87.とうちゃんと権藤の縁
飯田は部屋を出て行く際、栄太郎を見つめ「君はお父さんを助けてあげるんだよ。私は、それが出来なくて――頑張ったんだが、上手く出来なくて父を死なせてしまった。あんな早くに。だから一生懸命頑張ってお父さんを支えてあげなさい。別に政治家にならなくてもいいんだ、ただ助けてあげるんだよ」と言い、栄太郎の頭を撫でてやった。
栄太郎は飯田が父に向って『もう諦めろ。すぐにでもあいつを出さないとまずい』と言ったことや『証拠』という物騒な言葉を残して出て行ったことで頭がいっぱいだった。
最初に飯田が言った『もう諦めろ』という言葉。
これを聞いて栄太郎は瞬間、この飯田という男が重傷を負った父に対し、勝ち誇り、痛めつける言葉を投げかけたのかと思った。
しかし、飯田は『すぐにでもあいつを出さないとまずい』のだと言った。
あいつ、とは誰なんだろう――栄太郎は思った。
きっとここにいる誰もがそう思っていた。
栄太郎は飯田が佐倉に預けていった茶封筒の中身が気になって仕方なかった。
佐倉は飯田から封筒を受け取ると、すぐに父親にそれを預け、一階まで麹町と飯田を見送りに行ってしまった。
栄太郎は封筒が気になって仕方がない様子で無意識にそれをじっと見つめてしまった。
佐倉の父は「大丈夫だよ栄太郎君、烈が悪いようにするわけがないんだ。あいつはね、権藤さんがとても好きなんだ。私も妻もずっと応援してきたんだから。待ってなさい、きっと事情がすぐにわかるはずだ」と言い、栄太郎の頭を撫でてやった。
咲太郎も慶次も同じようなことを言った。
「大丈夫だ。烈はとんでもない野郎だから。絶対にやっつける相手を間違えたりしないはずだ」
◇◇◇◇◇
駐車場の入口で、麹町はしつこく佐倉に言う。
「わしは今更スカッとを縛り付けて、こう、困らせるつもりはなかったんじゃ。ただ、空飛ぶレディが、」
佐倉がこの言い訳がましい言葉をニコニコしながら聞いていると、飯田は「ああもう!いいですから。もう決まったことですから」と言って麹町の体の前に割り込むようにして佐倉の肩を掴んだ。
「いいね、佐倉君、あれに書かれていることをしっかりと権藤に話して彼の意向を知らせてくれ。まあ読めばわかると思うが、あの男がまるで自分から権藤に見切りをつけて出て行くような形になるのが腹立たしいんでね。とにかく時間がないんだよ、もしかしたら今日明日中とか、そんなタイミングで離党騒ぎがあるかもしれない。万が一そうなったらそうなったで――私がなんとかするが。はあ、次から次へととんでもないよ。はっきり言ってたまったもんじゃない、私は関係者じゃないってのに!とにかく頼んだよ」
飯田はこう言って、麹町の背中をグイグイ押して車の中に突き飛ばすように押し込んだ。
中で麹町が喚く声が聞こえたが、飯田は全く気にもせず運転手に「急いでくれ」と言ってあっという間に車で行ってしまった。
佐倉が部屋に戻ると、見舞いの連中が一斉に視線を向けてきた。
特に栄太郎の視線は痛々しかった。
佐倉はすぐに頷いて、まずしっかりと扉を閉めた。
そして、羽を部屋中に行きわたらせて防音結界のようなものを張り巡らせた。
空飛ぶカァちゃんと静にだけはこれが見えたようだったが、佐倉はこれの説明はひとまず後回しにしてまずは権藤と栄太郎のためにこう言った。
「さあ、まず封筒を見てみようか」
◇◇◇◇◇
権藤の表情が痛々しかった。
あまりの内容に佐倉も途中で読み上げるのが辛くなった。
まずは直近の話。
権藤と空飛ぶカァちゃんのピンクビルでの密会スキャンダル記事が出た直後のこと。
飯田の言う『あいつ』――権藤のところの議員・吉川伸造という男は、すぐに偽装野党の代表代行に連絡を入れたそうだ。
