知る?
何より……。
この〝一回〟だけを防ぐことが、自分のやりたいことなのか?
頭をよぎった最悪の言葉に、彼は一人、ヤギの角持つ悪魔のように微笑んでいた。
男は、泣いていなかった。
泣けなかった。
この男——すっかり拗らせてしまったダーティハリーの胸には、言いようのない喜び染みた感情があったのだ。
よかった、自分は何一つ変わっていない。
被害者が身内でもいつも通り最悪の気分だ。
彼の性犯罪嫌いは生来のものである。理由もきっかけもなく、純粋に嫌悪していた。だがそれでも彼が狂ったのは、この世界に来て、今は新月機関と呼ばれる彼女らを見たせいだった。
レイプ事件など知りたくなかった。被害者の顔など見たくもなかった。
どうせ自分は可哀想な被害者などと向き合えないから、加害者共をブチ殺して終いにしたいと、そんな妄想で心を慰めていた彼は、眼の前に突きつけられた決して無視できない性犯罪を前に、ついに選択を迫られた。
無視はできない。
なんとかしたい。
だが、彼女らの傷に向き合うなんて、面倒くさい。
彼の全ての暴力は、怠惰で夢見がちな彼の心がひねり出した、自分は役割を果たしていると感じるための神経質な言い訳に過ぎないものである。彼はそれを自覚していた。
故に、サボらない。
言い訳など聞かず、更生も求めず、個体として識別せず、苦しみ以外の全てを奪って殺し尽くす。
そんな非現実的で楽しい妄想を、都合の良い異世界で、奴隷魔法を使って叶えたクズ男は——、
それでも、この世界の全ての厄災を乗り越えた英雄だった。
*
その男、浅川凪はついに、魔王城に辿り着いていた。
突如始まった魔物たちの大進撃から既に二日が経過して、三度目の夜を迎えていた。
空は新月。
ビロード調の星空だけが場違いなほど綺麗な夜だった。
ここにはもう彼と彼の奴隷たちしかいない。共に戦っていたリタがまだ生きているかはわからなかった。出血は止めたが意識が戻らず、盗撮犯と痴漢を組み合わせた軽犯罪ケンタウロスにクロエたちのもとまで運ばせている。魔物に邪魔されなければもうじきに人里にたどり着く頃だろう。
『魔王城』と、名前だけ伝わってきていたその崩れかけの石壁の群れは近くで見ると、遠くに望む以上に無様で無価値な建築物に見えた。言ってしまえば「一階部分だけ壁で基礎を作って終わったサンドボックス初心者のお城」である。雑な灰色のレンガの積み重ねは苔まみれな挙げ句森に飲まれ、名前も知らない小さな虫が藪の中でバタバタ騒いでいる。竜がいた気配もない。
凪は奴隷たちに魔王城の中を捜索させながら、入口の、奇跡的に崩れていなかったアーチの前に立っていた。目立った構造は何も無いにも関わらず、彼が足を踏み入れたとき、5年ぶりに聞くような『電子音』が微かに鳴ったのだ。
今のところ、何もないし、何も起きない。
だが……、
空を見上げて、彼は気がついた。新月に重なって、暗い紫の渦が宙に出現している。
球体状のその渦は少しずつ高度を下げ、崩れた城のアーチ前に近づいてきていた。
凪は銃を構える。
左手は奴隷を指揮するために残す。
すでに2日ほど何も食べずぶっ通しで動いているが、拷問殺人鬼浅川凪という男は今なお1/500ミリたりとも変わらず『凪』だった。
「おいおい……久しぶりに『イン』してみりゃあ、ほんとに人いんのかよ」
男の声がした。
「え、てかクリアしてね? 何が起きたの?」
紫の渦にバリバリと空電が走り、内側からぬるっと腕が這い出てきた。
狭いトンネルをくぐるように渦から這い出てきたのは、とても奇妙な出で立ちをした細身の男だった。服装は単純に言えばカトリックの神父のようだったが、顔はピエロのように白く塗られ、髪はない。
紫のボルテックスを椅子代わりにして空に座った男は、白と黒が反転したような不気味な目玉でぎょろりと周囲を見回し、銃を構えた凪を見た。
「うっわ、それ、フェミニスト? ガブリエールだっけ? なつかしぃー」
「誰だお前」
凪は聞いた。
「ん? んんんー、さて、誰と言ってお前にわかるもんかね。まあ、名前くらいは名乗ってやろう。僕はホワイトだ」
白を名乗った男は嗤う。
「しかしソイツで戦ってきたってことは随分いっぱいヤッて来たんだね。見た目通り金玉もでけえようだ、ハッハッハァー……あれ? 女は?」
男はキョロキョロと首を回す。わざとらしく頬に貼り付けていた笑みが、少しだけ引きつった。
「……あ? なんだこいつら?」
「奴隷だよ」
「男しかいねえじゃん。お前そういうこと? うぅわ悍ましい。まあどうでもいいけど」
「……で?」
「あ?」
ホワイトは凪に向き直る。
互いの瞳が互いを探る。
周囲には憔悴しきった性犯罪者たちが息を殺しながら、二匹の悪魔を見守っていた。
「お前、なんか変だな」
ホワイトは腕を凪にかざす。文字の書かれた、青く四角いホログラムが前に出現する。
「んん? ステータス高えのに、腐る程経験値余ってんじゃん。スキル振りのやり方がわかんねえのか? ああ、そうか、チュートリアルフェアリーすら作ってなかったっけか。50年も前だからなぁ……てかおい、この化け物どもは一体なんだ?」
「なんだってなんだ? 奴隷魔法で改造した奴隷だぞ?」
「……人間を?」
余裕然としていたピエロ神父もどきの顔が、歪む。
「え、フツーに引くんだけど……」
「お前が言うなよ」
「はあ?」
青筋が浮かぶのが見えた。顎を上げ、凪を見下ろす。
「お前さ……僕が何者かわかってる?」
「もちろん」凪は鼻を鳴らした。「お前はさっき、たった一言で、自分が何者であるかを俺に証明した」
「あ?」
「男が奴隷だと悍ましい……ハハハハ、そうだよな。こんな世界作ったんだ、そういうやつに決まってるよな」
「一人で何言ってんの?」
「お前、女を犯したことある?」
「は? 当たり前だろ」
「だよな」
ためらいなく、凪は構えていた銃を撃った。
胴に向けてまっすぐに。
だが、当たらなかった。
一切の音もなく、ホワイトは弾を避けて凪の眼の前に出現していた。幽霊のように宙に浮き、白黒あべこべな瞳で彼を睨む。
「創造主に対して生意気が過ぎるだろうが」
どうやらブチギレていた。
お互いの左手が、相手に触れる。
お互いに、奴隷魔法を発動した。
お互いに、なぜか、不発に終わった。




