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「きっと、お二人ともが転生者であることが助けになったのでしょう」
役場の執務室の中、顎に手を当て、黒い服のクロエが言う。
「奴隷魔法を介した治療では私の胸は治せませんでしたからね。凪さんがそうであるように、うららさん自身にも高い回復能力があったのだと思います。テツジさんの力がどのように影響したのかはわかりませんが、咄嗟にうららさんの足を治した体験が何か特別な魔法を目覚めさせたのかもしれません。テツジさん自身は何かお考えありますか?」
「うーん、似たようなことは考えましたが、何かした自覚とかはとくに……」
テツジはチラリと、隣に座っているうららを見た。彼女は止まり木に絡むヘビのようにガッチリと彼の腕に抱きついている。話が話だけに、昨夜のことは包み隠さずクロエに伝えることにした。
「ともかく、長時間を一緒に過ごしたことでめざましい変化が出たわけだ」
入り口近くの壁にもたれ腕を組んでいる凪が言う。
「そう……ですね」
「つまり……あれだ、しばらくは一緒にいて経過を確かめたほうがいい。そうだなクロエ?」
「はい、私もそう思います」
クロエは立ち上がり、うららの前でそっと屈んで頬に手を添えた。
「せっかくだから、うららさんは祝祭までお休みにしましょう」
「え、でも、それは……」
「うららさん。私は何度も言いました。あなたは私たちの中で一番不幸な人です。私たちの誰も奴隷とされることを望んだはずはありませんが、それでも、この世界で生まれた私たちにとって、あの男の周囲は安全地帯でした」
「…………」
「うららさんは、うららさんだけは、違った。何もかも奪われただけ。本当はもっとずっと早く休んでも良かったのよ」
「…………すいません」
「でもテツジさんにはもう少しお手伝いしてもらいたいことがあるの。独り占めは今日と祝祭の日だけでいい?」
うららはこくんと頷いた。
テツジはむず痒くて、恐らく耳まで真っ赤だった。クロエはそんな彼を見て、母のように優しく微笑む。
「ありがとうございますテツジさん。本当に、ありがとう。本当に皆さんの胸が元に戻せるかは後で考えましょう」
「……はい」
「では」
そう言って立ち上がり、凪に目配せする。凪は頷いてドアを開けた。
気の所為でなければ、彼の目に少し、涙が光っていたと思う。
二人が部屋から出てドアが閉まるが早いか、うららが正面からぎゅっと抱きついてきた。
「テツジさぁん……っ!」
「とにかくよかったよほんと……」
「昨日はごめんなさい! めっちゃごめんなさい!」
「いや、あれば僕ぁむぐ……」
結構な力で唇を握られた。膝に座られ、真っすぐの瞳が彼を見据える。
「わ・た・し・が!! 完全に悪いです!! テツジさんの立ち場では何も考えず! 優しさに甘えて自分のことばっかで! 激激×n重感情全部盛りで先走って!! 全部私のやらかしです!」
「……んご」
「ほんとうにすいませんでした!!」
叫ぶように謝る声は、しかし、これまで何度も聞いてきた謝罪とは違い、芯が強く一つ通った迷いのない〝うらら〟の言葉な感じがした。
わりと勢いの良い、体当たりな人格。
こっちが本当の彼女だろう。
テツジはようやく本気で安心できた。
「むぐむむむ……」
「私が悪いです! いいですね!?」
「……ひゃい」
許されたようで、口が解放された。唇が冷たく感じる。
そのまま20秒くらい見つめ合っていた。
控えめに言って、至福の時間だっただろう。うららは日本で一番可愛い女の子である。
瞳が徐々に潤んで、彼女はまたぎゅっと倒れ込んできた。今日はしっかりと抱きしめた。
「ああ……神さま」
「人違いだよ?」
「テツジさますぎる……こんな、こんな何もかもよくなるなんて……」
「やっぱり辛かったんだ」
「正直……限界だった気がします」
「じゃあ間に合って良かったよ」
「えぇ……優しすぎる。ああもうまた申し訳なくなってきたああ! テツジさんのパパママほんとごめんなさい! 友だちもごめんなさいぃい!! これから一生謝って生きていきますうぅう!!」
「いやあの、困るし、そもそも今更だけど、僕のことを呼んだのはうららちゃんだって確定したわけじゃ……」
「絶対私です! 間違いないです。冷静に考えてありえないでしょこんなスパダリの極み……」
「すぱだり?」
「知らないなら忘れてください」
「あ、はい」
テツジも気分よく笑っていた。昼までの病み闇状態が嘘のようだ。そもそも悩みとはそういうものなのだろう。仕事を辞めるだけで治る鬱もある。経済不安がなくなれば優しくなれる人もいる。実際には依然として細かな問題はたくさん残っていようと、その一つ一つをなんとかできるというポジティブな気分であれるかどうかが大事なのだ。
メンタルを健康に。人生の目的なんて所詮それだけ。母の持論である。
窓がカタカタ風に鳴った。
うららの髪に頬を寄せながらテツジは、ふと、凪の瞳に光っていた涙のことを考えた。きっと、凪も凪なりにうららに対して抱いていた健全で不器用な情の証だろう。
しかし、彼のソレはやはり、見ようによっては薄気味悪くも映ってしまう。
(でももう……僕も言えたものじゃないか)
うららもテツジも、奴隷の性犯罪者たちの爪が剥がされたり骨を折られたり、あるいは共食いすらさせられている惨状を尻目にこんな素敵な体験をしている。奇跡のような気持ちですっかり舞い上がって、きっと今夜は昨夜のリベンジだろう。
(いいやもう)
と、彼は開き直った。彼自身も間違いなくこの不快な世界の被害者なのだ。掴める幸せを拒んだって仕方がない。
凪のように自分も泣けば良い、と。
その願い(?)は次の日には叶うことになる。




