86.権藤と飯田の縁
最上階の特別療養環境室に集まった大勢の見舞客は、姿勢の良いモナコ公妃の出現で盛り上がっていた。
途中、麹町が騒ぎ立てる声の大きさに呆れた看護師が覗きに来たが、佐倉の母が上手く麹町をなだめ、今からは静かに見舞うと約束して扉をしっかりと閉めた。
目を覚ました市谷に、佐倉が録画した両親からのメッセージを見せると、市谷は涙ぐんでいる様子だった。
麹町と飯田は「大将はこの機会にしっかり休め。またこき使うから」と言い、自分の身内にするように頭を撫でたり、手を握り額の汗を拭いてやったりした。
彼らはまるで家族のように親しげだった。
飯田は佐倉が秘書になることを了承したことで安心したのか、リラックスした様子で言葉遣いも急にフランクになった。
「顔を見て笑っても許してくれよ?もとはと言えば君たちのメイクのせいなんだから。優秀な人間ほど頭がおかしいってのは本当なんだな。しかし……それにしても、」
笑い上戸なのか飯田は話の途中で慶次の顔を見るとすぐに吹き出した。
ずっと楽し気に笑っていて、咲太郎と慶次の仕事について訊ねたり、それこそメイクのことで咲太郎にふざけたことを言った。
「いや、この顔があの婆さんになるなんて!この技術があれば我々の手の者が色んな所に侵入できるじゃないか。例えば佐倉君に女装させて007の真似事をやらせたりとかはどうだ?って、冗談だけどさ」
「いえ、できますよ?高校の文化祭で烈の女装は毎年大評判だったんです。かなり写真を撮られたからネットにのっかってるはずです。俺もあれで目覚めちゃったんですよねえ」
咲太郎もまたご機嫌だった。
慶次だけは脱力しながらも、自分をかばおうとした栄太郎と静を左右に座らせて、『モナコ公妃にはなりえない』と言って爆笑した英介をこき使ってコーヒーを買いに行かせて「今度は英介をぎゃふんと言わせるために何か他のをやりますよ」などと言ってそれなりに楽しげだった。
「麹町先生、前にお話しましたよね?選挙に〇と✕を付けてってことで。こいつですよ、慶次が中学の時からいつも言ってたんです」と言うと、麹町は身を乗り出した。
「おおっ、お前か!スカッとに聞いたぞ、わしらに国民審査を受けろってやつか!生意気な太り気味公妃がアレを言った奴だったとはの」
麹町は半分笑っていたが、飯田は「そりゃ笑い事じゃないな」と言った。
飯田からは、本気なのか、それとも佐倉達に合わせてくれているだけなのかわからないが意外な発言が続いた。
「俺だって昔そう思ったよ。正直を言えば、もしも仮想世界なんてものがあったとしたらそれを試してみたいとすら思ったね。今のままじゃ落としたい奴を落とせないんだから。ここまで腐ったから選挙で選びたい党も人もいないから選挙は行かない、って人だらけになったんじゃないか!投票所に行かない人があんなにいるんだからね。君の気持はよくわかる」
「俺の場合はあれですよ。議員さんみたいに真剣に国政を考えてるわけじゃないですから、言葉の意味も考え方も情けないほど軽いんです。俺はただ、ほら、イヤな奴や嫌いな奴ってなぜかのさばり続けますよね?それが昔から不思議だったんすよ。小学校でもそうだったし、もちろん中高でもですよ?なぜこんな奴らが楽しそうに生きてて、なんでそのまま幸せそうにやってけるんだろうって、そんなことばかり思ってたんです。もしこいつらに〇と✕を付けて断罪できたらって、そんな程度の思いが始まりの戯言だったんです。でもまあ、こいつらのおかげもあって中学からはずっと楽しかったけど」
慶次がこう言うと、佐倉も咲太郎もうんうんと首を振って嬉しそうだった。
「ああ、全く同感だね。やれ無難な奴らだらけになるとか、多様性がなくなるとか、結局は与党の一人勝ちになるだろうとか、なんだかんだ問題点がどうのこうの言われるけどね。一度でいいから国民審査でカス共を一気に消したいなんて思ってたよ。君が言うのさばり続けているイヤな野郎共を一気に消したくてたまらなかった。できるならこれから少しづつでも片付けたいもんだよ」
飯田は笑っていたが、佐倉には本気でこれを言っているように見えた。
麹町は寂しそうに「ふん、こっそり過激なところが父ちゃんにそっくりだから、こいつは」と言って笑っていたが、佐倉はぞっとしていた。
◇◇◇◇◇
佐倉が透明な書棚の前で見つめていたとある世界本の中で、麹町には息子が一人いた。
その息子が飯田であり、飯田の娘は佐倉の双子の妹の魂を持つ少女だった。
その少女は権藤の魂を持つ男と婚約をしていた。
ーー(権藤と佐倉の双子の妹。つまりは前の生において、父と娘の間柄だった二人が婚約していたということだ)
