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翌日、テツジは『センター』の方へ向かっていた。昼頃にまた『ブーブークッション』が鳴ったことで新月機関が警戒に入っていたが、魔物が出たわけではなかったとのこと。本当は一日中一緒にいる予定だったうららも念の為警戒に出ていた。
こういう世界で生活すると痛感することだが、スマホのような連絡手段がないのは本当に歯がゆい。イレギュラーな状況では正確な情報はまず伝わらず、いちいち現地に赴く必要が常にある。
ともかく新月機関のメンバー伝いに「危険ではないがテツジさんにも来てほしい」とだけ伝えられ、彼は風車排水の講習を切り上げてセンターに向けて走っていた。
小高い丘を上り、遠くで雲に霞んでいる魔王城を睨みながら凪の方へ。何かを抱えてクロエと話している彼が見える。軽く手を振りながら、小走りで側に寄った。
彼の腕の中にあったものを見たとき、テツジは本当にびっくりした。
というよりも、ほっこりした。
「……わんこだ」
「そう、わんこだ……だあもう! 暴れるな暴れるな!」
凪は今にも暴れ出そうとする犬をなんとか抑えている。見る限り相当力が強いようだ。吠えてはこないがグルグルと小さく喉を鳴らし、周囲を抜け目なく警戒している。足が短く耳が長いし、コーギーだろう。伸びた毛はめちゃくちゃに汚れていて匂いもきついが、首には茶(元は赤かも)の首輪が見て取れた。
毛のせいで最初はわからなかったが、ひどく痩せている。ずいぶん長い間野生で生きていたようだ。
「ええと、この子は?」
「犬だ」
「犬ですね」
「真面目に言うと、どうやら俺たちが〝共喰い〟呼ばわりしていたものの正体らしい」
この二ヶ月くらいの期間に周辺で見つかっていた魔物の死体の話をテツジは思い出す。
「え、じゃあこのわんこ、魔物殺してたんですか?」
「なんならケンタウロスも2体殺られた」
「ええ……怖すぎる」
「吠えてくれりゃあもうちっと見つけやすかったのにな。こいつ、暴れはするくせに全然鳴かな……」
ギャンッ!!! と、
突然汚コーギーが大きく吠えた。あまりにも大きい声だったので凪もテツジも、流石にクロエもビクンと体を震わせてしまった。
暴れ出した犬が向かおうとする先に、遅れて到着したうららがいる。彼女は目を見開き、そして叫んだ。
「ミシェル!?」
犬が、凪の腕を振り払って走り出す。
駆け寄ってきたうららがそれを抱きとめた。
「ミシェルっ! なんで、なんでこんなところに……あぁ……」
血と泥に汚れた吠え続ける臭い犬を、彼女はぎゅっと抱きしめる。
「ごめんミシェル!! 私のこと覚えてる? ほんとうにごめんね!! 私、私ミシェルまでこの世界に……ああミシェルぅ、こんなに痩せちゃって…………」
犬……ミシェルは吠え続けている。尻尾をめちゃくちゃにブンブン振り回し、高く吠えたかと思えば喘息みたいに細く唸ったりしながら、5年ぶりに再会した飼い主の顔を必死に舐めている。
(あ、これ、無理かも)
テツジは目頭を抑えた。
(僕、犬の話は無理なんだって……)
滲んできた涙をこすりながら、テツジは凪の顔見た。
同じく見返してきた彼の顔面があまりに面白かったので、テツジはついつい吹き出してしまった。凪も笑ったということはお互い様だったのだろう。
やはり、犬はズルい。
一方でクロエは、うららとミシェルの近くにいて、片手で軽く涙を拭いながらももう片方の手はしっかりと汚れた毛並みの上に添えられていた。顔色そのものも険しいというか難しい表情をしている。魔物を殺していた犬なのだから「愛情表現」すら危険になっていた可能性を考慮してのことだろう。冷静な人である。
ともあれこれで、テツジを呼んだのはうららであるということはほぼ確定したと言っていいだろう。