そしてその日、麹町もよく利用する料亭で長時間の会食をとっていたことがわかっているらしい。
そこで何が話されていたかは不明だが、権藤が入院しているこの隙に、副代表に離党届を受理させ、吉川のお仲間政党に何かしらの『手土産』持参で移籍を試みるのではないかと、少なくとも飯田はそう思っているようだった。また、もしかしたら既に決まっていたことかもしれないと手書きで付け足されていた。
また、飯田が渡してきた文書の中には手書きメモが数枚入っていたが、そこに書かれていた内容についてだ。
その吉川議員と野党の代表代行が参加する会合ではよく同じような会話が聞かれたらしい。
その吉川という男のまわりではなぜかよく権藤を揶揄する会話が始まるという。
例えば誰かが権藤の厳しい口調を真似てみたり、あるいは委員会等での権藤の追及姿勢について非難めいた話を始めると、吉川は自分の所属する政党の代表である権藤を『あの人はそういうところがあるんですよ。性格悪いとまでは言いませんが、まあまあまあ』などと言って、しんから困っている様子を見せつけていたそうだ。そしていつも笑い声があがっていたと、殴り書きがされていた。
このような状況を飯田は何度も見かけていたらしい。
麹町と権藤の中の悪さが知られていたこともあり、麹町が同席した会合では吉川は特にこうした振る舞いを控えることもなく、むしろ安心して権藤を非難する連中に加わり、あることないこと発言していたとのことだった。
麹町が知らない場所で、飯田は権藤と接触する機会があったらしく、メモの端っこには『あの時言いたかったのはこのこと』『別に君の所の議員のくだらない悪口を言いたかったわけじゃない』などと書かれていた。
いつも身内の議員を守ろうとしていた権藤のことを、その男はこんな風に話していたという。
ーーー『まあまあまあ、性格がアレなところはご愛嬌でお願いしますよ』
ーーー『あの人みたいになりふり構わない人だと追い詰められると本来の性格が出てしまうことがあるんですよ。許してやってください』
そして、後でその時の音声を佐倉にメールで送るので聞くといい、とメモに書かれていた。
麹町も飯田もこれを聞いてから、この吉川という男に目を付けていたとのことだった。
『こういう男は必ず動く、この男にふさわしいみっともない卑劣な動きをするはずだ』と、麹町は言っていたらしい。
飯田は麹町から指示を受けたわけではないが、自身の手の者を使って前々から吉川の動きを監視していて、その過程で今回の空飛ぶカァちゃんを狙ったスキャンダル写真で水谷に使われた『丸山』というカメラマンのことでとんでもない情報を掴んだため権藤に知らせようと思っていたところ、今回の事件が起こってしまったという。
まだ丸山本人から証言を得られてはいないが、釜谷の秘書の橋本菜月から聞いた話で、権藤の妻が身に覚えのない不倫スキャンダルにみまわれた件について、その時写真を撮ったのがこの丸山だったということがわかっている。
そして、その時の相手役の男というのが、今回吉川が接触している党の代表代行の配下の者だということだ。
権藤の妻は本当に全くの無関係、つまり被害者であった。
教師である権藤の妻が自分の受け持ちの生徒の保護者を名乗る女性から『夜間に危険な店に入って行く同じクラスの生徒を見た』という連絡を受け、また同じ日に地域の住民からも制服姿の生徒がいかがわしいところをうろついているという通報を受けたため、学年主任を含め複数の教師でその場所に巡回に行ったにも関わらず、なぜか会ったこともない男との密着写真を撮られてしまったという妙な事件があった。