飯田はその世界本の人生で、娘の結婚式を目前にして政敵に殺されてしまった。
明るく快活で人望もあり、理想を掲げてそれに向って懸命に努力し、またそれを実現できる高い能力を持った男だった。
麹町は大切な息子を、そして娘のほうは大好きな父親を失った。
しかし、その殺人事件の犯人はその世界ではずる賢く生き残った。その政敵が飯田を殺したことは、麹町も孫娘も、そして権藤すら死ぬまでわからなかった。
飯田の遺志を継ぎ、麹町と権藤は苦しみを乗り越え、懸命に生きようとしたが結局は卑劣な人間に叩きのめされた。その時は権藤が亡くなり、麹町と孫娘だけが生き残った。
その中で佐倉は、敵として『釜谷』を見た。
やはり卑劣な男だった。
別の世界本では『水谷』がやはり敵として立ち塞がった。
他にも数人、現在のこの世界でのうのうと生きている。
もう佐倉にはわかっていたが、どの世界でも、常に敵は同じであり、味方や身内である者たちもいつも同じだったのだ。
佐倉の透明な世界では、いつも同じグループがその時々で取り換えっこするように毎回違う縁を結び、親子、兄弟、夫婦、友人、そして敵となり、生き死にを繰り返す。
うっかり敵と縁を結んでしまった場合は、なかなかに辛い人生となってしまう。
それもまた多くの世界本の中で見られたひとつの縁というものであった。
佐倉が、自分より先に亡くなった『双子の妹』が住む世界本に限り、時間の制限はあるものの、その中に立ち、ちょっとした干渉ができることに気付いたのは、ほんの偶然からだった。
誰もいない空間で、自分が生きていた元の世界の本を眺め暮らし、ただ絶望し、ヤケを起こして他の本を投げ飛ばしたりしていた頃のことだ。
本の中にはっきりとした意志を持って指を入れると、吸い込まれそうになるのだ。
ーー(ああ、この人を助けてあげたい。
ーー(今、危険を教えてあげられたらいいのに!
佐倉がこんなふうに思った時のことだ。
そう強く願う激しい心を持ってその本に指を触れた時、ただごとではない衝撃が走った。
吸い込まれそうな感覚。
このままいくとこの本の中の住人になってしまう!
佐倉は必死で指を引き上げた。恐ろしい痛みが走ったが、無理やり指を引っこ抜き、その本から逃げ出した。
佐倉はこの時なんとなく理解したのだ。
激しく、強い意志を持ち、その本の中に入りたいと願うこと――それが新しい生の始まりになるということが。
佐倉は――糸数万理という女性は死んだあと、しばらくの間、透明な書棚の前でひとりぼっちだった。
遠くに人のような影が見えていたが、そこに行こうとは思わなかった。
そもそも、そこに辿り着ける気がしなかった。
まるで海に浮かんだ孤島のように佐倉の書棚はどこかに浮いているのだから。
遠くに見える影のようなものが人間であるということはなんとなくわかったが、その人間の前に透明の書棚があるようには見えなかった――というより、透明な書棚があるはずがないと感覚でわかったのだ。
つまりこうだ――佐倉はなぜかわからないが『遠くに見えるあの影のような人間には、その人間にだけ与えられた別の方法で、新しい生が始まる様に手配されている』ということ。それが自動的にわかったということだ。
なぜわかったのかは不思議なことにわからない。
そして、なぜ自分の目の前にこのような書棚が置かれているのかもわからなかった。
咲太郎の前世の娘がここに来るのはずっと後のことになるのだが、それでも、その娘の目にはこの透明な書棚も透明な本も、同じ形態・質感・雰囲気で映し出されてはいないようだった。
その娘は、いくつかの飛び出す絵本や舞台のようなものが目の前に浮かんでいるようだと言っていた。
逆に、佐倉はそのイメージを完全に理解することはできなかった。
佐倉の本は、厚さも仕様もそれぞれが異なっており、一ページずつめくることが出来る。
時に、飛び出す絵本仕様の本もあるにはあった。
しかし、ほとんどが普通の『本』の形をしていた。
咲太郎の前世の娘と一緒に『今生きているこの世界』の本を眺めている時も、その中で流れる世界は同じであっても、目に映る景色――つまり映り方が違って見えているようだった。
結局はそうなのだ。
景色の見え方など、人によってそれぞれ違うのだ。当たり前のこと。
暑さ寒さの感じ方が違うのと同じだ。
自分だけが感じる温度、音、匂い、色、全てが違うのだということを佐倉は透明な書棚の前で知ったのだ。
時間の感じ方だって同じだ。本ごとに全く違うのだ。
楽しいことはあっという間に過ぎて行っても、苦しい時間は永遠であるかのように続いていくではないか。いま、この時と全く同じだ。
