85.屈辱の公妃
なぜか勝手に入職先を決められていた件について、当の佐倉が言い返すこともなく、何もしゃべらずピクリとも動かないのを見て、麹町はいつまでも言い訳がましくしゃべり続けた。
何度も飯田に言ってやっただの、スカッとのような子にはここでやってくのはきついだの、それを強引に飯田が決めたので仕方なく引き下がっただの、ペラペラと身振り手振りを使ってまくし立てた。
佐倉が何も答えないままなので、途中から麹町の話し相手は佐倉の母に代わった。
麹町の必死な様子が気の毒になった佐倉の母が仕方なしに辛抱強く頷きながら話を聞かされている横で、飯田は涼しい顔をして佐倉の父をターゲットにして空飛ぶカァちゃんに支給した防火・防護用ユニフォームの話を持ち出した。
まずは例の『GOモデル』について。
山本ミキがみっともないと馬鹿にしていたこの防火スーツを縁起の良い商品として限定ラインで販売したらどうかと勧めてきたのだ。
「いやあ、これはとてもいいと思うんですよ。確かにデザイン的には奇抜だとは思いますが、なんといってもこれを着ていた遠山さんとあの二人の命が助かった。これは『絶対に落ちないウェア』と言えるじゃないですか。例えば受験生とか!これを受験期に履いて過ごすためにちょっと形やデザインを格好の良い感じにしてみるのはいかがです?カーゴパンツみたいにするとか。あるいは工事現場の作業員のほら、昔はなんと言ってましたっけ?――そう、ニッカポッカ!最近はもう少しすっきりした形になってきてるとかどうとか……実は私はよくわからないんですがね、今回の遠山さんたち三人が起こした奇跡は単に素晴らしいというだけじゃないですよ?とにかく縁起がいい!これを商売に使わないのはもったいないですよ。あのウェアの起こした奇跡だと思うんですよ私は。実は昨日の夜にピンと閃きましてね、佐倉君に話したいと思っていたんですが、まさか!今日お父さんにお会いできるとは!」
佐倉の父はまんまとこのふざけた話に乗せられた。
息子が呆れた目で見ていることにも気づかず、飯田との話に夢中になった。
「確かに!あのウェアは烈が遠山さんに、その――いざという時に安全でいられるように常に着ていてもらいたいってことで私に頼んできたんですよ。それでうちのグループ会社の、防火用品を扱っている会社なんですがね、そこでデザイン的にボツになったものを出してもらったんですよ。あんなデザインでしたが、烈が言うには遠山さんの安全を確保するためにあのウェアを着用できるようにするためには、山本議員が納得するような格好の悪いデザインの方がいいんだとか言い出して!全く、なんて議員なんだか!まあそれであんなデザインのものをね――ですが、確かに『GO!』ってのは受験生にも縁起がいいですね。そうだ!栄太郎君にも履かせましょう。栄太郎君は中学受験があるんでね」
「それはいい!権藤さんの息子さんですね?縁起がいいじゃないですか!なんたって落ちないズボンですからね。それに私が上手い具合に発信しますよ、SNSで。うちの親戚の子も、女の子なんですが高校受験があるんですよ。その子のお守りにってことでちょちょっと発信すれば宣伝にいいんじゃないですかね」
飯田はなかなかに口が上手かった。
佐倉の父が商売の話にのせられたところで、飯田は佐倉の秘書業務の話をさりげなく持ち出した。
「実は、麴町は佐倉君のような純粋で心の温かい誠実な子を政治の世界にいつまでも引き留めておくのはよくないと、私にはかなり強く言ってきたんですよ――今回麹町が担うのはあくまでもスポット総理なわけですが、それでも党内の一部の連中から反発もあるんですよ。水谷の残党ってわけじゃあないですがね。そもそもスポットのほうだってまだ確定ってわけじゃないですから。とにかくろくでもない連中が何をしでかすかわからない状態なんです。遠山さんのこともいまだに抑え込もうとしているような連中です。だからこそ、なんですよ。佐倉君には遠山さんを守るために、もう少しだけ我々を手伝ってもらいたいんです。正直に言いますと、麹町のことも助けてもらいたいんですよ。佐倉君は素晴らしい語学力をお持ちですし、この前もなんとアラビア語で対応してくれて本当に助かったんですよ。その上ですよ?他にも何か国語も話せるって言うじゃないですか!海外に行く機会も増えますのであと少しだけ助けていただきたいんですよ。佐倉君はきっともう関わりたくないんじゃないかと思うんですが――そりゃそうでしょうとも!あの山本のところにいたんだから!私だってあそこにいたら辞めたくもなりますよ。だから難しいですかねやっぱり……」
