90.告白の夜――ただし愛の告白のほうではない(1)
佐倉は慶次が置いていった老婆用ウィッグを被り、黒縁の眼鏡をかけてから駐車場を出た。
そのまま走り続け、病院近くの裏道でやっとウィッグを外した。
ここまでするかというくらい佐倉とその友人たちはいつも神経質だった。
(まだ早いけど市谷さんたちはもう寝ているだろうな、きっと遠山さんも)――
そう思って部屋に入った佐倉だったが、彼女は佐倉が戻ったことに気が付くと自分のテグスを使って声をかけてきた。
――(佐倉さんお疲れ様です。どこかにお出かけだったんですね?
佐倉は権藤と市谷のベッドを覗き、彼らが眠っているのを確認するとしっかりとカーテンを閉めた。
そしてすぐに同じように羽で答えた。
ーー(もうお休みになっているかと思いました。
ちょっとスーツを取りに行ってたんです。
実はちゃっかり空いてるロッカーに着替えを入れているんですよ。
シャワーとかも使い放題で好き勝手やってます。
――(私、佐倉さんが外出された後に少し眠ったみたいでさっき目が覚めて、
それからずっと考えてたんです。海水浴の時のことですが……
ーー(ああ!研究会の技術者の方や先生達が口を揃えて仰ったんです。
もうね、次から次へと遠山さんのことを話し出してすごかったですよ。
遠山さんのような方がボランティアの仕事を放り出して昼寝をするなんてありえない!ってね。
それに、すぐに助けに行かなかったなんて嘘に決まってるって。
あの日は私だって嘘つき野郎のことをぎゃあぎゃあ喚き散らかそうと思ってたのに、私が口を出すまでもありませんでした。
全く!先を越されて出る幕なしでしたよ。
さっきも言いましたが、そいつらに同情なんていりませんよ。
最低な奴らですから。私は考えれば考えるほど許せないんです。
遠山さんのことだから、多分きっと、
英介の友達だからってってことで、
あんな奴らに対してでさえ同情の気持ちをお持ちかもしれませんが、
でも私は、
――(佐倉さん、違うんです。私そんな善良な人間じゃありません。
私、それを聞いて……佐倉さん、私がどう思ったかわかりますか?
多分ですが、佐倉さんは私がそれを聞いて、
アキラ君や彼の親に同情したんじゃないかと思ったんですよね?
とんでもない!私は同情どころか、それとは真逆の気持ちになりました。
最低だと思われるでしょうが、胸がすく思いでした。
ざまあみろって!当然だって!
顔も家も、小学校だって晒されればいいって。
佐倉さんには軽蔑されるでしょうね。
いつまでも拘って、引きずっている私を執念深いとか、情けないって!
多分呆れてしまうかと思いますけど、私もうどうしようもなくて、
本当に悔しくて!……だって、本当に辛かったんです、ずっと辛くて、
だって私、あんなものに参加したくなかったんです。
そろばん塾の先生が企画してくれた果物狩りに英介と一緒に参加しようと思ってたんです。
英介だって同じでしたよ?先生に悪いって、先生が大好きだからって!
それなのに、そろばん塾の生徒たちだって勝手すぎますよ。
そろばん塾の先生の気持ちを思ったら、あまりに酷いと思いました。
アキラ君のお母さんは勝手に私をボランティアの頭数に入れて、
もしも私が参加しなかったらどうなるかって、まるで脅すみたいに、
参加する保護者達が誰も休憩を取れなくなるよって言ってきたんです。
私、ああいう集まりが本当に苦手なんです。
あの人は勝手に私をボランティアの人数に入れたくせに、夜に夫に電話してきたんです。
私が浅草の家に用事があって夜に不在にすることを英介から聞いたみたいで、
その日にの夜にわざわざ夫に電話で泣きついたんですよ。
あの夫は、アキラ君のお母さんの肩を持って私に言ってきたんです。
私が我が儘でおかしいって!
せっかく声をかけてくれたのに、ありがたいと思えないのかって!
そうやって人との付き合いを避けてばかりいるからあの人に……
お義母さんに認めてもらえないんだって!
