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果たして自分はこの世界に慣れたのであろうか。それとも、タスクを見つけることで帰れないという現実に目を背け続けているのか。時々それを自問してしまうくらいこの一ヶ月のテツジは仕事に熱心だった。
『異世界』と呼ばれるこの島に干拓地を作る。最初は凪の奴隷を使っていいが、最終的にはこの世界の住人だけで完結するシステムでなければ意味がない。防波堤の増築や修復が自分たちだけでもできるよう、建設に先立ってテツジは何度か島の男たちと新月機関を相手に講習会じみたことをした。
おかげで秀才を見つけることもできた。ジョエルという名前のその十代の青年は、口下手で人見知りだったが風車の仕組みと利便性をいち早く理解し、3度目の講習では既に自前の設計図を持ってテツジに相談をしに来た。
少しずつこの島の未来が見えてきた。すでに、凪の奴隷が湾を囲む『枠』となる橋を架け始めている。引き潮時にその橋の上から石材や土を投下して湾を締め切る計画だ。初期の予定ではすでに完成しているはずだったが、運悪く立て続けにダンジョンの『封』が解けたことで凪が〝ムカデ〟を使った封鎖作業にかからざるをえず、工事が遅れている。
しばらくこの計画にかかりきりだったテツジは必然、うららと話す機会も減ってしまっていたのだが、この日は久しぶりに二人きりで散歩ができた。
「別に飲んでもいいと思うけど」歩きながらテツジは笑う。「僕も初めてお酒飲んだの18だよ」
「えー、でもなんか抵抗が……」
「僕、結構楽しみにしてるけど」
「お酒よく飲んでたんですか?」
「いや全然。でもたまに酔うのは楽しいよ」
「そっかぁ」
平和な会話である。祝祭の日に、この島で大切に作られていたビールが振るまわれるのでどうしようかという話だ。祝祭まであと一週間と少し。天気は良いが風は冷たい。虫も少しずつ減ってきた。にわかに沈み始めた日のオレンジが湾にかかった橋のそばの海面でチラチラ瞬いている。
フクロウを殺したあの日以降、彼と話してるときの彼女は躁鬱気味というかテンションが安定せず、距離を置かれたかと思いきや熱心に話したがったり、とにかく落ち着かなかった。この日はとても上機嫌なモードなようだ。
「子どもがお酒を飲んじゃだめなのって、体の成長とか健康とかへの影響もあるけど、それ以上に中毒性に対する『責任』が育ってないからだからね」
ぼんやりテツジは喋り続ける。
「コンビニでお酒が買える社会でもなきゃ未成年飲酒は法律で禁止されないよ。10代後半って、なんなら体が一番健康な時期だし」
「うーん、それじゃあ、飲んでみるかあ……緊張してきた」
「早くない?」
「ビールって美味しいんですか?」
「美味しくないよ」
「えー……」
「ぬるいと最悪だよ」
「冷たいと?」
「美味しくないよ」
「えー……」
「でもよく冷えたビールは麻薬だよ」
「謎の液体がすぎる」
「でもこの世界のビールは日本とは全然別物だと思う。ホップもないし」
ハァーっと大きく彼女は息をつく。
「あーあ、もうなんか、普通にコーラとかが飲みたいなあ」
「ね。帰れるといいね」
「……帰れないですよ」
少し間を置いて、彼女はそう呟いた。
テツジは立ち止まる。
空を見上げた。はるかな高度を流れていく雲は今日も足が速い。
少しだけ先を歩いていたうららが、振り向いた。
「あ……」顔が青ざめる。
なんとなく、そろそろマズいかもしれないとは感じていた。
「ご、ごめんなさい!!」
悲鳴のように彼女は謝る。
ため息を吐きながら、テツジは頬に一筋流れた涙を拭った。
色々と複雑な気分だった。
複雑な涙だった。
「大丈夫だよ」
テツジの声は、意外に落ち着いていた。うららは下を向いている。両手を体の前で握り合わせ、今にも死にそうなくらい怯えた表情で彼の顔色を伺い、また俯く。
——帰れない。
重い言葉だ。
何度、彼女は帰れないと自分に言い聞かせ続けてきたことだろう。
「ごめんなさい、私、そんなつもりじゃ……」
「前も言ったけど、この世界で一番可哀想なのはうららちゃんだよ」もう一度軽く涙を拭った。「辛いよね。凪さんじゃ気持ちはわかってくれないし、この世界の人たちには、それでも、ここが故郷だ。一人きりはさみしいよ」
「でも……私また……テツジさんだって辛いに決まってるのに、私のことばっかり……」
「気にしないでよ」
彼は自然に微笑む。
「何度だって言うよ。この世界で一番辛かったのは、絶対に、うららちゃんだ」
「そんなこと……」
「だから、僕のことをこの世界に呼んだのがうららちゃんでも、僕は全然気にしないよ」
うららの顔色が、また変わった。
青ざめていた表情が、一瞬凍りついて、
そして、感情の何もかもがめちゃくちゃに溶け出したように、大粒の涙が頬を流れ出した。
「ほんとうに……ごめんなさいぃいいぃ…………っ」