権藤の妻は、写真の男は全く知らない人間であるということや、繁華街で見知らぬ人にぶつかった記憶があるのでその時のことではないかと訴えたが、なぜか写真と共に妙な噂が広まってしまった。
このことで、権藤の妻は精神的に追い詰められ休職し、今は実家のほうで入院と退院を繰り返している状況らしい。
佐倉は権藤の家がここまで辛い状況になっていることを知らなかった。
権藤の苦しみも知らずに甘え、頼ってしまった自分の行いを後悔しても遅いが、佐倉はここまで聞いただけでも怒りと悔しさでいっぱいになった。
また、この吉川が権藤の支援者のおかげで得ることが出来た業界団体とのパイプやここから今後見込める選挙支援や、同じく権藤人気にあやかって発足したいくつかの研究会の主催者ポストを得た吉川が、割と大きな集票とちょっとした政治資金を手土産に移籍するつもりだということが、その党の代表側のほうから漏れ聞こえてきたらしい。
更に、権藤の党の顔となっている政策通の議員を道連れにしようとしているとのことだった。
この議員に対し、吉川がずっと悩まされてきたという権藤の性格的な部分への不満や、ありもしない権藤の裏切りの可能性、そして権藤が受けるはずもない閣僚ポストの打診話について『噂話ではあるが』と前置きを付けて耳打ちし、権藤の孤立を図ろうとくだらない分断工作を行っていることがわかったそうだ。
佐倉が読み上げていくうちに権藤の視線は下の方に向けられていき、そのうち目をつぶってしまった。
誰かさんのように泣いたり涙ぐんだりはしなかったが、非常に辛そうだった。
心の底から悲しみ傷ついた人間というのはこういう表情をするのかと、そこにいた誰もが思った。
全て伝えた後も権藤は何も言わなかった。
「権藤さんは休んでいてください。俺は、絶対にこのままにしたりしませんから。すみませんが、そうしてもいいでしょうか?」
佐倉がこういうと、権藤は視線を上げ、ほんの少し微笑んだように見えた。
栄太郎をじっと見つめ、がっくりとした様子の権藤に佐倉は声をかけられなかった。
それでも、この中で一番権藤と親しくしている佐倉が、栄太郎の代わりに権藤を勇気づけ、励ます役割を担うべきだった。佐倉にもそれがわかっていたが、なかなか言葉が出てこず途方に暮れ情けない姿をさらし続けていたのだが、佐倉の父が「権藤さん」と呼びかけた。
なぜかこういう役割を担うのは年長者の自分だとばかりに温かみのある優しい声が響いた。
「権藤さんの代わりに勝手に動き回られるのは困るでしょう?当然です。この息子はやりすぎることがありますから私が責任をもって言い聞かせます。ところで、先ほどお帰りになった飯田さんという方、あの方は権藤さんが目を覚まされるのをずっとお待ちだったご様子ですよね。何度も時計を見て、そして権藤さんを見たりしてね。やはりお気づきでしたか?」
これに権藤が瞬きで答えた。
それがイエスかノーかはわからない。
佐倉の父もきっとわからなかったに違いないが、わかったふりをしてこう続けた。
「そうでしょう。今日は時間がない中、権藤さんにわかっていただくための証拠をお渡ししたくてこちらにいらっしゃったご様子でしたよ。多分ですが、探偵だか警察だかわかりませんが、ずっと調べてもらっていたのでしょうね、あの方には権藤さんを納得させられる証拠が必要だったのでしょう。それに、先ほど仰っていましたよ、麹町さんは権藤さんをとても素晴らしい政治家だと。実は私も妻と一緒にずっと応援してきたんです。まだご存じないかと思いますが、研究会の皆さんも尾崎さんも配信の中で権藤さんに対する強い思いを語っていらっしゃいましたよ。私もあの話を聞いて胸が熱くなりました。今回の件で、今とんでもないことが起こっているんですが、権藤さんにとって、また麹町さんや息子にとって、決して悪い状況ではないんですよ。権藤さんの体調が落ち着いたら烈が話すつもりだったと思うのですが、もし今日、眠る前に現在の状況について話を聞く気力があれば途中まででも烈に話をさせるといいかもしれませんね。状況が見えないのに判断も出来ないでしょうから。仮に権藤さんの党の方が、離党されるというようなことになっても、いいですか、間違いなく世の中のほとんどの人間が権藤さんを支持するでしょう。きっとそうなりますよ」