あんな人!顔も見たくないんです。
あんな人に嫌われようが呆れられようが私は別にどうでもいい。
知ってました?海で私はただの一度も、休憩なんてもらえませんでした。
私が、朝から夕方までずっと年少と低学年の子を見てたんです。
トイレだって一度も行けずに一日中面倒を見ていたんです。
あの人達、のんびりかき氷なんて食べて楽しそうに!
信じられないと思いますが、アキラ君のお母さんなんて、
テントを勝手に移動してボランティアの仕事から逃げたんです。
あのお父さんなんて、勝手に綺麗な方の海の家で食事して、
なんと、ビールまで飲んでいたんです。
それを、それを知っていたのは私だけじゃなかったのに!
みんな知ってたのに!他の子供たちだってみんなわかってたのに!
誰一人、ほんとうに誰一人、私のそばに来なかった。
私が休憩したいって言ったら自分が小さな子を見なきゃならないから、
それが面倒だから声もかけてこなかったんです!
私、SNSであんな風に書かれたのを見た時、死ぬかと思いました。
だって、全部嘘なんだもの!信じられますか?全部が嘘なんですよ?
こんな人間がいるなんて、私、私、本当に、
ここまで一気にしゃべり続けた空飛ぶカァちゃんは佐倉の声にさえぎられた。
頭と心に直接響いてくる佐倉のゾッとする声色を、もし今、空飛ぶカァちゃん以外の者が聞いたとしたら、きっと凍りついてしまうほどにキリキリと尖って冷たかった。
ーー(殺してやりたくなりました?
もしそうなら同感です!実は私は今でも殺したいですよ。
まあ絶対に死なせませんがね。社会的に、ってことです。
死なせるわけがない!まさか!奴らにそんなラクをさせてたまるかよ!
本気ですよ。あいつらを徹底的に苦しめて、
世間に顔を晒してやって、やつらの卑劣さと陰湿さ、下品さ、
ついでに頭の空っぽさを知らしめて、奴らの付いた嘘を全て並べてやって、
恥知らずなことをしたのは奴らだってことを世界中に広めてやるんだ。
泣こうが喚こうが知ったこっちゃない!謝ったって許してやるもんか!
永遠に、卑劣の烙印を押されて苦しめばいいんだ。
知ってました?私はね、英介からもこのことを聞いたんです。
それからずっと、奴らを、絶対に社会的に抹殺してやるって、ずーっと、
ああ、もうずうっとですよ?どうやって苦しめてやるか想像して、
奴らの苦しみを思い描いてさ、うまくいったイメージを頭の中で広げて
遠山さんの代わりに徹底的に追い詰めたいって、そればっかりさ。
気味が悪いですか?……ああ、そういや咲太郎が言ってましたよね?
私がしつこいって、やりすぎるってね。
そうなんですよ!咲太郎とは違って私は執念深くて凄いんですから。
きっと呆れますよ?遠山さん、私のこと怖いって思うかもな。
ここまできたら言いますけど……私はねアキラ君の親だけじゃないんです。
奴らはいつまでも否定しなかったでしょ?あの書き込みのことを、
これは嘘だよって言ってくれた奴は一人もいなかったんだ!
今になって本当のことを言ってどうなるんだ?いい人ぶってなんだっての?
アキラが怖かっただと?そいつの母親がボスみたいな女だからって?
怖くて言えなかった、本当はかばってあげたかった、ごめんなさい、
そんなふうに言ってくるんだろうが!クズ野郎共めが!
英介は自分のせいだって、頼んだからいけなかったんだって、
今でもそう思ってるんです。
今の学校の友達がそれは違うよって、一緒に泣いてくれたことをあいつは
本当に、心から大切に思ってるけど、でも、
それでもずっと、遠山さんをこんな目に合わせたのは自分のせいだって、
自分が飛ぶことを頼んだのが始まりだと思ってるんだ!
そうじゃないのに、悪いのは誰だ?絶対に奴らじゃないか!
どっかの誰かが今回のことは『誰も悪くなんかない』なんて言ってさ、
あのコメンテーターだか教育関係の評論家、くそったれが!