佐倉はここで、当たり前のことをやっと理解できたと思った。
無限に目の前に広がる透明本の量はありがたいものではあった。
しかし、多ければいいというものではない。
咲太郎の前世の娘の目の前に広がる飛び出す絵本は、彼女が数えられる程度の量だったというから、新たな人生の受け入れ先の選択肢の数というもの――それもまた人によって違うようだ。
佐倉は生前たくさんの物語を翻訳したが、時に頼まれれば全くの畑違いの分野であっても、それを懸命に理解しようとしたし、できるだけ完璧にと懸命に訳しもした。
父や母や妹に誇れる自分であろうとして、必死に食い下がって理解しようとした数々の本、論文、評論。それだけではない、美術も音楽も舞台も、父が教えてくれた全てのもの。
そうして得た自分だけの世界、空間、知識、佐倉が大切にしてきた全てのものが透明な本の中に詰め込まれているのではないか、そんな風に思ったりもした。
それなのに、佐倉はサイキックの世界を発見した。これは新たな、全く自分が知らなかったものだ。
つまり、自分はうぬぼれていたということだ。
別に前世を懸命に生き抜いたから、そのご褒美として透明本の数が増えたわけではないということだ。
佐倉がサイキックの世界にそれほど興味を示さなかったのはこの辺りのこともあるかもしれなかった。
さて、双子の妹の魂を持つ人間が住む世界の話だ。
佐倉は魂の持つ色や温度について知ったが、双子の妹が住む世界には、うっかり指を入れても痛みや衝撃は走らないし、多少強い意志をもって手を伸ばしたとして、あっさり戻ってこれることを知ったのだった。
一度ヤケを起こして、懐かしい妹の世界になら入ってもいいかと思って深く腕を差し込んだ後、簡単に戻ることができたからだ。
佐倉は結局、この世界――今自分がいるこの世界に戻るしかなかったのではないかとそう思った。
そして、それが辛く悲しく、絶望的であっても、そうであることを望んでいる自分にも気づいたのだった。
咲太郎の前世の娘がひょっこり現れたのもその頃だった。
この二人は一緒に様々な世界を覗き見た。
喧嘩ばかりしていたがそれなりに楽しかった。
二人のお気に入りの人間たちはたくさんいたが、その中でも彼ら――この世界の名前で言うと、麹町や権藤、飯田、妹、他にも多くのお気に入りがいた。
佐倉はその時から彼らの魂の色を覚えていたし、自分が新しく生きる世界でもし出会うことがあったら絶対に、奴らから、多くの敵から守りたいと思っていたのだ。
そう、その敵というもの。奴らのことだ。
釜谷は片付いた。そして下衆の極み・水谷も消えた。
小物ではあったが本村という男もいなくなった。山本ミキももうすぐ消える。
佐倉が恐れる『敵』というもの、ほとんどが片付いたこの状況下。
あと一人。
やはり政治の世界に食い込んでいる者がいる。
与党の中にではない。
見せかけだけの偽装野党でもない。
恐ろしいことにどっぷりと腰を据えて、権藤の作った党にいる男がそれだった。
とても清潔感のある男に見えるし、権藤は彼に信頼を寄せている。
佐倉から見ても、今のところ権藤に対して特に害意はみられない。
しかし佐倉の羽はなんとなくその男に対してうずいていた。もうずっと前から。
その男は透明な本の中で飯田を殺した政敵の男の仲間であった。
別の本では麹町を殺したこともある男だ。
今ここで、佐倉と飯田がこの病室で出会ったこと。権藤がいる病室での出会い。
これこそが恐ろしい縁ではないか?
そしてここには麹町までいる。
麹町が総裁になり、そしておそらく政権を取るだろう今。
権藤がこんな状態で、党の中がどうなっているのか。
余計なお世話だろうが佐倉はずっと嫌な予感がしていた。
さて、麹町の大きな笑い声が響いた。また看護師が叱りに来るかもしれないが、久しぶりに聞こえたやけに景気の良い笑い声だった。
「あっ、権藤さん」佐倉の母の声が聞こえた。
やっと権藤が目を覚ました。
栄太郎が嬉しそうだ。
そして、なぜか飯田が嬉しそうに立ち上がる。
栄太郎と反対側のベッド横で、権藤にはっきり聞こえるように、わりと大きな声で飯田はこう言った。
「目が覚めてよかった。先生と私はいい加減もう戻らないとまずいんだよ。いいか権藤よく聞けよ、もう諦めろ。すぐにでもあいつを出さないとまずい。今日はそれを言いに来た。証拠は佐倉君に預けるからよく考えておけ。奴は水谷の手先だったんだ」
お読みくださりありがとうございます。
病室話がどうしても続きますが仕方ない部分があるんですよね。
早くスカッとしたいです。