凪とテツジもひとしきり涙を拭ってから、うららの側に近寄った。しゃくり上げながらミシェルを抱きしめるうららの肩に手を添えようとも思ったが、警戒されている気がしたので少しだけ距離を維持。
「うららさん」
やや落ち着いてきたところで、クロエが話しかけた。薄く微笑んではいたが、目にだけは新月機関代表としての計算高い光が見て取れる。
「このイヌは、うららさんが元の世界で飼っていた子なんですね?」
「……はい。ミシェルっていいます。男の子です」
「ミシェルはとても力が強いようです。北西の森で魔物を噛み殺していたのはこの子でした」
「あ、えぇ、まじすか……」
ずびっと鼻をすすって、犬を撫でる。
「ミシェルそんなことしてたの? 頑張ったねぇ。ごめんねもっと早く見つけてあげられなくて。ああ、早くなにか食べさせてあげないと……魚で大丈夫かな?」
「多分大丈夫だよ」
言いながらテツジはしゃがんでうららに手を添える。
「僕も昔犬飼ってたから少しはわかる。ご飯もいるけど、どこかで体洗ってあげないと伝染病とか……アウチッ!」
「あ、だめミシェルだめ! 待て! パパだよ!」
噛もうとしたかはわからないが、ともかくテツジに向かってきていたミシェルをうららが止めた。噛み締めた歯(ちゃんと見ると血みどろである)の奥でグルグルと喉を鳴らしている。彼はどうやら警戒しているときには吠えないようだ。番犬というよりは狩猟犬タイプなのだろう。
(パパ……)
「この子はどうやら、少し危なっかしいようです」
クロエの声に、皆彼女の方を見た。
「転生……イヌ? だからなのでしょうね。今のままだと転生者の皆さん以外の人が近づくのは危険でしょう」
「そう……ですね。そっかぁ、そうだよな」
テツジも頷いた。恐らく魔物と戦っていたせいで狩猟本能が目覚めてしまっている。人里に近づけるのは利口とは言えない。
「……見たところ、この子には首輪がついているようです」
クロエは続けてそう言った。
「とても賢い動物のようですね。もしかすると、テツジさんに奴隷魔法を使ってもらえれば、人を襲わないようにできるかもしれません」
「え?」
「え?」
うららと二人、目を見合わせた。
4秒だけ目で会話をして、ミシェルに向き直る。うららが暴れようとする頭を抑え、テツジはできるだけそっと汚れた毛並みに手を添えた。
パチンと、汚れていた首輪の色が鮮やかな青に変わる。なぜ新しい首輪でないのかはわからない。
「あ……ええとじゃあ、『人を襲うな』と。これだけで十分かな」
クゥーンと小さくミシェルは唸った。試しに恐る恐る手を近づけてみると、首をぐるぐる動かして威嚇する素振りは見せたが噛みついては来ない。名前を呼びながらゆっくりと頭を撫でたり背中を撫でたりしていくうちに少しずつ落ち着いてきて、最後には命令なんてなくとも彼の手をペロペロ舐めだした。
うららが、涙に腫れた赤い目でまた彼の顔を見る。
「……天使さま」
「〝て〟しか合ってないよ」
「テツジさま……」
「宗教みたいで怖いよ」
テツジは苦笑いしてから、クロエの方へ視線を向けた。どう考えても天使はあちらだろう。彼女は慈愛そのものといった雰囲気で優しく微笑みながら、じっと凪の顔を見つめていた。
釣られて、これまで会話に参加してこなかった彼に目を向ける。
笑ってしまった。
「な、泣きすぎじゃないですか?」
「……おっさんにはクるんだよこういうの」
自分でも笑いながら涙を拭って、優しい、本当に優しい視線をうららに向けた。
「よかったなあ、うらら……」
「やめてくださいよ、また泣いちゃう……」
うららの顔もみるみる涙に濡れた。
「……でも、不思議ですね」
クロエが小さく呟いた。
「この子はいったいどこの神殿から来たのでしょう?」