ああ、電話しておきましたから安心してください。
徹底的に言っておきました。それを母に言ったらなんて言ったと思います?
気が合うねって!それでね、父がまたしょうもないんですよ。
父はメールをしたそうですよ。超のつく長文をね!
英介と栄太郎はこっそり引いてたみたいですよ。
でも静ちゃんはあれこれ言ったそうですよ、ははっ!
これも付け足せ、あれも入れろとかなんとか色々父に言ったりしてさ、
父と一緒にやってたそうですから。だから静ちゃんは最高なんですよ!
ああ、もう正直に言いますけど、慶次と咲太郎と他の友人たち、
私の友人全員がSNSで煽ってますから。
彼らを軽蔑しないでくださいね。私が頼んだんです、本当すみません。
ねえ、被害者面していい人ぶってる野郎共さ、
あのボランティアの保護者だって最低じゃないか?
あいつらも私は徹底的に潰してやりたいよ!
空飛ぶカァちゃん以上に興奮し、頭の中でしゃべり続けた佐倉は少し息をついた。
ついさっき買ってきた缶コーヒーを口にしてニヤリと笑った。
佐倉はまだしゃべり続ける気だった。
ちょっと一休みしてコーヒーを飲んだら、また始めるから待っててと、そう言いたそうな目をしていた。
空飛ぶカァちゃんは目をぎらぎらさせ頬を赤らめた佐倉を見て、ずくんと、心臓が何かを刻んだ気がした。
山本とスポーツトレーナーに追い詰められて、苦しくて辛くて、毎日死にたいと思っていたあの時、あの時間のことが頭をよぎった。
そして、これほどまでに怒りを露わにしている佐倉を見ているうちに、さっきまで完全に興奮していた空飛ぶカァちゃんの心臓も心も、どうしようもなく凪いでしまった。
空飛ぶカァちゃんの口元が優しく綻んだ。
――(佐倉さん、佐倉さん、
空飛ぶカァちゃんが優しく呼びかけると、佐倉は少し戸惑ったように、諦めたように微笑んだ。
そして言い訳をするように言ったのだ。もちろん声ではなく羽を使ってだ。
もしここに二人しかいなくて、声に出すことが出来る環境だったとしても、きっと佐倉は音の出る声をだせなかっただろう。
ーー(遠山さん、正直というものはとても尊くて大切なものではあるのですが、
ちょっとばかり隠しておいたほうがよかったかもしれません。
今の私の言葉を聞いたらさすがに引きますよね。
遠山さん、軽蔑しましたか?やっぱり私が恐ろしくなりましたか?
咲太郎の言う通りかもしれませんね。
確かに私はいつまでも根に持って執念深い性格なんです。
だって、どうしたって忘れられない思いってあるじゃないですか!
こんな物騒な、恐ろしい言葉を使ってしまいすみません。
遠山さんには嫌われたくなかったけど、やってしまいましたね。
ついその、私は、
――(佐倉さん、佐倉さん、私は今やっと心があたたまりました。
すごく、ものすごく、胸が温かくなったんです。
ありがとうございます佐倉さん。
佐倉さんの今の言葉が私を救ってくれました。
佐倉さんが言ってくれたことが、嬉しくて幸せなんです。
あの人達のことをあんなにまで怒ってくれている言葉が、
それが救いになるなんて!
私が、私こそとんでもなく恐ろしい人間じゃありませんか?
あの人達を糾弾し、軽蔑する言葉を聞いて心が温かくなるなんて、
そんな人間を佐倉さんはどう思いますか?
軽蔑されそうですけど、正直に言います。
何か羽が生えたみたい!温かくて、嬉しくて、
ああどうしよう、他に言葉が出てこないんです。
どうしたらいいの?
ありがとうございます、ほんとうに!
やっと私、前に進めそうです。
つづく
お読みくださりありがとうございます。
もしこの会話を覗き見た人がいたら、その人が、何とかかろうじてかばってくれるとしたら『ちょっと性格がアレですが根は悪くないんです』って言われそうですよね。そんな二人の会話の回でした。