飯田のやり口は少し佐倉に似ていた。
そばで聞いていた慶次はボソッと「まるで烈だ」とつぶやいた。
佐倉の父は麹町の相手をさせられている妻をちらっと見て、はあっと溜息をつき「そうですね、私の仕事もそろそろ息子にと思ってはいたのですが、まあ我々は幸運なことに健康ですので。まだあと少しなら何とか、とは思いますがね。ただ息子本人の気持ちが大切ですのでなんとも」
「そうですよね。しかし、お父さんがご健康だからこそ佐倉君は色々な経験が積めるわけですよね。私も健康には気を付けないとダメですね。この前も検査で引っかかって娘に色々言われましたよ。情けないですが」
飯田はいいところで本題を引っ込めた。このあたりの引き際加減は確かに佐倉によく似ていた。
さて、咲太郎の後ろに隠れた老婆の慶次は佐倉の父を丸め込んだ飯田の手管に感心していただけだったのだが、飯田のほうは自分をじっと見つめてくる疑るような視線に気付いてしまった。
スレンダーな家族の中に一人だけ骨太で化粧の濃い老婆が混じっていたので、最初から気にはなっていたのだが、ここでこの老婆に妙な疑惑を持たれてしまってはまずいと思った飯田は、自分からその老婆の方ににじり寄っていった。
ついでにニコニコと感じの良い笑顔を見せつけながら。
佐倉の父が『まずい!』と思い、飯田に話しかけたが遅かった。
飯田は「お父さん、こちらの方はご親戚ですか?ここまで体幹がしっかりされていて綺麗な姿勢の方は、これまでお見かけしたことがありません。素晴らしいです」などと言い出して、慶次に「私は飯田と申します。いつも佐倉君には麹町共々お世話になっております」と言い深々と頭を下げた。
慶次の瞬きが激しくなり、咲太郎の動きがおかしくなり、栄太郎がトコトコやって来てなぜか老婆の前に立ちふさがり、静が「ばあちゃん、すぐこっち来て!権藤さんが目覚めそうだよ」などと言っても飯田は慶次婆へのおべっかをやめなかった。
佐倉を秘書として雇うために、飯田はなんとしても佐倉の親族に悪印象を持たれるわけにはいかなかった。
「いやあ、スポーツをやっていらっしゃったのでは?立ち姿が美しいです!佐倉君もそうですが、背筋がスッとしていてとてもお美しいです。写真で見たモナコの公妃のグレースケリーの立ち姿を思い出します」
空気が読めないというのは、ある意味で最強だった。
英介がついにげらげらと笑い出した。
「まさか!慶次さんがグレース・ケリーのわけないじゃん!かあちゃんの本棚にある女優さんでしょ?すっごい美人の!慶次さんがあの人に似てるはずないって」
わけが分からずぽかんとしている飯田に、仕方なしに佐倉の母が話しかけた。
「本当にすみません、言いそびれてしまったんです。遠山さんをびっくりさせようとして老婆のメイクをしていたんです、息子の友人が!この子は中高からの息子の友人で山崎慶次君と言って、」
ここまで言うと佐倉の母も吹き出してしまった。
すみません本当に、と言いながら笑うのを堪えている佐倉の母の姿を見ていた他の者たちも、耐えられなくなってしまった。
咲太郎は「お前がどうしてもって言うからメイクを、」と言って笑いだすし、静は慶次をかばっている栄太郎の姿がおかしくて「慶次さんは隠れられてないよ栄太郎」と言って吹き出した。
飯田は「まさか!メイク?この顔が?」と言って呆然としてしまった。
佐倉は「すみません飯田さん。馬鹿な友人なんです、昔からしょうもない奴なんですよ。まさか今日いらっしゃるとは思わなかったのでやってしまったんだと思います。申し訳ございません」と言い、謝罪したが、それでも口元が震えていた。
慶次と栄太郎の顔を交互に見つめた飯田が笑い出すまでに、それほど時間はかからなかった。
「モナコ公妃とは!ついに俺も気が狂った!」と言いお腹を抱えた。
しまいには飯田は笑いながら「この責任は誰に取ってもらおうか」と言って佐倉を見つめた。
佐倉はついに降参した。
「わかりました、わかりましたよ飯田さん。あと一年だけお世話になります。それでよろしいでしょう?降参です。遠山さんと麹町先生のために頑張ります。なにかあったら慶次に八つ当たりしますから!このモナコの公妃に」
「そうしてくれ佐倉君、俺だってこの発言を取り消したいよ!どこにモナコ公妃がいるっての?どうしてくれるんだ!」
可哀想な慶次は病院の売店でメイク落としを買ってきて、この部屋の洗面室で化粧を完全に落とすまで佐倉と飯田に散々に笑われた。
お読みくださりありがとうございます。
気楽な展開の回でした。