佐倉の父の声は静かだが力強かった。
母も、そして咲太郎や慶次もこれに続いた。
「その通りですよ。先ほどの話は腹立たしいことばかりでしたが、それでもきっと事態はいい方におさまりますよ。権藤さんの行いに皆が感謝しているんですよ」
「烈の友人です。任せてください、大丈夫ちょちょっとうまいこと発信しますから。俺だってあなたを応援してるんですよ、信じてください。スカートをはいてるのはちょっとした余興でして、真面目な人間ですから誤解しないでください」
「同じく烈の友人で身内なんですが俺も応援してますよ。それから、栄太郎君は優秀です。間違いなく俺らの後輩になれると思いますが、実は今うちの学校には俺らが世話になって、信頼していた教師はもうほとんどいないんですよ。だからもしどうしてもってことじゃなければ、他を検討してもいいと思いますよ。静ちゃんの学校もなかなか優秀なのでそっちの方がいいかもしれません。勉強のことはこれからも力になりますから」
栄太郎が頷く。
そして佐倉の父が続けた。
「不思議ですね。どうしてか、初めてお会いしたのになぜか懐かしいような、不思議な気持ちになります。栄太郎君とずっと一緒にいたからでしょうかね。烈から話を聞いていたからかもしれませんが、お元気になったら、ぜひまたゆっくりお話ししたいです。我々はそろそろ失礼しますがしっかり休んでくださいね」
佐倉は心の中でその父に伝えた。
長い時間をかけて、透明な書棚からここに戻って来てやっとまた縁を結べた父親に、大切な秘密を語りかけた。
――(とうちゃんこの人はね、あなたのお祖父さんの魂を持っているんだよ。
――(私の父だった人の魂を引き継いだ人なんだ。
――(だからとうちゃんにとっても大切な人なんだよ。
――(とうちゃんも冴えてるじゃないか!よくわかったね?
――(ここは魔法の病室じゃないか、家族が揃ったよ。
栄太郎が囁くように言った。
「お父さん、また来るね。僕、久しぶりに友達が出来たよ。英介と静ちゃんだけでなく、英介の友達とも仲良くなれそうなんだ。だから僕のことは心配いらないから、勉強も頑張るから。お父さんも早くよくなってね」
権藤は栄太郎にそっと微笑んだように見えた。
さて、それからすぐのことだ。
飯田から、佐倉に電話連絡が入った。
吉川伸造という男は、既に副代表に相談していたという体で――あたかもメディアにリークされてしまったかのように装い、離党届を提出するつもりだという情報を流させた。
吉川のまわりの動きにちょっとした鼻が利いたのだろうか。除名の危機を感じたのかわからないが、そうされる前に移籍先の偽装野党の代表代行のお抱えメディアを利用した。
飯田は電話で長いため息をつき、佐倉に愚痴をこぼした。
「佐倉君、またあのサイキッカーがあらわれでもしない限り厳しいことになりそうだよ。やっぱり最低な奴だった。とにかく今は権藤を支えてやってくれ。君は仲が良かったそうだからよろしく頼む」
佐倉は怒りを滲ませ、低い声で返事をした。
「はい。明日、権藤さんの意向をお伝えしに一度事務所に伺います」
きっとまた、怒れる推し活サイキッカーがあらわれるはずである。
お読みくださりありがとうございます。
今週もまたよろしくお願いいたします。




